ONE AND ONLY  … for TANUMA


「じゃあ父さん、おやすみ」

そういって田沼は離れにある自分の部屋へと足を向けた。

幼い頃に母を無くした田沼は、現在坊主である父と二人でこの八ツ原の古寺に住んでいた。もともとこの寺は宿坊も兼ねていたらしく家族二人が使うには無駄に広い。しかも少しどころかかなり年期の入った家屋はあちこちが痛み歩く度にギシギシと言う不安な音を響かせた。

小さな蛍光灯の明かりを頼りに田沼は廊下を進んで行く。途中するりと視界の端を通りすぎたのは八ツ原に棲む妖の一人だろうか。かつて父がこまめに清めてくれていたこの土地も、夏目の助言により立入自由となっている。他の土地を追われこの地に逃げ込んでくるモノもいるらしく、すっかりここは妖たちにとっての憩いの場となっているようだ。

『…ああ、またか』

ふわりと頭を撫でられる感触に田沼は微笑する。先程捕らえた影が田沼を撫でていったのだ。

「何度もいうけど、礼なら夏目に言ってくれ。俺は何もしてないよ」

薄ぼんやりとした影に向かい、そっと呟く。以前は近くに立たれただけでも気分が悪くなっていたのだが、こう頻繁に構われているとさすがに耐性がついてくる。相変わらず寒気はするものの、そこまで毛嫌いすることはなくなった。これもずいぶんな進歩だと思う。

やがて一つの部屋の前に到着した田沼は音を立てぬよう、しずかに引き戸を開けた。小さな豆電球のみがつけられた暗い部屋の中には、すでに先客が静かな寝息をたてていた。

丁寧に裏打ちされた布団の中で眠るのは、先程学校帰りで出くわした夏目貴志である。

事の起こりは数時間前。学生達の帰宅中に起こった事だった。

例によって夏目が妖怪と関わって意識を無くしてしまったのだ。元々あまり体力がないというのに人の良い彼は何かと手を焼いてやり、結果目を回してしまう。たまたま自分が近くを通り掛かったから良かったものの、下手をしたらこの寒空の中で風邪をひいてしまっただろう。
最初は夏目の家まで運ぼうとは考えた。だがあまりの顔色の悪さに保護者が心配するだろうと思い自宅へ連れて来る事にしたのだ。

「…おかげで滅多にない経験ができたな」

夏目を背負いながらバスを待っていた田沼は、突然現れた白い妖怪――ポン太の本当の姿だ――によってあっという間に帰路に着くことができた。まさか妖怪の背に乗って家に帰る日が来るとは思ってもみなかった。
…そのポン太も今は酒盛りに行くと言い残しふらりと森の中へと入ってしまった。おそらく朝まで戻ることはないだろう。

「夏目…」

月明かりに照らされた夏目はまるで精巧な人形のようだ。微かに動く胸元や空気を揺らす呼吸音を聞いていてもその姿を見た者は本当に生きているのかと確認したくなってしまう。

田沼はそっと白い頬に触れてみた。第二次成長の遅い体はまだまだ細く、男らしさとは無縁だ。

「…田沼?」

田沼の声にようやく意識が戻ったのか、寝ぼけたような声が形のよい唇から漏れる。うっすらと開かれた薄茶色の瞳が己の姿を認めた事に気づいた田沼は優しく微笑んだ。

「まだ横になっていろ。顔色が悪い」
「…ああ…おれ、また…」

倒れたのかとまるで人事のように呟かれる。添えられたままだった田沼の手のひらが心地良いのか、再び夏目はうとうとと意識をさ迷わせる。

「…田沼…ここ…」

だが、ふと己のおかれている状況を思い出したのだろう。目を開けた夏目はキョロキョロと辺りを見回した。

「ああ、おれの家。顔色悪かったからこっちの方がいいかと思って」
「…ああ、悪い」

今の保護者である藤原夫妻に迷惑を、心配をかけたくないというのが夏目の口癖だ。だから父に頼んで今夜はうちに泊まるよう連絡も入れてもらった。幸い明日は休みだからゆっくり休むことが出来るだろう。

「…どうする? 食えるなら何か持ってくるけど」
「…んー…いい。もうすこしこのまま…」

田沼の言葉に安心したのだろう、夏目はそのまま目を閉じた。髪を梳く田沼の手が心地良いのか、口元には微かな笑み。普段あまり甘えるという事をしない夏目の様子に思わず笑みをこぼす。

「…なんだよ。にやけてんな」

そんな空気が伝わったのか、目を開けた夏目は少し不機嫌そうに口を尖らせる。上目使いで睨んでも本気で怒っているわけではないという事は分かっている。これも夏目にとっては甘えと一緒なのだ。

「いや? 良い手触りだと思ってさ」

だから田沼も滅多に触れることの出来ない感触を楽しむのだ。

「起こして悪かったな。明日は学校も休みだろう。ゆっくり眠るといい」

多少の未練を感じながら、田沼は立ち上がった。このまま二人でとりとめのない会話をしながら一夜を明かすのも悪くないが、弱っている夏目に無理をさせるわけにはいかないだろう。
…まぁ、その他の理由もあるのだが、それはまだ夏目に知られるわけにはいかない。

「おれは隣の部屋にいるから。何か欲しいものがあったら遠慮無く言ってくれ」

案の定ここで寝ないのかと視線を向けられるが、田沼は気づかないふりで襖を開ける。

「おやすみ、夏目」
「…ああ、おやすみ。田沼」

にこりと笑ってそういえば、夏目も微笑を浮かべてそう答える。薄い襖を閉めてしまえば、途端に戻る静寂の時。まるでここには自分一人しかいないような錯覚をひき起こす。

『…夏目』

襖にもたれたまま、田沼はずるずると座り込んだ。

薄明かりの中で見上げられた頼りない瞳。それを見る度に胸が締め付けられるようになったのは一体いつからだろう。これはどう考えても同性に向ける思いではない。

田沼と夏目の間にあるのは同じモノを見ることができる「同族意識」というやつだ。他の人間よりも近しい存在であるという事に満足して、これまではこの想いを吐露した事はなかった。所詮自分にはそんな度胸がなかったし、ましてやその安易な一言で今のこの生温い温度を壊してしまったら…と思うとその先に進むことができなかったのだ。

「…はは…情けな…」

呟かれる口癖となった一言。せめて己の力が夏目よりも強ければよかった。あの今にも消えてしまいそうな体を抱きしめ他の何物からでも守れるだけの力を有していれば、こんなに悩むことはなかったのだ。

「…力が欲しいよ」

昔はこんな力などいらなかった。他の人に見えないのなら、自分も同じであってほしかったと。…だが、夏目に会ってからはその思いは反対になった。

力が欲しい。彼を守れるだけの強い力が。

ただ、気配や影を見るだけの自分が…いつか、守れるようになるだろうか? あの、綺麗な存在を。

「…田沼」
「っ?」

ふうとため息をついた田沼の耳に、遠慮がちな声が届いた。

「どうした、何か…」

慌てて襖を開けてみれば、困ったようにうつむいたままの夏目がすぐ側で座り込んでいる。田沼の名を呼んだまま黙り込んでしまったその顔はうっすらと朱を帯びている。少し伏せられた瞳がやけに色気を帯びていて、田沼はごくりと息を呑む。

「…あのな、田沼…」

言いにくそうに言葉を続けた夏目は投げ出されたままだった田沼の手をそっと握った。

「…頼みが…あるんだ」
「っな、なに?」

思わずその手を握り返した田沼は次の瞬間、信じられない言葉を聞いた。

「…一緒に…寝てほしいんだ」
「っ!」

まず頭に浮かんだのは「これは夢か?」という疑問形だった。だってそうだろう。これじゃまるで自分の都合の良い夢ではないか。恥ずかしながら田沼だって過去そういう夢想を描いて自己処理くらいした経験はある。思わず己の頬を抓って確かめたくなったって文句はいわれないだろう。

「…夏目…?」

信じられずにそっと手を伸ばせば、間違いなく夏目の頬に触れる。 だが、田沼はそこに涙の跡を発見した。

「…夢を…みるんだ」

細く、消えてしまいそうな声で夏目は呟く。幼い頃の悪夢。妖には追われ、人には疎んじられた悲しい過去。ようやく幸せを掴んだはずなのに、それは未だ夏目の奥底で出てくる日を待っている。

「…ごめん、田沼が嫌なら…」
「――良いよ」

それを見た途端、田沼の動悸は不思議なほど冷静になった。普段己を出さない夏目が自分を頼ってくれたという事に嬉しさを隠しきれない。

「もっと甘えてくれよ。俺に出来ることならしてやりたいんだ」

まだまだ能力(ちから)では夏目に追いつくことはできない。もしかしたら自分の方が一生守られてしまうかもしれない。…だが、今の自分に出来る事があるのなら。

「…ゆっくり眠りな。起きるまで一緒にいるから」

柔らかい布団に戻された夏目は子供のように頭を撫でられ恥ずかしそうに目を伏せた。小さく呟かれる「おやすみ」という声に笑って答えを返す。今まで言ってもらえなかったというのなら、自分が言ってやればいい。

そうして、温かな腕を手に入れた夏目は夢も見ずにぐっすりと眠り続けた。

――ちなみに、その功労者である田沼が熟睡できたかは…定かではない…


 



田沼視線で。



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