舞台の上は心地がいい

 そこで演じるのは超最高。

 小さい頃、たっかいところが好きで、台の上に上ってみんなの注目を集めるのが大好きだっ
た。

 で、そんな僕が演劇に目覚めたのが五歳の時だ。幼稚園の演劇で、みんなに拍手をされて、
ほめられたあの快感が忘れられなかったのだ。

 小学校に入って児童劇団に入った。

 舞台監督のおばさんが鬼のように厳しくて、何度かやめたいって思ったかわからない。だけ
どたまーに、そのおばさんに褒められると、やめられなくなる。そして、発表会当日に、またいっ
ぱいの拍手もらって、僕は舞台に病み付きになってしまったのだ。

 だけど、現実って……ああ無情。

 父親の再婚を機に引っ越すことになって、僕は否応なく児童劇団をやめなきゃいけなくなっ
た。家が大きくなって良かったなんて馬鹿父は言っていたけど、引っ越した先には劇団ないし、
小学校高学年時代は本当につまらなかったさ。

 それから中学校の時はちょっとプチグレていた時があって、あちこちフラフラ遊んでいたりし
た。

まぁ、ようするに新しいお母さんとうまくいかなかったんだよね。

 弟は僕のこと無邪気に慕ってくれたけどね……弟の冬馬(とうま)は父が再婚する前から既
に出来ていた子供で、僕とは五才離れている。

 僕には何人か兄弟がいる。しかも全員母親が違う弟や妹。

 冬馬の他には、もう一人、去年亡くなった異母弟がいた。この異母弟の存在は、冬馬は知ら
ない。 あと外国にも一歳になる弟と、双子の妹がいるらしい。

 ホントにウチの父親はろくでもない奴だ。今も六本木に新しい愛人囲っているっていうし。一
回死ね!

 こんな僕でもグレたくなる理由分かるでしょ?

 でもね、中学三年になってからは勉強するようになったの。

 やっぱり演劇をやりたかったからね。

 高校には演劇活動が活発な明王大学園に入学。それなりに楽しかったけど、高校二年の
時、僕は交通事故で腕を骨折、足も痛めてしまった。今まで練習を重ねていたのに、文化祭の
発表に俺は出られなくなって、毎晩毎晩、しくしく泣いていた。文化祭当日は代役が出ることに
なったと聞いたときは、悔しくって、毎日病院の屋上でハムレットを演じていた。

 その時、僕に声をかけてきた人物がいた。

 その人は、当時、大きな事故で下半身が麻痺状態になって、車椅子での移動を余儀なくされ
ていたのである。

 なのに、この時彼は歩いていた。

 よろよろと、はいずり回るような格好で。

 僕は、すごくびっくりした。

 だって、壁づたいに歩きながらも、屋上に出てきたその人は、ものすごい眼でこっちを睨ん
で、一言言ったのだ。


「へたくそ」


 それが僕、工藤潤(くどう じゅん)と今泰介(いま たいすけ)との出会いだった。 







                                                               i click Art


舞台の子







 会場に溢れる惜しげもない拍手。

 中には立ち上がって拍手する人もいる。カーテンコールは役者として、感無量な瞬間。

 演じきった達成感というのも喜びだけど、みんなの声や拍手が何より最高。

 やっぱりテレビよりも舞台だね。間近でお客さんの反応を感じることができるんだから。

 この舞台が素晴らしかったかどうかは、そこらの評論家や、批評家なんかが決めることじゃ
ない。

 ここにやってきたお客さんの拍手が決めることなの。

「工藤さーん、お疲れ様でしたー」

「いやぁ、見事でしたよ!ラストの抱擁シーン。ホントに工藤さんかってくらいに、色っぽかっ
た!」

 厳しい監督や、スタッフたちの喜びの声を聞くと、感激もまたひとしお。

「皆さんのおかげです、ありがとうございました」

 僕も心底から喜び一杯の気持ちを声にする。どんな舞台でも、いいよねー、こういう瞬間って
さ。

 楽屋に戻ると、沢山のお花やぬいぐるみ、手作りクッキーやファンレターが置いてある。 僕
はその中のクマのぬいぐるみを手にとって、そいつに軽くキスをした。

 そこに、鏡台の方から、きらきら星のメロディーが。僕の携帯が鳴っているみたいだ。

「はーい、もしもし、あ!今さん、さっき終わったトコですよー。これから打ち上げです〜!……
はい?明日……いや、まぁどうせ、劇団には行こうと思っていたとこですけど?え?入団希望
者の審査員?ええー?あんまり興味ないなぁ、去年みたいにつまんないのばっかだったら、や
だし」

 正直に言ったら、受話器の向こうでも、笑う声。

 そりゃそうだ、無理もないだってさ。 

この人、やる気あんのかねー。

 だけど何だかんだ言っても、今さんは情熱家。今年の入団希望者たちも、きっと彼の熱い眼
差しを受けることになるだろう。その眼差しに答えられた人間だけが、入団する資格があるの
だ。

 でも去年みたいにヘボばっかがやってきたら、やだなー。演技は上手くなくてもいいけどさ、舞
台の上で一緒に熱くなれる人がいいよね。

 僕だって元々、格別上手い訳じゃなかったし。

 今さんと出会った時なんて、ボロクソだったよ。

 出会って最初の一言が、へたくそだもの。

 だけど当時、僕は悔しさなんかよりもさ………歩けないはずの人間が、ここまでやってきて、
その一言を僕に言ってきたことがびっくりだった。

 それでも懲りずにハムレットをやる僕に、今さんは文句を言い始めた。だけど、そのうちにこ
うしたほうがいいのに、とか、このレセプションは重要だからおろそかにするな、とか、色々指
導しだしてきて、いつの間にかあの人は僕の先生になっていた。

 僕自身は退院してからも、今さんが下半身を克服して、歩けるようになるまで、ずっと病院に
通い続けた。もちろん演技を習いに行っていたのだ。

 退院も近くなったある日、今さんは急に思い立ったような口調で 、僕に言った。

「決めたぞ!俺は劇団を作ることにした!!」

「え!?」

 僕は、ずっと怖い顔だと思っていた今さんの顔が、笑顔で輝いているのを見た。

 その笑顔が、僕に有り難うと感謝の気持ちを一杯込めているのが分かって……

 初めて見た今さんの笑顔は、本当に魅力的で。

「お前の演技指導していく内に思いついたんだ。俺は演出家に向いているかも……ってな。お
前のおかげだ!お前がいなきゃ、こんなこと考えやしなかった」

 「……!」

 僕はこれ以上になく、きつくきつく今さんに抱きしめられていた。

 今度は体越しに、今さんのありがとう、という言葉が聞こえる。

 何だろう?

 胸がドキドキする。

 これ以上にないってくらい、僕は高揚していた。

「役者の他にも、もっともっと俺には秘められた可能性があるに違いない。俺は俺に秘められ
た可能性を全部引き出してくれる!」

 僕を抱きしめたまま、今さんは病院の窓から見える空を見上げる。

 自信にみなぎったその眼差しに、僕は完全に魅了されていた。

 これが役者なんだと思った。

 全ての人を引きつけずにはおれない、主役という華を持った男。

 病院の窓に差し込む太陽の光を浴びて、今この人は、強烈な輝きを放っているのだ。

 今さんは僕の顎をひっつかみ、その顔をのぞき込んできた。

「お前も来るだろ、当然」

 ライオンを思わせるような鋭い目。

 だけど、澄んだ綺麗な目だ。

 不適な笑みを浮かべ問いかける声に。

「はい!もちろんです」

  僕は迷うことなく返事をした。

 今さんについて行きたいと思った。

 どこまでも、どもまでもついて行きたいと。

 それから、劇団KONが今に至るまで、僕はずっと今さんと共にある。

 僕も方々で活躍するようにはなったけど、最終的に帰ってくるところはここだ。

 劇団KONは、僕にとって家にも等しい場所なのだ。




「あ!工藤さん、こんにちはーっ!」

 久々にKONの稽古場に顔を出した僕は、劇団の後輩感激混じりの声で出迎えられた。 一
応劇団の中では出世頭なもんで、たまにここに来ると、顔なじみのない子たちに珍しがられた
り、騒がれたりする。

「今日はどうしてここに?」

 頬を紅潮させて尋ねてくる女の子……うん、可愛いよね。女の子は。特にこの子なんてピンク
のリボンを頭に付けたらもっと可愛いと思うんだ。前にそのことをこの子に言ったら、私は青系
統が好きだと言って却下されちゃったけど。

「舞台が無事に終わった報告を今さんにしてきたのと、次回の舞台の台本、ここに置いていた
から取りに来たんだ。それから、愛用しているロッカーの整理整頓もしたし。これから帰るとこ
なんだけどね」

「えぇ!?もう帰っちゃうんですかぁ?今日、入団希望者が来てるんですよー?先輩も見に行っ
たらいいじゃないですか」

「そうだな……まぁ、ちょっとのぞいてみてもいいかな」

 ちょっと覗いて、面白くなかったらとっとと帰ろうと思った。

 後輩と別れ、稽古場を後にした僕は、入団希望者たちがいる劇場の方へ向かった。

廊下を歩いていると、トイレへ出入りしている子や、廊下の隅で深い深呼吸を何度もしている
子がちらほらといた。

 ふふふ……初々しいなぁ。

 今、休憩中なのか。

 去年の実技テストはロミオとジュリエット……いい加減パターン化されてきたから、今年は違
うテスト内容にしようと言っていたっけ?

 確か殺人のシーンとか言っていたけど。そんな非日常のことをいきなり演じろと言われても難
しいと思うけどな。

 まぁ、今さんにとっちゃ、何をどう演じるかってのは、二の次。問題はそこに熱意があるかどう
かなんだよね。うちはスパルタだからねぇ。才能あったって、ハードな稽古について来ることが
できなきゃ、お話にならないの。

 あれ……?

 僕はその光景を目にして思わず立ち止まった。

 だって、喫煙所の前、一人の少年が煙草をポケットから出しかけて、またしまっている姿を見
たから。

 何て事はない仕草なんだけど、どうも気になるなぁ。吸おうと思っていた煙草をまたしまうなん
て。

 しかも超おっかない横顔!何、あの子?すっごい気迫感じるじゃん。

 けっこう綺麗な顔をした子かも。きりっとした目元がいい感じ。今の気迫に、あの目……ヤク
ザでもびっくりするだろうなぁ。

 何か、どきどきしてきたぞ。この感覚って、今さんや、永原さんくらいしか感じたことがないん
だけど。

 僕は思わずその子に声を掛けた。

「あれー?君、そんなとこで何つったてんの?」

 その子は、こちらを振り返る……わお、思った以上に可愛いじゃん。しかもこっちが声を掛け
たことで、彼の怖い顔が解かれたからさ、可愛さ倍増しましたよ。

「もしかして、煙草吸おうとしていたとか。あはは、吸っとけ、吸っとけ。こういうときはすーっと落
ち着かなくちゃ!」

「あ、いえ大丈夫です。それによく考えたら、今の状況の方が、次のテストに有効だってことに
気づきましたから」

「うん?」

「俺はこれから、妹を自殺に追い込んだ男を、殺しに行くところです。その為だったら、今の状
況の方が有効なんですよ」

 そういって、その子、何と婉然と微笑したんですよ!信じられない……二十歳そこそこの青少
年ががそんな顔してちゃ駄目!悪い大人が寄って来るではありませんか。

 え?僕?僕は善良な大人ですよ。

「なるほどねー。君、名前は?」

  そう尋ねたとき、休憩終わりのチャイムが鳴った。くっそ!もうちょっとこの子とお話したいの
にーー。彼はぺこりと頭を下げて俺に言った。

「浅羽洋樹です、すいません失礼します」

「浅羽君か。覚えておくね、俺、ちなみに工藤潤。来週、早速舞台稽古があるから、そん時会お
うね」

 僕がばいばいと手を振ったら、向こうは恐縮したみたいにもう一度頭を下げた。あの子も入
団希望者なんだ。

 ちょっと、覗いてみようかな?舞台。




 チャイムの終わり際、劇場へ入る入り口で柴田君を見かけた。

 ありゃー、また女の子ひっかけてらぁ。

 多分、入団希望者の女の子なんだろうな……あーあ、ちゅーしちゃってるし。

「マヤちゃん、俺応援しているから」

「うん、見ていてね。マヤ頑張るから」

 にっこり可愛らしい笑顔。いやー、見事に可愛い。騙されそうなくらいに可愛いや。

 しかし、出会ってすぐ柴田君に近づくなんて。おおかた柴田くんよりも、彼の師匠だった永原さ
ん目当てだろうな。僕だって覚えがあるもの。やたらにもてた時期があってさ、よくよく女の子の
話とか聞いていると、今さんこと、伊東成海の話しばっかりで、僕のことにはさっぱり興味もって
いないの。よーするに、大物俳優のコネが欲しかったんだよね。

 鼻の下をのばしながら、マヤちゃんとやらと別れた柴田君に、僕は近づいた。

「柴田君、ほどほどにしときなよ。君、もう永原さんの弟子でもなんでもないんだし」

「け、誰かと思ったら、工藤かよ」

 あからさまに嫌そうな顔。彼は一応、永原さんの弟子として、今さんの弟子である僕をライバ
ル視していたんだよね。

 でも、途中で永原さんから逃げちゃうし、俳優として活躍はしていても、既に落ち目の時期に
来ている。なまじ実力ナシで人気者になっちゃったから、落ち目というのは早く来ているのだ。

「永原さんを紹介してやるって言って、あの子のこと口説いていたんでしょ。そんなことしている
と、今に痛い目見ると思うよ?」

「るせえな、ちょっと活躍しているからって、いい気に成るんじゃねーよ」

 柴田君、ここは喫煙所じゃないのに、煙草に火をつける。そうして、僕と会話するのは退屈だ
と言わんばかりに、煙混じりの溜息をつく。

 僕の方が溜息を着きたい気分なんだけどね。少しの間だけでも、君をライバルだと思ってい
た時期があったのかと思うとね。

「で、君はこれからどうするの?あの女の子の演技でも見てあげるわけ?」

「まぁね。だけど、もう一人、見ておきたい奴はいるけどな」

「え?」

 意外な言葉に、僕は目を丸くした。彼が新人を気にするとは珍しい。あ、それとも、もう一人女
の子がいて二股かけているのかな?

 僕がそう言うと、柴田は流石にむっとして、こっちに向かって煙を吐いた。

「浅羽とかいうガキだ。あの野郎、俺の演技をちっとも見てやがらなかった。何でか鹿島のおっ
さんばっかりみていやがって……」

「ふんふん」

 そりゃそうでしょう。見る目がある子は、当然柴田君よりも、ベテランの鹿島さんを注目するに
決まっている。人気があると実力があるというのは、違うものだもの。 

「だから、俺はあのガキの間抜けな演技をしっかり見てやるのさ。たかだか演劇部程度の実力
だ……全員の失笑を買って飛んで帰ることになるだろうよ」

 そう言って高笑いする柴田君に。

 僕は密かに哀れみを覚えたものだった。浅羽洋樹……さっきの少年が柴田君の目の敵だと
したら、飛んで帰るのはむしろ柴田君の方だ。

「さーてと、高見の見物といきますかね」

 廊下に煙草の吸い殻を落とし、踏んづけてから柴田は劇場へと入っていった。

 僕は吸い殻を拾い上げて、その背中に向かって舌を出す。

 あんな奴の傍にいたくないから、僕は後ろの方で見学するとしよう。

 浅羽君が凄い素質がある人間なら、離れた所からでもそれが分かるはずだ。

 劇場へ入ると、既にテストは始まっていた。さっきの女の子が演技をやっているみたいだ…
…ふーん、なかなかだね。あとは今さんのお気に召すといいんだけどね。

 後ろの方の席へ向かった僕だけど、座ろうと思っていた席に先客がいることに気づく。

 何?

 入団希望者の保護者とか?

 近づいてよく見てみる……ん?あれ?気のせいかな、あの二人がこんなところにいるわけが
ないと思うのだけど??

 しかし、どっからみても、あの二人だよねぇ?

 僕は怪訝に思いながらも、彼らの方へと近づいた。

 手前にいる僕と同い年の俳優、相模くんがひょいと手を挙げた。

「やぁ、工藤」

「や、やっぱり相模君!?うわー、何でここに……あ、永原さん、こ、こんにちは」

 興奮しかけて、僕は顔を真っ赤にしながら、頭を下げた。相変わらず、綺麗な人だなぁ。会う
たびにぞくぞくするよ、この人が醸し出すオーラを目の当たりにしたら。

「工藤君、相変わらず頑張っているね」

 気さくに笑いかける永原さんは、僕の先生とはライバルだけど、僕にはとっても優しくしてくれ
る。うん、この人はとてもいい人だ。

「僕なんかまだまだ……本当に相模君にだって、まだまだ及ばないですし」

「俺は四年のブランクがある。もう追いついているだろ?」

「そ、そんなことないよ!」

 うー、微妙にプレッシャー掛けてないか?相模君。

 僕は目がぐるぐると回ってきたぞ。何しろ相模君は年は僕と同じだけど、キャリアが違うから
なぁ。四年間のブランクなんか、なんのその。もう、永原さんと同じ舞台に立っているのだから
凄すぎる。

「そんなことよりも!何で君たちがここにいるの!?」

 僕は思わず強い口調で相模君に耳打ちをする。

「ん?……ああ、永原さんの付き人がね、ここに来ているから」

「ええ!?」

「まだ一回も洋樹の演技を見たことがないって言うからさ、じゃあ幸い今日は舞台稽古も早く終
わる予定だし、終わったら見に行こうってことになって」

「洋樹……あ!まさか、さっき会った浅羽洋樹のこと」

「会ったのか?」

「うん会った、会った。そっかぁ、新しく来た永原さんの付き人ってあの子だったのか。

ってことは……ふふふ、あいつの顔が見物かも。あいつ、まだ浅羽君が永原さんの新しい付き
人ってこと知らないんだろうから」

「あいつって?」

 首を傾げる相模君に、僕は指で指し示す。前の方、腕を組んでかっこつけたように壁により
掛かって舞台を見ている柴田君を。

「確かに……」

 相模君はそう呟くように言って、笑いをかみ殺していた。



 テストの順番は、今さんがランダムで決めるから、なかなか浅羽君の順番が来るようで来な
かった。そうそう、ただあの人、気に入った人を最初か最後に持っていく時があるから、もしか
したら一番最後に指名するのかも知れない。

 案の定、浅羽君はラストに指名された。

 彼が立ち上がると、何故か馬鹿にしたような笑い声が聞こえた……うーん、何を根拠にこの
子達は笑っているんだろうか。僕から言わせれば、浅羽君は君らより上だというのにさ。

 ああ、ぞくぞくするね。遠くからでも、あの横顔を見たら分かるよ。あの時点から、既に彼の演
技は始まっているんだ。

 柴田君もまた、浅羽君を見下さんばかりの態度だ。むかつくなぁ、吹き矢があったら、毒があ
る矢を仕込んで、あいつに向かって吹いてやりたいね。

 しかし、次の瞬間、浅羽君の鋭い眼差しが、柴田君の方へ向いた。

 遠くからでもよく見えたよ。

 あの柴田君が、びくんって身体が震えたのがさ。

 すごいな、大根とはいえ何人もの役者と共演した場を踏んでいる俳優を、視線だけでびびら
せるなんて。

 しかも舞台に昇った浅羽君に、鹿島さんも今までになく真剣な顔つきになっている。今まで
は、どうしようもない子供を相手にする父親のような雰囲気で演じていたのに、この子に限って
……やっぱり、あの人も何かを感じ取ったんだろうな。

「凄いな、あいつ家じゃ、あんな演技みせなかったのに」

 感心している相模君に、僕は首を傾げる。

「家じゃあんな演技じゃなかったの?」

「まぁね。そこらの入団希望者の奴らほどじゃないけど、まだまだヘボだったよ。ただ本気にな
った時のあいつは怖い……俺はあいつの本気に惚れて、永原さんの所に連れてきた」

「本気の……」

「演劇部の時でも、あいつは凄かった。高校で演劇の大会があるのは知っているだろう?

一昨年、当たり前のように優勝していた黎明館を破った無名の高校があった」

「あ、知ってる。一人の役者に、全員が魅入られたって……って、まさか、それが」

「洋樹だよ」

「そうだったのかー、凄いなぁ。黎明館の名優が束になっても、浅羽君には適わなかったのか」

 僕は心底から感心しちゃったよ。

 だって、格好いいよね。野球だったら、一人の名プレイヤーがいることによって、無名の高校
が甲子園に行ってしまうようなもんだよ。

 浅羽君は、今舞台の上で迫真の演技を続けている。

 憎い相手の首を手で締め付けるシーン。

 僕はどきどきする……本当に鹿島さんを殺しているのかもしれないって思って。

 底知れぬ冷ややかな眼差しなのに、炎のように激しく渦巻く内面の感情、憎しみが全身にあ
ふれ出ている。

 彼は本当に鹿島さんを消そうとしている。

 僕は思わず身を乗り出して、拳を握りしめた。

 浅羽君は気づいているだろうか?

 この場にいる全員が、君の演技に釘付けになっている。さっき君を笑っていた入団希望者
も、それにあの柴田君だって……彼はこそこそと劇場から退散しているのを僕は見てしまった
よ。あんなに馬鹿にしていた役者が自分よりも上手く演じているのが正視できないんだろうな。

 それに。

 僕は浅羽君の演技を見て思う。やっぱり付き人だけに永原さんを見てきたのだろうな。

 舞台に対する姿勢といい、気合いといい……それに舞台へ立ったときのあの気迫。学ぶべ
きことを学んでいるじゃないですか。

 多分、柴田君が逃げたのは、浅羽君が永原さんを彷彿させる演技をしたせいだ。浅羽君の
中に、畏れていた先生の姿をみたのだと思う。

 鹿島さんの体が、その時がくりと崩れた。

 入団希望者の何人かが、思わず席から立ち上がる。

「しびれるな……」

 その声に僕はびくっとして、思わず永原さんの方を見る。

 彼はうす茶色の目を子供のように輝かせて、舞台の方を見ていた。

 何て嬉しそうな顔をするんだろう、この人は。

 そうだ、この人は教え子に恵まれていなかったしな……それに、今さんもそうだけど、演技が
上手い人を見たら嬉しそうな顔をするんだよな。

 そういう僕もそうだし。

 あの子と共演できたら、面白いだろうなぁって思うもの。同じ舞台へ上がるなら、やっぱり演技
が上手い子の方が楽しいし。

 浅羽洋樹君か。

 将来凄く楽しみな役者だよ、この子は。




 その後が大騒ぎだった。

 浅羽君の演技が終わって、呆気にとられている入団希望者たちを尻目に、惜しげもない拍手
を送る永原さんと相模君。

 その時、初めて入団希望者たちは、こちらの存在に気づいて、騒然とした。何しろ天下の永
原映がそこにいるのだから。

 礼子さんが収集つけてくれたから良かったものの……本当にねぇ、あの人いないと劇団なん
か出来たもんじゃないよ。

 残ったのは、僕とー、今さんと永原さんとー、それから浅羽君と相模君。

 久々に顔を合わせる今さんと永原さんにはどきどきしちゃったよ。一触即発って奴?

ちょっとしたきっかけで、すーぐケンカになるんだもの。この二人。 

 だけど、仲が悪いわけじゃないんだと思うんだよね。その証拠に永原さんはどこか嬉しそうに
今さんに話し掛けてくる。

「……この先の舞台が楽しみだと思わないか?」

「……何がいいたい?」

 少し痒そうな顔をしながら、今さんは永原さんを睨む。

「君もそろそろ舞台復帰がしたくなったように思えてさ」

「俺はガキの教育に忙しいんだ」

「礼子さんに任せればいいじゃないか。舞台監督も楽しいだろうけど、君はまだまだ舞台を去る
には惜しい人だよ」

 永原さんの口から、そんな言葉が出てくるのは意外なようで、意外じゃない。

 この人は、誰よりも今さんの実力を認めている。

 今さんの舞台復帰を誰よりも待ち望んでいるのは、他でもない。永原さん、その人なのだ。

 しかし、当人は照れ屋だから

「鳥肌たつよーなことをぬかすな」

 とかいいながらも、どことなく満更でもない顔をしていた。

 伊東成海、復活の日は近いかな。僕も、一生の一度でいい、この人と同じ舞台に立てたらな
って思うけど。

「で、お前はさっきから、どうしてここにいる?入団希望者なんか興味ないから、とっとと帰るよ
ーなことぬかしていて」

 今さん、本格的に照れているらしい。無駄に乱暴な口調で、僕にそんな質問してくるのだか
ら。

「あははは、そうしようと思ったんだけど、気が変わったの。この子見て」

 この子とは、当然浅羽君のことです。みんなにも分かりやすいように指さしてみました。

 浅羽君自身はきょとんとしていたけどね。無理もないよ、あの時はテスト前だし緊張して、僕
のことなんか覚えていなかったんだろうな。

「休憩時間、この子ってば、すっごい怖い顔してんの。近づいたら殺されるかなー?って思った
んだけど、近づいちゃった。そしたら、休憩終了のチャイムが鳴ったから、すぐバイバイしたん
だけど。ま、そん時にね、次の実技テストで、この子がどんな演技するのか見たくなっちゃった
の」

「お前が気になる役者か、こいつは?」

「気になるねー。今さんだって気にしているじゃないですか。そうだ!明日からこの子、ここに来
てもらいましょう。よーし、決まりだー」

 思わず、浅羽君にだきついた。でもさ、嬉しいんだよ、だってこの子となら、同じ舞台の上で熱
くなれそうな気がするの。

 あの演技……本当に凄かった。

 永原さんの言葉借りると、ホントに痺れちゃったよ。彼の迫真には。

 「貴様、勝手に決めるな!」

 当然、怒鳴るだろーけどさ、今さんだって同じ考えなんでしょ。分かっているんですからね。

僕はにっこりと笑った。

「だって、俺気に入っちゃったよ、この子」

「お前が気に入るがどーかで入団を決めるんじゃねーよ」

「どうせ、入れるんでしょ。明日からでもいいじゃない」

 まだ経験不足なこともあると思うけど、そうしたらなおさら、その不足した部分を早く埋めて、
同じ舞台へ立って欲しいと僕は思う。だって、この子が舞台に立ってくれたら、KONのグレード
も上がると思うし。 

「じゃあ、明日からよろしく。成海ちゃん」

 ぷ……な、成海ちゃんって。

 それは永原先生の口から出てきたものだった。

 今さん、まるで茹で蛸みたいに、顔を真っ赤にして、声を荒げた。

「その名前で呼ぶな!」

「じゃあ、泰介ちゃん」

「ちゃん付けはやめろ。しかも、てめーまで勝手に決めてんじゃねーよ」

「じゃあ、帰るぞ。洋樹」

「人の話、聞けよ!」

 今さんは、永原さん達が劇場を後にするまで、ずっとがなり続けていた。だけど、久しぶりだ
った。そんな生き生きとした今さん見るのは。

 やっぱりな、ライバルって張り合いがあるんだろうね。

「やけに嬉しそうじゃねーか、てめーは」

 永原さんたちが、完全に劇場を後にした時、今さんはじろりとこっちを睨んだ。

「今さんこそ」

「嬉しいわけねーだろ、何で永原の弟子なんか育てなきゃいけねーんだよ」

「関係ないでしょ、今さんがあの子の演技に惚れたかどうか、それだけじゃない」

「……あのな」

 今さんは、何だか面白くなさそうにしばらく顔をしかめていた。何が面白くないって、僕に本心
を見透かされていることがね。

 彼は舞台へと昇る。そして天井を仰ぐ。

 その精悍な横顔は、僕が見てきたどの役者さんよりも、引きつけられる。野性味溢れた美し
さだ。

 僕もそんな今さんに習うように、舞台へと昇る。どんなに小さくても、僕は舞台が好きだ。こうし
て、舞台の上に立っていることだけでも生きていると実感できる。

「俺も、お前も、舞台の上で生きる人間だ」

「ええ」

「あいつもまた、舞台の上で生きる人間になる……確かに惚れたよ、あいつの演技に……い
や、あいつの気迫にね」

 その眼差しが、愛しい者に思いをはせるような眼差しであることに、彼は気づいているのだろ
うか。

 ああ、と僕は納得した。

 この人は浅羽君が気に入らないわけじゃない。

 将来自分の愛弟子になったかもしれない、そんな浅羽君が既に、永原さんの弟子だというこ
とが気に入らなかったのだ。

 僕は先生の肩をぽんと叩いた。

「先生、浅羽君が既に永原さんの弟子だからって、がっかりしないでください。先生には僕とい
う可愛い弟子がいるんですから」

「…………臆面もなく、よくそんなことが言えるな」

「だって事実じゃないですか」

「あー、そうだな。お前はかーいいいわ。かーいい、かーいい」

 言葉とは裏腹に、今さんは僕にヘッドロックをかけて、頭を拳でぐりぐりする。

 憎たらしいガキを扱うみたいに。

 あーあ、僕はもう二六歳になるんだけどな。

 いつまで、この人からこんな扱いを受けるのか。

 うーん、まぁ、いいんだけどね。これも愛情表現の一つなんだろうし。

 でも三十代になったら、もう勘弁して欲しいな。


 

     

 浅羽君は、合否の知らせを聞くまでもなく、翌日からKONへやってきた。

 帰れと、意地悪を言う今さんに対して。

「僕は一般人として、ここに来たんです。ここは見学は認められないのですか?」

 などと言い返す。

 それから、三十分間言い合いが続いたよ。いやー、あの永原さんVS今さんを彷彿させるケン
カっぷり。びっくりしたね。ああいえば、こういうって奴?お互いそうなんだけど。

「とにかく帰れ!てめーは永原の付き人だろうがっ!付き人の仕事はどうしたんだ?」

「永原先生はKONの様子を、逐一僕に報告するよう言っていました」

「きーさーまーぁ!スパイ行為を働く気か!?」

 胸倉を掴み凄む今さんに対して、至ってクールに答える浅羽君。

  結局オーディションの中、選ばれたのは浅羽君と、女の子が一人選ばれた。女の子は、あ
の柴田君とイチャイチャしていた子だった。中身はともかくとして、実力はある子だから、一応
入れたんだろうな。そこから伸びるかどうかは、彼女次第だね。

 後に、正式にKONに入ってから、浅羽君は今さんに徹底的にしごかれることになるんだけ
ど、辛そうでありながらも、輝きを増してゆくその眼差しに、僕も今さんも、それから他の役者た
ちも引き込まれてゆくことになる。

 浅羽君は今にすごい役者になるだろう。

 僕も負けられないな。

 舞台に昇りながら僕は伸びをする。

 ああ、やっぱりココが最高!

 僕の生きる場所だ。

「浅羽君!ちょっと僕の練習相手してよ」

「おい!?俺はまだこいつの説教中……」

 怒鳴りかける今さんに、僕はにっこり笑って言った。

「いいじゃないですか。どうせ合格通知、昨日出しているんですから」

「それを言うな!」

 顔を赤くして怒鳴る今さんに、僕は笑いながら浅羽君を手招きした。

「浅羽君、舞台の上においでよ」

 稽古場にもうけられた台のみの簡素な舞台だけど。

 それでも浅羽君の目は輝いていた。

 歩み寄ってきた浅羽君に、僕は手をさしのべる。

 「ここが、今日から君が生きる世界だ」

 僕の言葉に。

 浅羽君は嬉しそうに大きく頷いた。

 


    END   


                    



   




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