来訪者
文矢さん
序章「ミステリーは始まった」
「よう、何でこんな時間に。しかもその格好……」
一人の男――柴田栗広――が突然の『来訪者』に対して言う。今の時間は深夜0時。
普通ならこんな時間に誰かの家へは行ったりはしない。『来訪者』は軽く柴田に挨拶をすると、靴を脱いで柴田の家へと上がった。
家といっても、大して広くも無いアパートの一室。他の全ての部屋の住民はもうすでに寝静まっているらしく、
電気が点いているのは柴田の家だけであった。アパートの周りには夜までやっている店は無く、
一番近いコンビニまで徒歩十分はかかる。アパートの前にある自動販売機がこの暗さには不釣合いに輝いていた。
『来訪者』は汗を大分かいていた。さらにずっとポケットに手をつっこんでいる。そして『来訪者』の一番不思議な事は
雨も降ってないのにレインコートを着ていた事であった。
柴田は『来訪者』を部屋に入れる時にその服装について言ったが、知り合いで仲が随分と良かった為、大して気にしていなかった。
そもそも、柴田は友人を疑う等という事はしない性格だ。『友人以外の者』に対しては仕事柄、随分と疑いながら接するが。
柴田の部屋の中は普通の独身男性と比べると大分、片付いていた。さらに、置いてある家具とかはやけに豪華だった。
「まぁ、座れよ。レインコートも脱いでさ」
柴田は部屋の真ん中にあるソファへと座った。『来訪者』も言葉通り、ソファには座ったがやはりレインコートは脱がなかった。
片手はポケットに入れたままだ。柴田は、さすがに不思議に思う。
その時、『来訪者』は手を入れたままのポケットとは反対側のポケットからライターと煙草を取り出した。
片手だけで器用に煙草を取り出して火を付け、口に咥えた。
柴田は机の端にあった灰皿を真ん中へと置く。さっきまで柴田が煙草を吸っていたらしく、幾つか煙草の吸殻が入れられていた。
「あれ? お前、それ手袋か?」
柴田が『来訪者』の手を指差す。『来訪者』の手には、チラっと見ただけでは分からない程、精巧に作られた手の様な
肌色の手袋をはめていた。
その瞬間であった、『来訪者』はポケットから『何か』を持って手を出して、柴田へとその『何か』を刺した。
「ぐおああああ!」
部屋に広がる血、血、血、血、血、血、血―― 柴田の悲鳴。『来訪者』は確実に柴田の心臓へと確実に捕らえていた。
『来訪者』に、震えや同様は見られなかった。多量の血を見ても、気絶も何もしそうにも無い。柴田の意識はもう無くなっていた。
いや、すでに死んでいた。
柴田は部屋の中に崩れ落ち、部屋には『来訪者』の不気味な笑顔だけが残った……
第一話 「双眼鏡の先」
「凄い! 木の上に鳥がいるよ!」
黄色い服を着た少年、野比のび太が嬉しそうに双眼鏡で上の方を見ながら歩いている。
そして、その横には不思議な格好をしたロボット、ドラえもんが暖かな目でその様子を見ていた。
本日は晴天、という言葉が今の天気にはあっていた。のび太の心の中も晴れ晴れとした気持ちいい気分だった。
ドラえもんも同様である。
のび太が持っている双眼鏡は、ずいぶんと古そうだった。手に持てばズッシリとくるような重さ。
だが、その双眼鏡を一度のぞけば、見事にこの三次元の世界のドラマを演出してくれる。のび太はそれをかなり気に入っていた。
懐かしいな。これ、パパが子供の頃に使っていた双眼鏡だぞ―― のび太に対して父、のび助がそう言ったのは
つい数時間前の事である。日曜日の朝、のび助が押入れの中を整理していたら、この双眼鏡が出てきた。
のび太はそれをのび助からもらった、というわけだ。
ただの双眼鏡でこれ程までに喜ぶ子供が他にいるのか。ドラえもんは、のび太の様子を見てそうも思っていた。
だが、言葉には出さないで着いていく。
のび太はグルグル回りながら辺りを見ている。その時、のび太は大柄な子供にぶつかった。
そう、剛田武こと、ジャイアンである。その後ろにはコバンザメのようにスネ夫がいた。いや、コバンザメだ。
「おい、のび太。それ何だ?」
威圧感のあるジャイアン特有の声で脅すかのようにのび太にそう言った。のび太もドラえもんも、少しビビる。
ドラえもんはロボットなのだからビビる必要は無いのに何故か怖がってしまう。人間らしいと言うべきか……
「そ、双眼鏡だよ」
ジャイアンは何の気後れも無く、双眼鏡をのび太の手から奪い取った。お前のものは俺のもの。俺のものは俺のもの。
ジャイアンの新年を見事に表した言葉だ。罪悪感すら無いらしい。
スネ夫は少し呆れたような顔でその様子を見ていたが、ジャイアンはそれに気づいていなくて楽しそうだった。
「双眼鏡なら、最先端の高倍率のやつが僕の家にあるよ。パパが開発者の人と友達でさ……」
「ん? そうか。ならお前ん家に行くから貸せよ」
ジャイアンはその話を聞くと手に持っていた双眼鏡を文字通り放り投げた。ドラえもんが慌ててそれをキャッチする。
ジャイアンとスネ夫はそんな事を全く気にせず、スタコラサッサとスネ夫の家の方面へと歩いて行った。
のび太は双眼鏡に傷が付いていないかを調べ、付いていないのを確認するとホっとして胸をなでおろした。
「たくっ、ムカつくな〜」
のび太は安心した後、そう言うと落ちている石っころを思いっきり蹴飛ばした。のび太の思いっきりだから大した事は無いが。
「人の物をあんな風に投げるなんて……」
ドラえもんも恨めしそうに、もうすでに曲がり角を曲がった二人の方向を睨む。
数秒経つと、のび太はまるで今の事を忘れたかの様に、また双眼鏡で上の方を眺めながら歩き始めた。
また楽しそうな笑顔をつくる。
のび太は、そうやっているとある「物」にぶつかった。自動販売機だ。そう、何処にでもあるただの自動販売機。
ただ、その販売機の前にはアパートがある、というだけの……
「ドラえもん、変な臭いがしない?」
のび太は、『ある事』に勘付いた。そう、アパート一体に漂っている何かが腐ったような臭い――
「そういえばそうだね……」
二人は、ベランダがあるであろうアパートの反対側へと回った。そう、その行動が彼らを巻き込む切欠だったのである。
のび太は、ベランダの窓の中を双眼鏡で一つ一つ見ていく。日曜日で留守っぽい家が多かったが。
『それ』は見つけられた。赤い赤い、真っ赤な血がベランダの窓へとへばり付いている光景を。
「うわあああああ!」
のび太は、驚いて後ろへと倒れた。全身から汗が吹き出、体が震える。歯もガチガチと音を鳴らした。
恐怖。例えるとしたら、自分の体に得体の知れない何かが巻きついてくるような、そんな恐怖であった。
ベランダ際に広がっている光景。窓の下の絨毯は赤に染まっていた。ベランダの窓にもベッタリと血が付いていて、
さらにその奥の部屋の中にはまだまだ何かがあるように見えた。
二人は、叫ぶ事しかできなかった……
第二話「虹色は不吉の証」
「ど……どうす……する?」
のび太は震えた声と震えた指で、部屋を指差した。動揺はしていたが何とか声だけは出す事が出来たのだ。
怯えた、愚民のような声だった。
偶然か、ドラえもんとのび太がいる道には全く、通りかかる人がいなかった。
いや、いたとしても彼らのように双眼鏡などが無ければ、赤いのもただの模様、ぐらいにしか思えなかったであろう。
「こ……このアアアパートの人に言うべ……べきじゃない?」
ドラえもんは、のび太の方を見てそう言った。これが今の彼らの状態で最もベストな状況に思えた。
何かが腐っている臭い。そして、窓にこびり付いている血―― 誰かの死体があの部屋にあるのでは。
そういう結論には誰だってたどり着くだろう。
テレビとかでは、誰だって一度はミステリーとかサスペンスを見てる。
あれを見ている時は、死体が出てくるシーンをいかにも面白そうに見ているのに、実際にであった時、
恐怖感と不快感しか感じない。それが、人間というものであろう。二人はあまりミステリーとかは見ないが、
恐怖感と不快感は強く感じていた。
二人は歩き出し、アパートの表側に回った。その時、丁度あの臭いと血が付いている部屋の前に三人の男と、
一人の女がいた。女の方はいかにも、大家という格好をしている。
人を見て勇気付けられたのか、少し駆け足でそのアパートの二階へと上っていく。それが、絞首台に上るのと、
ほぼ同格の危うさを持った行動だと彼らはまだ知らない。
部屋の前にいた四人が、二人の方を向いた。「何だこのガキ」と今にも言いたげな目だ。
女、大家はふっくらとした、パーマをかけて白いエプロンを付けた優しそうなおばさんだった。
だが、男達の人相はその大家とは正反対の顔だった。一人は顔の目と目の間に傷を付けた、いかにもヤクザっぽい奴。
一人は筋肉質で今にも殴りかかってきそうな奴。最後の一人は、グラサンをかけてこちらを睨みつけてきたパンチパーマだ。
二人はそれに驚いて、少し後退した。まるで狼に睨まれているかのような感覚が襲ってくる。
「何やぁ? ガキ。ガキは家に帰れや」
グラサンをかけた男が手をポキポキと鳴らす。「殴るぞ」と伝えているのであろう。
「え……へ、変な臭いがして窓には血が付いているから」
ドラえもんが慌ててそう言う。動揺はおさまったが、今度へ別の恐怖に襲われているのだ。さっきみたいな抽象的なものでは無く、具体的な恐怖に。
「ほう……好奇心でかい。勇気あるなぁ、われ」
グラサンの男がそう言いながら、一歩踏み出した。腐臭は、この衝撃のせいか、もう感じなかった。汗が二人の体を伝った。
ビビリ屋なのび太は今にも逃げ出しそうな体系で構えていた。ドラえもんもほぼ同様、のび太程ではないとはいえ、五十歩百歩だ。
「やめて下さい。坊や達も気になるわよねぇ。覗いて良いわ、別に大した事は無いだろうし」
大家がグラサンの男をなだめ、のび太達にそう言った。姿通り、優しい人だ。二人は心底、感謝した。
二人は腕をなでおろした。グラサンの男は怨めしそうな目で大家さんを見た。
柴田栗広―― その部屋の横には、部屋番号と、その名前が書いてある。
字はキレイで、柴田がキレイ好きの性格だというのがよく分かった。
大家は、ジャラジャラと音を鳴らしながら、全ての部屋の合鍵を取り出した。そして、柴田の部屋の鍵を開ける。
そして、魔の扉が開いた……
「うわああああああああ!」
予想はしていた。だが、叫んだ。六人は、狂ったかの様に叫んだ。いや、狂ったのかもしれない。
のび太は口を押さえながら、通路の柵へと駆け、嘔吐した。ドラえもんはその場にへたり込み、震えながらその光景を見ていた。
血塗られた赤い部屋の中央には、もはや芸術的に一つの死体がソファに座る格好で転がっていた。
「おい、柴田! 柴田! 柴田ぁ!」
三人の男は、その「もう生き物では無いもの」に向かってそう叫んだ。だが、それは目覚めなかった。
赤い血が、その光景を見事に彩っていた……
第三話「降り注ぐ運命と共に」
その部屋の玄関には、犯人に飛び散った返り血が滴ったものはあったが、争った形跡など、何処にも無かった。
不自然なくらい、いや、不自然なだけだった。
そして、中にある物も散らかっていない。この部屋の持ち主、柴田栗広は随分と几帳面な性格らしく、血という部屋を飾る
地獄の化粧品さえ無ければ、ただのキレイな部屋としか思えないような状態。
柴田栗広の死体―― 顔の目と目の間に傷を付けた奴は、その死体を抱きかかえるようにしていた。目には涙があふれている。
演技にはとても見えない。筋肉質の男は、死体を観察するように、上着をめくっていた。こいつは、何かを探している様に見えた。
そいつのおかげで判明したが、柴田の心臓にはナイフが深く突き刺さったままであった。それを見て、さすがの男もビビっている。
グラサンの男は何かを探すように、部屋をキョロキョロと見回しながら徘徊していた。
大家は、部屋の中に入り、「嘘」と何度も、何度も呟きながら、柴田の死体を抱きかかえている男らの姿を見ていた。
ドラえもんは、ボッとしながら気を失いそうな中、その様子を見ていたのだ。
この事は、ドラえもんの脳内コンピューターにキチっと記録された。
のび太は、部屋の中の様子なんかに目もくれず、ただ手すりの所で震えながら嘔吐しているだけであった。
これが、常人の反応ではないだろうか。
人が死んだ様子を見た時、最も多いと思われるのがのび太の行動だ。冷静な「警察を呼ぼう」などと言う人は、滅多に出ない。
この場合もそうだった。警察を呼ぶまでに、随分と時間がかかった。それが、事件のキーワードだとも誰も知らずに。
この状態から約十分後、やっと大家が携帯電話をポケットから取り出して、番号を押し始めた。
手は震えていて、未だに信じられないような様子だ。
「ひ……人がし……死んでです。は……はい、ここは二丁目の三のな……『夏虫アパート』です」
電話をし終わると、大家は胸をなでおろした。警察が来る、それが安心感を生んだんだろう。
国家権力が、自分達を助けに来るのだ。のび太とドラえもんも、少しホっとした。だが、中にいる三人はそれを望んでいない。
数分後、サイレンが鳴り響き、一台のパトカーがアパートの前に到着した。
その時にはもう、中にいたあの三人はアパートの外へと出ていた。
パトカーの運転席と助手席から刑事が出てくる。片方は二十歳ぐらいの若い刑事だが、もう片方は四十代ぐらいの、
ベテラン刑事のように見える。
そして、二人の刑事がアパートの階段を上り始めるのとほぼ同時に、他のパトカーのサイレンの音が近づいてきた。
二人の刑事の若い方は、いかにも軽そうな感じがする。目は何となく覇気が無く、信頼していいのか、不安になるくらいだ。
だが、年をとっている刑事の方の目は鋭く、例えるならドラマなどに出てくる探偵刑事と被っている。カツカツと響くその足音。
「警察です。まず、通報した方の名前を教えてくれますか?」
年をとっている方の刑事がそう言うと、二人とも警察手帳をのび太達に見せた。
若い方の刑事の名は『唐沢 英彦』、階級はただの巡査。最も下の階級だ。
そして、年をとっている方の名は『隣 貞彦』階級は、警部補だ。
「となり……?」
のび太はつい、その警察手帳の名前を見て呟いた。殺人事件が起こっても、人は細かいところまで気になってしまう。
その殺された被害者が自分の身内では無い限りだ。
「はは、僕。これは『ちかき』って読むんだよ」
隣は少し笑い、のび太の言葉にそう答えた。その笑顔は、ドラえもん達に対して、かなりの好印象を与えた。
「つ……通報したのは私ですけど」
「ほう、そうですか。あなたは、このアパートの大家さんでしょうか?」
隣はすぐにそう言った。大家は、隣のその言葉に対して頷く。
唐沢が、後ろの三人の男を睨んでいた。血だらけになっているその姿からであろう。何が起こったのか、聞きたそうな顔をしている。
「隣さん、あの男達、確か闇金業者のリストに載っていました」
唐沢はそう、隣に耳打ちをした。この話は、無論のび太達には聞こえない。だが、三人の男は「バレた」というような顔をしていた。
隣はその声を聞いた後、少し考えてからその場にいる六人に対して次の言葉を放った。
「それでは、皆さん。署に来て下さい。そこの坊や達もです。そのままの格好で」
運命。この二人の刑事が真っ先にここに到着したのも、運命なのかもしれない。
第四話「取調べに潜む来訪者」
『もしもし、ちかさん? 現場の永森です』
「隣だ。何か発見したか?」
隣は、パトカーの助手席に座っていた。そして、携帯電話を手に持って、現場の永森という刑事と話している。
パトカーの後ろには、死体を見つけた恐怖とそして警察に連れて行かれるという驚きで震えている
のび太とドラえもん、そして大家が乗っていた。三人のガラの悪い男達は他のパトカーらしい。
パトカーは最寄の警察署へと向かっている。もちろん、隣や運転をしている唐沢の一課が所属している署だ。
『あっはい、鍵です。鍵がガイシャの部屋の窓際で発見されました。鑑識に回しておきましたので、後で見といて下さい』
「分かった。窓際で発見されたんだな?」
『はい。私はそれを見てはいませんので詳しいことは分かりませんが』
「そうか。他に何か発見されたら連絡してくれ」
隣はそう言うと電話をきり、ポケットへと携帯を入れた。そして、後ろを見る。後ろにいる三人は、その行動に少しビクっときた。
見かけはかなり強面な刑事。年をとっている分、さらに怖かった。
その様子を見ると、隣はまいったなに頭をポリポリかき、少し笑顔を見せて口を開いた。
「そこまで硬くならなくていいんですよ。犯人をなにもこの六人の中にいるとは思っていませんし」
六人―― 隣は、ドラえもんとのび太も頭数に入れていた。子供でも、殺人は行える。隣の長年の刑事人生で分かったことだ。
隣は刑事になってから、二回程子供が犯人の事件を見ている。その内の一つは普通の少年犯罪。
そして、もう一つは大人の力が無ければ行えないと思っていた事件であった。
その時、その子供は推理漫画か何かであったトリックを使って、人を殺したのだ。
その時に赤っ恥をかき、それから隣は子供だろうと容赦しないと決意した。
パトカーがブレーキをかけた。警察署へと、到着したのだ。
そして、廊下を歩き始め、まずドラえもんとのび太が取調室へと案内された。他の四人は、部屋の前にあった椅子に座らせられた。
「それでは、どうぞ」
のび太は取調室の中へと入った。取調室の中には、唐沢と隣が待っていた。不安な気持ちで取調室の椅子に座る。
大丈夫なのかな…… 信じられない気分でのび太はいっぱいだった。今日、ただ父から双眼鏡をもらっただけなのに。
ちょっとした好奇心でアパートに近づいただけなのに。
「はは、緊張しないでいいよ」
唐沢が乾いた笑いでそう言う。隣は冷静な様子でそれを見ていた。この正反対な二人の刑事にさらにのび太はビビるばかりだった。
精神が、おかしくなりそうだ。
「それではまず、あなたのお名前は?」
隣は、鉛筆を回しながらそう言った。唐沢は、紙にのび太が喋ることをメモろうとしている。
「野比のび太です」
とりあえず、何の躊躇も無く、そう言った。自分の名前だ、恥ずべき事は無い。そう、のび太は思ったのだ。
「じゃあのび太君、年と小学校、あと家のご両親の名前、電話番号、住所を言ってくれ」
のび太はそれもスラスラと言う。唐沢はそれをメモすると、取調室のドアを開き、外にいる警備員らしき男に伝えた。
家へと電話をかけるのだろう。
「よし。じゃあ、どうして君はあそこの場にいたのかな?」
隣の眼の色が、変わった―― 犯人を見つける為の、刑事の顔へとなったのである。
正義。その言葉が、のび太の体に伝わってきた。犯人を捕まえたい、その思いだ。冷酷には見えるが、隣は一生懸命だけなのだ。
「それは……」
三十分程で、隣の質問は終わった。何であそこにいたのか、死体を見つけて何してたのか、等詳しいことを聞いてきた。真剣にだ。
ほぼ同じぐらいの時間に、ドラえもんも取調室から出てきた。刑事達も、休憩として外へと出て行った。
次は、傷のある男と、大家を取り調べる。
「ドラえもん、どうだった?」
「緊張して疲れた。のび太は?」
「同じ」
「そう……」
のび太がトイレに向けて歩き出した。その時、のび太の眼には何かが宿っているように見えた。
ドラえもんもそれに付いていき、トイレへと行く。ドラえもんはトイレの前にいて、のび太は用をたして手を洗って出てきた。
「ドラえもん……今日、最悪だよね」
「え?」
「死体なんて、死体なんて変なものを見ちゃったし、事件には巻き込まれるし」
のび太の口調が強くなった。
「だからさ、だからさ……」
勇気。その言葉が、今ののび太には宿っていた。悪なんて一掃できるくらいの――
「僕たちで、解決しようよ」
ドラえもんが驚いた目でのび太を見る。のび太は、今の言葉を力説するように、ドラえもんを見つめた。
三十秒ほど、二人は見つめあった。あまりにも唐突すぎたからかもしれない。だが、ドラえもんはその言葉を理解した。
「そうだね、秘密道具を使えば! 解決できる!」
ドラえもんは、のび太に向かってそう言った。のび太は頷き、二人の結束は強まった。
犯人にとっては、この二人の存在は不吉な来訪者だったに違いない……
第五話「隣さん」
取調べの時のつかの間の休憩時間。隣と唐沢は署の外へと出ていた。隣は煙草を取り出し、火をつける。
「隣さん、のび太君の家に電話をかけたところ、後十分ぐらいで署に来るそうです」
「そうか……」
隣はそれを聞くと、手帳を取り出し、さっき考えていたであろうことをペンで書き込んだ。
あっという間に、手帳の書き込む部分は埋まってしまった。
違う―― 隣は、ある確信をもった。のび太は黒ではない。確実に。奴が犯人じゃないかと疑ったが、その疑いも晴れた。
白だ。白に違いない。
隣の親友に心理学のプロがいる。高校時代からの友達で、今も何回も連絡をとっている仲だ。
そいつから、人の心理を読むコツを教えてもらっている。刑事には必要な能力だと隣は思ったからだ。
双眼鏡でアパートのベランダを見ていたらあの部屋を見つけた。その証言は嘘ではない。
「ドラえもん」とかいう謎のロボットも同じだ。白だ。
「唐沢。このヤマ、厄介だぞ」
「え…… 何故ですか? まだ二人しか事情聴取をしてないじゃないですか」
「部屋は、密室だったそうだ」
密室殺人。小説の中だけの世界。そして、見てる人が最も興味を持つ殺人のトリックかもしれない。
「まず、ドアの鍵は閉まっている。野比がそう証言している。
また、現場の刑事からだと窓も閉まっているそうだ。どうだ? 密室だろ?」
「それなら、確かに厄介ですね」
唐沢英彦。彼はついこの前に一課に入った若手だ。警察学校で勉強を積んできた努力家のタイプ。
授業もマトモに受けていて、警察学校の成績も上の方だった。だが、エリート組レベルではない。
そして、一課に入ってすぐに隣とコンビを組まされた。若手とベテラン。よくある構図だ。そして、彼は隣に憧れた。
刑事として最高の能力をもった刑事。エリートでは無い。だが、何よりも一所懸命に働いている。
いつか、隣のような刑事になりたい。唐沢は、心の底からそう思っている。
その時、隣に電話が入った。隣は急いで電話を手に取り、喋り始めた。
『ちかさんですか?』
「何だ? 永森。何か発見されたか?」
『犯人のと見られる指紋が全く発見されませんでした』
「指紋がか? じゃあ、手袋でもはめていたわけだな」
『そういう事になりますね』
「他は?」
『ガイシャの部屋ですがね、そころ中に傷がついていますね。
後、財布と部屋の中にあったであろう金や通帳・カードも取られているそうです』
「金がか? カードが使われた形跡はあるか?」
『今、調べるように言っています』
「分かった」
隣はそう言うと電話をきった。隣の頭には何が何だか分からないモヤモヤが浮かんでいた。
「唐沢、部屋中に傷が付いていたそうだ。後、指紋は発見されてない」
「指紋。……計画的な犯行ということですか?」
「まぁ、そういう事さな」
隣は腕時計を見ると、そろそろ時間だという事に気づいて署の中に入っていっていた。
この一覧の流れを、のび太達は見ていた。秘密道具、「スパイセット」でだ。
「う〜ん。犯人の手がかりは掴めそうにないなぁ〜」
ドラえもんは今の会話をメモしていたが、ヒントは掴めそうになかった。「スパイセット」は、隣達に付いているのと、
もう片方の事情聴取をしている刑事についていた。
のび太にいたっては、「密室って何?」とか聞いてくる有様であった。難しい推理小説も読んでないのび太にとっては少々難しかった。
そして、取調べが始まった。
「あなたの名前は?」
「私の名前は長崎香です。アパート、『夏虫アパート』の大家をやっています。年齢は56歳。家族はいません」
隣の言葉に少しどもりながら大家、いや長崎は言った。
「被害者、柴田栗広との関係は?」
「ただのアパートの大家とかりてる人という関係です」
「家賃を滞納してるとかは?」
「そんな事はありません。あの人は稼ぎがいいらしくて、毎回毎回キチンと払っていました」
闇金業者だから当然―― 唐沢は思った。柴田は闇金業者のリストにのっている業者の奴だ。それは裏はとってある。
「あなたは、現場に行った時に何をやってました?」
「ただ、ボーッと少し玄関から入ったところで眺めていました」
隣は嘘をついているかどうかを見た。汗のかきぐわいによって大体は分かる。震え具合でもだ。
ここで被害者の目玉を見せたり、汗をなめたりとかできたらな…… 隣は漫画のキャラクターの行動の事を考えた。
あのキャラは、そうやって嘘を見破っていたな。自分にこんなユーモアセンスがあるとは少し、隣は驚いた。
「それじゃあ、他の人の様子はどうでしたか?」
「あの三人の男の人は柴田さんに抱きついていたりとか、後サングラスの人は何かを探すようにうろついていました」
「……そうですか」
隣は、あの三人の姿を思い浮かべ、現場の状況を頭で再現した。
そして、ドラえもんとのび太もその言葉から状況を思い出した。
四人の追跡者が「来訪者」を追い始めた――
第六話「事情聴取」
長崎香の取調べは、その後は特に進展がないまま終わった。
分かった事は、大家の本名、被害者との関係、被害者がちゃんと金を払っていたことぐらいだ。
ドラえもん達はとりあえず、この長崎は犯人じゃないだろという結論に達する。二人が見る限りでは嘘をついているようには
見えなかったからだ。
だが、隣だけは疑っていた。いや、黒だと決め付けているわけではない。長崎の言っているのが全て本当だという確信が持てない。
言うならば、灰色というべきだろう。
そして休憩時間へと入る。その間、のび太達はもう片方の顔に傷がついている男の方を見る事にした。
長崎と同時進行で事情聴取をしていた為、スパイセットの録画機能を使ったのだ。
スパイセットのモニターのスイッチを押すと、顔に傷がついた男と、少し太っている刑事と若手刑事の姿がうつしだされた。
構造は隣がいる部屋と全く同じだ。
傷がついた男の手は少し赤かった。柴田を抱きかかえていたからだろう。服は他の刑事が取り調べ室の前で
待っている時に住所などを聞いて着替えをもってきていたので血はついていなかった。
「それでは、あなたの名前と職種を」
「名前は、広瀬高広。職業は……金融業です」
金融業。要は闇金だ。表むいて言えない為、広瀬は「職業は」の後に少し間が空いた。
「被害者とは同じ所で働いていたという事ですが、その闇き……店は何処にありますか?」
「名前は「ニコニコ金融」渋谷の109の通り沿いの裏道にあります。住所は渋谷区○丁目○番地です」
家の住所はすでに聞いていた為、そこの所は聞かなかった。渋谷区という事は、
柴田はわざわざ電車で渋谷まで行っているという事だ。
ニコニコ金融―― 其処はとんでもない利子で高額を貸付、取立ても厳しいという警察にマークされている店だ。
これだけで逮捕することもできるだろう。
「被害者とのご関係は、仕事仲間以外に?」
「義弟です。妹の、カンナと結婚していました」
義弟…… 小太りの刑事は驚いた。そういえばガイシャは今は結婚していないが過去に結婚暦アリとあった筈だ。
さっき、ドラえもんの時もこの小太りの刑事が担当していた。その時、この男が柴田を抱きかかえて嘆いていたらしいとの事だった。
それが理由か。
「今、妹さんは?」
その時、間が一分程空いた。広瀬の目にわずかに涙が溜まり、彼はコブシを握り締めた。のび太とかは何だ?
という気持ちだけがあふれていた。
「死にました。去年、交通事故で」
「……そうですか」
小太りの刑事は後で調べろと若手の方にアイコンタクトをした。その後に聞いた現場の状況は「よく覚えてない。血だらけだった」
であった。
これで、広瀬の事情聴取は終了した。
「ねえ、ドラえもん。妹の夫で何で弟って言うの?」
「あのね……」
のび太の馬鹿らしい疑問にドラえもんはため息をついた。ドラえもんは軽くのび太に説明をする。
気がつけば、隣が取調べ室に入るところだ。その時だった。
「のび太、ドラちゃん」
玉子の声が聞こえた。ドラえもん達は署の玄関の目立たないところでスパイセットのモニターを見ていた。
ドラえもんは急いでスパイセットをポケットへ入れる。一応、両方とも録画しているから大丈夫だと考えたのだ。
玉子はタクシーで来たらしく、二人はそのままタクシーへと入っていった。
二人はスパイセットの録画は家に帰ってしばらくしないと見れないだろう。
「あなたの名前と職種を」
隣は目の前にいるサングラスの男にそう問いかけた。あの部屋をオロオロとうろついていたという男。
サングラスの男。そう言っているが、奴は取調室に入ってそう言われるとすぐにサングラスを外した。
「名前は遠藤拓真。職種は金融業です」
「分かった。働いているところは「ニコニコ金融」被害者と一緒の所だよな」
「その通りです」
隣は遠藤の姿を睨んだ。少しオロオロしている。怪しい。今までの中で一番、怪しいかもしれない。
ただ、それだけで疑うわけにはいかない。隣は落ち着いていた。冷静さこそが刑事に必要な能力と考えている。
唐沢はその様子をメモしておいた。彼は警察学校で挙動不審な奴は疑えと教わっている。
だが、隣の様子を見るに完全に疑っていないような様子だった。それを見習い、「何か事情があるかも」と考えはじめた。
「それでは、被害者と同業者以外の関係は?」
「とっ特に無い」
サングラスをかけて怖そうな顔をしているのに気は弱そうだ。漫画とかでよくありそうな姿だ。
隣は絶対に何かがあると感づいていた。何かが、何かがある筈なのだ。
「あなたは長崎……大家さんや少年から何かを探していたという情報があるのだが」
「そんな事あらへんわ! 勘違いや! そのガキ共の!」
急に遠藤の口調が強くなる。窮地に立たされたり自分より低いレベルの者に対しては気が強くなる。隣はそう性格を分析した。
「へぇ、どういう勘違いですかね?」
隣は睨みながらそう言った。だが、遠藤は黙った。次の質問へ隣はうつる。だが、この後は特に進展がなかった。
そのまま、事情聴取は終わった。二人は取調室の外へと出る。
ここで、もう片方の男の事情聴取へと移ろう。筋肉質の男の方だ。
「あなたの名前と職種をどうぞ」
「辻孝。金融業だ」
どっしりとした口調でそう言う。辻はその姿通りの性格だ。警察相手でも臆する事は無い。
「同じ職場で働いている以外の被害者との関係は?」
「いや、特に無い。ただ、一緒に飲みにいく間柄だった」
「成るほど。あなたは他の人の証言だが上着をめくって何かを探していたらしいが」
小太りの刑事はメモっている紙を見ながら辻へとそう言った。
「あいつの財布を探していた」
「な……!」
堂々とそんな事を言えるか。小太りの刑事はそう考え、驚いた。
普通は、警察の署の中でそんな事は言わない。いや、人前でそんな事は言わないと書いた方がいいだろう。
犯罪者と思われる。いや、人の財布を探して盗ろうというのが犯罪なのだから。
「それは、盗む目的でですか?」
「いいや、違う。あいつには俺のカードを貸していた」
「でも、被害者が血だらけで倒れているんですよ? そんな事を気にしますか?」
「財布の中に血が染みてカードに何かあったらまずいと思ったのでな」
辻には恥ずかしいという気持ちは無かった。ただ、彼は当然のことをしただけと思っているのだ。
「で、その財布は見つかりましたか?」
「いいや、無かった」
財布は部屋の中から盗られている。あるわけがない。そこの証言は正しかった。 だが、小太りの男にはある推理が浮かんでいた。
「こいつが財布とかを盗ったのではないか」と。
その後は普通に過ぎ去っていった……
隣は署の外で煙草を吸っていた。さっきの大家の時の事情聴取では気分で取調室の中にいた。
署の外へは出てなかったのだ。これでとりあえずは取り調べが終わったのだが。
「何か、引っかかるな……」
隣は、そう呟いた――
第七話「伝説の刑事 上」
「おい、唐沢。容疑者の家族構成を言え」
「あっはい。まず始めの野比君は父、母がいて、あのドラえもんというのと同居をしています。
次に長崎は一人だけで住んでいます。男がいるという事もなさそうです。広瀬は妻、息子、娘の四人家族。
息子は六歳、娘は四歳です。遠藤は一人暮らしで、女はいるようですが一週間に一回会うぐらい。
辻は一人暮らしで女の様子も無いそうです」
この情報は、事情聴取の後に知らされたことだった。事情聴取の時に隣は家族構成は聞いてたが、
もう片方の方は分からなかったのだ。
隣の電話がなった。その電話をすぐにとり、タバコを口から取り出して灰皿へ入れる。
『ちかさん、死亡推定時刻が分かりました』
「永森か。で、いつだ?」
『昨日、つまり六月十九日ですね。十九日の午後十一時から今日の午前三時ぐらいまででした』
「深夜って、ことか」
『そういう事になりますね』
「分かった」
そう言うと隣は電話を切った。唐沢が「どうしたんですか?」と問いかけた。
「死亡推定時刻が分かった。十九日の午後十一時から今日の午前三時ぐらいらしい」
「夜遅くですか。じゃあ、家族もちでもバレないように行けば大丈夫ですね」
「ああ」
辻孝、財布、カード。隣の頭の中で、まずは辻のことが思い出された。財布は盗られていたのだ。
犯人にだ。辻が盗んだのか? それは無い。隣のカンがそう伝えた。
もしも、奴が盗っているなら奴はあんな堂々とした態度はとらない筈。隣はそう考える。いや、本当は疑ったままだ。
だが、隣は他の動機が無い限り奴が犯人とは思えなかった。
「アリバイは全員に無かった筈だな」
「はい。最後にホトケと容疑者があった時間から発見までのアリバイを全て聞いたので、行動は分かってます。
その時間は野比と長崎と広瀬は十一前に寝ていて、他の辻と遠藤は十二時ぐらいまで起きてたと言っています」
「分かった」
隣は腕時計を見た。今の時間は午前十一時半。かなり早く事情聴取が終わっている。
とりあえず、隣と唐沢は第一課の部屋へと戻った。警部に事件の事を報告し、席へ座る。
「じゃあ、とりあえず飯食うか。午後一時に署の前に来てくれ」
隣はそう言い、第一課から出て行った。唐沢は、その後ろ姿を見てしばらく立ち尽くしていた――
あの人は、今、この瞬間も犯人は誰なのか考えているんだろう。憧れの存在。そして、小さく見える自分。
恥ずかしくなっていた。唐沢は、自分の姿が惨めに見えた。
その頃、ドラえもんとのび太はスパイセットの録画を切っていた。すでに事情聴取が終わったと思ったからだ。
玉子と殺人事件のことについて話していた為だった。それに、いつまでも電源をつけているのもあれだと思ったからだ。
少し経つとスパイセットのカメラが帰ってきた。
隣は蕎麦を食べていた。行きつけの店『長野屋』でだ。値段もリーズナブルで隣は昔からのなじみなのだが、
刑事仲間はあまり来ない。
蕎麦というのが古臭いというイメージを与えるのだろう。だが、隣は蕎麦の味が好きだった。
この『長野屋』に来ているのは四十代以上の人ばかりだった。時々、若い人が来るが今日は来ていない。
頭の中にある事が思いついた。ナイフが、刺さりっぱなしだった…… 指紋さえも残さない犯人が? おかしいのじゃないか。
警察の捜査力というのは物凄いものだ。たった一つのナイフでも購入した場所とかが分かり、犯人像が特定できる。
それを犯人は知っている筈だ。
それを犯人は残したのだ。普通の人ならあまり気にしないところ。隣は、そこへ気づいた。
なんとなく、隣は壁に飾ってあるパズルを見た。完成したやつだ。ここの親父さんが好きらしい。
パズル。額に飾ってあって、紐がついていて、その紐を画鋲でとめてぶらさがっている。額縁。紐――
何かに、気づいた。隣は、この時に何かに気づいた。
残っている蕎麦を一気に食べ、隣は行動へと移した。唐沢と一緒に行くべきかもしれないが、そんな余裕は無かった。
ダッシュで隣は警察署の中へと入る。周りの刑事達は隣を見かけて話しかけようとしたが、隣はそれを聞き入れなかった。
すぐに第一課の部屋へと行く。警部が驚いた顔で隣を見た。飯を食いに行った筈。今は正午。おかしく感じたのだ。
「警部! ガイシャの服は何処にありますか?」
「あ、鑑識課だ」
「じゃあ、事情聴取をした奴の住所は?」
「この紙だが……」
警部は机の上にある紙を指差した。どうやら、今さっき印刷したばかりのようだ。
「分かりました」
「少し待て」、隣警部はそう言ったが、その時にはすでに隣は第一課の部屋から出ていた。 何をやってるのか……
警部はその時に呆れたが、これが事件解決のヒントになるとは誰も思わなかった。
鑑識課のドアを開くと、監察官が驚いた顔で隣を見た。さっきの警部と丁度同じような顔だ。隣のことは監察官が知っていたが。
「服とナイフを見せてくれ」
隣はそういうと手袋をはめた。普通なら駄目と言うところだが、監察官はその迫力に押されてしまった。
そして机の上を指差す。そこには幾つかの被害者の持ち物が袋に入れてあった。ナイフ、服、血のついた灰皿、ソファーの欠片。
隣はその中でナイフと服をとり、それを見た。ナイフの血の付き方からすると、随分としっかりと死体に刺さっていたようだ。
「分かった。サンキューな」
隣はそう言うと鑑識課からも出て行った。そしてすぐに署から出る。
密室。最も不可解なトリックが今、解けそうだ。そう確信を持ったのだ。
ヒントは掴めた。あのナイフをどう使ったのか。予想はできたのだ。後は証拠だ。
隣はさっき警部から手に入れた容疑者の住所リストを取り出した。パっと紙を見て隣が目をつけたのは遠藤。
あの挙動不審だった。気の弱いグラサンの男。『何か』を隠している。そうやって彼は確信をもった。
その時の十二時二十分。一時に唐沢と会う約束をしていたが、隣の中の何かが隣を動かした。
その判断が、歯車の狂いの始まりだったと言う事にも気づかずに……
バスに乗って、遠藤の家を目指す。どうやら、アパートに住んでいるようだ。其処に着いた時間は十二時四十分。
場所は住宅街。近くにスーパーなどもあるが、人通りは其処まで多く無い。元はその場所は田んぼだった。
隣は住所の紙を見て、周りを見渡した。その時、一人の男が目に入った。
広瀬だ。広瀬が手にビニール袋を持って歩いていたのだ。ホームセンターに買い物に行って帰った後であった。
「あれ? 刑事さん?」
「広瀬さんじゃないですか。何でここに?」
「いや、家がそこなんですよ」
広瀬は指で自分の家がある辺りを指差した。
「え、じゃあ遠藤さんの家と近いんですか?」
「はい、目と鼻の先ですよ」
隣は驚いた。闇金で働いている二人がこんなに近くに住んでいるなんて。
よく見たら、確かに住所はほとんど同じという程、近かった。気づかない程、隣は慌てて行動していたのだ。
「それなら、参考の為に広瀬さんの家に行ってもよろしいでしょうか?」
「あっ、いいですよ」
広瀬は一戸建てに住んでいた。車もあり、又、庭は手作りらしき飾りや家具、植物に囲まれてキレイにまとまっている。
四人家族だから、まぁこのくらいは普通なのだろうか。
中に入り、リビングの机に二人は座った。隣は周りを見渡す。
部屋は広瀬の妻の趣味でカントリー系の物でまとまっている。大型テレビもあり、様々なものが揃っていた。
所々には手作りらしき家具もある。
広瀬はコーヒーでも入れようとしてるのか、台所へと入った。
珍しく、台所とリビングが別の部屋になっている。隣はその隙を見て、携帯電話で部屋の様子を携帯電話のムービーで撮った。
容疑者の家へと入ったら、隣は必ずこうするのだ。何か、ヒントを見つける為。
撮り終わるのとほぼ同時に広瀬がコーヒーを持ってきた。
「この家具とかは、広瀬さんが作っているものですか?」
「はい、そうです。ほら、この袋の中にあるのも日曜大工でもしようかと思って」
広瀬はビニール袋を隣に見せた。中には板材、メジャー、釘が入っていた。
「へぇ、今日は仕事……金融業はどうしたんですか?」
「あ、本当は朝も仕事しようと柴田の家に行ったんですけどね。でも、あんな事になったので」
「そうですか」
広瀬達の『ニコニコ金融』は普通は日曜日もやっている。だからこそ、呼びにいってたのである。
「ご家族は?」
「妻は朝から友達と買い物へ、息子と娘は幼稚園のお泊り会です」
「そうですか」
つまり、この家には今のところ誰もいないということだ。
「分かりました。それじゃ、遠藤さんの家へと行くので」
「……捜査、頑張って下さいね。何しろ、犯人の糞野郎は僕の義弟を殺したんですからね」
「分かっていますよ」
隣は苦笑いをして、広瀬の家から出て行った。
そして、遠藤のアパートを見つけた。本当に広瀬の家の目と鼻の先だった。
隣は、住所の紙を取り出して遠藤の部屋を確認し、そのアパートを上っていった。
遠藤の部屋は201。階段を上ってすぐのところにあった。その時、部屋の前に何か白いものが落ちているのが見えた。
隣は、一つ、それについて考えを持った。その粉をよく見ると、前に見た『あるもの』とほぼ同じに見えた。
隣は指先をぺロリと舐め、その粉を指につけ、キレイなところを少し舐めてみる。
予感は、的中した。
それは、隣の予想通り『あるもの』だった。
「これは、麻薬……」
この話は続きます。