来嶋兄妹



俺たちの引っ越しに湊の弟と妹が手伝いにやってきた。 二人とも俺たちの関係は了承済み。
 湊自身、前々から自分は普通の結婚は出来ないであろうことは、家族にカミングアウトしていたそう
だ。
「…………つまり、俺と出会う前からホモだったのか、あんた」
「そうじゃない。普通に女も好きだったし……ただ男も嫌いじゃなかった」
「男で、前付き合ってた奴って、どんな奴?」
 ややむっとしながら尋ねる俺に、湊は苦笑する。
「男とは付き合ったことはない。ただ、好きだった人はいたけどな……俺が一方的に思っていただけ
だから」
「そうなんだ?……どんな人だったの?」
「俺の中ではあれ以上の役者はいないだろうってぐらいにすごい人だった。今でもあの人に教えられ
たことは、身に染みついている。俺はそれをとても誇らしく思っているんだ」
「……もしかして、湊が好きだった人って」
「織辺拓彦。伝説の名優だ。だけど、奥さんには歯が立たなかったなぁ」
 懐かしそうに笑う湊の横顔はどこか寂しそうだった。
 織辺拓彦(おりべ たくひこ)。
 永原映、今泰介と並ぶ名優で。
 特に永原さんとの共演した舞台は、どれもが伝説と成りうる名舞台だったという。
 脇役が主だったけれども、主役にも成りうる存在感のある人で。
 若い頃は女性に見紛うぐらいに綺麗な顔をした人だった。
 そっか。
 死んじゃった人には叶わないよなぁ。
「おい、今は別に織辺さんのこと、父親のようにしか思っていないからな。俺も思春期だったし、麻疹
のようなもんだったんだ」
「べ、別に俺は……」
 う、なんか顔が熱くなってきた。
 落ち着け、俺。
「本当に可愛いよな、お前」
「うるさい」
「後で身体に教えてやるよ、お前だけだってこと」
「な……ば、馬鹿!航(わたる)さんや渚(なぎさ)ちゃんも来てるのに!!」
 ちなみに湊の弟航さんは隣の部屋の掃除、渚ちゃんは昼食の買い出しに出かけている。
 長男が湊、次男が航、長女が渚、三人とも海にちなんだ名前なのは、昔住んでいた場所が神奈川
にある由比ヶ浜の近くだったことと、父親が海がとても好きだったことかららしい。
「……ま、とにかく織辺さんのことが切っ掛けでね。俺は普通の結婚は無理かも知れない、と思うよう
になって、親や兄弟にも相談していたんだ」
「割とオープンだな、来嶋家って」
「そうかもしれないな」
「何か羨ましいな。俺なんか親に恋愛の話なんか相談したことないよ」
 すると隣の部屋から、来嶋の弟、航さんがひょっこり顔を出してきて、右手にはハタキ、左手にはぞ
うきんを持って、こっちに歩み寄ってきた。
「何言ってるんだよ。大概の家庭なんかそんなもんだって。ウチが単に変わっているだけさ」
 来嶋航さんは現在大学二年生。
 俺より一つ年上だ。
 短い髪は天然の癖っ毛、港が奥二重なのに対し、この人はくっきりとした二重だ。ぱっと見た感じは
湊ににているんだけど、パーツ一つ一つをみるとどことなく違う。ちょっとこの人の方が洋風の濃い顔
立ちだ。
 航さんは兄そっくりなその顔をこっちに近付けてきて。
「実は俺も、兄貴と同じで普通の結婚に自信ないの」
「え……それって、航さんも男の人、OKみたいな」
「うん。そうみたい。ねぇ、洋樹君。兄貴よりおれの方がいい男だと思わない?」
 航さんの顔がどんどん近付いてくる。
 俺は両手を前に出し、なんとか顔を後退させ距離を保つ。
「その根拠のない自信がどっから来るんだ?お前は」
 湊は弟の首根っこをつかみ、俺から引き離した。
 俺はほっと息をつく。
 やれやれ、この人、湊と全然タイプが違うな。
 航さんはつまらなそうに口を尖らせる。
「いいな、兄貴は恋人がいて」
「いいから、お前は掃除に集中しろ」
「隣の部屋の掃除は終わったよ」
「じゃあ、次は風呂掃除だ」
「ちぇっ、人使い荒いな」
「嫌なら今すぐ帰れ」
 航さんはぶつぶつ言いながら、ハタキを振り回しながら風呂場へ向かった。

と、その時だった。

アパートのインターホンが鳴って、俺と湊は顔を見合わせた。
何だろう?
渚ちゃんだったらインターホンは鳴らさないし。
速達か、宅急便か……はたまたセールスか。
俺は首を傾げながら玄関を出る。
ドアを開けると。
「よ、お久しぶり」
「……」
「何、そんなびびることないじゃん」
「……」
「啓兄に頼まれてさ、洋兄の様子見てくるようにって」
「……信ちゃん」
「あ、でもさ、全然気にしなくていいよ。俺、洋兄のこと一切報告する気ないから」
 軽く片目を閉じて、にっと口をつり上げる少年。
 綾瀬信三郎(あやせ しんざぶろう)。
 俺の従兄弟だ。
 今年高校一年生。
 俺の従兄弟だけあって(!?)、美形な部類だ。多分、綾瀬家の中では一番綺麗な顔をしてるんじ
ゃないだろうか。啓ちゃんは目尻が下がった一重の目だったけど、こいつは切れ長の一重なんだよ
な。
 それにしても、びっくりしたのはその髪型だ。
「お前、いつからヒヨコになったんだ?」
「ヒヨコとは何だよ!?髪を金髪に染めただけだろ」
「叔母さん怒ってただろ」
「あんなババア知るか!」
…………典型的な反抗期の図だな。
「とにかく、俺、今日泊まるトコねーんだ。洋兄泊めてくれ」
「は!?」
「俺、あんな家に戻りたくねーんだよ!頼むよ、洋兄ぃぃぃ!!」
「だ!?お、おい、抱きつくな!!……わかった、兎に角、中に入れ、段ボールばっかだけど」



 というわけで、とりあえず段ボールをテーブル代わりに、信三郎にコーヒーを出す湊。
 信三郎は軽く会釈をして、コーヒーを一口飲む。
「…………とにかく、俺がちょっと成績下がっただけで、あんのババア、髪を金髪にすっからそうなる
んだ、だいたい三人の中でもお前は駄目で出来が悪いってわめいてはヒステリーさ」
 ウチの母親と同じ性格なんだよな、叔母さん。
 だから仲悪かったんだろうな。
 同族嫌悪って奴。
「確か公立へ行ったんだよな、お前。高校行ってからそんなに成績が落ちたのか?」
「ああ、万年トップだった俺様が二番だよ」
「……それ、フツーは落ちたウチに入らないんだがな」
 元教師である湊がぼそりと言った。
「ウチは万年トップが当たり前なの。ドロップアウトした洋兄でさえ三年間ずっとトップだったんだろ?」
「そうだけど……俺、別にドロップアウトしてないから」
「この前の中間試験でさ、五教科中、三教科は100点、あと二教科は98点と99点だったんだ」
「ふんふん、大したもんだな」
 来嶋が感心する。
「だろ!?間違いなく俺トップだと思ったんだよ!?……ところがオール100点な奴がいたんだよ」
「ほほぉ、オール100点か。俺も三回しか取ったことないな」
 俺の言葉に信三郎、目をむいた。
「あるのかよ!?……ま、まぁ、それでどんな奴かと思ったら、なんと女子なんだよ!」
「へぇ、すごいなぁ」
「誠兄には女に負けるなぞ綾瀬家の恥とかぬかすし、母さんも何で満点取れないんだってわめくし、
父さんは父さんで、少しのミスが患者の命に関わることになる。テストもそれと同じだとか、説教垂れ
るし。俺は医者になんかなるつもりはねーって!!」
 段ボールを叩きつけ苛立たしげに声を荒げる信三郎。
 その時だった。
「ただいまぁ、コンビニに行ったら、新しいお握りがあった」
 無邪気な声で部屋に入ってきたのは、渚ちゃんだ。
 湊とよく似た顔だけど、彼女の方が小顔でしかも目がぱっちりとした二重だ。
「え……!?」
「あ……あれ?」
 信三郎と渚ちゃんはお互いの存在を認め、酷く驚いているようだった。
「お、お前は来嶋渚……」
「あなた、隣クラスのサ/イ/ヤ/人!?」
「なんだよ!?サ/イ/ヤ/人って」
「知らないの?アニメのド/ラゴ/ンボ/ール。それに出てくるサ/イ/ヤ/人の髪の毛って変身すると金
髪になるのよ」
「んなことは聞いてない!!」
「というか、何で私の名前知ってるの?同じクラスでもないし、面識ないし。私あなたの名前知らない
わよ」
「お前、学年で一位だったじゃねぇか。それで嫌でも知ってるんだよ」
「え!?じゃあ、信ちゃんに勝った女子って」
「そ、こいつ」
 額を抑えながら、信三郎、ため息交じりに答える。
 へ……へぇ、渚ちゃん頭いいんだな。
 オール百点って、そうそう取れないだろうに。
「渚は来嶋家でも期待の秀才だからな」
 来嶋は苦笑交じりに言った。
「というか、何でこの人がここにいるわけ」
 そう言って首をかしげる渚ちゃんに俺が答える。
「こいつは俺の従兄弟なんだ」
「嘘!?やだ、全然似てないじゃない。顔もそうだけど性格!洋樹さん、すっごく優しくて可愛いのに」
 ……可愛い?
 俺が??
 ま、まあいいか。
「悪かったなぁ!そもそもここに来る羽目になったのはお前のせいなんだからな!」
「何で私のせいなのよ!?」
「お前が一位取るからだ!!」
「あんたも頑張ってとりゃいいでしょ!?用事が済んだのならとっとと帰ってよ!!」
「俺は今日、ここに泊まるの!」
「はぁ!?ばっかじゃない!!新婚家庭の家に泊まるアホがどこにいるのよ!?」
「新婚家庭ってどこが新婚家庭なんだよ!?」
「ここに決まってるでしょ!そうじゃなくても、この部屋にもう一人泊まれるスペースなんかどこにもな
いんだから!!」
 渚ちゃんが指さす先を見て、信三郎も思わずうめく。
 そう、部屋はそこらじゅうが段ボールだらけ。
 信三郎どころか俺たちが寝るスペースも実はないのだ。
 今日は湊と二人、近くのホテルに泊まることになっている。
「く〜〜〜、じゃあ、俺、今日どこに泊まればいいんだよ」
 段ボールに顔を伏せる信三郎。
 気持はわかるけどなぁ。俺も昔、進路のことで母親と大喧嘩して、何日か友達の家に泊めてもらっ
たことあったし。
「じゃあ、ウチ来る?」
 そう言ったのはなんと航さん。
 「え……」
 思わず顔をあげる信三郎に、航さんはぽんと両肩に手を置いてその顔をのぞき込む。
「兄貴の部屋あいてるし、うちに泊まればいいじゃない」
「ちょ……、何言ってるの。お兄ちゃん」
「お前は黙りなさい」
 妹の声を一蹴する航さん。
な、なんか航さんの目、俺のこと見ていた時よりも、視線が熱い。
───まさか……
「コラ、お前は風呂掃除の途中だろ!?」
 首根っこを引っ張る湊に、航さんはむっと眉を寄せる。
「邪魔するなよ、兄貴」
「お前、その子を家に連れて行ってどうする」
「ちゃんとご飯たべさせて、風呂にも入れて、あったかい布団で寝させてやるって」
「お前みたいな、ど変態に任せられるか」
 ど……ど変態!?
 ってどういうこと!?
「俺を何だと思っているんだよ?そんな初対面の人間相手に、どうこうするわけないだろ?」
「信用できるか」
「心配するなよ、今日は父さんも母さんもいるし。家族がいる家の中では何も出来やしねーって」
「……まぁ、それはそうだが。おい、渚、このど変態、見張っておけ」
「しょうがないわね。こんなど変態がうちの兄弟だって学校に知れたら、私の恥だし」
 さっきから、何!?
 航さんのこと、ど変態、ど変態って。
「だから、今日は何もしないって。大丈夫大丈夫」
 にこにこ笑いながら否定する航さん。
 今日は何もしない……ということは、明日は?明後日は?
 信三郎は何が何だか分からずに、来嶋兄妹たちを交互に見ているのであった。



「本当にいいんですか?」
 問いかける信三郎に、にこやかに頷く航さん。
「あ、ありがとうございます。今日一日お世話になります」
 正座をして礼をする信三郎に対し。←見かけによらず礼儀正しい。
「何日でも泊っていいからね」
 優しく言いながらも。
一瞬、にやっと邪な笑みを浮かべたように見えたのは気のせいか。
………………俺、知らね。
とりあえず信三郎にも引越しの手伝いをしてもらうことになり、作業は思った以上に早く終わった。
アパートの鍵を閉め、俺たちはホテルに。
来嶋兄妹と信三郎は、湊の実家に。
「じゃあな、兄貴、洋樹君」
ちゃっかり信三郎の肩に手を回しながら言う航さんに、湊は顔を引きつらせながら弟の肩を叩く。
「おい、航。くれぐれも妙なことするんじゃないぞ」
「妙?嫌だな、兄貴。そんなことはしないよ。でも、信三郎君がまんざらでもなかったら……ね?合意
だし。悪くはないよな?」
 くすくすと笑みを浮かべる航さん。
「……」
「……」
「……」

 ……さて、信三郎がその後どうなったかは誰も知りません。













今回の登場人物

     来嶋航(きじま わたる)……20歳

                 何の根拠もないが自分は兄より男前だと思っている。兄妹曰く、ど変態。
                 何をもってど変態なのかは謎。

                 雑誌モデルの仕事をしている。

     来嶋渚(きじま なぎさ)……15歳

                                  将来の夢は警察官僚。 

                  来嶋家でも随一の秀才。お約束ながら腐女子でもある。

綾瀬信三郎(あやせしんざぶろう)……15歳
                  兄弟同士の覇権争いにうんざりしているた

                  医者になるつもりは、さらさらない。

                  将来の夢はロックミュージシャン。






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