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triangle?




「ワタシハ、ロボットデス。人間ノ感情ハ理解デキマセン」 


 形の良い唇から洩れるのは機械的な声。
 感情的な抑揚はそこにはない。
 完璧なまでに整った顔はまさに人形そのもの。わずかに憂いをたたえて見えないでもないが、やは
り無感情な人形にも見える。
 浅羽洋樹は息を飲んだ。
 それを演じているのが、師匠である永原映と分かっていながらも、舞台の上にいる青年が人間とは
思えなかった。
 厳密に言うと、人間らしさを出したくても出せない苦悩のアンドロイドがそこにはいた。
 現在、永原映が取り組んでいる舞台は「DEAR ANDROID」。
 アメリカでベストセラーになった人間とアンドロイドの恋愛ストーリーだ。
 主人公のサラは全米の男性を魅了したと言われる大女優。
 彼女には資産家の息子である恋人がいたが、その恋人が遺産争いの抗争に巻き込まれ、亡くなっ
てしまう。
 悲嘆にくれた彼女は、知り合いのロボット工学博士に懇願し、恋人そっくりなアンドロイドを作っても
らう。
 データー通り、亡き恋人そっくりな癖や行動、そして身体の愛し方もデーター通り。
 つかの間幸せな生活を送っていた二人だが、次第におきまりの行動しかとらないアンドロイドに、サ
ラは苛立ちを隠せなくなる。

「あの人はそんなことは言わなかった!!本当はあの人は優しくなんかなくて……ずっと別の女の所
に入り浸っていたくせに、何食わぬ顔で帰ってきて!!そういう人だったのよ」
「ワタシが他ノ女性ノ所ニ行ケバ良イノデスカ?」
「違う!違う!違う!!」
 
 サラを演じる女優、雪野みことは、激しく首を振り永原さん演じるアンドロイドの胸倉をつかむ。
 そして目に涙を浮かべ、何度も首を横に振る。
「違うのよ……馬鹿……なんで分からないのよ」
「ゴメンナサイ」
「謝らないで!」
「デスガ」
「これは八つ当たりなの!人間の中にあるどうしようもない感情なの!!あなたが謝ることなんか、
何一つないの!!」
「デスガ」
「何よ!?」
「ワタシハ……アナタが満足出来ル人デアリタイ。アナタニハ笑ッテホシイ……ドンナニネガッテモソレ
ガデキナイ……ワタシハ……完璧デハナイ。イマモ胸ガイタイ」
「え?」
 サラはびっくりしたようにアンドロイドを見上げる。
「胸が痛いって……昨日のメンテナンスの時は何ともなかったじゃない?」
「デモ変ナノデス。胸ガイタイ。クルシイ……ソンナ風ニ感ジルコトガ時々アリマス」
「何……それ」
 サラは恐る恐るアンドロイドの胸に手を当てる。
 そこには機械の心臓が、規則正しい音を立てている筈だ。
 だが……。
「嘘……早い」
「ワタシ、オカシイデスカ?」
「…………いいえ、そんなことはないわ」
「デスガ」
「ロボットとしてはおかしいかもしれない。でも人としてはちっともおかしくない」
「ヒト?」
「あなたは人に近いロボットなのよ……いいえ、違うわ!あなた人間に近づいているのよ!!」
「ニンゲンに」
「いいのよ、何も考えなくて。ねぇ、キスして」
「エ?」
「仲直りのキスよ」
「ソレハ、データーの中ニハアリマセン」
「これからインプットすればいいの。私がやり方を教えてあげるから」



 雪野みこと演じるサラは、永原さん演じるアンドロイドの頬を両手で挟み、優しく唇にキスをした。
 無感情だと思われていたアンドロイドに僅かな……ほんの僅かな驚きの色が見えた。
(あの微妙な表情……やっぱり流石だなぁ)
 洋樹はそんな師匠の姿を食い入るように見つめていた。
 自分だったらどう演じるだろう?
 あの表情があるような、ないような、そんな微妙な演技を。
(はぁ……俺も演じてみたいなぁ。アンドロイド)
 いや、アンドロイドだけじゃなく、何か演じていたいと思っている自分がいるのだ。
「村岡鬼刃」の千秋楽以来、これといって仕事がない。
 水森の舞台も、静麻の映画もまだ先の話だ。
 永原のマネージャー、紺野の計らいでドラマのエキストラの仕事をしたり、この舞台でもちょい役を
貰ったり。KONでは現在手がけている舞台で、代読をしたり雑用をしたり。
(ま、そんなすぐに食べていけるよーになるわけないんだよな、普通)
 今までの自分は運が良かっただけ。
 これからは自分の力で、自分の実力を売り込んで行かなければならない。
 それに来年には確実な仕事が約束されているのだから。
 と、その時、永原がこちらに歩み寄ってきた。
 朝からずっと舞台の上に立っているのに、汗一つかいていない。
 元々汗かきな方ではないが、アンドロイドを演じるが故に、水分調節もしているらしい。
「お疲れ様です。永原さん」
「うん、君もね。びっくりしたよ、驚くぐらいに地味な子に変装しているんだもの」
「いや、だってスタッフの人に、極力地味になれと言われたものだから」
 現在、洋樹は黒縁めがねにボサボサの頭、しわくちゃなシャツとズボンの上に白衣を着ていた。
 アンドロイドを制作する博士の助手、という設定だ。
「いや、三郷(みさと)さんもびっくりしていたよ。あそこまで地味を演じられるとは思わなかったっ
て」          
「あははははは」
 喜んでいいいのだろうか……と内心呟く洋樹であった。
 三郷とは、今回の舞台の演出家。年齢は五十半ばで、いつもずれ駆けた丸めがねをかけ直すのが
くせである。
 演技指導のモットーは丁寧に根気よく。
 穏やかな人物で、やんわりとした口調ながらも、的確な指示を出す。役者たちの間では一緒に仕事
をしたい演出家NO1である。
 その三郷からも気に入られたのか、今度仕事をしないかという話が来ている。
 最も、その今度というのが再来年の話なのだが。
 その時だった。
 ざわり、と稽古場にざわめきが起こる。
「ちょっと……あの人!」
「え、マジ!?」
 皆の視線を追うように洋樹も稽古場に入ってきたその人物へ目をやる。
 年齢は四十代ぐらいか。
 金色の短髪に、サファイヤのような碧眼が最初に飛び込んできた。
 シャープなラインの輪郭に高い鼻、耳には目と同じ色の、サファイヤのピアスをしている。
 永原はその男の姿に気づくと、驚いたように目を見張った。
「ディヴィー……」
「エイ!」
 その男は永原と目があったとたんに、だっと駆け寄りその身体を抱きしめた。
 そして。
「会いたかったよ、ハニー」
 流暢な日本語で、永原の耳元でそう囁いた。
 しかし。
「誰がハニーだ」
 無情にも永原は男の脇腹にパンチを入れる。
「OH!?」
 男は甲高い声を上げ、永原の抱擁を解いて自らの脇腹を両手で押さえた。
 彼は涙目を浮かべながらも、にっと笑って見せて。
「相変わらず、つれないね。エイ」
「……つれないんじゃない。嫌がっているのが分からないのか」
「何だよ、僕と君は友達だろ?」
「友達だけどハニーじゃない。僕のハニーは別にいるんだ」
「まったく、いつになったら奥さんと別れてくれるんだい?」
 軽いのりで凄いことを言う男に対し、永原はさらっと答える。
「さあ、五十年後ぐらいじゃないの?」
「ご、五十年後って、その頃には下手すれば死んでいるじゃないか!?」
「そうだよ。死別の可能性を僕は言っているんだ」
「ようするに別れる気ないのね。あーあ、せっかく日本に来たのに、まだ僕になびいてくれないなん
て」
 しゅんと悲しそうにうなだれる男を、永原はため息を一つつく。
「どうせ映画の宣伝のついでに僕に会いに来たんでしょ?」
「違うよ!映画の宣伝の方が次いでだよ!!その証拠に、今日だって仕事ドタキャンしてここに来て
いるんだから」
「な……なんだと!?君はどうしていつもそうなんだ!?早く戻って仕事して来いよ」
「ヤダね。それに僕がいなくたってステラやトニーさえいれば客は満足だよ」
 そんな二人の会話を、洋樹は呆気にとられながら聞いていた。
 目の前にいる男、それがハリウッド映画監督のデイヴィット=ウォルターであることはすぐに分かっ
た。
 昨日、テレビで俳優のアントニー=テイラーと女優のステラ=ゴードンとともに来日したニュースを見
たばかりだったのである。
(仕事をドタキャン……って、誰かさんみたいだな。映画監督ってみんなああなのか?)
 そう思ってしまうのも、洋樹が知っている映画監督も、記者会見をドタキャンして、いきなり中国へ行
ってしまった伝説を持つ人物だったからだ。
「ところで君、さっきいい演技してたよね?しかもエイとやたら仲がいいみたいだけど、どんな関係?」
「へ……?」
 突然こっちに振られ、洋樹はやや顔を引きつらせた。
 軽く睨まれている……というか威嚇されている?
 永原に対してハニーと言っているのは冗談かと思ったが、どうも本気のようだ。
 嫉妬めいたブルーの目がそれを物語っている。
 しかし洋樹は、すぐに落ち着き払った態度で眼鏡を外し、髪を手櫛で少し整えた。
「初めまして。浅羽洋樹といいます」
「アサバヒロキ……」
 デイヴィットは少し驚いたかのように目を見張る。
 眼鏡を外したとたん、その少年の印象ががらりと変わったからだ。
 永原が洋樹の肩を軽く叩いて言った。
「僕の弟子だよ。この子は」
「弟子!?君、二度と弟子は取らないって言ってたじゃないか」
「そんな僕の頑な心を開くぐらい、この子は凄いの」
 その言葉に、洋樹は仄かに頬を赤らめ俯いた。
 そんな臆面もなく言われると、照れるやら恥ずかしいやら。
 「へぇ、眼鏡を外すとびっくりするぐらい綺麗な子だね」
 デイヴィットは目を細め、くいっと洋樹の顎を持ち上げ自分の方に顔を向けさせる。
 そしてその顔を近づけて。
「昔のエイにそっくりだ」
 うっとりとするような甘い声を漏らす。
 女性ならば今の声を聞いただけで、恋に落ちるかもしれない。
 しかし永原はすかさずディヴィットの肩に手を置いて、やや低めの声で警告する。
「僕の弟子に手を出したら承知しないよ?まだ映画は撮りたいだろう?」
「………………エイ、何をするつもりだい?そんな怖い顔して。大丈夫、僕は君一筋だからね」
 ディヴィットは洋樹から離れ、永原の肩に手を回した。
「ちなみに僕に手を出したら地獄へ送ってやるよ」
 冷ややかに言い放つ永原に対し、デイヴィットは肩に手を回していない左手で、その顎を捕らえる。
「君を手に入れられるのなら、僕は地獄へ堕ちてもかまわないさ」
 まるで舞台を見ているかのような光景に洋樹は息を飲む。
 二人とも並外れた美形でいて、歌うような聞き心地を与える美声。
(しかも台詞までカッコイイし)
 普通のおっさんが言ったらどん引きであろう台詞も、この二人ならしっくりきてしまう。
「ねぇ、エイ」
「何?」
「今、君が稽古している舞台、DEAR ANDROIDだろう?」
「そうだよ」
「決めた。次の映画、僕もDEAR ANDROIDにする」
「え……」
「主演はもちろん君」
 言うが否や、ディヴィットは永原の顔を自分の方に向けさせ、そのまま唇を重ね───

 ドガ!!

 さすがにそこまでは許さなかった永原、肘鉄をデイヴィットの腹に食らわせる。
 両手で腹を押さえうずくまるデイヴィット。
 普段永原はやたらに手を上げる人間ではないのだが、しつこすぎる相手のアプローチにそうせざる
得ないのであろう。
「アイタタタ、き、君。僕は本気なんだよ!?」
「君が本気であろうと、そうじゃなかろうと、キスをしていい理由にはならないだろう?」
「あの女優には許して、僕には許さないのか!?」
「何子供じみたこと言っているんだ?だいたい映画の話だって何回も誘ってくれているけど、周りが賛
成するわけないだろう?僕はあっちでは無名なんだから」
「無名なもんか!何人の映画監督が君に声をかけたと思っている?君のような俳優をハリウッドは求
めているのに」
「……!?」
 洋樹はデイヴィットの言葉に息を飲む。
(ハリウッドが永原さんを求めている……)
 確かにニュースでは何度か取り沙汰されていたことではある。
 それこそ、永原映が子役時代から目をつけているハリウッド関係者がいるという噂もあるのだ。
「悪いけど、まだ僕は日本でしなきゃいけないことがあるんだ。特に、来春は大事な舞台が控えてい
るしね」
「大事な舞台?」
「君も知っているだろう?高城先生」
「OH、ミスタータカギ!」
「今度の舞台で最後になるかもしれないんだ。僕はなんとしてもその舞台には出なきゃいけない」
「あー、ミスタータカギは、シニゾコナイだから仕方ないねー」
「……………………デイヴィー、死に損ないじゃなくて、老い先短いって言うんだよ。そういう時は」
 ───どっちにしても失礼だが。
 ほぼ完璧な日本語を駆使するデイヴィットだが、時々そんな間違いをすることもあるらしい。
「ちなみに何を演じるのかは決まっているの?」
「ああ、“トリスタンとイゾルデ”だよ」
「OH,ワーグナーの?」
「そう、あの歌劇を舞台化するんだ」
「さすがMr高城だね。ちなみに相手役は誰なの?」
 問いかけるデイヴィットを横目で見ながら、洋樹は密かに思う。
 (この人、本当に永原さんのことが好きなんだな……相手役が気になるなんて)
 さっきの自分に向けた嫉妬あらわな目つきといい。
 以前、紺野から聞いた話を思い出す。
 永原の自宅にある限定のフェラーリ。
 あれは誕生日プレゼントで、貰ったものであり、送り主はハリウッドの映画監督。
 さらにその前の誕生日の時には数百本のバラが来たとか。
 永原を既婚者と知りつつも、そんな猛烈なアタックをしてくるのは誰だ?とは思っていたが。
(この人だったんだな……)
 映画監督としてどーなんだろう?
 役者にいちいち嫉妬するのって。
 そんな疑問が頭によぎる洋樹だが、デイヴィットの映画は、役者の魅力を生かした良い作品が多
い。
(監督の時は自分の感情は切り離してるのかもしれないな……)
「で、相手は誰なの?」
 ひときわ強い口調で尋ねるデイヴィットに洋樹は我に返る。
 あまり答えたくない表情を浮かべている永原に、苛立ちを覚えているみたいだ。
「わかった、答えるよ。今回僕は伊東成海(いとう なるみ)と共演するの」
「イトウナルミ……んー?どっかで聞いた名前だね?」
「そりゃマスコミは僕のライバルとか言ってかき立てているからね」
 あんなのと一緒にされたくないのに───
 と小声で呟く永原。
 デイヴィットは目を白黒させる。
「あ、あれ?君のライバルってことは、ナルミって男?」
「男だよ、当たり前だろ?」
「彼がイゾルデをやるわけ?」
「違うよ、イゾルデは僕がするの」
「は?」
「僕が女装してイゾルデを演じるんだよ。高城先生の依頼じゃなきゃ、断りたい仕事だよ」
 永原は肩をすくめ、壁際に置いてあるパイプ椅子に腰をかける。
 デイヴィットはそんな永原の両肩をがしっとつかみ、ゆさゆさと揺らす。
「ちょっと!君が女装なんて反則だろ!?」
「反則とは何だよ」
「僕がトリスタンになりたい!」
「無茶言うな」
「伊東成海ってどんな奴!?」
「ヤな奴だよ。子供の頃から馬が合わない」
 いかにも嫌そうに答える永原。
「そんなヤツと演じられるの?恋人同士を」
 ぶーとフグのように頬を膨らますデイヴィット。
「そういう君だって、この前の映画。つい昨日まで離婚裁判であらそっていた二人に恋人同士を演じ
させているじゃないか」
「あれは簡単だよ。彼らにだって愛し合っていた時期があったんだから、その時を思い出せって言え
ばさ。その点、君はどーなの?仲が悪いとかいう其奴相手に演じることができるわけ?恋人を」
「僕を誰だと思っている?相手が誰だろうと演じてみせるよ」
 永原は不敵な笑みを浮かべ、そう宣言する。
 心なし、どこか楽しげなその表情にデイヴィットは口をとがらせた。
「むー……イトウナルミめ」
「いちいち共演者に突っかかるのやめてくれないかな?僕は役者なんだから、より多くの人間の恋人
を演じなきゃいけないんだし」
「役者なんか辞めればいいんだ」
「……僕に死ねというのか?」
 冷ややかな目を向ける永原に、デイヴィットは慌てて首を横に振る。
「そ、そこまでは言ってないけど……だけど、どうしようもない感情なんだからさ。僕だって映画監督だ
し、役者の気持ちは少しは理解しているつもりだよ。僕がどんなに言ったって君は役者を辞めたりはし
ないだろうってことも頭では分かっている。だけど、どうしてもさ、こう嫉妬心が抑えられないんだよ」
「…………」
 抑えられない自分の感情を訴えるデイヴィットであるが、その横で永原はげんなりとした顔になって
いた。
(ま……確かにうっとしいよな)
 洋樹も思わず永原に同情する。
 何だか子供みたいな監督だ。
 あの静麻監督も大概子供みたいなところがあるなとは思っていたが、そこに嫉妬も絡んでくるあた
りデイヴィットの方が始末に終えない気がする。
「イトウナルミかぁ……」
 まだ呟いているデイヴィットをちらりと見て、洋樹は密かに思った。
(なんかこの人、今さんに会いに行って喧嘩ふっかけてきそうなだな)
 最も、そうした日には返り討ちに遭うのが落ちだろうが。
 洋樹のその考えが、的を射ることになるのは、それから三日後のことである




三日後
劇団KONは、現在女性だけの舞台で構成される「12時の鐘が鳴る」の稽古中。
小国の王子と平凡な女子大生の恋物語。現代版のシンデレラストーリーだ。
女性だけで構成されているので、当然王子も女性。
元宝塚の清阪美祐理(きよさか みゆり)をゲストに迎え、その役を担っている。ヒロインは前回に引
き続き看板女優の二名瀬美希(になせ みき)である。
演出は殆ど物部礼子(ものべ れいこ)が中心だ。
今泰介(いま たいすけ)は時々様子を見に来る程度。
工藤潤(くどう じゅん)は清阪と友人関係故に、仕事の合間を縫って今日も稽古の見学に来ていた。
「清阪!今の台詞弱ぇぞ!そこはもっと強く言え」
「……あ、今さんいたんですか」
 鬼監督今に対し、平然とそんなことが言えるのは清阪ぐらいであろう。
 今泰介は口を引きつらせ。
「てめぇ、相変わらずむかつく女だな」
「ごめんなさい。でも今の言葉、ちゃんと肝には銘じておきますんで」
 にっこりと笑って、素直に謝る清阪。しかしその表情からは反省の気持ちを見いだすことはできな
い。
 この清阪美祐理、元宝塚だけにすらりと背も高く、凛々しい顔立ちをした女性だ。
 柔らかな笑みが似合う、まさに王子様。
 今の役は適役である。
 しかし、この女性、普段も態度が“王子様”なのである。
 女性に紳士的な態度を取るかと思えば、年長者の男性に対しては態度が大きかったり。
 礼子は彼女をいたく気に入っているが、今は彼女が気に入らない。
 清阪は清阪で、今泰介のことをあまり好んでいない。
「あ、工藤君来てくれたんだ」
 先ほどの今に対する態度とは百八十度違う柔らかな笑顔で、彼女は工藤に歩み寄る。
「清阪さん、相変わらず王子役似合いすぎ」
「本当に?工藤君にそう言ってもらえると、凄くうれしいな」
 清阪は工藤の額に掛かる前髪をさらりと掻き上げ、軽くキスをする。
 一部始終をみていた女性スタッフたちが「きゃっ」と声を上げる。
 一見、青年が少女にしているような光景だが、実際は女性が男性にそれをしているのだ。
 工藤は瞬間、顔を真っ赤にして額を押さえ。
「き、き、き、清阪さん、何を!?」
「あははは、びっくりした?実は次のシーンで今と同じことするから、練習台になってもらったの」
「な、何も僕じゃなくてもいいじゃない」
「君だからいいんだよ。後ろのおっさん相手じゃ反吐がでるし」
「…………本人目の前によくもそんなことを言いやがるな」
「あ、今さん。いたんですね」
「ざけんな!さっきから!!てめぇな、練習と称してウチの看板役者に手を出しやがったら承知しねぇ
ぞ」
「やだな、恋愛は自由じゃないですか。それに私、女ですよ。ノーマルな恋愛じゃないですか」
「てめぇの場合ノーマルなようで、ノーマルじゃねぇだろ!?」
 顔を引きつらせる今泰介に、清阪は頬を膨らませ、ぷいっとそっぽ向く。
「失礼な人だな。工藤君、こんなおっさんのどこが良いの?私、全然理解できないんだけど」
「え……………………それは、その」
「おっさん、おっさんうるせぇんだよ、清阪!工藤、お前も答えるのに間がありすぎだ!」
「………………………すいましぇん」
 そんな彼らに苦笑しながら、歩み寄ってきたのは礼子であった。
 彼女は時計を指さして今に言った。
「泰さん、そろそろ時間じゃないの?」
「あ!?何だよ、時間って」
「もう忘れたの?今日は映画監督のディヴィット=ウォルター氏とディナーでしょ」
「…………何で俺が知らねぇヤツとメシ食わなきゃいけねぇんだよ」
 と、その会話を聞いていた工藤がムンクの叫びのような顔になる。
「で、で、デイヴィット=ウォルターって、あのデイヴィット=ウォルター!?」
「何だ、工藤、知り合いか?」
「知り合いじゃなくて有名人じゃないですか!?ハリウッドの映画監督でしょ」
 すると礼子が大きくうなずいて。
「そうよ。蔵嶋さんを通してね、どうしても先方が泰さんに会いたいんですって」
「何と!?も、もしかして映画のオファーとか」
 らん、と目を輝かす工藤に、今はげっと呟く。
「冗談じゃねぇぞ。俺、英語しゃべれねぇし」
「英語ぐらい理解できなくても覚えればいいでしょ!?チャンスですよ、チャンス!!KONの海外進出
のチャンスじゃないですか」
「んなもん、俺様が映画でなくてもやってやるって」
「何言ってるんですか!?ここでコネを作っておかなくてどーすんですか!!」
───無邪気な顔してリアルなこと言うな、てめぇ」
 すると清阪は、工藤の肩に手を回し、今に向かってにこやかに手を振った。
「今さんがハリウッドに行くなんて、とても寂しいです」
「まだ行くって決まってねぇ!!というか清阪、そんな嬉しそうな顔で、よくそんなことが言えるな」
 額に米印を浮かべる今に対し、清阪はくすっと笑って言った。
「だって、これでも“女優”ですから」
「言っとくけどな、たとえ誘いがあったとしても、俺様は絶対に行かねぇ」
「ええ!?も、もったいない」
「行きたかったら、てめぇが行け!!」
 ぎろりと睨まれ、工藤は思わずひっと声を上げた。
 あー、怖い怖い、と肩をすくめる清阪。
 礼子はため息を一つついて、母親のような口調で今に言い聞かせた。
「とにかく、蔵嶋さんの頼みなんだから、会うだけは会ってきてちょうだい」
「わーったよ」
 今泰介は後ろ髪を掻きながら、KONの稽古場を出ていったのであった。

───それにしても、めんどくせえ……







 何が面倒なのかというとネクタイをしなければならない。
 スーツを着用しなければならない。
 もちろん運動靴など許されない。許されるのは革靴。
 色は黒で統一した。
 冠婚葬祭にでも着ていけるように黒しか持っていないからだ。
 ……息苦しい。
 重厚な作りのそのレストランは、☆がつく高級レストランで、ジャージなどで行くのは許されないよう
な場所だ。
 案内された奥の席には、金髪碧眼の男が気さくに手を振っていた。
 グレーのストライプのスーツにゴールドのネクタイ、そしてゴールドのハンカチーフを胸に。
 映画監督とは聞いているが見た目は俳優のようだ。
(シズみたいに親が俳優だったりすんのかな……)
 というのも、この男今がよく知っている映画監督、静麻優斗と同じにおいがするのだ。
 違いがあるとすれば、こっちの方が服装に気をつけていることぐらいか。
 あの男ならば、こんな店でもTシャツと穴だらけのジーパンでくるに違いない。
「Nice to meet you!NARUMI」
「……英会話させるつもりなら、俺は帰るぞ」
 じろりと睨む今に、ディヴィットは肩をすくめる。
「もしかして、僕が日本語話せること知っていたのかな?」
「蔵嶋のおっさんから、あらかじめ聞いているからな。あんたのことは」
 今は向かいの席に腰をかけながら、淡々とした口調で言った。
「ごめんごめん。英語で声かけたら日本人ってびっくりするからさ、そのびっくりする顔が見たかった
の」
 悪びれもなく言うデイヴィットに、今泰介は内心ため息をつく。
 その子供っぽさはやはり、あの静麻と似通った所がある。
 最も初対面から人を試す、こちらの方が性格が悪いとも言える。
「驚いた!Mr蔵嶋からは聞いていたけど、君ってよく見たら綺麗な顔してるんだね」
「よく見なくても分かるだろ?」
「僕、視力悪いから」
「あ、そう」
「彼とはまた違った綺麗さだよね」
「彼?」
「……あ、こっちのことだよ。気にしないで」
「……」
 そんな会話をしている間に、オードブルが出てきた。
(広い皿にこんだけかよ……物足りねぇな)
 丸くロールされたサーモンの中に何が入っているのか。
 上に乗っているのはキャビアであることはすぐに分かった。
 今は二口でオードブルを間食し、デイヴィットの方を見る。
「……で、何で俺をここに呼んだんだ?」
「伊東成海」
───
「日本では伝説と呼ばれている君に、映画監督としては一度会ってみたかったんだよね」
「会ってどうするんだよ」
「どうもしないよ。こうして楽しく食事をしたいだけ」
「俺は楽しくない」
「素直だね」
「ああ、そんな取り繕ったよーな笑顔の前じゃメシもまずくなる」
───
 僅かにデイビットは青い目を見張った。
 しかしすぐに笑みを取り戻し。
「僕は取り繕っているつもりはないけど?」
「は……っ、映画監督は所詮は役者じゃねぇからな。自分で自分を演じることは難しいかもしれねぇ
な」
「どういう」
「分かるだろ?人間の微妙な表情の変化ぐらい。俺も何百の役者を見てきたからな」
「……」
 スープ料理がやってきた。
 大きな皿のど真ん中、小さなスープ皿に入れられた冷たいスープ。
 今はスプーンを手に取り、一口一口、口にする。
「へぇ、彼は君のこと粗暴だって言っていたけど、なかなかテーブルマナーもしっかりできているじゃな
い」
「長いこと役者やってると、そういうこともたたき込まれるんだよ」
 本当はこんなスープ、取っ手を持って一気にがぶのみしてやりたい所だ。
 今の話を聞いていると、どうもこの男、自分をここに呼んだ時点から試していた、ということになる。
 話しに聞く粗暴な男が、こういう店ではどんな反応をするのか見たかったのかもしれない。
「さっきから、あんたの言う“彼”って、ひょっとして永原のことか?」
「!」
「図星か。俺様のことを粗暴と表現するヤツはあいつぐらいだからな」
 今はグラスに注がれたワインを手にし、一口のんだ。
 心なしか楽しげな笑みを浮かべている。
「見てみたかったんだよね」
「何を?」
「エイと共演する俳優」
「んなもん、俺以外にもいくらでもいるぞ。そいつら全員に、会いに行くのか?」
「まさか。君とエイって凄く仲が悪いでしょ?」
「ああ、悪いな」
「エイのこと嫌い?」
「ああ、大嫌いだ」
「どれくらい嫌い?」
「建物の高さでたとえたら台北101ぐらい嫌いだ」
「…………判断に迷う例え方だね」
「ようは嫌いなヤツワースト3に入るぐらい嫌いなんだ」
「そんな人相手を演技とはいえ、恋人として見ることができるの?」
 ディヴィットの問いかけに。
 今は答えずに、とりあえず出された料理を口にする。ブルターニュ産のオマール海老をローストした
云々……と、先ほどから、料理の説明をしてくれているが殆ど耳に入ってこない。
 それを三口で頂いて、そばにあるテーブル・ナプキンで口を拭く。
 そして今は、デイヴィットの目をじっと見て言った。
「演出家がそうしろって言うなら、俺はあいつを抱くこともできる」
「……」
「それが役者ってもんだろ?」
「ああ、そうだね。僕が関わってきた役者たちも、きっと同じことを言うと思う」
「何でそんな分かりきったことを尋ねるんだ?」
 尋ねてからグラスを持ち、残りのワインを飲み干す。
 デイヴィットはくすりと笑い、じっと今の顔を見つめる。
 目は笑っていなかった。
 どこか挑戦的な眼差しだ。
「僕はね、エイのことが好きなんだ」
「あ、そう。趣味悪いな」
 ふいっと顔を反らす今に、デイヴィットは額に米印を浮かべる。
「君、一言多いよ?冗談じゃなくて、本気だからね」
「……あんた、知っているよな?あいつ結婚しているってこと」
「もちろんだよ。だからね、奥さんから彼を奪うべく、僕は毎日メールしてるし、誕生日にはプレゼント
送るし、来日するたびに会いに行くし」
「うぜぇ……あんたって、ストーカー?」
「君、本当っに、一言多いね。とにかく僕は、エイのことを愛しているの」
「……で、何でそれが俺をこんな所に呼んで、くだらない質問をする理由になんだよ?」
「分からない?」
「分かるか!」
「教えてやんない」
「あ!?」
「ま、一つだけ教えてあげる。僕のエイの相手役をする人間が、どんな人間なのか知りたかったの。
中途半端なクソ役者だったら、殺してやろうと思った」
 誰のエイなんだ?
 と内心突っ込みたかったが、その前にため息が洩れた。
「あ、そう。ま、もしあんたが俺を殺そうとしても、返り討ちにしてやるけどな」
 そう言ってから、今はメインディッシュの肉を黙って食べ始めた。
 気分は最悪だが、料理の旨さは何よりもの救いだ。
「そういや……あんた、スープ以降、全然進んでないな」
「いーの、いーの。僕はゆっくり食べるたちだから」
「悪いけど、デザート食ったら帰るぜ。この後用があるからな」
「うん、楽しい食事会だったよ」
「俺は楽しくねぇ」
 不機嫌あらわに、今は残りの肉を一口で食べた。


 おごりだから、そのまま帰っていいよ、と言われたものの、あんなヤツに奢られるのは、まっぴらだっ
た為、今は自分の分だけ支払いをすませた。
「それではお預かりしていた荷物を持ってきますので……」
 店員が奥へ下がった時、エントランスの自動ドアが開く。
 そこに入ってきた人物に今は目を丸くした。
「永原……」
「な、成海?」
 思いの外驚かれたので、今は引きつった笑みを浮かべる。
「俺がここにいたら悪いかよ?」
「悪くないけど、ネクタイ似合わないね」
「んっとに今日はむかつく一日だぜ、全く」
「君は年がら年中むかついているじゃないか」
「んだと!?……あー、くそ!だいたいてめぇこそ、何でここに来たんだ?」
「友達がね、ここで食事をしているらしいんだけど、どうも気に入らない人間との食事になりそうだか
ら、そいつが帰った後に、君と改めて食事がしたいって言われていてね」
「!?」
「……ま、映画監督も色々つきあいがあるんだと思うよ?意に沿わない人間とも食事しなきゃいけな
いんだから」
「…………それはこっちの台詞だ」
「え?」
「そのお友達ってのは、あそこにいる外人か?」
「え……ああ、そうだよ。ああ、外国映画に疎い君でも彼のことは知っているんだね」
「……まぁな」
 デイヴィットは何食わぬ顔で、こっちに手を振っている。
 今泰介の中で、ぶちんと何かが切れた。
「じゃ、僕はこれで」
 立ち去ろうとする永原の腕を、今はがしっと捕らえる。
 そして、ぐいっと自分の方に引き寄せた。
 ぎょっとする永原に、今はにやりと笑みを浮かべる。
 それはかつて見たこともない、邪悪な笑みであった。
「な……成海?なにを……」
 尋ねたその瞬間。
 今は永原の唇に、みずからのそれを重ねた。
 そしてすぐさま横目でデイヴィットの方へ目をやる。
 案の定。
 その場に凍り付いている男がそこにはいた。
 そしてもう一人凍り付いた男が一名。
 何が起こったのか理解できず、呆然とする永原を今は客席からは見えない洗面所へ続く細い廊下
に引っぱり混み、壁に背中を押しつける形でさらにキスをする。
 ようやく唇が解放され、永原はぎっと今をにらみつけた。
「……何のつもりだ、貴様」
 すると今はにっと笑い、囁くように一言。
「嫌がらせ」
「何だと……?」
「いいじゃねぇか。どうせ舞台に立ったら、お互い嫌ってほどするんだからよ」
「だからといって……」
「恨み言は、あの外人に言え」
 今はそう言って、永原に背中を向けた。
 訳が分からない。
 しかし、あの男なりにものすごく不機嫌なことがあったことだけはよく分かった。
 その腹いせに自分にキスをしたことも。
 一度目の不意打ちは事故だと思えるが、二度目は人目につかないところに連れ込まれてから、キ
スをされた。
 明らかに拒否する間はあったのに、拒否できなかった。
 永原は悔しげに眉をひそめながらも、親指は無意識に唇に触れていた。
 「───来春の舞台、覚えていろよ。成海」


 一方、レストランを後にした今もまた唇をかみしめ、そばにある空き缶を蹴り上げていた。
 最悪だ。
 あの男に見せつける為だけに永原とキスをしたに過ぎない。
 だが二回目のキスは───
 あれも嫌がらせに過ぎない。見えないところに奴を連れ込んで、あの異邦人を更に動揺させるのが
目的だ。
 そのはずだが。
「くそ!」
 街路樹の幹に拳をたたきつける。
 常緑樹の葉がひらひらと何枚か落ちた。
 未だにあのキスの感触がぬぐえない、というのはどういうことか。
 あの時と同様、また相手に捕らわれたとしか思えない。
「くそ!このままじゃすまさねぇぞ。永原」
 
 
 
 
「……………………さて、何で僕がこんな不条理な目に遭わなきゃいけなかったのか?その理由を
聞かせて貰おうか」
 ジェイソンを思わせる殺意に近い目を向ける永原に、ディヴィットは恐怖に顔を引きつらせた。
「さっき君が食事していたのは成海なんだろう?不快な気持ちになるのは大いに分かるよ?だけど
ね、それで僕があんな奴にキスをされなきゃいけない理由はどこにも見いだせないんだよね」
「そ……そんなこと言われても。き、君だってあのキス、拒否しようと思えば出来」
「今質問しているのは僕なんだけど?」
 手元にあるナイフを鼻先に突きつけ、永原は冷ややかに問う。
「お、お行儀が悪いよ?エイ」
「質問に答えろ」
 さらに声が鋭くなる。
 しかも命令口調だ。
 答えないと殺される……確実に殺される。
 ディヴィットは観念したようにうなだれて、ぼそぼそと話し出した。
「三日前、君が“トリスタンとイゾルデ”をやるって聞いた時に、嫌な感じがしたんだ」
「嫌?」
「男と激しく愛し合う女の役だ。今まで君が演じてきた女性役には、そんな役はなかった」
「……なかったかもしれないな」
「しかも君が伊東の名を口にした時、心なしか楽しそうな顔になってね」
「……」
 否定は出来ない。
 自分はあの男が嫌いだ。
 だが、あの男がどんなトリスタンを演じるのか?
 どんな風に自分に挑んでくるのか。
 役者としてそれが楽しみではないと言ったら嘘になる。
「君にそんな顔をさせる相手がどんな奴なのか見たかっただけだよ」
「それで成海を呼び出した?」
「そういうこと」
「…………で、どんな会話をしたら僕がキスされる羽目に陥るんだい?」
 口調は柔らかいが目はぎらりと鋭い光を帯びている。
 ナイフの切っ先は眉間に突きつけられた。
「もう勘弁してよ、ね?」
 にこやかに首をかしげて見せるデイヴィットに。
 永原はナイフを首の高さに突きつけ、切っ先で一文字を書くかのように横に引く。
「君の選択は二つに一つだよ?地獄を見るか、素直に話すか」
「……」
 まもなくオードブルが来たので、永原はナイフを引っ込めたものの。
 その後無言の圧力でもって、彼はデイヴィットを訊問することになるのであった。



END    




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