温かな春の陽気に誘われて夏目とニャンコ先生は近くの原っぱで日光浴をしていた。
「んー。気持ちいい」
「夏目ー。ちょうちょだ、ちょうちょ」
うんと伸びをする夏目の側を先生は嬉しそうに跳ね回る。先日まで長々と雨が降っていたせいでこんなに良い陽気は久しぶりなのだ。つまらなそうにふて寝を続けていた先生はここぞとばかりにはしゃぎまくっている。
「先生、あまり遠くに行くなよ」
早速昼寝にちょうど良い場所を見つけた夏目はごろりと横になって目を閉じた。降り注ぐ日差しは暖かくすぐに眠りの淵はやって来る。
「――夏目?」
だが、落ちかけた意識は低い、かすれた声に呼び戻された。
「――田沼?」
うっすらと目を開ければ覗き込んでくる田沼の顔。困ったように、かすかに微笑を浮かべた田沼は「よく寝るな」と言って隣に腰掛けた。
「ほら…お弁当」
手渡されたのは見慣れた重箱に詰められた豪華な三段重ねだ。どうみてもこれは塔子のお手製だろう。
「借りた本を返しに来たんだけど…多分ここにいるからって渡された。ピクニックみたいでしょう?…って」
「…ははっ」
そういえば出掛けに塔子がばたばたとキッチンで作業していたのを思い出す。昼ご飯までには帰るつもりだったのだが、どうやら塔子が気をきかせてくれたらしい。
「すこし早いけど食べるか? 」
蓋を開けて見れば色鮮やかなおかずが詰められている。ご丁寧に添えられたおしぼりで手を拭くと手早く取り皿により分けていく。
「あ…」
「え?」
だが、おかずの一品を摘んだ所で田沼は眉を寄せた。気を付けて見なければわからないほど微かだが、確かに何か困ったような雰囲気だ。
己の手を見下ろせば、赤々とした小さなプチとまとが一つ…。
「…田沼? もしかして、これ嫌いか?」
「う…」
まさかと思い問いかけるが、田沼は黙ったまま顔を赤らめた。その様はまさに当たりだと語っており、思わず頬がゆるむ。
「へえ? 意外だな」
「…悪かったな。中のぐちゅっとした所がどうも嫌いなんだ」
恥ずかしいのかそっぽをむいてそう語る田沼はなんだかいつもより幼く見える。くすくすと笑っていると「夏目にだって嫌いなもののひとつや二つあるだろう」とすねた目で見返された。
「そういう夏目はどうなんだ?黙ってないで教えろよ」
「俺? …うーん。嫌いなものってないなぁ」
あって当然とばかりの物言いに夏目は首を傾げた。
「昔は酢の物とかが苦手だったときもあったけど。塔子さんがだしてくれる料理は本当においしくてさ。気がついたら食べられるようになってた」
はい、とトマトを避けた方の皿を手渡した夏目は「今度塔子さんに料理つくってもらうか?」と言って笑った。
「…夏目は…本当に藤原さんたちが好きなんだな」
その笑顔が本当に嬉しそうで、田沼は思わずそう口にした。学校では笑顔がどこか嘘臭いと囁かれているのを聞いたことがある。今はそうでもないが、転校してきた当初は整った容姿と相俟ってまるで人形のような印象を与えたらしい。だが友人達が増えていくにしたがって表情も明るくなり周囲に溶け込むようになったのだ。それは、やはりいまの保護者である藤原夫妻の影響が大きいのだろう。
「なんだよ、好きにきまってるだろ?」
田沼の分までトマトを平らげた夏目は当然のように頷いた。
恥ずかしさからか少々顔が赤らんでいる。だが、その表情は見ているだけでこちらも嬉しくなってしまうほど力に満ちあふれていた。
「藤原さんたちだけじゃない。ここで会った人達、みんな好きだよ。…もちろん田沼もな」
「夏目…」
にこりと笑ってそう答える夏目に、田沼は堪らず手を伸ばした。
…だが、伸ばした手に触れたのは華奢な夏目の体ではなかった。
「おい、おまえら。私をのけ者にするとは良い度胸だな」
「っ!」
田沼の腕の中に飛び込んできたのはフサフサの毛に覆われた柔らかな物体。慌てて顔をむければ、ニャンコ先生の不気味なドアップが視界いっぱいに広がった。
「うわぁ!」
「まったく。ちょっと目を離すとこれだ。私にもエビフライをよこせ」
そのまま田沼の顔に蹴りを入れた先生は夏目の膝によじ登ってすりすりと鼻をすりつけた。
「そのホタテのフライもだ。早くしろ」
「はいはい、わかったよ」
明らかに見せ付けているとしか思えないほどの甘えっぷりでフライを所望した先生は当然のように夏目の手から直接食べさせてもらっている。さりげに強烈な一撃を喰らった田沼はようやく起き上がり無言で塔子の弁当を食べはじめた。
「あ、田沼? 何かとろうか?」
「ああ…じゃあそのから揚げを」
皿が軽くなるとタイミングを見計らったかのように夏目が手をだしてくる。希望の物を取り分けてにっこりと差し出してくれる姿に思わず頬がゆるむのだが、いかんせん、その膝の上には邪魔な物体が鎮座ましましている。夏目と話しをするたびに茶々をいれてくる存在がとてつもなく気になったが、何とか田沼は平静を保ちながら昼食を続けた。
「あ、先生」
「なんだ? 夏目」
「ついてるぞ、口の周り」
…だが、そんな会話がなされた直後、思わず田沼は手元の箸を握り潰してしまった。目の前では幼い子供にしてやるように衣だらけの顔を拭ってやる夏目の姿があったから。
「え? 何だ、いまの」
「気にするな。空耳だ」
しかも異音に顔をあげた夏目の顔に張り付いた先生は「おまえもついてるぞ」と言って白い頬を嘗めたのだ。ちらと見たかぎり、夏目の頬にはそんなモノは無かったはずである。
「…悪い…そろそろ」
これ以上ここにいると本気で猫と格闘を始めてしまうと悟った田沼は早々に皿のものを片付けると立ち上がった。
「うまかったよ。藤原さんによろしく伝えておいてくれ」
「…あ、うん。じゃあ、また明日」
田沼の内心も知らずにっこりと笑った夏目は先生を抱き留めながら無邪気に手を振った。
「ふん、あの青二才め。根性のない」
「先生?」
心持ちふらふらしながら帰って行く田沼の背を見送っていた夏目は意地悪く笑う先生に不審な目を向けた。
「なんだよ、また田沼になにかしたのか?」
「阿呆。私は用心棒としての使命を全うしただけだ」
おまえの貞操のな、という言葉は飲み込んだ。どうせ夏目は田沼が悶々としている事に全く気がついてはいないのだ。好きかと問われれば好きと答えるだけの友愛は持っていると思うが、まだまだお子様な夏目には好きの種類が区別できていない。そんな状態で嫁になど、とてもではないが出せるわけがない。
「満腹だ。寝るぞ」
悪い虫(?)を追い返した先生は満足そうに目を閉じた。夏目の膝の上は先生のお気に入りだ。夏目が本当の気持ちにたどり着くまでは自分が占領してやると小さな手でしがみついた。
「食ってすぐに寝ると牛になるぞ」
そういう夏目の方も、暖かな気候に負けたのか手早く弁当を片付けるとその場でごろんと横になった。膝が崩れ不満げにのどを鳴らす先生を引き上げて夏目は腕に抱き込んだ。ふかふかの体は上質の毛布のように肌に心地良い。
「おやすみ、先生」
「うむ」
互いに小さなあくびをして再び睡魔に身を任せた。
暖かな太陽に青い草の匂い。自然が溢れたここは、とても心地が良い。
ふたりは、塔子が呼びにくるまで、仲良く惰眠を貪り続けた。
これでも田夏推奨派です(汗)
誕生日ネタの時から書きたくてたまらない一文があるのですが、
今回もボツになりました。次の田夏物では是非言わせてみたい・・・