昼下がりのイーストシティ。ロイの警護として一緒に町へ視察に出掛けていたブレダは店の軒先で居心地悪そうに身を揺すっていた。
ここは新しく出来たばかりの雑貨屋である。店内は可愛らしいアクセサリーや小物類が品よく丁寧に展示され女性客の目を楽しませていた。
そんな場所に男の・・・しかも明らかに軍人だと分かるいで立ちでブレダが立っているのは店の奥で店員との長話に夢中になってしまったロイを待ち侘びての事だった。いつもは手厳しい副官のリザを恐れ早々に引き返すはずなのだが生憎今日はお休み中。晴れ晴れとした顔で勤務中にナンパを繰り返すロイにすっかり疲れ切ったブレダは先程から待ちぼうけを食らっているのだった。
「・・・ったく・・・まだ終わらんのかよ・・・」
対女性用の柔らかな笑みで談笑する上司を横目で見ながらため息をついたブレダは大きな体を縮めるようにして入ってくる女性客の視線を避けた。せめてここが喫茶店とかであったなら茶でも注文してゆっくりと待てるのだが、こんな雑貨屋(しかも自分たち以外の客は皆女性)では落ち着いて座ることも出来やしない。
「ああ・・・腹減った・・・」
しかも時間を見ればそろそろお昼という時刻。先程から腹の虫が鳴り出したブレダは早く帰りたくて仕方がなかった。
「今日の昼飯は特製ランチなんだぜ。ハボの野郎・・・先に食ったらコロスからな・・・」
少々多く作りすぎたからと、今日は隣人の分まで一緒に包んできたのだ。最近は落ち着いたが体に見合うだけの食欲を見せる悪友ははっきり言って意地汚い。今急いで帰ったとしてもおかずの一品や二品は消えているかもしれない。
「・・・大佐ー、まだ終わりませんか?」
無理だと思いつつ室内に声を投げかけると「煩い」というあっさりとした台詞が返される。
「お前も無粋な男だな。五分やそこらの世間話に付き合えないようではいつまで立っても彼女などできないぞ」
「・・・余計なお世話です」
店員に顔を向けたままにこやかに厭味を言う上司を睨みつけたブレダは店のあちこちから聞こえてくる笑い声を耳にいれないようわざとらしい咳払いをしてみせた。どうせ彼女いない歴二十数年のモテない男である。街を歩けば必ず女性に声をかけられるプレイボーイ大佐と一緒にされてはこちらの身が持ちやしない。
「大体おまえはさっきから営業妨害をしているぞ。ぶすくれた顔で立つくらいなら中に入って何か選んだらどうだ」
「選べって・・・何をですか」
にやりと意地の悪い笑みで手近のアクセサリー類を指さしたロイにブレダは困ったように視線をさ迷わせた。こんな女が好きそうな物体など買ってどうしろと言うのだろうか。
「残念ですが大佐と違ってあげる相手も使う予定もありませんね。俺みたいな空しい独り者にどうしろと?」
「おや、いるだろう? 可愛い可愛い「ジャクリーン」が」
そういってロイが手にしたのは青とも翠ともつかない不可思議な色合いのネックレスだった。
「確か明日はあれの誕生日だろう? 何か贈る物は決めたのか?」
「贈るって・・・ハボックにですか?」
からかいたくて堪らないといったロイに眉を寄せて見せたブレダは今頃司令部内で鬼の副官代理をこなしているだろう悪友を思い出した。アメストリス国軍少尉であるジャン・ハボックが原因不明の事故で女になってから数週間。以来同僚という気安さからボディーガード紛いの役目まで任されてからこの上司は何かとネタにしてくるのだ。
「どうして俺があいつにこんな物をおくらなきゃなんないんですか。ザルには屋台のビール飲み放題で十分ですよ」
どうせ女になったからといってお洒落をするわけではないのだ。むしろ安くて旨い飯や酒を奢ってやった方が本人だって喜ぶだろう。
「大体奴はズボラですからそんな高価なもの宝の持ち腐れですって。すぐに無くしちまいますよ」
「やれやれ。これだから無骨者は困るね」
わざとらしくため息をついてみせたロイは店員に「これを包んでもらおうか」と言って席を立った。
「いいかね、いくら中身がああだとはいえ東方司令部のアイドルの誕生日だぞ。数多の男連中の誘いを押しのけおまえがエスコート役を確保したというから私なりに手助けをしてやろうと思ってここに連れて来たというのに。全くなってないな」
「すいませんねぇ、なってなくて」
というかそんな事に気を回すくらいならとっとと司令部に戻って仕事をしてやった方が何倍もハボックは喜ぶに違いない。
「大体何度も言うようですが俺と奴はそんな関係じゃありませんよ。大佐も司令部の奴らも変な勘ぐりすんのは止めてくださいって」
つい先日も出張に来たヒューズに散々からかわれたのだ。確かに端から見れば仲の良い二人に見えるだろうが、そんな色っぽい話など二人の間には皆無だった。
明日の夕食にしたって別にそれと知っていたわけではない。たまたま食いに行こうと言った日がハボックの誕生日だったということに過ぎない。
「それよりもとっとと司令部に戻りましょうや。本気で奴を怒らすと中尉ばりに銃を乱射されますよ」
先週も同じことをしてライフルつきつけられたでしょう、と問えばロイは途端に笑顔を張り付かせた。リザのように無言で銃を撃たれるということは無いが、何せ相手は司令部のマドンナだ。怒らせれば周りの男連中が何をしてくるか分かった物ではない。
「別に大佐が夜道で襲撃されても構いませんけどね。せっかく誘った女たちとのデートを邪魔されたくないですよね」
「う、わ、分かった。これを買ったらすぐに帰る」
先日の件を思い出し冷や汗をかいたロイはいそいそとレジに舞い戻った。さすがにロイも趣味のナンパをムサイ男連中に邪魔されたくはないらしい。
「・・・しっかし・・・プレゼントねぇ・・・」
会計を済ませているロイから視線を外したブレダは入り口までをびっしりと埋め尽くす小物類に手を延ばしてみた。
「女ってーのはなんでこんなキラキラしたもんが好きなのかねえ?」
照明の光を受けて七色に輝くそれは幼いころに集めていたガラス玉を思い起こさせた。力を込めればすぐに壊れてしまいそうな繊細なそれはどう考えても男の・・・特に自分のような軍人には不似合いなものだ。
「・・・まあ・・・確かに今のあいつなら似合わなくもないけどな」
複雑だが十人が見て全員が「美女」と太鼓判を押す今のハボックならばこんな宝飾も難無く着こなすだろう。やる気はないがいざとなれば完璧なマナーで猫を被る彼は先週行われた大総統の誕生パーティでも上層部の連中を骨抜きにしたらしい。狸爺共がこぞって息子の嫁にと打診して来たという話は司令部でも有名な話だ。
「ま、どうせ外見がああでも中身は変わっちゃいないんだしな。こんなモン
無駄無駄」
ロイが会計を終えたのを見計らったブレダは早々に小物類から手を離した。
「もう良いですか? 行きますよ」
「まだだ。お前もこっちに来い」
ようやくブレダの方に歩いて来たかと思ったロイは突然ブレダの首根っこを引っつかんだ。
「せっかくここまで来たんだ。私が払ってやるから何か選べ」
「はぁ?」
呆れたように見上げた先にあるのはいたずらっこそうにキラキラと輝く子供の目だ。
「どうせこのまま帰っても叱られる事に変わりは無い。だったらお前からのプレゼントを持っていってやろう。きっと喜ぶぞ」
「大佐・・・それは・・・」
だからあれは女ではないと言いかけてブレダはため息をついた。これはもう楽しんでるとかいう次元じゃない。ロイの中ではすっかりブレダとハボックは一対にされてしまっているらしい。
「はいはい。分かりましたよ。選べばいいんでしょーが」
ここまでくると口答えをするのも面倒臭く、ブレダは投げやりに視線を向けた。ここで口答えをしていても一向に事は進まない。ならば適当なブツを選んでしまおうと手をのばした。
「…じゃ、これを」
「…ほう、ピアスか?」
迷いもなく掴み取った物体にロイは視線を落とす。無骨な手に収まっているのは光の加減で色を変える天然石のピアスだった。ピンクを主体とした色合いは確かに今のハボックに似合いそうだ。
「…あ…駄目だ」
だが綺麗に包装される段になって、ブレダは根本的なことに気がついた。
「あいつ、穴あけてなかった」
ピアスを身につけるのなら無くてはならないピアスホールが開いていないのだ。それではこんなもの贈った所で使えるわけがない。
「気まぐれでやったモンの為にわざわざ穴開けるわけないですね。ああ、御免。それやっぱり…」
「いや、待て」
戻すと言いかけたブレダの手を押し止めたのは隣に立つロイだった。
「…なぁ、ブレダ少尉。賭けをしようか?」
「…大佐?」
にやり、と口角を上げたロイに、ブレダは嫌な予感を覚えた。その顔はおもちゃを見つけた子供のそれだ。何を言い出すかと身構えたブレダの肩を掴みロイは楽しそうに「提案」する。
「まずはこれを買ってハボックにプレゼントしてやろう。一日早いが誕生日プレゼントだといえば喜んでくれるはずだ」
「はぁ…」
「重要なのはその後だ。この中身を見てハボックが女扱いすんなと怒ったらお前の勝ち。もらうだけもらって放置してもよしとしてやろう。私は君たちが望むように向こう一週間は外出を禁止して書類作成に励んでやる」
偉そうにふんぞり返ってそう宣言するロイに、ブレダは「それが普通なんじゃ…」と口ごもる。だが、すっかり調子に乗ったロイは楽しんでいる様を隠しもせずに言葉を続けた。
「だが、ハボックがこれを身につけたとしたら…私は一週間、好き勝手させてもらう。無論その間仕事はいっさいお休みだ」
「はぁ?」
なんじゃそれはと頓狂な声を漏らすブレダに念を押したロイはご機嫌な様子のまま司令部へと足を進めた。無論その手には店員から受け取った小袋が収まっている。早く渡したくて堪らない…見るからに浮かれた足取りはそう語っていた。
「おいおい…マジかよ」
後を追うことも忘れたブレダは魂すらも吐き出す勢いでため息をついた。リザもハボックもよく毎日こんなのの相手ができるものだ。自分は駄目だ。すでにここ数日のつきあいで胃が悲鳴を上げている。
「…いや、でも…」
思わず腹を抱えたブレダだったが、ふと顔を上げる。
「…あいつのことだ。どうせ無くすのがオチだろう」
受け取ったはいいが引き出しの片隅に入れたまま放置するに決まっている。よく物を無くしては探す手伝いをさせられたのは一度や二度ではないのだ。彼がズボラな性格なのは十年来のつき合いである自分が一番よく分かっている。
「これを機に溜まった書類をやらせるのも悪くないか」
大佐には悪いが勝たせてもらうぜとブレダは気を取りなおして後を追った。
ーーだが、ブレダは大事な所を見落としていたのだ。
次の日のこと。
待ち合わせたハボックの出で立ちを見て、ブレダは思わず目をむいた。彼(彼女)の形の良い耳には、見覚えのありすぎるアクセサリーが存在を主張していたのだ。
「似合うか? さっき駅前の店であけてもらったんだ」
うふんと調子良くしなを作ったハボックにブレダは己の浅はかを痛感した。
そうだ、ハボックというのはこういう奴なのだ。もらったものはとりあえず身につけて感謝を表すのが礼儀だと思っているのだ。男の時にだって彼女からのプレゼントをよく身にまとっていた。
…だが、腕時計やリングなどはともかくとして、ピアスはどうなのだろう。こいつは耳に跡がついてしまうと考えなかったのだろうか?
いやいや、…というかもうその点は目を閉じよう。開けてしまったのは仕方ない。適当に選んだわりにはハボックによく似合う一品だったと自画自賛もしてやろう。…悩むべきは賭けの事だ。
「…覚悟、しておけよ?」
「はぁ?」
明日ハボックの耳に光るピアスをみたロイがどういう反応を示すのか…十分予想がついたブレダは恒例となった胃の痛みを覚えて腹を押さえるのだった。
―――ロイさんは多分エドさんとデートがしたかったのだと思います。
・・・ 多分リザの銃声で賭はお流れになりますが。苦労性のブレダが好き。