呪わしきハムレット







「…………」 


しん、とした空間、不穏な空気がただよっていた。
 不穏の源は、稽古場のど真ん中、舞台の向かいに、木刀を肩たたきにしながら、今回何度目になる
か分からない舌打ちをする今泰介氏、その人であった。
「…………あの、そろそろ始めましょうか?主役の人来てないけどさ」
 ははははは、と渇いた笑いを漏らしながら、口を開いた工藤さんに、今さんはぎろっと睨みつける。
「主役が来るまで待つ。でもって、まずは公開処刑から始めるからな」

───公開処刑

何をするのか良くは分からないが、とにかく恐ろしいことには違いない。
木村さんも、それに最近フランスから戻ってきたKONのメンバーである泉沢倬弥も顔が真っ青であっ
た。
(何やってんだよ……あのバカは)
あれ程、今さんを怒らせたら地獄を見るって言ったのに。
本当に、あいつ馬鹿だな。
もうこの先、凄く思いやられるんですけど……と、思った時だった。


バン!!


稽古場のドアが開いたと同時、もの凄い勢いで二人の青年が駆け込んできた。
一人は、しょっぱなから問題を起こしてくれた高崎レン。
もう一人は。
「本当にっ申し訳ありませんでした!!」
 入ってきたその瞬間に、素早く土下座したその青年に、KONのメンバーはざわめいた。
『うそ……晴沢ヒロシ?』
『なんで、彼がここに??』
 みんなが驚くのも無理はなく、アイドルグループ“SKY”のメンバーで、その中でもリーダー格にあた
る人物だ。高崎も“SKY”の一員だが、メンバーの中ではお笑い担当なポジションにあった。
 とにかく人気絶頂のアイドルが二人がここにいるっているのは、結構凄いことなのかもしんない。
「何でてめぇが謝るんだ?真っ先に謝るのはコイツだろ、コラ!!」
 後ろで茫然と突っ立ってた高崎の腹に、蹴りが入れられた。
「うぉ!?」
 高崎が叫んで、腹を押さえた。
 そのまま頽れるかと思ったが、生まれたての子鹿のようによろよろした足取りで、なんとか持ちこた
え、腹を抱えながら、へろへろの声でしゃべる。
「す……すいません、台詞の練習していたら、既に集合時間になって……はう!!」
 さらに頭を叩かれた。
 何とか持ちこたえていた膝が、がくりと床につき、高崎はダンゴムシのように蹲る格好となる。
「んなもん、もっと早くから覚えておきやがれ!!」
 そう言って背を向ける今泰介氏。

 公開処刑、終了───
 
 なんだ、公開処刑っつっても、いつもやっていることじゃないか。
 ただ、それがお初の高崎にとっては、今までにない扱われ方にショックなのか、ダンゴムシ防御の
まんま、がたがたと震えていた。

「あ、あの……!!こいつをぎりぎりまで引き留めていたのは俺なんです。本当に申し訳ありません
でした」
「ヒロシ……」
 高崎が驚いたように、晴沢の背中を見つめていた。
「誰に引き留められようが、時間を守るのはこいつの義務だ。部外者はとっとと帰れ!!」
「お願いします!!こいつと一緒に稽古、参加させてください」
「あ!?」
  思わぬ晴沢の言葉に、今さんは目を見開いた。
「……こいつがどんなハムレットを作り上げていくのか、その課程を俺も見たいんです!!」
「……」
 頭を下げるスーパーアイドルに、全員水を打ったようにしん、としていた。
 人気もあって、どんなドラマや舞台だって出放題の人間が、ここまでしてこの舞台に参加したい、と
は。
「嘘言うんじゃねぇよ」
 今泰介氏はくいっと晴沢ヒロシの顎を持ち上げる。
 そして間近でじっとその目を睨むような目つきで見つめた。
 普通の人間なら目を背けたくなりそうなその眼差しを、晴沢は涙目になりながらも、まっすぐ受け止
めていた。
 かすかに手足は震えている。
「お前───確か、この前野崎さんの舞台に出てたな」
「……え」
晴沢はかすかに目を瞠る。
 そんな舞台に出てたか?
 とKONのメンバーは首をかしげている。
 俺もスーパーアイドルの晴沢ヒロシが野崎さんの舞台に出ている話なんて聞いたことがない。出る
と分かればマスコミだって大騒ぎするはずだ。
「いや……あれは友情出演みたいなちょい役で」
 まさか今さんにそれを指摘されるとは思わなかったのだろう。戸惑いが隠せない様子だ。
 もしかしたら、事務所の人間にも内緒で出ていたのかもしれない。
「お前、本当はハムレットやりたいんじゃねぇのか?」
───
俺はその時、他人の息が止まる瞬間を初めてみたような気がした。
小刻みに震えていた身体も、その瞬間ぴたりと止まる。
一見、恐怖に彩られていたかのようなその涙目は、その瞬間鋭い眼差しに変わった。
「当たり前です。役者をやる以上、ハムレットを演じるのは夢です。ですが、悔しいことに今回、その役
が回ってきたのはこいつです。だけど、それでも、俺は少しでも肌で感じたいんです」
「……」
 俺は息を飲んだ。
 こいつ、本当に演じることが好きなんだな。
 トップアイドルにも関わらず、舞台の脇役を演じるくらいだ。
 しかも自分が出演しない舞台にも参加したいだなんて。
 今さんはしばらくの間、険しい顔で晴沢を見下ろしていた。しかしふと、何かいいことを思いついたか
のようにふっと笑う。
 そしておもむろにジーンズの後ろポケットから、携帯を取り出してダイヤルをぴっしゅする。
 何だ、何だ?
「あ、謙四郎?お前んとこに……ヒロシって奴いるだろ。ああ、晴沢、晴沢。あれ、しばらく俺のトコで
預かるからな。あ!?仕事が入っているだと。んなもん、てめぇの圧力でキャンセルしとけ。あん?…
…高崎に代われって。別にいいぞ。おい、社長からだ」
 社長、という言葉に、KONのメンバーもぎょっとする。
「社長ってあのJ-プリンスの社長、だよな」
 木村さんが隣の工藤さんに囁く。
「……多分」
 工藤さんも戸惑いながら頷く。
「今さん、命令してたよな?社長に」
「うん、完全に命令していた」
二人が察するように。
会話の内容からして謙四郎、というのは恐らく高崎たちが所属するJ-プリンスの社長、
植杉謙四郎氏のことだろう。
しかし大手プロダクションの社長相手の会話じゃないよな。完全に友達……というか子分?そういえ
ば、あそこの社長、今さんと年齢変わらないんだよなぁ。いやいや、だからといって、そんな子分扱い
出来るもんじゃないだろ??

「ええ!?しゃ、社長、そりゃないっしょ」

 その時、高崎が稽古場に響くぐらい声を上げた。
 けっこういい声してんだなぁ……って感心している場合じゃない。
 なんだ、何だ?
 あいつはあいつで、顔面蒼白にしているぞ。
 受話器を切られたのか、高崎はかくりと項垂れるように頭を下げ、携帯を今さんに返した。
 そしてよろよろとした足取りで、晴沢の元に戻ってくる。
「どうしたんだ?」
「……今回の仕事、殺されても助けてはやれないって言われた」
「……そうだろうね」
「え!?ヒロシ、知ってたのか」
「もちろん。だって、うちの社長、学生の時、今さんに10秒で沈められたらしいぞ」
「は!?社長って暴走族の頭だった人だろ!?」
 二人の会話に、今さんは肩を震わせて笑う。
「10秒なわけねぇだろ」
「え、あ、そうなんですか?」
 少しほっとした顔になりかけた高崎に、今さんはにぃっと笑って五本指を見せた。
「実際は5秒だ。暴走族の頭同士の対決だとか抜かして、殴り合っていた謙四郎と信太郎(湯間の事
務所社長)を、煩いからぶっとばしたんだ。2人で10秒だから、一人5秒ずつだ」
「………………」
 トップアイドル二人の身体はがたがた震えていた。
 高崎はようやく、今さんの怖さを理解したらしい。
「そ、それで……自分は何をすればよろしいのでしょうか」
 まるで自衛官のような口調だが、声は身体と同様震えている晴沢ヒロシ。
「おう、お前ハムレット演れ」
「は?」
 その場にいる全員が目を点にした。
 ヒロシがハムレットって?
 じゃあ高崎は?


「ハムレットはWキャストで行く」


 今泰介という人は誠に気まぐれな人だ。
 だが、今回はそれが遺憾なく発揮された瞬間だ。
 キャストが全部決まって、これから練習と言う時に。
 稽古場が騒然とした。
「む、ムチャ言わないでよ。そんなギャラ出せるわけないでしょ!?」
 当然マネージメントである礼子さんが、今さんに怒鳴る。
「あ、そうか。じゃ、お前らギャラ折半な」
 何でもないことのように、あっさりと言う今さん。
───え!?」
 ぎょっとする高崎に、今さんは満面の笑みを浮かべ。
「文句ないよな?」
 低い声で問いかける。
 高崎は涙目で、そして晴沢は目を輝かせ、二度、三度頷いた。うーむ、晴沢の方は、結構……かな
り嬉しそうだな。舞台に参加できる、というのが。 

「てなわけで、レアティーズもWキャストで行くからな」

そう言って歩み寄った先は、泉沢倬弥の元。
ぽんっとその肩を叩く。
───は?」
 倬弥は呆気にとられたみたいに口をぽっかりと開いた。
 つい最近、フランスから帰国したばかりの、KONのメンバーであり。
 その演技力はかなりのものだ、と噂される。
 ま、普段は結構子供っぽい人なんだけどな。
「ま、待ってください。俺は既に他の役が……」
 戸惑う倬弥を無視して、稽古の端でベンチに腰掛けくつろいでいる久野さんの方を見る。
「じゃ、ローゼンクライツはひまそうな、お前やれ」
「はい!?」
 猿顔の久野さん、目をまん丸くしてベンチから飛び上がる。
「ま、待ってください!レアティーズなら俺が」
 手を上げて抗議しかけた木村さんの鼻先を今さんはびしっと指さして。
「お前はオフィーリア」
 と、言った。
「え」
 予想外の言葉に、木村さんは目と口を埴輪のように丸くした。
「ハムレットとレアティーズだけがWキャストもおかしいからな。オフィーリアもWキャストな」
 オフィーリアは、言うなればハムレットのヒロイン。
 より良いポジションを狙う木村さんとしては悪くない役だとは思うけど。
「今さん、俺、女役はやったことないんですけど」
 顔を引きつらせる木村さんに、今さんはぽんとその肩に手を置いて。
「おう、そうか?良かったな、今回経験できて」
 爽やかな笑顔の裏、文句ないよな?という脅迫感がばりばりと伝わってくる。
「は、はい……嬉しいです」
 笑顔の恐ろしさに負けて、心にもないことを口にする木村さん。
「ギルデンスターン役は赤井、お前やれよ」
「お……俺っすか?」
 出番が無い時は大道具も兼ねている赤井さんも、持っていた段ボール箱をぼとっと落とした。
 今さんは、さらに笑みを深めて4人に言った。
「今から1時間の猶予やるから、自分の台詞覚えて来い」
 突然役変更を余儀なくされた4人の顔は、蒼白を超えて白くなっていた。
 俺は心の中で「鬼」「悪魔」と罵る4人の声を聞いたような気がした。
 だけど、あいつがレアティーズ……苛立たしげに台本をめくる倬弥の横顔を俺はじっと見つめる。
 俺はあいつと否応なく比較させることになるのか。
 負けるわけにはいかないな。
 ただ、その前に。
 俺はちらっと高崎の方を見た。
「おい、レン。生きてるか?レン」
 白目を剥いて茫然とする高崎の頬を晴沢は軽く叩く。
 …………先が思いやられそうなことには変わりないな。


                                                      つづく



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