蒼琴の想い


夏目さま

夏目さま

お願いが…あるのです。

 

そういってアサギは、夏目を食品売場の一角へと連れていった。

『sweet』

 

「おはよう、夏…」
「…あ、おはようございます。田沼さま」

寒さが厳しい二月の中旬。
連日降り続いた雪に徒歩通学を余儀なくされた田沼は、数メートル先を歩く夏目に気づき頬を緩ませた。

…だが、いつものように声をかけてみれば、返ってきた声は柔らかな女性のもの。よくみれば栗色の髪もどことなく蒼みがかって見える。

「…アサギか。おはよう」

夏目と言いかけた挨拶を言い直す。これは夏目であって夏目ではない。ここ最近すっかりと馴染んでしまったこの存在は、アサギと呼ばれる妖のものだ。

「…今日は早いな。夏目はまだ寝てるのか?」

妖に絡まれやすい夏目は、万年寝不足状態が続いている。そんな夏目を休ませようと、アサギは時々こうやって代わりに表に現れるのだ。

「…もしかしてまた妖からみか?」
「いいえ。そうではありませんわ」

また妖に狙われたのかと眉を寄せるが、返ってきた声は軽やかな笑い声。

「昨夜私が夏目さまに無理を言ってしまったもので。殆ど眠っていらっしゃらないのです。ですから今日は私が代わりに授業に出ることにしました」
「無理?」

貫徹になるような無理など一体何を…と言いかけた田沼の前に、アサギは鞄から出した小さな包みを差し出した。

「はい、どうぞ」
「…え…?」

それは可愛らしくラッピングされた菓子だった。手づくりなのだろう…店名のないそれは売り物と言っても遜色のないものだった。

「…アサギ? …これは?」
「「ちょこれーと」です。今日は「バレンタイン」というものでしょう?」

そう言われて今日の日付を思い返す。確かに二月十四日は俗に言うバレンタインデーというやつだ。…だが、何故妖であるアサギが自分にチョコレートなどをくれるのだろうか。

首を傾げる田沼に、アサギは得意そうに得たばかりなのだろう知識を披露してくれた。

「斑さまにお聞きしたのです。今日は、普段お世話になっている方にチョコレートを贈る日なのでしょう? 町で色々な物が売っていましたがどうしても自分で作ってみたくて。頑張ってみました」

初めてにしては上手くできたでしょう?と微笑んだアサギに、田沼は言葉を失った。

……お世話になってる人に…贈る? チョコレートを?

「…えっと…それは…」

斑と言えば夏目の飼っているポン太の名前だったはずだ。頭のでかい不気味な猫の正体は、本人言うところの高貴で優美な妖…らしい。そうは言うものの、どう考えてもチョコレート欲しさに純粋無垢なアサギをだまくらかして作らせたとしか思えない。

「…お嫌いでしたか? チョコレート」
「え、あ、いや。もらうよ。ありがとう」

悲しそうに眉を寄せるアサギに田沼は慌てて礼を言った。きっかけはどうあれ、せっかくの貰い物だ。特に好んで食べようとは思わないが、一生懸命作ってくれたのであろうそれを、突き返すことなどできはしない。

ーーそれに…夏目が作ってくれたんだよな…

実体の無いアサギが料理をすることは出来ないのだから、当然これを形にしたのは夏目だ。彼への想いを自覚してからはや幾月…。何度も告白を決意しつつも邪魔(主にポン太)が入り、ことごとく失敗してきた。たまにはこんなおこぼれがあってもゆるされるだろう。

「…あ…そういえば」

塔子さんから教わったチョコレートブラウニーだと告げられたそれを大事にしまいながら、田沼はふと気づいた事を口にした。

「アカガネ…さんは? いないのか?」

いつもならばすぐに二人の間に割り込むアカガネの姿が無い。 あの嫉妬深い頑固男が、アサギのお手製の品をみすみす他人の…しかも男に渡すのを大人しく見ているとは思えない。…なにかあったのだろうか。

「さあ? 今朝方までは一緒にいたのですが、出来上がったお菓子を差し出したら固まってしまって…。何を言っても正気に戻ってくれないので家に置いて来ました」

そんなに嫌いだったのかしら…とてんで方向違いの心配をするアサギの横で、何となく事情を察した田沼は苦笑いを浮かべた。

おそらくアカガネはバレンタインというものが、どういうものであるかを知っていたのだ。あの無骨な男の事だ。「いつもありがとう、アカガネ」と極上の微笑みと共に、惚れた女性から(体は夏目だが)チョコレートをもらえば、そりゃ思考回路も停止するだろう。

『…そうか。これは…』

そこで田沼は気がついた。アサギがこの菓子を作ろうと思い至ったわけを。

「アカガネさんにあげたかったのか」

自分達のはただのついでだろう。アサギが手づくりにこだわり、渡したかったのはアカガネなのだ。

「今頃きっと大喜びしているよ。帰ったら感想でも聞いてみるんだな」
「…そうですね」

ふと口元に笑みを讃えたアサギはそういって目を伏せた。その眦が少々赤みを帯びている事に気がつくが、そこは見ないフリをした。

守るものと護られるもの…立場は違えどたった二人で身を寄せ合って生きているのだ。こんなときでしか言葉に出来ない想いを伝えたかったに違いない。

「…戻れるといいな。元の姿に」

この広い世界のどこかに、アサギの病を治してくれる手があるはず…。あの男は最後の最後まで諦めはしないだろう。必ずアサギを元の姿に戻し、大好きな琴をひけるようにしてくれるだろう。

「今度は君自身の手で弾いた琴を聞かせてくれ。また夏目とあの森に聴きにいくよ」
「…ええ。必ず」

一人では諦めてしまっただろう願も、二人でいれば叶うはずだ。

ーーそう。きっと、アサギ自身の手で琴がひけるようになるのは…そう遠くない未来だろう。

頑張れ、と田沼は心の中でエールを贈った。

 


アサギシリーズ第四弾。
本当はチョコをもらって石化するアカガネさんが書きたかった...

滑り込みぎりぎり・・・アウト?
やはりイベントネタは間に合わないジンクス持ちです・・・」










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