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遊邑物語  1

 ここはとある地方都市。政令都市でもあり、それなりに栄えている街。
 その街の中心地にほど近い古ビルの2階に、雀荘「遊邑」はひっそりと存在していた。
 雀荘、と聞けば女子供を寄せ付けない薄暗いイメージがつきものである。この遊邑もその例に漏れてはいなかった。
 さほど広くない店内に出入りする客のほとんどが男である。
 そんなむさくるしいこの空間で、今日も男たちは麻雀に興じていた。





「あ、アーサーさん。それロンです」
「んなっ!?」

 今日の菊はすこぶる調子が良かった。
 まずツモがとてもよかったし、相手の捨て牌との相性もいい。今もアーサーの捨て牌で上がらせてもらうことができた。
 あまり表情に出さないようにはしているが、内心は嬉しくてしょうがない。
 どんな勝負にしたって、負けるよりは勝てる方が気分のいいものだ。

「立直、平和、タンヤオ。あとドラ2もつきますね」

 そこはかとなくにこやかな顔で役名と点数を告げる菊に、アーサーは面白くないのか顔をそむけて点棒を差し出す。見る人によっては無礼な渡し方だが、アーサーの性格をよく知っている菊は気分を害することなくそれを受け取った。
 渡された、何本かの点棒。
 この、複数の点棒が立てる音と握り心地が菊はたまらなく好きだった。このために麻雀をしている、とまで言ったらさすがに少々言い過ぎではあるが。
 下を向いて点棒をしまいながら、菊はこっそり悦に浸る。
 緩んだ顔を引き締めて目線を上げれば、アーサーとは反対側の隣にいるアルフレッドがむくれていた。

「あーあ。あともうちょっとで役満できそうだったのになぁ」
「それは申し訳ないことをしました」

 ぷう、と頬を膨らませているアルフレッド。
 そうしていると子供らしくて可愛いのだが、今日はいつもの3割増しで可愛く感じられるから不思議だ。
 まったく、いつもこんなに可愛らしかったらいいのに。
 アルフレッドのいつも自分を振り回そうとするところは、刺激的ではあるがすこぶる疲れるので菊は苦手に感じていた。
 こちらはもう、現役大学生の彼のように若くはないのだ。
 そんなことを考えながら、次の1局のために牌をかき混ぜ始める。
 ほんのり頬を染めて目をそらしていたアーサーやぷっくり膨れたアルフレッド、その様をによによと眺めていたフランシスも、菊に続いてその作業に取り掛かった。
 しばし、4人で黙って牌をかき混ぜる。
 全自動卓が浸透した昨今の雀荘ではあまり見られなくなったこの光景。それが、この遊邑では当たり前に行われていた。
 時々、混ぜる最中に他の人と手がぶつかってしまうのも御愛嬌だ。偶然にも、フランシスの手がアーサーの手を小突いてしまう。
 たいていはそのようなことがあってもあっさり水に流されてしまうのが常であった。しかしアーサーにとっては、腐れ縁であるフランシスと手がぶつかったということが耐えられなかったようである。アーサーはフランシスの方を向いて舌打ちした。
 その反応にフランシスは一瞬むっとしたものの、空気を悪くすまいと、努めて明るい口調で菊にぼやくに留めた。

「こういうことがあるから手で混ぜるのって嫌なんだよね。いまどき全自動卓がない雀荘って珍しくない?」

 さりげなく話題を雀卓の話に移すあたり、フランシスは大人である。
 その思慮深さをひそかに尊敬している菊も、フランシスに話を合わせた。

「そうですね。全自動卓は耀さんがあまり好きじゃないみたいで」

 耀が全自動卓を導入しないのは、実は好き嫌い以外にも理由があるのだけれど。
 それは口には出さず、菊は手を動かし続ける。
 正直自分も耀と同じで、全自動卓よりも昔ながらの手動卓の方が好きだった。手で牌をかき混ぜるときの音だとか感触だとかが何ともいえず心地いいのだ。

「俺は全自動卓の方がいいんだぞ。だってあっちの方が現代的じゃないか」

 先ほどのむくれはどこへやら、すっかりいつも通りのアルフレッドが話に加わってくる。
 アルフレッドのおかげもあって、すっかり話題の流れは雀卓に移ったようだ。険悪な空気を回避できたと菊は胸をなでおろした。
 しかしそれを悪化させたのは、やはりというべきかアーサーだった。

「お前はうまく牌を積めないからだろ、ぶきっちょアル」
「なっ、馬鹿にしないでくれよアーサー! いつもいつもそうやって俺を馬鹿にしてそんなに楽しいのかい?」

 せっかく良くなった雰囲気は一転、2人の間に新たな火種が生まれてしまう。
 余計なことを言わないでくださいよこの眉毛。このときばかりは菊でさえそう罵りたくなった。せっかくこっちが空気を変えようと配慮したっていうのに。
 わかっている。アーサーのあの悪口は愛情の裏返しであり、いってしまえばツンデレだ。しかし当事者であるアルフレッドにはそれは伝わりそうにない。
 ツンデレは二次元だから安心して萌えることができるのだ。ツンデレが身近にいたって、ただ厄介なだけの存在でしかない。その真理を、菊はしみじみと実感した。やはり萌えは二次元に限る。
 両隣で罵り合う2人を横目に、菊とフランシスは着々と次の1局の準備を進めていく。
 空気のようにスルーできるくらい、2人のいがみ合いは日常茶飯事なのだ。いちいち取り合っていたらこちらの身が持たない。もちろん今回のように回避できそうならばそうしたいけれども。
 牌を積みながら、菊は二次元へと逃げ込んだ。どのような不愉快な状況も楽しくしてくれる魔法の世界、二次元に。

「アルアサ……いやアサアルでしょうか?」

 不肖本田、どちらでもおいしく頂けます。
 ト○ジェリ的なじゃれ合いは菊にとって大好物である。ただし二次元に限って。
 アルフレッドとアーサーを現実から切り離し、二次元のキャラクターとして妄想する。今日は「決別していた2人がようやく和解した時の感動シーン」であった。アーサーに抱きつくアルフレッドは子供のころを思い出して素直に甘えてみせ、アーサーも昔を思い出して嬉し涙をどぼどぼこぼしているのだ。
 妄想の自家発電により何とか気分を取り戻した菊は、いつの間にか手つかずになっていたアーサーとアルフレッドの手前の山まで手早く並べた。
 その鮮やかな手さばきに、フランシスが感嘆の声を上げる。

「いつも思うけど、菊ちゃんは手際がいいよね」
「ふふ、恐れ入ります」
「きっと夜の手さばきもすごいんだろうね。どう、お兄さんと腕比べしてみない?」
「フランシスさん。こんなオッサンをからかわないでくださいよ」

 対面からウインクを飛ばすフランシスに、菊は渋面を作って見せる。
 フランシスがバイセクシャルなことは知っているが、自分のようなぱっとしない外見の男に食指を動かすはずがないだろう。尊敬できる人ではあるが、こういうセクハラ発言は困ったものである。
 苦笑を浮かべる菊に、フランシスは「本気なんだけどなぁ」と両手を広げた。しかしすでに菊は卓の下で蹴り合いを始めていたアルフレッドとアーサーの方を向いており、フランシスの様子は完全スルーであった。

「さて。お2人とも、そろそろ次の1局始めますよ」

 だからそろそろ喧嘩を止めてください。そう言えば、しぶしぶアルフレッド達は麻雀へと関心を戻した。
 今のところは菊が勝っている。しかし勝負は最後まで油断してはいけないのだ。
 気を引き締め、菊は自分の分の牌を手に取った。





 結局その後大して戦局が変化することはなく、菊は無事勝利を収めることができた。
 最終的なランキングは菊、フランシス、アルフレッド、アーサーの順である。
 不運にも最下位になってしまったアーサーは、「これも全部お前が悪いんだこのヒゲ!」とまたもやフランシスに絡む始末。最後まで八つ当たりをされて、フランシスはいい被害者であった。

「で。罰ゲームは何にするんだい、菊」

 雀荘を出て、男4人で夜道をぶらぶら歩きながら、アルフレッドは菊に訊ねる。
 罰ゲーム。
 この4人で麻雀をやる時にいつも行っているそれは、トップの人間がビリの人間に罰ゲームを課すことができるというものであった。
 アルフレッドが訊いているのはその罰ゲームの内容である。
 正直そこまでは考えていなかった菊は、うーむ、と思い悩んだ。
 いったい何をしてもらうのが一番楽しめるだろうか。
 あまり後腐れがなく、なおかつ愉快なものにしたいのだが、そこまで条件をつけると案外思いつかないものだ。
 アーサーにふさわしいもの、と考えながら、菊ははた、と思い付いた。
 思いついてしまった。
 その光景を思い浮かべて、自分の中で何かのスイッチが入るのを感じる。

「……アルフレッドさん。あなたにも協力してもらうことになるのですが、かまいませんか?」
「ん? ヒーローの俺に頼みごとかい?」
「ええ。あなたにしか頼めないことなんです」

 こう言えばアルフレッドは快諾してくれる。それを見越した菊の物言いに、案の定アルフレッドは即OKを出した。
 その扱いやすさに、菊は1人ほくそ笑む。
 肘をついて指を組み合わせてさえいれば、「計画通り」という言葉が似合いそうな笑顔であった

「それでは、今日の罰ゲームは……」

 もったいぶった菊の言い方に、フランシスのヒゲを毟っていたアーサーも視線を向ける。
 全員の視線が自分に集まるのを待って、菊は言い放った。

「アーサーさんとアルフレッドさんに笑顔で抱き合ってもらい、私はそれを写真に収めさせてもらいます!」

 とてもイイ笑顔で言われたその言葉に、アーサーとアルフレッドは硬直した。
 フランシスは一瞬あっけにとられたものの、すぐに大爆笑。
 菊の考え付いた罰ゲームの真意が理解できたからであった。
 菊は、先ほど麻雀をしながら妄想したアルアサの絡みを三次元で再現しようという腹だった。

「ちょっ、さすがにそれは嫌なんだぞ」

 すぐに我に返ったアルフレッド。不躾にもアーサーの方を指さし、菊に抗議してくる。
 しかし完全に腐男子スイッチの入った菊は、その抗議を一蹴した。

「いいえ。アルフレッドさんは一度引き受けてくださったでしょう? 一度引き受けた約束を破るなんてヒーロー失格です。それともなんですか、あなたの愛するヒーローというのは約束を平気で破る薄情者なんですか?」
「う……それは」
「破っちゃだめでしょう。ですよね?」
「……そうだね」

 アルフレッドはがっくりとうなだれた。少々強引なやり方だったが、これでアルフレッドの了承はとれた。
 この強引さを他の場所――例えば会社とかでも生かせたらいいのにと、自分でもそう思わなくはない。しかし、萌えの絡まない場所で自分がこの力を発揮できるとはどうしても思えなかった。おそらく、モチベーションが上がらないから。
 それはさておき、問題はアーサーである。
 罰ゲームなので強制力はあるはずだが、持ち前の二枚舌でのらりくらりとかわされてはかなわない。
 菊がアーサーの方を向くと、意外にもアーサーは静かであった。

「アーサーさん?」

 まだ先ほどのショックから立ち直っていないのか。そう思ったが、どうやらそうではないらしい。
 何かを言おうとしてはやめ、口をもごもごさせている。
 その様ははっきり言って気持ち悪く、せっかくのイケメンが台無しであった。
 それでも忍耐強く菊が待っていると、やがてアーサーはぼそぼそとアルフレッドから目をそらしながら言った。

「菊がそこまで言うならやってやるよ。って、勘違いするなよ。別に俺がしたくてするわけじゃないんだからな? 罰ゲームだから仕方なくであってっ」

 どう聞いてもただのツンデレです。本当にありがとうございました。
 瞬時に脳内をそんな言葉が駆け巡る。
 このタイミングでツンデレとか何なのか。こちらを萌え殺そうというつもりなのか。
 先ほど「三次元のツンデレなど厄介なだけ」と結論付けた菊ではあったが、どうやらそれは勘違いだったようだ。三次元のツンデレも捨てたものではない。自分が巻き込まれるのでなければ、という条件付きで。
 とにかく、アーサーからの拒否も特になかったので、嬉々として菊は携帯のカメラを起動させる。

「それではアルフレッドさん、アーサーさんに抱きついてください」

 菊の言葉に、しぶしぶ、といった様子で、アルフレッドがアーサーの背中に腕を回す。
 それをカメラ越しに確認しながら、自国の携帯のカメラ機能がやたらと高性能でよかったと菊はつくづく思った。
 フラッシュをたけば、この夜道でも2人の様子がくっきりと映るだろう。

「アルフレッドさん。もっと笑顔で!」

 こわばった表情の2人に対し、熱のこもった指示を飛ばす菊。
 今回菊が撮りたいシチュエーションは「昔を思い出して素直に甘えてみせるアルフレッドとまんざらでもないアーサー」であった。
 アーサーの表情は最悪そのままでもいいが、アルフレッドが仏頂面ではどう考えてもそのシチュエーションとそぐわない。
 望む笑顔が得られるまで菊は粘る。本当に、こういうことに関する情熱は周りが引くほどであった。
 しばらく試行錯誤し、ようやく満足がいく笑顔になった時、菊は満面の笑顔を浮かべて言った。
 花が咲くような、心からの喜びがあふれた笑顔。

「それでは撮ります。はいチーズ!」

 ぴろりろりん。
 暗い路地に、携帯のフラッシュの光が瞬いた。





 それから。

「…………」
「…………」

 撮影を終えて満足した菊は、腐男子スイッチが切れたのか急におとなしくなった。
 地下鉄の駅へと向かうアーサーやフランシスとはすでに別れた後で、今はアルフレッドと菊の2人だけである。2人は住んでいるマンションが近いため、一緒に麻雀をした後はよくこうして一緒に帰っているのだった。
 いつもなら近所迷惑になりそうなほど賑やかになるはずの家路。しかし今日は、何となく重い空気が2人の間に満ちていた。
 理由はもちろん1つしか思いつかない。悪いのは自分だ。それは間違いない。
 謝らなければ。そう思うのだが、言葉は沈黙に押しつぶされてしまってうまく出てこなかった。
 しばらく無言で歩いた末。家がかなり近づいたところで、ようやく菊はぽつりと言った。

「……アルフレッドさん、ごめんなさい」
「なんのことだい?」

 返ってきた声は予想以上に低かった。
 これは相当怒っているのかもしれない。委縮してしまいそうになる自分をなんとか奮い立たせて、菊は続ける。

「あの、ついつい私暴走してしまって……あなたにあんなことさせてしまって」

 冷静になってみると、なんであんなことをしたのかという後悔しか湧いてこなかった。
 こっそり妄想のネタにするだけならまだしも、相手の感情を無視して迷惑をかけることなど、オタクとして最も恥ずべき行動であるのに。
 最も嫌悪するその行動を自らが取ってしまった。
 本気で落ち込む菊を見て、アルフレッドは1つ大きなため息をつく。
 それが存外に明るい色を持っているように聞こえたのは、そうであって欲しいと菊が望んでいたからだろうか。

「まぁ確かに、アーサーに抱きつくなんてすっっっごく嫌だったよ」

 アルフレッドの心底嫌そうな声。
 やはり怒っているのだ。菊はさらに申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
 でも、とアルフレッドの声が続く。

「それを気に病んで、菊が元気なくしちゃうのはもっと嫌なんだぞ!」

 軽そうであって、それでいて思いのこもった言葉が耳に届く。
 菊が顔を上げると、暗い路地でも太陽のようにきらきらと輝く笑顔がすぐそばにあった。

「菊は笑ってた方がいいんだぞ!」

 アルフレッドの笑みには、人を元気づける力がある。
 それを見ていた菊の顔にも、アルフレッドの笑みがうつったのか微笑が広がった。
 これが、菊がアルフレッドを嫌いになれない理由だった。どんな時でも彼は底抜けに明るいのだ。たとえどれほどアルフレッドに迷惑をかけられようとも、彼を嫌い抜くことなど無理だろう。
 自分が彼にどれほど元気づけられているか、菊自身にもわからない。

「ありがとうございます、アルフレッドさん」
「礼なんかいらないんだぞ。だって俺はヒーローだからね!」

 にかっ、と笑うアルフレッド。
 その笑顔につられて菊もまた、声をたてて笑う。
 すると、アルフレッドがいきなり抱きついてきた。

「ちょっ、アルフレッドさん!?」
「やっぱり君は笑ってた方が可愛いよ」
「可愛いってなんですかっ」

 がっし、と背中にまわされた腕は力強い。
 自分よりも大柄なアルフレッドに抱きしめられていると、まるで熊に抱きつかれているような錯覚をしそうになる。
 ただし、おそろしく人懐っこい熊ではあるが。

「んもう……男性に抱きしめられても嬉しくないですよ」

 そんなことを言う菊だが、それほど不快に思っているわけではない。
 アルフレッドがとても嬉しそうにしているので、しばらく菊は彼のするがままにさせておいた。
 彼から伝わる体温がとても温かかった。

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菊様の上がった役は私の得意打ちでもあります。好きです平和。
今のところ、菊にとってのアサ・アルは、三次元に存在する数少ない萌え対象でしかありません。フラも含め、報われない3人です。




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