呪わしきハムレット3




「一体誰の葬儀だ?───あれはレアティーズだな。立派な若者だ」 
ハムレットは王の策略により、イギリスへ追いやられる所であったが、海賊たちの力を借りてイギリス
に舞い戻る。
 その際見かけた葬列の中に、国王と妃、そして恋人オフィーリアの兄、レアティーズの姿を見かけ
る。
「葬儀はこれだけなのか!?」
 レアティーズ演じる俺は怒りを露わに、牧師に問う。
 牧師は死因に不審な点があるため、心安らかに死んだ者と同様の弔いはできないと答える。
 俺は唇を噛みしめ。
「……くっ、亡骸を埋めろ!その穢れのない身体からスミレの花を咲かせてくれ。おい、情け知らずの
坊主よ、貴様が地獄でのたうち回っている内に、俺の妹は天上で天使になっているだろう!!」
 レアティーズの言葉を聞き、ハムレットは目を瞠る。
 彼はその時初めて、最愛の恋人の死を知ったのだ。
「オフィーリア……だと!?」
 俺は床に拳をたたき付け、目を見開き、天に向かって嘆き叫んだ。
「ああ、この何倍もの災いが、あいつの頭上に降りかかるがいい!呪っても呪いきれぬ!!あいつの
お陰でお前は狂ってしまった!待て、もう一度この手で抱きしめたい」
 妹の頬に触れた瞬間、怒りから悲哀へ。
 深い悲しみは、妹と共に、この現世から逃げたい衝動に駆られる。
「さぁ、俺もろとも埋めてくれ!!どんどん土を投げ込んで、あのピーリオンの峰にも、雲の上にそびえ
立つオリンパスの山頂にも劣らぬ程高く積み上げるがいい!」
 そこに現れるのはハムレット。
 彼はゆっくりした足取りで、問いかける。
「何だ、その仰々しい嘆き様は?その泣き言は、空を巡る星も呆れて立ち止まるぞ」
 冷ややかな眼差しに俺は息をのむ。
 いや、妹の死を嘆き悲しむレアティーズは、その顔を認めたとたん怒りを爆発させる。
「畜生、悪魔に食われてしまえ!!」
 俺はハムレットの首につかみかかる。
 憎い、この男を今すぐ絞め殺してやりたい。
 愛する父と妹を奪ったこの男を。
 ハムレットの表情は、無表情……いや無機質に近い。
 俺はレアティーズを演じながら、頭の隅でこんなハムレットの顔もあるのかと一驚する。
 全ての感情を押し殺し、狂った人間を演じるハムレット。考えてみたら演じている人間を演じるのだ
から、妙な感じもする。
 そして、今の晴沢の顔は、本心を悟られまいと強固な無表情の仮面をかぶっている。
 内に秘められているのはレアティーズに対する悲しみか、はたまた嘲りか。
 観客側は、晴沢の無から、色んな表情を見出そうとするだろう。
 と、その時今さんが、木刀で俺と晴沢の頭を軽く叩いてきた。
 その瞬間、心の中に沸き上がっていたハムレットへの憎しみはふっとび、俺は我に返る。
 そして晴沢も───
「おい、最初からそんなクライマックス演じてたら、後が保たないぞ」
「……今さん」
 俺は頭をさすりながら、今さんの方を見た。
 演技のだめ出しをされるのかと思ったけど、そうじゃないらしい。
 彼は可笑しそうに肩を震わせて笑う。
「ま、てめぇは浅羽と早く演じたいんだろうが、少し我慢しろ」
「……は、はい」
 たちまち晴沢の顔が真っ赤になるもんだから、俺までなんだか恥ずかしくなって、顔が熱くなってき
た。
 今さんはまだ笑いながら、今度は鹿島さんと須藤さんの方へ歩み寄る。演技指導……というより、
向こうが先輩だから指導というより、演技の打ち合わせをしはじめた。
(でも、こいつと演じているの、結構楽しかったな)
 晴沢の方を見る。
 一緒に演じていて、こいつが演じる事が好きでしょうがないってのが肌で感じることができる。
 もちろんKONにいる人間は、みんな演じる事が大好きな人たちだけど。
晴沢の場合、年がら年中演じていたいぐらい、演じることに貪欲……いや強欲といってもいいかもしれ
ない。
相手が演技を楽しんでいるのであれば、こっちだって自然とそんな気持ちになる。
晴沢が俺の視線に気づいて、にこりと笑った。
あ、笑顔もやっぱ爽やかで格好いいな。
さすがトップアイドル。
「なぁ、浅羽。稽古が終わった後って暇?」
「……え?あ、ご免。今日は約束があって」
 俺は頬を掻きながら、ぼそぼそと答える。
「もしかして彼女か何か」
「……ま、そんなトコ」
 彼女、じゃないけどな。
 すると晴沢はため息をついてから、不意に不敵な笑みを浮かべる。
「そっか、それは残念。食事に誘おうと思ったんだけどね」
「……え?」
「完全に一目惚れ」
 誰にも聞こえないよう、小声で囁かれた。
 一瞬、俺の頭の中、真っ白になる。
 いやいやいやいや、晴沢ヒロシといや、女の子に手が早いと、世間でも定評なぐらいだから完全なノ
ーマルだった筈。
 そんな、俺が好きになるなんてこと、まずあり得ないだろ?
 女のよりどりみどりの癖して。
 俺は心の中の動揺を押し隠し、落ち着き払った声で問う。
「マジで言ってるの?」
「マジ」
「俺は男、お前も男。そこのトコ、分かっているよな?」
「ああ、俺、両方イケるクチだから」
 さらっと言いおったな!?
「いや……俺は両方は駄目なクチだから」
 俺もさらっと断ることにした。
 倬弥にも言ったけど、湊以外の男なんて冗談じゃない。
 基本、ノーマルだから。
 他の男の身体見ても、全然反応しませんから。
 と、その時だった。
「ちょっと、ヒロシ!何抜け駆けしてるわけ!?」
 突如、高崎が後ろから晴沢の首に抱きついてきた。
「何だよ、腰抜け」
 晴沢はそんな高崎の腕を振り払い、あかんべをする。
「ひ、酷い!!そんなこという奴じゃなかったでしょ!?」
「お前、あの今さん直々に指導してもらいながら、何だよあの体たらくぶりはっっ!!」
 ばしっと高崎の頭を叩く晴沢。
 その頭をさすりながら高崎は口をとがらせて一言。
「だ、だって怖いじゃん」
 晴沢は目を三角にして、苛立たしい声をぶつける。
「怖がるな!!死ぬワケじゃない。ましてやこれからの役者人生、おおきな糧になるんだからな。ちゃ
んと今さんから吸収しろよ」
 は、晴沢、ちゃらいけど、演技に対しては凄く真っ当なこと言ってるな。
 そういうトコ好感もてるけど……恋愛としては無いな。
「わかったよ、次はびびらないように頑張る。それはそうと、ヒロシ、お前、浅羽をそこらの女と一緒に
するんじゃないぞ」
 一応、俺を庇ってくれているであろう高崎。
 いささか頼りないが。
「女と一緒にはできないよ。浅羽は男だし」
 言いながら肩を回してくる晴沢。
 俺は直ぐさまそれを振り払う。
「連れないな、友達なら肩ぐらい組むだろ」
 口をとがらせ、軽く抗議する晴沢に俺はそっぽ向く。
「お前と友達になった覚えもないし、ゲイ宣言してきた奴にそんな事されたら、反射的に防御したくも
なる」
「俺ゲイじゃなくてバイね」
「煩い。とにかく俺は付き合っている奴がいるんだから、諦めろ」
「え!?浅羽、付き合ってる奴いるの!?」
 何だかショックを受けている高崎。
 なんだよ、そのリアクションは。
 まさかお前まで……なんてことはないよな。
 晴沢は俺の顎を掴んできて、その顔をのぞき込む。
「でも、相手がいようといまいと、俺は諦めないよ」
「……いや、諦めて欲しいんだけど」
 俺は顎を掴む手を強引に引き離す。
「そう言われるとますます諦められないの」
 にっと笑い、今度は強引に首を回し、自分の方へ引き寄せる。
 俺は、かるーい頭痛を覚えた。
 何なんだろう。
 これは役者として魅力が出てきた自分を喜ぶべきなのか?
 だけど男ばっかに持てるのが複雑だ。
 やっぱり、あいつに抱かれたからなのか?

「ちょっと、君。強引な誘いは感心できないよ」

 一部始終話を聞いていたのだろう。
 工藤さんが腕組みをして、こっちに歩み寄ってきた。
「あ、く、工藤さん」
 たちまち高崎の顔が真っ赤になる。
 ……一瞬でも、こいつ俺に気があるのかもしれない、と思った自分が馬鹿だった。
 大体、何人もの人間に誘われたり、口説かれたりしたら、こっちも余計な自意識持ってしまいそうで
嫌だ。
「あ、これは愛しのオフィーリアさん」
「茶化さないでよ。言っておくけどね、浅羽君にはちゃんとした相手がいるんだからね」
「別に結婚しているわけじゃないんですから、俺が強引に奪ったって罪にはならないでしょ?」
 そう言って、また俺の後ろから抱きついてくる晴沢。
 俺は反射的に、そんな彼の腹に肘鉄をくらわせていた。
 腹を押さえ、その場に膝を着く晴沢に、工藤さんはため息をつく。
「罪にはならないけど、しつこい男は嫌われるよ?」
 そう言って工藤さんは俺の肘を掴んで、自分の方へ引き寄せた。
「え……浅羽が付き合っている人って」
 勝手に解釈して、ムンクのような顔になる高崎。
 いや、違いますから。
「あんたも浅羽に気があるとか?」
苦笑混じり、尋ねてくる晴沢に工藤さんはあかんべをする。
「君と一緒にしないで頂戴!とにかく今は稽古中なんだし、そういうことは止めなさい」
「へぇ、本当に浅羽に興味ないんだ?」
「もちろん大好きだよ。でもあくまで友達としてだからね」
う……嬉しいこと言うな、工藤さん。
大好きって。しかも友達って。
そんな嬉しいことを臆面もなく言ってくれるから、工藤さんモテるんだろうな。
湊がいなきゃ惚れてるかも。
「あ、なんだ友達か。よかった、よかった」
 一人ほっとしている高崎。お前は何なんだよ。
 ───ん?
 背後から痛い視線が。
 振り返ると……あ、やっぱし倬弥だ。
 そんなに怒ることないだろ。本当に面倒な奴だな、あいつも。
 なんだか強引な晴沢といい、主役としても一つ頼りない高崎といい、嫉妬深い倬弥といい……俺は
なんだか纏めてため息をつきたくなるのだった。


 
 稽古はその後、10時まで続き、マンションに帰ることが出来たのは、11時。
一足早く湊が戻ってきたみたいで、上半身裸でタオルを首に引っかけた風呂上がりルックで、リビン
グのソファーに腰掛けていた。
確か、映画の撮影はこの前クランクアップしたから、しばらくは雑誌の撮影やイベントへ顔を出す仕事
が主になるって言ってたな。
ただ、次のドラマの台本だろうか。
先ほどから彼は俺が帰ってきたことに気づく様子がなく、熱心に台本を読んでいる。
「ただいま」
 俺が声をかけると、湊は「おっ」と軽く声を上げてから、笑いかけた。
 んっとに、憎たらしいぐらい爽やかだよな。
 もう、その顔見ただけで稽古の疲れが吹っ飛んでしまう───大袈裟かもしんないけど、こいつの
笑顔に、俺は確実にやられている。惚れちまってんだよな、結局。
「何の台本読んでいたんだ?」
 湊の隣に腰掛け、問いかける俺に、湊は意味深な笑みを浮かべ。
「ハムレット」
 と、答えた。
 よく見たら見覚えのある台本だ。
 今回のハムレットの台本はオレンジの印刷紙で作られるのだけど、それと全く同じ物を湊が持って
いる??
 しかも真新しい台本だ。
「どういうことだ?」
「今さんから貰ったんだよ」
「え……どういうこと」
「短期間だけど、俺も参加することになったの」
 さらに笑みを深める湊に、俺は目を丸くした。
 あのおっさん、さらなる気まぐれを起こしたのか!?と思ったのも束の間。
「役者としてじゃなく、演技指導としてだけどな」
 俺の反応を見て可笑しそうに笑いながら言う湊に、俺はさらに目を白黒させた。
 演技指導?
 湊が?
「今さんが一週間だけ、別の劇団の演出を手伝わなきゃいけないらしくてな。しかも、礼子さんも手が
空いてないときたもんだ」
「だからといって、何で湊が?」
「以前から他の役者の演技指導もよく頼まれていたんだ。今さんも、俺のそういう所は高く買ってくれ
ているみたいで、俺と礼子がいないときは宜しく頼むわって言ってたんだよな」
「知らなかった……」
「ま、俺もそんなに本気にしてなかったから。今さんにそう言われても聞き流していたんだが───
まさか本当に頼んでくるとは思わなかったよ」
 言いながらも心なしか嬉しそうな湊。
そうだよな。
 あの今泰介に頼りにされる、というのは結構……いや、かなり嬉しいことだよな。
 何か湊って、俺より何十歩も先の道を歩んでいるな。
 いつかこの人に追いつきたいって思っているけど、そんな日が本当に来るのかな。
 ま、そこで弱気になっても仕方がないけど。
 とりあえず俺は自分が出来ることをするまでだ。
「でも、何で湊のこと、そこまで高く評価してくれてんのかな?何かきっかけがあったのか」
「きっかけはお前だと思うぞ」
 にっと笑いこちらをのぞき込んでくる湊に、俺は首を傾げる。
「俺?」
「お前を一番に育てたのは永原さんだ。だけど、俺だってお前を育てた人間の一人だからな」
「だ、だけど」
「ま、永原さんには死んでも頼み事なんかしないし、だから俺に白羽の矢が立ったんだよ」
「そんなきっかけになる程のこと、俺はしてないけど?」
「つい最近まで普通の高校生だった人間を、舞台に立てる役者に仕上げたんだ。俺だって自分を褒
めたいとあの時は思ったね」
「……ああ、そっか」
 言われてみれば。
 多分、俺一人じゃ、あのKONの舞台まではたどり着けなかったかもしれない。永原さんや湊、そし
て今さんにいろいろ教えて貰って初めて、あそこに立てたわけで。
「だから、お前には感謝している」
 湊は俺の頬を両手に挟んだ。
「湊……」
「役者として食えなくなったら、演技指導で食えるようになれそうだし」
「縁起でもないこというなよ」
「冗談だよ。だけど、明日から短い間だけどKONの舞台に参加できるのは、凄く楽しみなんだ」
 そう言って、湊は俺の唇にキスをしてきた。
 最初は触れあうキス。
 だけどそれだけじゃ済むわけがない。
 稽古でくたくただけど、それとこれとは話が別だ。
 湊の顔を見た時から、俺の身体はある種の疼きを覚えていた。
 ……我ながら本当に敏感な身体になってしまった。前だったら、この人の顔見ただけでこんな疼き
は起こらなかった筈。
 何度目かのキス。
 吐息が熱い。
 頬を挟んでいた両手は首筋を伝い、腰に回る。
 そのままきつく抱き寄せられた。
 同時にキスも深くなる。舌が何度も絡み合って、まるで貪るようにお互い吸い尽くす。
 腰に回っていた手が後頭部に回る。
「……あ……」
 声が漏れてしまう。
 卓越した舌使いは、身体の芯から刺激を与え、全身に電流が走ったような感覚に襲われる。
 だんだん、俺自身も硬くなっていく。
 この人だけだ。
 この人だけに俺の身体はどうしようもなく反応する。
───そういえば、工藤から電話があったよ」
 そう囁いて、耳たぶを噛まれた。
 な、何?
 工藤さんって??
「お前、随分とモテているみたいじゃないか」
「な……」
「工藤の奴、“君がしっかり捕まえておかないと、浅羽君とられるよっ”って、大きなお世話なこと言い
やがって」
 今、工藤さんの口調の物まね、上手かったな。
 いや、そうじゃなくて。
 マジで大きなお世話だよ、工藤さん!!
 そんなこと湊に報告しなくてもいいじゃない。いくら友達だからって。
 大体、自分の恋愛には疎いくせに、他人の恋愛には結構おせっかいなトコがあるよな、あの人。
「湊が気にする程の奴じゃないよ」
「ま、今度の稽古の時、どんな奴かは拝ませてもらうよ」
「……」
 口元は笑っているけど、目がかなり鋭い。
 うわ、こんな邪な笑い方するんだ、この人。
 この表情にキャッチをつけるとしたら、黒い微笑みというべきか。
 それがまた、ぞくぞくとするぐらいに色気がある。
「だけど、その前にお前にも釘をさしておかないといけないな」
「……釘?」
 





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