「だって圭ちゃん綺麗だもん」
「はぁ?」
さも当然のように言われた台詞に、圭一は目を丸くして頓狂な声を出した。
ここはメイド棟へと続く渡り廊下。暇な時間を持て余しふらりと足を向けた珊瑚は数メートル前を歩く幼なじみの背を見つけ迷わず駆けだした。
「圭ちゃんみーっけ!」
「っうおわ!」
たいして差のない体で思い切り背中へダイブする。当然無防備だった圭一は勢いに押され珊瑚もろとも毛足の柔らかな絨毯にキスをしてしまった。
「あはは。圭ちゃんヤワすぎー」
「…さーんーごー」
恨めしげに珊瑚を振り向いた圭一ににっこりと天使の笑みを浮かべてやった珊瑚だが、その首筋に浮かんだある一点に目を留めて表情を固まらせる。
「…圭ちゃん。見えてる」
「…え…あ!」
そう言ってつ、と指を滑らせれば自覚があったのだろう、途端に頬が朱に染まる。色の白いその首筋には明らかに情交の跡を思わせるキスマークがその存在を主張していたのだ。
「ふーん。そういえば昨日圭ちゃんお休みもらってたっけ」
「な、べ、別に関係ないだろう!」
慌ててシャツの襟を立てる圭一の手を掴みマジマジと跡を覗いてやれば居たたまれずに瞳がそらされる。いつもは強い光を放つ目元が伏せられると意外に色っぽくなる…なんて事はつい最近知ったことだ。
「…まーったく。こまったよねぇ。だれかさんてば」
産まれたときから一緒にいる幼なじみの艶姿に思わず珊瑚はため息をつく。圭一自身から「恋人がいる」という事実を告げられたのはほんの数ヶ月前の事。その時は「相手は誰?」と知りたくて仕方がなかった珊瑚だが、自分にも石榴という恋人ができて分かった事。…それはどうやら圭一の恋人も「男」らしいという事だ。
(しかもなんか最近すっごくうまくいってそうだし…)
実際に圭一の口からは相手の名を聞いたことはない。だが会話の端々から大体予想がついた珊瑚は内心複雑で仕方がない。嫌いではなかった。むしろ良い人だと慕っていただけにどうして良いのか分からないのだ。
「…まぁ、仕方ないよね。圭ちゃん綺麗だし」
「はぁ?」
やっと手が離れた隙に襟元を整えた圭一はため息と共にもれた台詞に目をまるくする。こう見えても圭一はこの東久世家のメイドを仕切るメイド頭だ。そんじょそこらの女よりもよっぽど気がつくし所作振る舞いも丁寧だ。ひそかに東久世家における「お嫁さんにしたいNO1」に君臨しているとは圭一自身全く気がついてはいないだろう。
「綺麗って…だれが」
「だから圭ちゃん」
自分の容姿にまったく無頓着な圭一は何度そう言っても信じようとしない。何言ってんの?と訝しむその態度に思わず珊瑚は頬を膨らませた。
「なーに? その顔。本当の事なのに」
「バカいうなって。お前や琥珀じゃあるまいし」
すっかり冗談だと思っている圭一は未だ床に座り込んだままの珊瑚の手を引き一気に立ち上がらせた。
「んな事言ってる暇があったら瑪瑙さんの相手でもしてやれよ。徹夜明けで最高潮だぞ」
「もう、すぐそーやって話をそらす!」
話は終わりとばかりに踵を返した圭一に珊瑚は慌てて手を伸ばす。
「良い? 信じないかもしんないけど。圭ちゃんだって十分美人なんだから。変な男にひっかかんないでよ」
「はいはい。分かったよ」
ぽふりと頭に手を置かれ子供のように撫でられる。暖かな感触は産まれてからずっと珊瑚だけが独占していたものだ。少し目を細めながら笑ってくれるその様も、本当はずっと自分だけの物にしておきたかった。
―――でも、仕方ない。
珊瑚が石榴を選んだように、圭一も己の最良の相手を見つけたのだろう。それが、たとえかつての主だろうが珊瑚の「父」と呼ばれていた人物だとしても関係ない。互いが幸せだと言うことは圭一が全身で証明している。あんな幸せそうな顔を見せられて駄目だと言えるわけがない。
「ねぇ、圭ちゃん」
「ん?」
「…腰、辛そう」
「!」
本当は「よかったね」と言いたかった。
出会えて、よかったね、と。
…でも、やっぱり複雑な気持ちを抱えたままの珊瑚はわざと圭一を怒らせる台詞を口にした。案の定真っ赤な顔で「るっせぇよ、バカ!」と怒鳴った圭一は逃げるように身を翻しメイド棟へと去っていってしまった。
(・・・ごめんね)
多分珊瑚が素直にそれを言えば、圭一はこの館から出ていくだろう。もともと自分のワガママで圭一はここに縛られている。珊瑚が鎖を解き放った途端、広い世界へと飛んでいってしまう。…そう、圭一だけに許された暖かな腕の中へ。
本当なら別の人に行くはずの手を掴んでいるのは心苦しいけど。
でも、いずれ離さなければならないのは珊瑚だって承知済みだ。
「…ごめんね。でももう少しだけ、一緒にいてよ」
消えてしまった後姿に珊瑚はそっとつぶやいた。
恋にはならなかったけど、一生忘れることのない思いを抱いた大切な相手。
幸せになればいい…珊瑚はそっと目を閉じた。
みんな、誰かに恋をしてる。
そして、みんなが幸せになる。
それは、何物にも代え難いハッピーエンドなんだから―――。
圭ちゃん大好きな珊瑚が好きです。「圭ちゃんはあげない」って駄々こねれば良い。