青い春の欠片


午後一番の授業が休講になった。

黒板には控えめに「自習」と書かれているものの、提出する課題も宿題もないとくれば、大人しく机に向かっている真面目な生徒などいるわけがない。一応隣のクラスを気遣ってはいるものの、ざわめいた生徒たちは思い思いの場所に陣取り、世間話に花を咲かせていた。

そんな中、ぼんやりと机に向い昼寝の余韻に浸っていた夏目はニヤニヤとした笑いを湛えた悪友に肩を叩かれた。

「はぁ? 好みのタイプ?」

そんな二人に不審な目を向けた夏目は、急に振られた話題に目を丸くする。

「そーそー、今日こそはこれって奴を教えろよ」

そういって西村が机の上においたのは、アイドルが水着になった…いわゆる「ちょっとエッチな本」である。表紙や巻頭はいろんなタイプの女の子たちで埋め尽くされており、彼等にいわせれば、どれか一人は好みに合うこがいるだろうという事だ。

「俺は断然この子だね、この子」

そういってヘラリと笑った西村は表紙を飾る栗色の髪の少女を指差した。

「俺の今一番お気に入りの子。かわいいだろー?」

確かに表紙を飾るだけあって他の女の子たちよりも人目を引く容姿をしていた。はっきりした顔立ちに猫を思わせる少し釣り上がった目尻が可愛らしい。しかも目元には泣きボクロが存在を主張しており、確かに男が好みそうな顔だ。

「俺はこっち。やっぱ黒髪だろ」

そういって北本が指したのは、すらりとした手足を投げ出したしどけない日本美人だった。茶髪が多い中、漆黒の髪を背の半ばまで伸ばし、さらりとかきあげる姿が大人の女性を思わせる。ちなみに、胸のサイズもなかなか、だ。

「で? 夏目は?」

ふうんと冷めた目で雑誌を斜め読みしていた夏目はきらきらと輝く目で問われて言葉を詰まらせた。

「俺? 俺は別に…」
「「いないとは言わせないぜ!」」

そっと目をそらし雑誌を突き出すが、ふたりはがっしりと夏目の肩を掴んだまま離そうとしない。そのしつこさはまるで妖怪に取り付かれた時のそれだ。適当でもどれか一人選ばなければ許してもらえないだろう。

「はいはい、分かったよ。…じゃ、これ」
「「そりゃ猫だっての!」」

いくらなんでも適当すぎたか、ろくに見もせずに指した所には女の子ではなく綺麗なシルエットをもった洋猫がポーズを決めていた。猫好きの夏目にしてみればこの猫の方がよほど可愛いと思うのだが、悪友たちが納得するわけがない。

「おいおい、夏目ー! ほんっとお前女の子に興味ねぇの?」
「そりゃやばいだろ? 俺ら青少年だろーが」

女の子を見ればムラムラするもんだろうが、と当然のように言われ夏目は首を傾げる。いままで異性どころか他人に興味を持つことが無かったから同年代のいわゆるシモ事情を聞かされてもピンとこないのだ。淡泊過ぎるかなという自覚は薄々あるものの、それで困った覚えはないから特に悩みもしなかった。

「だいたいお前そんなに女ウケする顔してるくせに勿体ないぞ!」
「そうだそうだ!」

いつまでも煮え切らない態度の夏目に焦れたのか、とうとう二人は個人的感情をあらわにする。

「F組の女子にもおまえの好みを聞いてくれって頼まれたんだぞ。俺のマドンナだったのに!」
「…いや、それは…」

別に夏目が頼んだわけではない。ちなみに夏目の方から声をかけたらかけたで怒るくせに、と夏目は内心でため息をつく。

「夏目?」
「っ田沼!」

そこに聞こえてきたのは天の助け。…もとい、廊下から顔をだした田沼だった。

「…授業、終わってるよな? 辞書返しに来たんだけど」

やけに深刻な顔をした夏目たちにどう声を掛けたらいいのか迷っていたのだろう。「今平気か?」と戸惑いがちに聞いてきた田沼に駆け寄った夏目は無防備な手をひいて机の側に連れていった。

「ちょうど良い、ほら、田沼の好みも聞かせてくれよ」
「はぁ?」

手を取られほんのりと顔を赤らめた田沼は、次の瞬間頓狂な声をあげる。目を瞬かせた田沼の前に先程の雑誌を広げてやれば、待ってましたとばかりに西村と北本が飛びついた。

「そうだな、田沼の好みも聞いてみたい」
「やっぱさ、和服美人とか好きなんじゃないの?」

寺の息子だしなーなんてあまり関係のないことを言い出したふたりは、『さあ、どれだ』と顔を突き出した。

「どんなって…そりゃ…」

「ん?」

言葉につまった田沼は隣に立つ夏目をちらりと見下ろした。なんだと首を傾げる夏目はどこまでも無邪気だ。標的から逃れられて晴々としたのと、少しの好奇心が混じった表情で田沼の答えを待っている。

「そうだな…じゃあ、笑顔の可愛い人…かな?」

…だから田沼は諦めて目を閉じた。数週間前に見たまさに「理想の女の子」を思い出すように。

「髪は明るい色かな。さらさらで手触りが良さそうな子。気の強い美人タイプじゃなくて、こう…守ってやりたくなるような…」

そう、あれは学校の踊り場でのこと。いつものように夏目に声を掛けたら、らしくない笑顔を返された。――後で聞いたら怪しいものに取り付かれていたらしいが――あの顔を見た瞬間、まさに田沼の胸に衝撃が走ったのだ。

柔らかそうな髪を背に流し、にこりと微笑んだ「理想の女神」。普段は夏目のことを女っぽいと思ったことは無かったが、あの時はやばかった。他の目がなければきっとあの細腰を抱きしめて告白してしまっただろう。――まぁ、鈍感な夏目のことだ。「俺も(友人として)好きだよ」なんて笑って返されたかもしれないが。

またあの笑顔を見せてもらえないだろうかと頬を緩めた所で、急に夏目が立ち上がった。

「夏目?」
「トイレ行ってくる」

どうしたと尋ねるヒマも無かった。そのまま足音も高く教室を出て行ってしまった夏目の背を田沼は呆然と見送った。その背がまさに怒っていますと伝えていたからだ。

「あーあー、そりゃヤバイよ。田沼さぁ」
「そうそう。ああ見えても夏目、マザコンの気あるから」

やけに物知り顔の二人を前に田沼は目を瞬かせる。夏目が困るだろうからとかなりぼかしたつもりだったのだが、バレバレだったのだろうか。…にしてはマザコン云々の話しが出るのはおかしな気もするが…

「そりゃ確かにあの人は憧れだよな。可愛いし料理は上手いしさ」
「そうそう。俺の母ちゃんもああだったらよかったのに」
「は?」

料理? 母ちゃん? …どう考えても夏目のイメージと会わない言葉に田沼は恐る恐る声をかけた。

「なぁ、それって一体…誰のことだ?」
「は? 塔子さんだろう?」

だが、ふたりはさも当然とばかりに言ったのだ。

「え? 違うの? だってやけに具体的に語るからてっきりそうかと思ったんだけど」
「……違う…」

確かに塔子は笑顔の似合う可愛いタイプだ。優しいし、ツヤツヤした綺麗な髪も持っている。家庭的だし彼女にするには最高だろう…とは思うのだが、田沼は断じて塔子を思い描いていたわけじゃない。大変な誤解である。

「違うぞ、俺は…!」
「田沼?」

思わず叫びかけて慌てて口を閉ざす。まさか皆がいる前で「夏目が好みです」なんて言えるわけがない。

「まーまー、いいじゃないの。所詮男なんて誰でもマザコンよ」
「そうそう。俺らだって塔子さんみたいな家庭的なお嫁さんもらいたいもん」

黙り込んでしまった田沼に、誤解したままの二人はてんで見当違いの声援を送る。

「OK,OK。今度俺がツテを頼って合コンしてやるから。塔子さん似の可愛い彼女見つけろよ!」
「お、いいねぇ。んじゃ夏目も誘ってS女の子ゲットしようぜ」

すでに消え去った夏目の背を見送っていた田沼には残念ながら二人の声は聞こえていないようだった。

…そして、案の定誤解したままの夏目はその後一ヶ月ほど不機嫌だったらしい。

 



アサギの琴の回を見て書きたくなったネタです。
アサギシリーズ続きます。







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