笑う舞台3


 
それから俺は湯間さんが所属する会社が経営している小劇場に。 
休館である本日は周辺の商店街もなんだか閑散とした雰囲気だ。
 裏口から入ると、いきなりそこは非常階段で二階に昇る羽目になる。大御所の漫才師はたまらない
のでお客さんと一緒に、正面玄関から入る人が多いらしい。
「うわー!!ぼろいなぁ、幽霊でも出てきそうだぜ」
 率直な感想を言うのは何故か着いてきた高崎だ。
「お前何で着いてくるんだよ、この後仕事ないのか?」
「これか珍しくないんだよ。先生。暇だから、ライバル会社の劇場を偵察に」
 にししと歯を見せて笑う高崎に湯間さんは呆れる。
「ライバルって……ステージが違うだろ?ウチはお笑い、お宅はアイドル」
  そう言って、舞台袖に続くドアを開ける。
 ああ……やっぱ、いいなぁ。
 そこから見える舞台は、確かに大きくはないけれども、その分お客さんがより近い。
 肌で一体感を感じられそうな、そんな劇場だった。
「おーい、湯間ちゃん」
 その客席には既にイトマキさんが座っていた。
 呼ばれた当人に代わって、答えたのは高崎だった。
「あ!イトマキさんだ、俺の物まねしてるイトマキさーん」
 彼は無邪気に手をぶんぶん振る。
「お!?そういう君は高崎君。俺が物まねしている高崎くーん」
 イトマキさんもまったく同じようにぶんぶん手を振る。
 うわぁ、すげぇなぁ。
 顔は全然違うのにコピーのようだ。
「俺の口調真似るなよ〜」
 高崎はイトマキさんの座る客席の隣に腰掛けて、ぷくっと頬を膨らます。
「堅いこと言うなよ〜」
 同じようにぷくっと頬を膨らますイトマキさん。
「また真似してるぅ」
「真似してやるぅ」
 二人は顔を向かい合う形になり、まさに合わせ鏡のようになる。 
 俺はたまらずおかしくなって、声をたてて笑った。
「あははははは」
「何だよ、お前らが漫才している見たいじゃねぇか」
 湯間さんもそんな光景に思わず吹き出していた。
 なんだか雰囲気が一気に和やかになったなぁ。
 高崎が着いてきてくれて良かったかも。
「じゃあ、さっそく始めようか。じゃあ、平安刑事からな」
「はい」
 俺は荷物を舞台の袖に置いて、いそいそと真ん中に立った。
 おおっ!
 イトマキさんと高崎は前から三列目にいるけど、かなり近いぞ!?
 すごいなぁ。
 観客がこんなに近い舞台って。
 こういうとこでも演じてみたいなぁ。
「浅羽、台本はどうしたんだ?」
 尋ねる湯間さん。
「あ……一回見ないで通そうかと思うのですが」
「おう、そうか。じゃあ、俺も台本なしでいくわ」
 そう言って湯間さんも舞台の袖に置いてある自分の荷物に台本を入れた。
 その様子に観客、イトマキさんと高崎は───
「すっげぇな!!あの台本もう覚えたのかよ。俺一回見たけどめちゃくちゃ長い台詞あったぞ!?」
 高崎は身を乗り出して俺に向かって言った。
 そしてイトマキさんも首をぶんぶん横に振って。
「そりゃエンタの台詞といったら怪物並みに長いからな。俺無理、絶対無理!!」
「そこうるさい」
 そんな二人を湯間さんが突っ込む。
 俺も役柄からしてボケだし、この空間にいる唯一の突っ込みかもしれない。
 二人はまるで双子のように同時に、両手で口を押さえて黙り込んだ。
 会場がしんとなった所で、底抜けに明るい湯間さんの声が響く。
「はい〜、どーもーこんにちは〜」
「皆さん、いえいえ皆様。こんにちは。いやいや今晩わ。おおっと、そこのあなた、こんなワタクシめに
惚れてはいけませぬ。ワタクシめは皆のもの、国民的スーパーアイドル漫才師。お年寄りから子供ま
で俺様の瞳にいちころ。ウィンク一つでノックダウン。美声はまさに京の西陣織、人々は俺様をあると
きは蒼い風、あるときは赤い炎、あるときは黄色いカレーと例える、そんなさすらいの吟遊詩人エン
タ・ケイタ……でっす☆」
「訳分からな過ぎるわ、ぼけ!」
 すかさず湯間さんが俺の頭を叩く。
 これが結構痛いんだ。
 傍から聞いてもいい音がするんだから、そりゃ相当な痛さだろうなとはテレビで見てて思っていたけ
どさ、実際叩かれたら、マジ痛い。
「ワタクシめの完璧な挨拶のどこが不満じゃというのじゃ」
「それ!最初はワタクシめとか言いながら、途中で俺様になってだだろ」
 今回は前回よりも口調を早めにしている。
 もしかしたら俺が聞いている感覚よりも、エンタは早い口調でしゃべっているのでは?
 と考えたからだ。
 でもその早さが微妙なトコで、多分、湯間さんやイトマキさんでも俺が今早く喋っていることには気づ
いていないと思う。
「何のことじゃ?」
「あとワタクシめと言いつつその不遜な物言い。お前は平安貴族か!?」
「なんじゃ!?そちは平安貴族とやらに会うたことがあるのかえ?」
「ねーよ!」
「会うたこともないくせによくもそのようなことを……おほほほほほ」
 うう……このおほほほほがやっぱ難しいなぁ。
「気持ちワル!その言い方やめろ」
「ところで俺、最近刑事ドラマにはまっているんだよね」
───ホントに止めやがった。つーか切り替え早!」
「あれ見ていたら、俺犯人役やりたくなったんだよね」
「刑事じゃなくて犯人か?」
「というわけで、そちは刑事じゃ」
───また平安口調に戻った。おい、お前平安口調でしゃべるんじゃねーぞ」
 びしっと湯間さんが俺の鼻の頭を指さした。
 高崎には悪いけど、やっぱプロの突っ込みって違うんだな。
 そう思った時だった。

「すとーっぷ、ストップ!!」

 ひときわ高いイトマキさんの声が響き渡った。
 隣の観客高崎はそんな彼にブーイング。
「なんだよ、良いとこだったのにー」
「後で続き見せるから、高崎君。それよりも!浅羽君、君自身も気づいているけど、そのおほほほほ
が違う。エンタは裏声使ってんの。ただの裏声じゃないぞ。あいつの裏声は女の声だって言われてい
るぐらいに、色っぽいのじゃよぉ」
 最後の色っぽいのじゃよぉ〜は、まさにエンタの得意技。女役を演じた時に出す口調だ。
 イトマキさんはやっぱし物まねのプロフェッショナルだ。
 そうか、エンタの裏声って、女声だったのか。
 永原さんも得意とする技。
 それなら俺もやったことはあるけど───
「あー、あー、ワタシノタワシ」
 一回、永原さんの奥さんに強制イベント的に女装をさせられた時、裏声使って出したことあるんだよ
ね。女の声。
 しかしあの時のように旨くは出せないな。これはもっと練習しなければ。
「おお、流石だね。一発で女声出せるなんて」
 感心するイトマキさんだけど、実は初めてじゃないんだよね。恥ずかしくて言えないけどさ。
「浅羽、その声で“高崎君、お・ね・が・い☆”って言ってみて」
「……なんで?」
「いいから言って!、あ、ちょっと女子高生風にしな作ってさ」
 何が何だか分からないが、とりあえず両手を神様お願いみたいに組んで、高崎に向かって小首を
傾げる。
「高崎君、お・ね・が・い☆」
「たまんねぇ〜〜。超色っぽいぜ、浅羽」
 両手を握りしめ、前の座席を叩いて悶絶する高崎。
 俺は顔を真っ赤にして。
「俺で遊ぶんじゃねぇ!!」
 と怒鳴った。
 でもその横でイトマキさんは感心して。
「でも浅羽君、うまくなってるよ。裏声」
「俺も役に立つだろー」
 そらみたことか、と言わんばかりの高崎だが───ただの偶然だろ、偶然。
「でもさ、せっかく舞台にいるんだからさ。浅羽君も見た目をエンタに仕立てたらどうかな」
 イトマキさんの意見に、湯間さんも成る程と頷く。
「確かに、見た目もエンタに近づけたら俺も漫才に入りやすくなるしな」
「よし!変装なら俺に任せろ。行くぞ、浅羽君」
 イトマキさんは客席から舞台に昇り、こっちに歩み寄ってきたかと思うと、俺の腕をぐいぐいと引っぱ
っていった。
 そして連れてこられたのは、メイク室だ。
 何だか色んな衣装やカツラが乱雑に棚に置かれた部屋だ。
 俺は勧められるままに椅子に腰掛ける。
 その瞬間、ぽふっとカツラがかぶせられた。
 茶色いマッシュルームカットに近い髪型だ。
 うーむ、昔の母ちゃんがこんな髪型だったよーな。
「うむ……もう少し濃い色か」
 そうして同じような髪型で少し濃いめのカツラをつけられた。
 さらにブルーフレームのメガネに、白いパーカーに七分丈の半ズボン。
「おお……!?」
 その時、イトマキさんの目がまん丸になった。
 そしてまじまじと上から下。
 俺の周りをぐるぐると回って凝視する。
 小声で一言。
「オーマイガッ」
 外人に限りなく近い発音でそう言ったかと思うと、突然腕を引っぱられた。
 何事!?
 何だか駆け足で舞台まで引っぱられた俺は一体何が起こったのかよくわからなかった。
 変装を終えた俺を見た湯間さんが、声を上げた。
「エンタ!?」
 さらに客席の高崎も。
「うぉ!?モノホンそっくり!!さっすがイトマキさんだ」
 と心底感心した声を出したのであるが、当のイトマキさんは首をぶんぶん横に振った。
「違う違う、浅羽君をエンタの格好にしたら自動的に似ちゃったの!!」
 ───え?
 俺が谷澤さんそっくりって??
 いやいや、全然似てないだろう?
 向こうの方が可愛らしい顔しているし、俺の方が男らしい(!?)だろ。
「浅羽、お前生き別れた兄妹の話とか親から聞いてないか?」
 神妙な顔して尋ねてくる湯間さん。
「ないない!」
 俺もまたぶんぶん首を横に振った。
 そんな話聞いたこともないって。
 俺と谷澤さんが兄弟だと言いたいのかい。
「ま、そりゃそうだけど、しっかしそっくりだなぁ」
 腕組みをしてしげしげと俺を見る湯間さん。
 そんなに似てるかなぁ?
 変装後の自分、ろくに鏡でみてなかったからな。
 あとでよく見ておこう。
「じゃあ、もう一回。平安刑事からな」
「はい」
 湯間さんの言葉に俺は頷く。
 まぁ、偶然にしても俺が谷澤さんそっくりなのは好都合だ。
 湯間さんも漫才に入りやすいだろうし。
「あ、言い忘れていたけど、お前昨日より良くなってるぜ」
 そう言って湯間さんは嬉しそうに笑った。
 へぇ、やっぱかっこいいんだな。この人。
 俳優ばりに笑顔がさわやかだ。
 谷澤円太は、多分この人のことが好きだったんだろうな。
 いや、変な意味じゃなくて。
 友達として、大事な相棒として大好きだったんじゃないかなって。
 何となくそう思えて仕方がなかった。
 そして湯間さんは舞台に向かって、軽やかな口調でご挨拶。
「はい〜、どーもーこんにちは〜」
 今までになく弾んだ口調だ。
 ひょっとして俺を通して、谷澤さんを見ているんだろうか。
 きっとこの人も好きだったんだろうな。
 相方のことが。
 客席からは二人だけだけど拍手が起こる。
 よし、俺は今から谷澤エンタだ。
 漫才をこよなく愛し、この笑う舞台で生きている一人の芸人。
「皆さん、いえいえ皆様。こんにちは。いやいや今晩わ。おおっと、そこのあなた、こんなワタクシめに
惚れてはいけませぬ。ワタクシめは皆のもの、国民的スーパーアイドル漫才師。お年寄りから子供ま
で俺様の瞳にいちころ。ウィンク一つでノックダウン。美声はまさに京の西陣織、人々は俺様をあると
きは蒼い風、あるときは赤い炎、あるときは黄色いカレーと例える、そんなさすらいの吟遊詩人エン
タ・ケイタ……でっす☆」
 


 その日の夜、俺たち四人はそのまま飲みに行くことになった。
 居酒屋 ガブト
 劇場の近くにあるこの居酒屋は、まだまだ新人だった頃、湯間さんやイトマキさんもよく来ていた所
らしい。
「へぇ、湯間さんもイトマキさんも福岡出身なんですか」
「そ」
 既に三杯目のビールを飲みながら、湯間さんが頷いた。
「ぐうぜーん!俺も福岡だよ」
 嬉しそうにはしゃぐのは、最後まで着いてきた高崎だ。
 ……ってことは、俺一人が千葉県人?
 ───ちょっと寂しいな。
「先生とイトマキさんは何処出身なの?」
 尋ねる高崎にイトマキさんはアメリカンドッグを持つ手を挙げて。
「俺は繁華街のど真ん中天神!こいつは田舎のk市」
「アホか!K市だって今は都会だ」
 ビールを持ったジョッキをダンっと置いて、湯間さんは力説する。
「ちなみに俺はお茶で有名な……って、話聞いてる!?」
 自分の出身地を言おうとした高崎だが、湯間さんとイトマキさんはK市は田舎だ、田舎じゃないで口
論になり、おしぼりを投げ合っていた。
 よそ者の俺にとってはどっちでもいい話なんだけどさ。
「それにしても、すげぇよな。舞台に上がって人を笑わせるって。今日の先生や浅羽見てて俺つくづく
思ったよ〜」
 高崎はそう言ってからぐびぐびとジュースを飲んだ。
 彼はお酒が苦手らしい。
「いやいや、まだまだ。こいつもだいぶエンタに近づいてきてはいるけどな」
 五杯目のビールをつぎながら湯間さんは言う。でも、高崎の素直な感想にまんざらでもなさそうな笑
みを浮かべている。
 俺はその時ふと湯間さんに尋ねた。
「湯間さんと谷澤さんって高校の同級生だったんですよね?家は近かったんですか?」
「ああ、クラスは違っていたけど、学校は小学校から一緒だったんだよな。俺は馬鹿だったけど、向こ
うは優等生でな。いっつも学年トップだった。漫才なんか書いているなんて思いもしなかったもんな
ぁ」
「でも確かに谷澤ちゃんって頭良かったもんねー。一回三人でクイズ番組出たことあんのよ。勉強系
の奴。あれで東大出の俳優と最後までトップの座争ってたもんなぁ。俺と湯間ちゃん横で見てるだけ
って感じだったな、あん時は」
 イトマキさんは枝豆を剥きながら言った。
 へぇ、やっぱ東大医学部目指してただけに頭良かったのか。
「でも、あいつ言ってたな。自分もホントは馬鹿なんだって」
 頬杖をつきながら、湯間さんは思い出したように言った。
「ホントは馬鹿、ですか」
「俺のトコの学校では優等生でも、東大目指す塾では下の方だっつってたな。漫才ばっか書いてる
から成績があがらないって分かっちゃいるけど、それでも書かずにはいられなかった、とも言ってたっ
け」
「……」
 俺はふと自分が医大を目指していた時期のことを思い出す。
 あの時は勉強に集中していたけれども。
 だけど、やっぱり演劇のことが忘れられなかった。
 何かを演じたいという衝動を抑えることができずに、誰も見ていないところでロミオを演じたり、ヴェニ
スの商人のアントニオや時には、自分の年代には合わないリア王なんかも演じたっけ。
 ああ……。
 今、俺は谷澤さんがいないからこそ、此処にいるわけだけど。
 でも会いたかったなぁ。
 谷澤円太という人に。
 似たような境遇だし、生きていたら仲良くなれたかもしれないのに。
 あの事故がなかったらな。
 あの事故さえなかったら……。
 谷澤さんは何故、事故に巻き込まれてしまったんだろう?
 面白いネタが出来たと言って嬉しそうに電話を掛けてきて。
 湯間さんはそんな相方を窘めて、「部屋で待ってろ」と言ったのだ。
 それなのに、谷澤さんは何故か部屋を出て……それから事故に巻き込まれたのだ。
 一体、どうして?
「おい、浅羽!お前、話聞いてんのか!?」
 そこで思考は強制終了させられる。かなり酔ってきた湯間さんが、俺の肩をばんっと叩いてきたの
だ。
「話って、何の話ですか?」
「ホントに聞いてなかったの!?俺も彼女いない歴半年なんだよ。お前さー、誰か可愛い子とか知ら
ないの?」
 ってことは、半年前には彼女居たのか。
 そういや週刊誌で騒がれてたっけ?モテ芸人って。
「可愛い人ねぇ……同じ劇団の工藤さんとか」
「工藤って、工藤潤のことか?ありゃ確かに可愛いけど男だろ?俺はそーゆー趣味ないですから」
 両手で×マークをする湯間さん。
 ま……それがフツーだよな。それが。
「でも工藤君可愛いよなぁ」
 にへら〜っと笑うイトマキさん。
 この人、男でもいい人なのかな?
「へぇ、そんなに可愛いの?工藤さんって人」
 工藤さんに面識がない高崎も食いついてるし。
 お前は男、OKなのか?
 とりあえず俺はノーマルな湯間さんのために女の子の名前を挙げてみる。
「女の子なら二名瀬さんとか……性格は最悪ですけど大見麻弥って娘も可愛いですよ」
「ああ、二名瀬ちゃんね。確かに彼女いいよなぁ……でも、あれ、今泰介の女だろ?」
「はい……?そんなの初耳ですけど」
 本当に初耳なので俺は逆に湯間さんに聞き返した。
「え?じゃあ、単なる噂か。いや、二名瀬ちゃんに手を出そうとした芸人が今泰介に殺されかけたって
噂聞いてるから」
「はぁ……まぁ、今さんは自分の弟子は家族だと思っているトコありますからねぇ。よからぬ輩が近づ
いたらぶん殴るぐらいはするかもしれませんね」
「今さんといえば、俺、今度KONの舞台に出演することになってんだぜ」
 自分を指さす高崎に、俺は「え!?」と目を丸くする。
 だってこいつは、言ってもTOPアイドルで、仕事は選び放題。
 確かに今さんの劇団は高い評価も受けているし、勢いのある劇団として世間からも脚光を浴びてい
るけれども、正直、あまりお金になる仕事ではない。
 まずマネージャーがそんな仕事入れてこないような気がするんだけどな。
「だってさ、今度のハムレットってお前も出るんだろ?」
「ああ……レアティーズ役でな」
 ちなみにヒロインのオフィーリア役は工藤さん。
 前回が女ばかりの舞台だったので、今回は男ばかりの舞台でいこうということになってんだよね。
「だから、俺ハムレット役に立候補したの」
お前、馬鹿じゃねーの?
 にこにこっと無邪気な笑みを浮かべている高崎に、間髪、俺は言った。
 思いも掛けぬ言葉だったのだろう、高崎は鳩が豆鉄砲を食ったような顔になる。
「なんだよ〜、それ。俺はお前とまた共演したいと思って」
「慕ってくれるのはありがたいけど、お前ハムレットの台本読んだことあるのか!?」
「ないよ」
 ふるふると首を横に振る高崎。
 そらそーだろうよ、読んだことあるんだったら間違ってもハムレット役には立候補しやしない。
「でも有名な舞台ってことは知ってるぜ。先輩アイドルの人が言ってた。ハムレットさえ出来りゃ、大
概の役はこなせるって。だから俺もスキルアップを目指して」
「お前、ハムレットの台詞死ぬほど長いの知ってんのか?」
「え───
 高崎の目が点になる。
「あと、今さんはお前がトップアイドルだからって容赦しないからな。殺される覚悟あるの?」
「やだなぁ〜、そんな冗談きついって」
「冗談じゃない、冗談じゃない!!」
 わはははは、と笑う高崎に俺は顔を真っ青にしてぶんぶんと首を横に振った。
 ───やっぱ馬鹿だ、こいつ。筋金入りの馬鹿だ!!
 こんな馬鹿を相手に今度のハムレットの舞台に挑まなきゃいけないのか。
 なんか、次回の舞台はかなり前途多難になりそうだな。
「おいおい、舞台もいいけど、今は漫才のこと考えろよ〜」
 既に目が据わっている湯間さんはそう言って俺の鼻を摘んできた。
「なにするんですか、離してくださいよ〜」
「お前はエンタ役に集中しろ!しゅーちゅー!!」
 そう言って湯間さんは俺の鼻を離すと、酎ハイをぐいっと飲む。
 これで何杯目なんだよ?この兄ちゃん。
 愉快に笑い出した湯間さんの横顔を見ながら、俺は苦笑する。
 でも、ま……そうだな。
 今は目の前に課された役を、完全にこなすことだけ考えよう。
 ハムレットのことは忘れよ。
 つーか忘れたいし。
 俺もとりあえず目の前にあるビールを一気に飲むことにした。



 深夜二時
 マンションに帰宅した俺は、悪いとは分かっていたけれどもインターホンを押した。
 程なくして目を擦りながら湊が怪訝な顔をしながらドアを開ける。
 「どうした、洋樹。カギ忘れてきたの……か?」
 湊は目を丸くする。
 俺の背後に酔いつぶれた湯間さんが壁に凭れて座り込んでいたからだ。
「誰??」
「ほら、話しただろ?今度漫才することになった相手の」
「ああ、湯間計太か……いやいや、彼が何でここに」
「漫才の稽古が終わった後、ちょっと飲みにってことになったんだけど、あの通り深酒になってさ。しょ
うがないからココまで運んできたんだ」
───ホントにしょうがないな。おい、洋樹。お前は足持て」
 湊は溜息をついてから、湯間さんの、わきの下から手を入れ前腕をつかみ、俺は言われた通り足を
持って立ち上がり、半ば傷病者を搬送するような格好で部屋の中に。
 アパートから新しく引っ越したマンションは、都心からは離れているものの3LDKという二人が住むに
は余裕な広さがある部屋だ。
 その中の一室は俺も湊も使ってないので客間扱いになっている。
 ま、湊が使っていた古いパイプベッドがどんと置かれているだけなんだけどね。
 ベッドは引っ越した時、新しいのに買い換えて寝室も現在は二人一緒……なんだよな。
 湊のお古のベッドに湯間さんを横たえた時。

「エンタぁ……何で俺を置いて行ったんだよぉ」

 掠れた声……
 眠っていた筈の湯間さんの目からは次から次へと涙がこぼれる。
 大粒の涙が次から次へと。
「本当に好きだったんだな、谷澤さんのこと」
 俺は溜息を一つ着いて、そっと客間のドアを閉めた。
「俺たちの関係とはまた違うんだろうけど……」
「うん」
 湊の言葉に俺は頷いた。
 夫婦でも恋人でもない。
 だけど、湯間さんにとって谷澤さんは、かけがえのないパートナーだったのだろう。
 多分谷澤さんにとっても。
「今回の役は難しそうだな。お笑い芸人を演じる……か」
 湊はキッチンの冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、それをグラスに注ぎ俺に手渡した。それ
から自分の分もグラスに注ぐ。
「超難しい……お笑い独特のタイミングやしゃべり方、ボケ方も絶妙なんだよな。同じように演じてい
るつもりなんだけど」
 そう言って俺は水を一気に飲んだ。
 心地よく身体に染み渡るひんやり感。
 行き詰まりそうになる思考もひとまずクールダウンしてくれる。
「心底からエンタになりきらなきゃ……お客さんの目は容赦ないからな。笑いもそうだし、エンタという
人柄が好きなファンだっているだろうし」
 俺はキッチンのテーブルに一度グラスを置いて、椅子に腰掛けた。
「何より一番厳しいのは湯間計太だろう?」
 湊も向かいに座り、水を一口飲んだ。
「そ。湯間さんはエンタの相方でありながら、ファンなんだよな。ファン第一号だって自負していた」
 正直、死んだ人間にはかなわない。
 俺がどんなに演じても、エンタ自身にはなれない。
「そうだな、俺が言えることは一つだな」
「?」
「谷澤円太がやりたかったこと、どんな思いを客に伝えたかったか……それを演じることが一番大事
なんじゃないのか」
「湊」
「外面だけ演じたらそれはただのコピーだ。演じるというのはそういうもんじゃないだろ。エンタの中身
を知って、初めてエンタの外も演じられる。エンタの思いをまずは理解したらいいんじゃないのかな」
「エンタの思い……か」
 俺はぽつりと呟いて考える。
 谷澤さんのことを知るには、湯間さんから話を聞くだけじゃない。
 もっと色んな人に話を聞かなきゃ。
 親とか兄弟とか───
 その時、俺はふと谷澤さんのお母さんのことを思い出した。
 あの人は今どうしているのだろう?
 俺自身も母親に大反対されて役者になった人間だ。
 だけど、本当は一番に見て欲しかった。
 母親に俺の演技を。
 きっと谷澤さんも同じ気持ちだったんじゃないだろうか。
「湊」
「ん?」
「俺、ちょっと遠出してくるわ」
「遠出?どこに?」
 首を傾げる湊に、俺はにっと笑って答えた。
「福岡県」



続く   

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