――最初にその役目をいただいたのは軍に配属されてすぐのことだった。
「上司の送り迎え」など普通に考えれば面倒以外の何物でも無い新任の仕事。これが優しい女性士官のお抱え運転手ならば俄然やる気は出るのだろうが、所詮ここは軍の中だ。大概がハゲでおっさんででっぷり太ったタヌキ親父を送るはめになるのだろう。
――まあ、その点に関しては自分は「当たり」をひいたのだと思う。野郎であるのは確かだがおっさんでもないし脂ぎってもいない。・・・というか俺の好みそのままなのだから喜ぶべきなのだろう。
美人で気は強いが笑うとけっこうかわいくなるところとか、守ってやらなくちゃと思わせる雰囲気も好きだ。おまけにあの切れ長の黒い瞳でじっと見上げられたりしたら自分の理性を総動員しなきゃならなくなるほど煽られる・・・なんて。本人に言ったら一瞬であの世行きにされるだろうな。あれでも希有な能力を持つ国家錬金術師だ。自分を火だるまにするくらい朝飯前だろう。
本当はその手を掴んで離したくない。好きだと伝えて自分以外の目に触れさせないように閉じ込めてしまいたい。
・・・でもこの思いを伝える訳にはいかないんだ。自分はただの運転手であり部下の一人でいなければならない。
嫌われるくらいならそれでいいと・・・無理やり自分を納得させた。
「たーいーさ! しっかり歩いてくださいってば!」
「・・・んー・・・」
今日も今日とて東方司令部の士官、ジャン・ハボック少尉は任務を遂行するべく己の上司を家まで送っていた。
「ほら、もうちょっとで着きますから立ち止まらないでくださいよ。ここで座り込んだら明日の朝には凍死体っすからね?」
「うー・・・眠い・・・」
ハボックの声などまったく聞こえていないような上司ことロイ・マスタング大佐はすっかり酔っ払いの足取りであっちへふらふらこっちへふらふらと歩いている。
「まったく。いくら将軍のお誘いだからって飲みすぎじゃないっすか?」
ロイがよろけるたびに肩をつかみ方向を修正するという作業を繰り返していたハボックは呆れた声でお小言を言ってみる。こんなとき美人の副官がいてくれれば酔いも一気にさめるようなお言葉をいただけるのだろうが、いかんせん今は日も変わろうかという真夜中だ。定時で上がった彼女は恐らく暖かなベッドで安らかに眠っていることだろう。
司令部のNO、1である将軍が実はかなりの酒豪であることは軍部内では有名な話だ。その彼から「秘蔵の酒が手に入ったのでのみに来なさい」とお誘いを受けたのが今日の帰り際。そのまま将軍とロイを軍用社宅に送ったハボックは当然帰りまで付き合わされるはめになってしまった。
「やっぱり俺飲まない方が良かったっすかね」
歩いて帰るから良いと言われたのでついついご相伴に預かってしまったハボックは自分の浅はかさを後悔する。ここまでロイが深酒をするならジュースで我慢しておけば良かったのだ。車で五分、通常なら歩きだって20分の帰路がこの酔っ払いのせいですでに倍以上の時間を要している。
「ほら大佐。辛いなら肩貸しますって」
「るさい! 触るなむさ苦しい」
どうにもこうにも真っすぐ歩いてくれないロイの手を取るがすぐに振りほどかれてしまう。
「男の肩など借りずともちゃんと帰れる」
「あー、はいはい。そんじゃぁちゃんと前に進んでください」
いつものようにびしりと言い切られるがその目はとろんとしていて焦点があっていない。本人は酒に強いと豪語しているがどう考えたって呑みすぎだ。
『まったく。そんな顔して睨まないでくださいってば』
己の目の前にある端正な顔を眺めていたハボックは心の中で嘆息する。酔っ払いは本当に性質が悪い。そんな色っぽい顔で睨まれたら逆効果だろうが。
「失礼しますよ」
「っ! 何をする!!」
このままロイの小言を聞いているのも面倒だと思ったハボックは思い切ってその体を肩に担ぎ上げた。
「文句は大佐の家についたらたっぷり聞きますから早く帰りましょうね」
「離せばか者! みっともない」
さすがにぎょっと目を見開いたロイはすぐにじたばたと暴れだした。いくら真夜中とはいえここはシティの中心だ。往来で人に担ぎ上げられる姿など住民に見せたくないのだろう。
「離さんか! 不敬罪で軍法会議にかけるぞ!」
「あーもーいいですから騒がんで下さい」
耳元で散々がなりたてられながらも飄々とそういったハボックは足取りも軽くロイの家へと向かった。酒が入っているとはいえさすがに1月の風は冷たい。早く暖かな家に運んでやらなければロイが風邪を引いてしまうだろう。
ここまで上司想いだというのに当の本人は人の肩で大暴れを続けている。騒げば余計に人目を引くということにまったく気がついてはいないようだ。
『まあ、俺はあったかくていいけどね』
暴れる体を押さえるのは大変だが密着した部分からは仄かな熱が伝わってくる。案外細いんだよな・・・なんて頭の隅で思いながらもそれは口にしなかった。気まぐれな上司は余計な一言で猛獣と化す場合があるのだ。
「ほら、大佐。つきましたよ」
酔っ払いを相手にしていたときの半分の時間で目的地に到着したハボックは玄関についてようやくロイを肩から下ろした。
「鍵開けて。ちゃんと部屋で寝てくださいよ」
「・・・帰るのか?」
暴れ疲れてぐったりしていたロイは踵を返したハボックを訝し気に睨み上げた。不満たらたらな様子にまた絡まれるのかと身構えたハボックは次に聞こえてきた声に目を見開いた。
「珈琲くらいいれてやる。飲んでいけ」
「へ? あ・・・ありがとうございます」
くいくいと指で入室を促したロイは呆けた顔の部下を置いて中に入ってしまった。
「早くしろ。冷気が入る」
「は、はいっ!」
奥から聞こえた不機嫌そうな声に慌てて体を滑り込ませたハボックは初めて見る広い玄関を興味深そうに見回した。
「広いっすねぇ・・・」
「司令官用の社宅だ。当然だろう」
あんぐりと口を開けたままのハボックにさらりとそう言ったロイは一つの扉の前で立ち止まった。
「ここがキッチンだ。大抵のものは清掃の者が準備をしてくれているはずだ」
開かれた扉の奥はあまり使われていなそうなキッチンだった。
「私の珈琲に砂糖はいらん。いれ終わったらリビングまで持って来てくれ」
「Yes,Sir」
指し示されたカップとロイを交互に見たハボックはいつもの癖で元気良く返事をした。それを満足そうに見やったロイは「うまいものをいれろよ」と偉そうに言いながら廊下の端まで歩いて行く。一際大きな扉がはめ込まれた角部屋がどうやらロイの言うリビングらしかった。
「・・・あれ?」
何の疑いもなく二人分の珈琲を準備したハボックはここまできてはたと気付いた。まるで当然のように命令されてしまったがここはあくまでもロイの私邸だ。普通だったら主人であるロイの方がお客である自分に珈琲をいれるのではないだろうか?
「・・・まあ、いいか」
どうやらこのために呼び止められたのかと今更ながら理解したが怒る気などは起きなかった。自分の上司はいつでも自己中心的なのだ。いちいちそんなことを気にしていてはこの人の元では仕事などできない。
「たいさー、コーヒーはいりましたよ」
「・・・うーん・・・」
自分でもまずまずな珈琲を入れられたハボックは満足気に笑みながらリビングへと入った。ただっ広い部屋の中央に座るロイを目に止めた途端、思わずハボックは叫び声を上げていた。
「た、大佐! なんつー格好で寝てるんですか!?」
「・・・なんだ・・・?」
リビングの一番大きなソファの上に陣取ったロイはまるで猫のように丸まっていた。・・・いや、別に寝てるだけならまだいい。どうせ酔っ払い。摂取量から行ってここまで起きていたほうが奇跡だったのだ。
ハボックが慌てているのはロイの今の格好だった。先ほどまではきっちりと着込んでいた青色の制服はいつの間にか脱ぎ散らかされ、ソファの下に溜まっていた。コートだけならともかくその上にはジャケットにベルト、ズボン・・・まで乗っている。
「た・・・たいさぁ」
「なんだ? うるさいな」
ふわぁ、と小さなあくびを漏らしたロイは目の前で百面相をしているハボックを不審そうに見上げた。唯一残った真っ白なシャツもボタンが2・3個外され普段は見えない胸元が露出している。
「私は眠い。コーヒーを飲んだら鍵を閉めて帰ってくれ」
「ちょ、ちょっと大佐。寝るならちゃんと着替えてベッドに行ってくださいよ。風邪ひきますって」
再び丸くなるロイをハボックは慌てて揺り起こした。目には悪いがこのまま寝かせるわけには行かない。いくら体が資本の軍人だってこんな寒空の中シャツ一枚で寝たら確実に風邪をひいてしまうだろう。
「大佐、大佐ってば」
「・・・るさい・・・だったら連れてけ」
不機嫌極まりない声でそう呟いてロイはハボックの首にすがりついた。ようするに立って歩くのも面倒なので運べと言いたいらしい。
「まったく、勘弁してくださいよ」
密着してきた体を引きはがすこともできずににため息をついたハボックはなんとか命令に従おうとその体を抱き上げた。常日頃から肉体労働を専門に行っているのだ。酔っ払いの一人くらい簡単にかかえる事はできる。さっきだってロイの軽さにびっくりしたくらいなのだから。
――だが今は素直にロイを運ぶことができなかった。なんといってもシャツ一枚の格好で己の腕の中にいるのだ。いつも通りでいろと云う方が無理だろう。
『うわー、やばいって』
目を閉じた端正な顔を見下ろしてさらに心臓が跳ね上がる。密着している分余計に気をつけなければいけないというのに動機は激しくなるばかりだ。
『ま、まつげ長ぇ・・・つうかやっぱりかわいいわ。この人・・・』
自分よりも年上の人間に言うのもどうかとは思うが事実なのだから仕方がないだろう。あどけなさの残るふっくらとした頬や顔立ちはどう見たって三十路間近の男のものではない。
「ハボック?」
「っうわ! は、はい!」
突然下から声を掛けられて頓狂な声があがる。
「・・・何をしてる? 寝室は向こうだ」
「はいぃ! ただ今!!」
眠い目をこすりながら見上げてくる瞳に心の中を見透かされた気がしてハボックは慌ててリビングを飛び出した。マズイ、こんな不埒な事を考えていたなんて知られたら間違いなく殴られる。
『消し炭には・・・ならないかな』
首に回されていた両手に発火布がつけられていないことに安堵しつつハボックは促されるまま一つの扉を開けた。
屋敷の一番奥に設けられたマスタールームはキッチンと違い適度な家財が置かれていた。 黒を基調としたそれらは質も良く一目で持ち主の趣味の良さが伺える。
「はい。おまたせしました」
柔らかなシーツが掛けられたベッドに近付いたハボックは腕の中の人物をそっと降ろした。離れてしまった温もりがなんだか寂しかったがなんとか耐えて身を起こそうとした。
「ちょ・・・っ 大佐!?」
「・・・っ・・・」
だがしかし、その体はすぐに長い手によって阻まれた。
「・・・あの・・・大佐?・・・」
「・・・重い」
自分の首元に感じる暖かな息遣いにドキドキしながら問いかけると辛そうな声が響いてきた。とっさの事に対処できなかったせいでロイを思い切り押し潰してしまったらしい。
「ちょっとは加減して下りて来い。私を圧迫死させる気か」
「んな無茶言わんでください」
あまやかな期待を胸に上体を起こしたら涙目で睨まれた。手を引っ張ったのは自分なのにすべてはハボックのせいだと言いたいらしい。
「こんな冷たい布団にたたき込むな。それこそ風邪を引くだろうが」
「風邪って・・・そりゃそんな格好してるから余計に寒いんすよ」
なんと言ってもロイの今の格好はシャツ一枚・・・しかも暴れたせいでさらにボタンが取れてしまっている。
「パジャマはどこっすか? ちゃんと着替えれば・・・」
「かまわん。おまえが暖めろ」
鼻孔をくすぐる甘い香りに目眩を起こしたハボックはロイのカウンターパンチをモロに受けた。
「私よりも体温が高そうだ。これならすぐに暖かくなる」
「・・・か・・・勘弁してください」
とうとうシーツに顔を突っ伏したハボックは震える声でそう言った。このままでいたらマジで鼻血をふきそうだ。
『どうなんだよこの人・・・分かっててやってんじゃないだろうな?』
人の葛藤など全く気づいていないロイはベッドが暖まってきたことに満足したのか、嬉しそうに目を閉じていた。くすくすと笑う薄めの唇は常になくいたずらっこの様相を見せている。酒のせいで朱に染まった頬や目許が壮絶なまでの色気を放っているなんて本人は気付いているのだろうか?
「いいんすか? もう俺居座っちまいますからね」
余程眠かったのだろうか、やがて聞こえてきた穏やかな寝息にハボックは諦めの声を向けた。
「・・・ホントにあんたって人は・・・俺の理性を試してるんすか?」
月明かりに浮かぶ幼い寝顔にキスを落としたハボックは、はだけられていたシャツを掻き合わせた。
「飼い犬に噛まれても知りませんよ? ・・・あいにく俺は躾のなってない駄犬ですから」
丁寧にボタンを嵌めていったハボックはそっと白い首筋にもキスをする。跡が残るかどうかの微妙な加減で吸われた場所はよく見なければそれと気づくことはないだろう。
「好きですよ、大佐」
ロイが目を覚まさないようにひっそりと呟いたハボックは抱き締める手に力を込めた。
「あんたの背中は・・・俺が守りますから」
この手の中の主がただ守られるだけの存在ではないことは十分承知している。自分の身は自分で守れる――それだけの強さをもった人間だ。
だが、それでもハボックはその背を守りたいと思う。いつかロイが夢を果たしたその時にも自分がそばにいれれば良いなと願うその気持ちは初めて出会ったときから変わらない。
「・・・好きです・・・ロイ・・・」
本当はその手を掴んで離したくない。好きだと伝えて自分以外の目に触れさせないように閉じ込めてしまいたい。
・・・しかしハボックはそれ以上のことを言うのは止めて目を閉じた。
この思いを伝えることでロイを失うくらいなら・・・ずっと秘めたままの方がいい。知られなければずっとそばにいられるから。
嫌われるくらいならそれでいいと・・・意識の無くなった愛しい存在を抱きしめた。
「・・・ったく・・・馬鹿が・・・」
やがて聞こえてきた規則正しい寝息に目を開けたロイは赤くなる顔を押さえながら舌を打った。
「聞いてるこっちの方が恥ずかしいではないか」
首筋を押さえながら幸せそうに眠る顔を睨みつける。
「・・・この根性なし」
背に回された手が気恥ずかしくてロイは怒ったようにハボックの鼻をつまんだ。すっかり熟睡中のハボックは少し苦しそうな顔をするが目を覚まそうとはしない。――まあ、当然だ。この部下だってロイほどではないにしろかなりのアルコールを摂取しているのだから。
「私がここまでしてやったというのに・・・ホントにおまえは馬鹿犬だな」
「大佐ァ・・・」と甘えたような寝言を漏らす部下に柔らかな笑みを浮かべたロイは首を伸ばしハボックの額にキスを落とした。暖かな日の光のにおいのする髪は案外柔らな手触りをロイの手に伝えてくる。
気が済むまでハボックの頭をなでたロイは満足気に目を閉じた。大きくて暖かな腕はロイの体をすっぽりと包んでくれる。それはまるですべてのものからロイを守ってくれているようだ。
「・・・明日は休みだ。ゆっくり寝てろ・・・」
照れくさそうにハボックの胸にすがったロイは今度こそ眠りに身を任せた。
朝ごはんは彼に作らせるか、それとも自分が作ってやるかと考えながら・・・
(END)
初のハボロイで!