1
長い時に渡って、僕は早くから寝たものだった。
時にはふとんに入って電気を消すと、すぐに目がふさがって、「さあ寝るぞ」と
思うまもなく、眠りについてしまうことも多かった。
しかし、いつもそうとは限らない。忘れもしない、あの日の前日は興奮して寝られ
なかった。
合コンで知り合った女の子と初デートする前の日は、興奮して、ほとんど寝られないままに
朝を迎えた。
僕は大学の授業は勝手に自主休講と決めこんで、自分なりの勝負服で、喜び勇んで出かけた。
電車は混んでいた。
しかたあるまい。世の中では普通の日なんだし。
その日の僕ときたら、デートのシミュレーションで頭がいっぱいで、電車の中の人々の
顔なんか、もちろん見ていなかった。
僕と同じ車輛にいたはずの華奢な女子高生の姿もおそらく視界に入っていなかったはずだ。
終点の梅田で乗客が一斉に吐き出される。
ムッとして咳きこみそうなほどの車内から解放され、安堵の息が思わず漏れた。
職場に向かう者、地下鉄に向かう者らのそれぞれの足どりがシャカシャカと忙しく動く。
僕の背中に何かが激突したのはそのときだった。
ガン!と、何か重いもので背中を叩かれたような気がした。
ン?と、怪訝に思った僕が振り返るのと、ドサッ!と、地面に何か落ちる音がしたのは
ほとんど同時だった。
人だ。人が倒れた。
ラッシュ時には、たまに卒倒する人がいるものだ。
うつぶせに倒れているが、見ればわかる。女の子だ。制服の女子高生だ。
「お・・・き、君。大丈夫かい、君」
行きがかり上、僕はその女子高生の背中をゆすって声をかけた。
ラッシュ時の構内では、何人かの人が心配げに覗きこんだりしたものの、ほとんどの人は
急ぎ足に通り過ぎてゆく。
僕は何度もその女の子の背を叩いてみたが、何の反応もなかった。
その女子高生はメガネをかけた、髪の短い、いかにも真面目そうな娘で、見た感じ、体力は
あまりなさそうだ。
しかたない、何しろあの混雑だったんだ。
体の弱い娘なら、貧血を起こしたって不思議はないだろう。
えーと、こういうときはどうするんだっけ。救護室、かな。ここからいちばん近い救護室は
どこのだろう。JRかな。
そんなことを考えながら、僕は気を失ったままと見える、その女の子をかつぎ起こして、
肩に背負って、駅務室に行くことにした。
これぐらいのことなら、デートに遅れることもないだろう。
何せ、約束の時間より一時間前に着くように、気合いを入れて出て来たんだもの。・・・
ところが、あいにく電車の人身事故による遅延と重なったとかで、駅務室のあたりは
蜂の巣をついた騒ぎだった。
若い駅員に、
「すいません。この女の子が倒れちゃったみたいで」
と言ったが、それどころではないといった顔で、
「あ、ハイ。わかりました。すぐ担架を」
と、おざなりに答えて駆け出したきり、ちっとも戻って来ない。
いいのかな、この娘はほっといても。
貧血ぐらいで死ぬこたぁなかろう。
ま、いいか。ぶん投げて行っちゃうか。デートのほうが大事だもんな。
そう自分に言い聞かせているくせに、なぜかその娘を肩に担いで、エッチラオッチラ
引きずるように外に向かって歩きながら、片手で119番をダイヤルしている僕がいた。
デートの時間を気にしながら。
2
救急隊員がその女の子を担架に乗せ、脈を見たり、眼に光をあてたりしているのを、
僕はなぜか、ぼんやりと立ちつくして眺めていた。
もうデートの時間に危うくなりそうなのに、どうしてだか、見ず知らずのその娘のことを
ほっとけない気がしたから。
救急隊員が、神妙な顔で、
「あなたですか。通報くださったのは」
と、僕に問うた。
「ええ。そうですが・・・」
「どういうご関係で?」
「いや、まったく知らない娘です」
「そうですか。・・・ご遺族の方ではないんですね」
はい・・・遺族では・・・エッ!?イゾク!?
「し・・・死んでるんですか!?」
救急隊員が無言でうなずいた。
僕はあまりのことにあっけにとられ、すっかりデートのことは頭から飛んでしまった。
「実際の死亡診断書は病院のほうになりますが、こういう行き倒れということになると、
いろいろと事情をうかがわなくてはなりません」
「し・・・しかし、僕は何も・・・」
「お時間はとらせません。病院まで来ていただく時間はありますか」
「ありません」
とは僕は言えない。
性格だ。
愚か。まったく愚か。
こんなわけのわからないことで、気合いを入れたデートをフイにするなんて。
自分の優柔不断な流されやすい性格を、僕は救急車の中で呪った。
そして、デートの刻限。・・・
僕は病院の廊下で、今日会うはずだった彼女に、必死に侘びのメールを打っていた。
「もしもし、ここでは携帯電話は・・・」
「あ、はい。すいません」
携帯電話の画面に目を落としたまま、僕はその看護師のほうを見ずに、病院の喫煙
ブースに行って、メールの文面を打ち、大きくため息をついた。
“ごめんなさい。この埋め合わせは必ずします。また近いうちに、どこかに行きましょう”
送信が完了し、さらに虚しく時間が経っていき、僕の絶望感が高まってきたとき、
さっきの中年の看護師が僕に話しかけた。
「竹江さんですね」
「ええ。そうですが」
「先ほどの救急の患者さんの件ですが、よろしいでしょうか」
そう言いながら、僕を診察室に案内した。
「ああ、どうも。このたびは、お疲れさまでした」
初老の医師が僕を一瞥して、事務的に言った。
「いやいや、驚かれたでしょう。私も驚きました」
カルテを片手に医師が続ける。
「あの・・・死因は何だったんですか」
「いや、それがね・・・」
手で老眼鏡をいじりながら、医師は独り言のように、
「私もね、医学界以外のことには疎いんで、知らなかったんですが。まさか技術がここまで
きたとは・・・」
と、首をひねって、老眼鏡を机に置くと、僕に
「結論から言うとね、あの娘は死んでません」
と告げた。
「ああ、そうなんですか」
「というより、死とか何とかいうんじゃなかったんですよ。つまりね・・・」
えっ?
何が何だか、僕にはわからない。
「脈はないし、瞳孔も反応しないし、心音もない・・・」
ならば死んでいるのではないか。
「で、こういういわゆる行き倒れのときは、法医学解剖ということになるんですがね、
そしたら、あなた、驚いちゃいけませんよ」
だから何なのだ。
「あの少女は人間じゃありませんでした」
何じゃそりゃ。
まったく話の見えない僕だった。
その医師によれば、警察の検死官が立ち会って、病理解剖の段になって、その娘が人間では
ないということがわかったのだという。
「それじゃ、一体・・・」
「それがね、ロボットだっていうんですよ」
・・・
僕は改めて医師の顔をじっくり見返した。
別に変な人ではなさそうだ。
頭がいかれているわけではないと見える。
といって、僕をからかっているわけでもなさそうだ。
「そんな・・・バカな」
僕は一応、理工系の学生だから、機械のことは少しは知っているつもりだし、それ以前の
一般常識としても、人間型ロボットが実用段階じゃないことぐらい、わかる。
「一般には公表されていないらしいんですけど・・・警察の方がよく調べたら、千里のほうの
研究所で試作されたプロトタイプの人型ロボットだっていうんです」
ちょっと待った。千里のほうの研究所って、それ、もしや僕の大学のことじゃないか。
「開発室の倉田教授という人の話ではね・・・」
おいおい、倉田さんなら、僕も知ってるぞ。試験で僕にAをくれたもの。
「今、実験段階で、いろいろモニタリングをしているロボットで、何でも家庭用メイドロボットの
試作品だとか言うんですよ」
信じられない。
本当に信じられない。
たしかに倉田さんという人は、昔から鬼才と言われていた人らしいけど・・・まさか。
「じゃ、大学のほうに引き取られたんですか」
「ええ。急にフリーズしてしまった原因を調べなおすとかって、連れて帰られました」
自主休講は返上だ。
僕はすぐに大学に足を向けた。
もう5月の長い日も暮れかけ、夕方だったけど、それでも大学に向かった。理系のはしくれとして、
どうしても知りたかったから。その技術を。
彼女からのメールの返信は来ない。
3
以前にも行ったことのある研究室棟で、エレベーターを3階に上がり、「教授・倉田昇」の札の
ドアの前に立つと、「在室」となっている。
トントン。
「はい」
僕が軽く一礼して入ると、倉田さんは不審げな顔で僕を見た。
「え・・・と、すいません。建築工学専攻の3回生の竹江弘樹といいます」
「質問ですか」
「いえ・・・その、今朝、梅田駅で・・・」
僕が言いかけると、倉田さんは、ああ、といった顔で微笑んで、
「何だ、そうか。アキを助けてくれたのは、うちの学生だったんだ」
と、くだけた口調になって立ち上がり、僕に応接用の椅子をすすめた。
「何にする?コーヒーでいいかい」
倉田さんが研究室内からつながっているドアを開け、隣の部屋に向かって、
「おーい、ミサ。コーヒー2つ頼む」
と呼ぶと、数分でコーヒーが出てきた。
「ミサ」と呼ばれた女性は、アイボリー色のスーツの下に、はち切れんばかりのボディを
持った、モデルのように綺麗な女性だった。
誰だろう。研究生には見えないが。
その女性の長くカラフルな爪を見ながら、僕は倉田さんとその女性との関係を邪推した。
個人秘書・・・愛人・・・
「なあ、ミサ。彼だよ。アキがお世話になったっていうのは」
倉田さんに言われ、「ミサ」さんはくるりと僕のほうに顔を向けると、
「そうだったんですか」
と、にっこり笑って立ち去った。
それは、とても美しい、均整のとれた笑顔だったが、どこか固い、人工的な笑顔のように
見えた。
人工的・・・人工的??
「あの・・・先生。今の女性は・・・」
「うん。ミサは君が助けてくれたアキと同じく、われわれの研究プロジェクトで開発した
家庭用アンドロイドのプロトタイプだ」
僕は目がくらみそうになった。
「あれは5年前だったかな・・・」
倉田さんが開発経緯の説明を始めた。
ペット用犬型ロボットのヒットを受け、次に人型の家庭用ロボットを作って販売しようと、地元の
門真(かどま)の大手総合家電メーカーから倉田さんに相談があって、それから産学一体で
ひそかに研究開発をしてきたのだという。
「その最初の実験試作品が今のミサと、君の会ったアキっていうわけだな」
倉田さんがコーヒーにドカドカと砂糖を入れて、かきまわした。
「共同開発パートナーのメーカーの研究所では、2年以内にという意向だったんだが、
私のほうがこだわりにこだわり抜いたんで、結局、5年かかってしまったよ」
倉田さんがうまそうにコーヒーを一気飲みした。
メイド用のロボットか。しかし、2台ともあまりメイドらしくはないなあ。
倉田さんの趣味なんだろうか。
僕がそんなふうに思っているのを見透かしたように、倉田さんは
「君はどっちのタイプが好みかな」
と、ニヤリと笑った。
「ミサはいわゆるナイスボディで、有能なキャリアウーマン系秘書の特性と美人ホステスの
特性を兼備した外見を目指した」
うん。見ればわかるな。じゃ、内面はどうなんだろ。
「性格的には、昼間は必要以上にこびず、クールに、ビジネスライクに使用者に接し、そのぶん
夜になると、ねっとりと使用者にセックスを迫る・・・なんてふうな、男にとっての理想型を
インプットしている」
天才学者のくせに、こういうことを臆面もなく言うから、この人は変人呼ばわりされるんだろう。
「ま、一種のツンデレみたいなもんだな」
わかりやすすぎる単語をシレッとして言う。倉田さんの、こういう教授らしからぬところは
僕は嫌いではない。
「一方、君が会ったほうのアキはね」
足を組み直して、倉田さんが続ける。
「君が見て知っている通り、外見的には真面目な女子高生風で、とにかく外見上の華美さは
排除して設計した」
まあ、そういうことでしょうね。先生。
「性格はおっとり系で、メイド能力としては、ミサのように完璧さを追求するよりむしろ、
逆にドジなところをあえて残すようにプログラムを組んだ」
倉田さんは興に乗ってきた感じで説明しながら、ポケットからマルボロを取り出し、その尻を
テーブルでポンポン叩いた。
「ユーザーとして想定しているのは」
タバコに火をつけ、大きく吸いこんで、
「ロリコンだ」
と、差し障りある表現を全く躊躇せずに使って断定した。
こういうハッキリしすぎた性格が、この人を学長や学部長の椅子から遠ざけているように
思われてならない。
「何かの縁だし、君にも持ち帰ってもらって、お試ししてもらえるといいかもな」
「え。僕がですか」
それは嬉しいような、怖いような。・・・
「なかなかいいぞ、使い心地は。私は2台とも自分で試した」
僕はこの怪物教授の顔をまじまじと見直した。
〈試した〉・・・この人の言う〈試した〉は、どの範囲まで含むんだろう。
「ミサのほうは、うちの研究生の丹羽が、目下、自宅で試用中だ。君にはアキを持ち帰って
もらうかな」
僕はどっちかっていうと、乳臭い小娘より、大人のナイスバディのほうがいいんだがなあ、
ということは、思っただけで口にしなかった。
別に直接の指導教官でもないし、断ってもいいんだが、どのみち、「ミサ」さんだろうと
「アキ」君だろうと、完璧なアンドロイドとはどんなものかには興味がある。
「そういえば、アキの状態チェックは終わったのかな」
倉田さんはやおら立ち上がって、隣の部屋に向かった。
僕に「こっちこっち」と手招きをしたので、僕もその後について、隣の部屋に行く。
「あ。先生」
倉田さんのところの院生らしい人が倉田さんに会釈した。
この人が丹羽さんという人なんだろうか。
「どうだい、アキの調子は」
「ハイ。とくにもう異状はありません」
「そうか。よし。ああ、竹江君。君ももっとこっち来て、よく見なさい」
倉田さんは平然とした調子で言ったが、僕はどうにも目のやり場に困っていた。
研究室の真ん中の大きなテーブルには、あの梅田駅で倒れた「アキ」君が一糸まとわぬ
姿で、あおむけになっていたのだ。
「ドクター。心配かけて、すみませんでした」
はじめて耳にするアキ君の声は、角のまるいような、舌足らずの感じがする、かなり
幼い響きの声だった。
「いや。いいんだ、アキ。気にするな」
そう言って倉田さんは、
「じゃ、竹江君。解説しよう」
と、僕をテーブルのすぐかたわらに立たせた。
僕の目の前には、アキ君の全裸の体が、おせじにもグラマラスとは言えない、凹凸の乏しい、
やせっぽちな裸体が横たわっている。
こういう第二次性徴過程みたいな裸は、人間でも見たことはない。
僕はイケナイコトをしているような罪悪感で、不思議と胸が高なってきた。
「いいかい、竹江君」
と、僕のほうを向きつつ、倉田さんがアキ君の胸に手をのばす。
カチャリと、炊飯器を開けるような音がして、アキ君の薄くはかない胸が取り外された。
アキ君は、目をつぶって何か力んでいるような表情をしている。恥ずかしいんだろうか。
体の中を見られるのが。
しかし、倉田さんは一切かまわず、冷静な口調で、ここが何の装置で、こっちが何の装置でと、
淡々と解説をした。
胸を開けたままのアキ君の、今度はさらに腹部に手を触れ、腹部のフタも同じように開くと、
アキ君は恥ずかしさに耐えられないといったふうのつらそうな表情をして、顔を横にそむけた。
そんな様子に、僕はなぜか、奇妙な高揚感を感じていた。
今、この娘はこの精密機械の胸で何を感じているんだろう。どんなふうに機械の「心」を
痛めているんだろう。
胸部、腹部、さらには顔面までも開いて、主要各部の解説と取り扱いの注意を僕に述べると、
倉田さんは研究生の人に
「ああ、戻していいぞ」
と言った。
研究生の人が、アキ君の顔を、胸を、腹を、カポカポとかぶせた。
アキ君の顔面の中はクロムシルバーの内部機械がむき出しで、歯ぐきだけが妙に浮いていたが、
もとの女の子らしい顔がついて、僕はホッとした。
アキ君は起き上がると、全裸のままでクスンクスンと涙を流し、指でその涙をぬぐった。
倉田さんはアキ君の泣いているのを無視して、
「モニタリング期間はとくに限定しない。まあ、大事にしてやってくれ」
と、僕の肩をポンと叩いた。
後ろでは、ミサさんがアキ君に服を持って来て、着せてやっていた。
アキ君と、その涙をふいてやり服を着せてやっているミサさんの姿は、姉妹のようだった。
結局、僕はアキ君を預かることになった。
「じゃ・・・いいかな。僕と一緒に来るということで」
「はい・・・マスター」
アキ君が小さな声で、ためらうように答えた。
「いや、マスターというのも何だから、名前で呼んでくれるかな。そのほうがいい。
僕は竹江弘樹。弘樹さんでいいよ」
「はい、わかりました、マスター・・・じゃなくて・・・ヒロキ、さん」
もじもじした調子で、アキ君が言った。
何だか、かわいい。
この娘のものおじした、不安そうな様子を見て、大事にしてあげようと、心の奥で思った。
僕のアパートに着いたのは深夜だった。
長い一日だった。
例の彼女からのメール返信は、結局来なかった。
4
それ以来、僕の暮らしはたしかに変わった。
一人暮らしで散らかっていたアパートの古い部屋も、すっかり綺麗になり、うまい手料理で
毎日みたされ・・・と言いたいところだが、事実はそうではない。
とかく、この世はままならぬ。
どうも、このアキ君はあまり器用じゃないというか、倉田さんの言う通り、メイドとして
一流というわけにはいかないようだ。
洗濯も掃除も、そして料理も失敗が多い。
「はわわ・・・す、すみませんっ。弘樹さんっ・・・」
と言って、泣いて謝られれば、最初のうちは、アキ君の頭をなでてやりながら、
「いいんだよ・・・だんだん慣れて、上手になっていけばいいんだからね」
と、その涙をふいてあげるのも、まんざらではない。
しかし、何度もそれが続けば、いいかげん、いやに・・・・・・ならない。
なぜか。
妙だ。本当に。
ほとんど毎日のように、何か失敗してはそのドジを詫びるアキ君を慰めてやっている気がするが。
何だか、メイドといるのに、かえって僕の仕事が増えた気がするが。
「お世話」しているのは僕のほうのような気がするが。
それでいて、かよわい愛娘をいつくしんでいるような暮らしを悪くないと思っている僕がいる。
倉田さんによれば、アキ君はミサさんと違って、「学習型」のロボットらしい。機械の知識や
社会の知識を最初から書き込まれているミサさんと異なり、現時点では一般の女子高生と同じ
くらいの知識しかない。
だから勉強しなくちゃいけない。
そのためには学校にも行く。
「弘樹さん、行ってまいります」
ちょこんと僕に頭を下げて、駅までの坂道を心もとなげな足どりで歩いて行くアキ君の後ろ姿を
アパートの窓から見送りながら、
(今日もあの娘が無事でありますように。また電車で止まったりしませんように。学校で人間に
いじめられたりしませんように)
と祈るのが、僕の毎朝の日課になった。
5
アキ君はロボットだから、ものごとに対して真面目なのはわかる。
が、その真面目さが方向違いのもののように思われてならないときもある。
学校の勉強にはたしかに熱心らしく、数学や物理、化学の参考書を開いては、
時間を忘れて没頭していた。
幸い、僕にとっても、それらの科目は得意分野だったから、いろいろと教えて
やることはできる。
教えてやれば、そのぶんだけ知的興味を示すから、こっちも嬉しくなって、
本来の指導要領にない分野のウンチクを語るし、ときには勉強以外のことも
アキ君に話してやるようになった。僕の趣味である古代中国史のことや、釣り
のこと、鉄道のこと、音楽のこと。・・・
まことに異常な光景と言っていい。
少なくとも、メイドロボットとその主人という立場から与えられるべき役割
からは、遠いと言わざるを得ない。
およそ、僕らの関係は家庭教師と教え子であり、保護者と被保護者であり、場合
によっては、父と娘、母と娘、兄と妹、姉と妹、そういったものであったろう。
奇妙、という以外はない。
繰り言になるが、世話「している」のは僕のほうであり、世話「されている」のが
アキ君のほうだと言わざるを得ないのだ。
そして、それが僕にとっての幸せだった。
アキ君といると、なぜか時間がゆっくりと過ぎるようにも感じた。
もちろん、いつも勉強ばかりしていたわけではない。
街に買い物に連れて行ってやったり、ユニバーサルスタジオに連れて行ってやったり
した。
食事は一緒にはできないが、カラオケに連れて行ってみたことはある。
恥ずかしがってマイクを握ろうとしないアキ君に、やや強引に歌わせてみた。
汽車を待つ君の横で僕はー時計をー気にしてるー
季節外れのー雪がー降ってるー
僕がいつか口ずさんでいた歌をたどたどしい調子で、しかし懸命に歌うアキ君を
僕は強く抱きしめた。
「弘樹さん・・・」
アキ君がうっとり酔ったようなトロンとした目で僕を見上げる。
「私・・・幸せです。私みたいなダメロボットをこんなに大事にしてくださる
なんて・・・」
僕はもう一度強くアキ君を抱きしめる。
「弘樹さんは・・・私といて、幸せですか。もし私がいなくなったら、
悲しんでくれますか」
不安そうにアキ君が言った。
僕は、これが答えだと、アキ君にやさしく口づけした。
6
スタンドの灯りをしぼった淡い光の中にアキ君の小さな体が浮かぶ。
アキ君の唇は、ほとんど触れているのかいないのかわからないような、やわらかな
感触だった。
僕がアキ君の細い顎を軽くつまみ、舌でアキ君の歯を開かせ、歯の裏、口蓋の裏あたりを
舐めあげて、そして、やわらかい舌に自らの舌を絡ませると、アキ君はもうそれだけで
「ああっ」
と、幼い悦びの声を洩らす。
僕は自分の唾液をアキ君の口の中に送り込みながら、同時にアキ君の口の中から湧き出す
唾液を吸った。
甘い。本当に甘い。
アキ君の人工唾液は、人間のそれよりもっと甘くて、とろけるようだ。・・・と書けば、
うそになる。
なぜなら、僕はアキ君以外、口なんて吸ったことないのだから。
なので、人間の唾液の味は知らない。
だが、アキ君と舌を絡ませ合い、その口の中を吸うと、それだけでお互いに興奮が
高まっていく。
おいしいよ、アキ君。・・・心の中でつぶやきながら、僕はようやくアキ君の口元から
自分の口を離した。
僕とアキ君の舌の間で、唾液が白く糸を引いた。
アキ君は目をつぶったまま、もう既に恍惚の表情で頬を染めている。
僕は左手でアキ君の頭をなでてやりながら、右手を小さな乳房にあてた。
「あ・・・」
アキ君が小さな声とともに吐息を漏らした。
「あ・・・あ・・・」
僕がその小さな乳房を手の中でやさしくころがしただけで、もうアキ君はうっとり
した表情で、細い体をのけぞらせた。
小さな胸のてっぺんに恥ずかしそうについているピンクの乳首がみるみる硬く尖ってきた。
アキ君のかわいい乳首を指でつまんだり引っ張ったり弾いたりして、さらに尖らす。
「ああ・・・ああ・・・」
アキ君のあえぎ声のテンポが既に速まってきた。
そして、僕はアキ君のサラサラのショートヘアをなでてやりつつ、右手をアキ君の最も
敏感な部分に伸ばした。
ほっそりとした下腹部から指を滑らせ、毛のない丘のたてすじをなぞるように、指の腹で
やや強めに抑えた。
アキ君は早くも耐えられなくなったのか、自分で両脚を開いて、
「ひ・・・弘樹さん・・・お願い・・・」
と、体を左右にねじらせながら、僕にその敏感な部分の愛撫をねだった。
さすがは「学習型」のロボット、という他ない。
はじめは怖がって固く閉ざされたようだったアキ君の幼い体が、新しい快感、新しい悦び
を欲して、だんだんと大胆になってきている。
僕がアキ君の中に指をやさしく押し入れると、アキ君は
「ああ・・・ああっ・・・」
と、高い声を上げて、上体を震わせた。アキ君の小さくはかない胸が、アパートの
部屋のほのかな灯りのもとで小刻みに揺れた。
僕は右手の指をアキ君の人工性器に差し入れつつ、アキ君の幼い乳房をもう片方の
手でやさしく包み、ピンク色の小さな頂点を口にふくんだ。
「ああっ・・・あああっ・・・」
アキ君は夢中で声をあげて、のけぞる。
僕の口の中で、アキ君の小さなピンクの果実がますます硬くなってきた。
アキ君の薄い胸から腹部のあたりを片手ですーっとなでつつ、僕はアキ君の両脚の間
の秘密のエリアに顔をうずめた。
「い・・・いいっ・・・いいっ・・・」
アキ君が悦びの声を洩らしながら、両手で僕の頭をおさえつけるように、自分の感じ
やすい部分に押しつけさせてきた。
少し前なら、こんなことは絶対にしなかったろうに。
昼間には絶対に見せない、夜のアキ君の変貌ぶりには驚かざるを得ない。
アキ君の期待に応えるべく、僕は毛のないアキ君の性器を、自分の舌でじっくりじっくりと
責めあげた。
人間でいう「蟻の巣渡り」から陰唇に丁寧に舌を往復させ、敏感なクリトリス
を舌ではね上げると、
「うああああっ。き・・・気持ちいいですぅ。ああ・・・気持ちいい〜っ」
と、幼い声をいつになく高く上げて、また上体をのけぞらせた。
口は開きっぱなしで人工唾液がこぼれ、目からは悦びの涙が流れている。
と同時に、アキ君の下の口からは、まるで壊れたかのように人工愛液がとめどなく
流れ出し続けている。
僕が強く吸いこみ、さらに舌でなめとると、それも気持ちいいのか、ますます奥から甘い
液体を噴出させてきた。
人間の女性のそれを味わったことのない僕には、アキ君の人工愛液が人間の女性のものと
同じ味なのかどうかはわからない。
が、人工唾液以上に甘く、そして酩酊させる絶妙の味と香り、としか言いようがなかった。
シトラスのような、ヨーグルトのような、いや、どうたとえたらいいのかはわからない。
実際に味わった者にしかわからない、甘い甘い少女の味としか言いようがない。
今日は気分を変えて、へそを試してみようか。
僕はアキ君の秘密の場所から湧き出るジュースを味わいながら思った。
アキ君にはもちろん生殖機能はない。だから、人工膣は、ただマスターを迎え入れるため
だけの機能だ。
無論、排便もしない。だが、ちゃんと人間でいう肛門部のトンネルは開いていて、使用可能
となっている。
そして、何と驚いたことに、へその部分もが男性器を受け入れる入り口として使用可能に
なっていたのだ。
膣部、肛門部、へそ部。どれも生殖や排泄などの生物的機能と何ら関係なく、ただただ
「よく閉まる挿入口」、「もっとよく閉まる挿入口」、「もっともっとよく閉まる挿入口」として
準備されていたのだ。
もちろん、アキ君が市販モデルとして量産された場合に、その機能が残るかどうかは
わからないけど。
「・・・いくよ、アキ」
「ハイ・・・弘樹さん」
アキ君が濡れた声で、甘えるような恍惚の声で答えた。
僕はアキ君のかぼそい腹部を手でなでながら、へそ部に指を入れて開いた。特殊ゴムで
できたアキ君の外皮が弾力をもって伸びてゆく。
なるほど、これならたしかに挿れられそうだ。
僕は興奮しながら、僕自身のものをアキ君のかわいいへそにあてがって、一気にズブリと
沈めた。
「ああっ・・・」
アキ君が短く叫んだ。
痛いのか気持ちいいのか、目をギュッとつぶって、まだ涙を流している。
「ああっ・・・わたし・・・こ・・・こわれちゃうっ・・・」
が、それ以上に驚いたのは僕のほうだ。
人口膣と同じく、微妙にザラついた内壁は、ひんやりと気持ちのいいジェル状の液を
たたえながら、僕を内へ内へと導くように蠕動(ぜんどう)していく。
何という締まり具合だろうか。
僕は、ほとんど頭の中が真っ白に燃え尽きて、その後に何も残らないような快さを
感じながら、声を出すことすらできずに、一瞬で搾り取られてしまった。
そう、あの強烈な締め付けは、まさに「搾り取られる」というにふさわしい。
(・・・・・・)
アキ君のほうを見ると、僕が果てたのとほとんど同時に、アキ君もオーガズムを超えた
のか、目を開けたまま失神・・・いや、フリーズしていた。
無理もない。この娘にとっても、この第三の挿入口は今日が処女日だったのだから。
はじめての日と同じように、あまりの快感にショートしてしまったのだろう。
僕が夢中になっている間、きっとアキ君の電子頭脳に恐ろしいほどの量の快感電流が
流れていたに違いない。
(おやすみ、アキ君・・・)
僕はアキ君のまぶたに手をあて、そっと閉じてやって、アキ君に毛布をかぶせてやった。
7
「な。アキ。勉強熱心なのもいいけど、もう少し家事のこともしっかり覚えろ」
僕がアキ君にある日そう言ったのは、何も僕自身のためではない。
僕自身はアキ君のために勉強を教えてやったり、メンテナンス作業をしてやったり
することは何の苦でもなかったし、自分で食事の支度をするのも掃除するのも
平気だった。
ただ、アキ君が僕の作ったものを食べることができないのがたまらなく残念
だっただけだ。
しかし。
しかし、と思った。
このまま永遠に僕のものにおいておくわけにもきっといかないはずだ。
この娘はメイドロボの試作品に過ぎないという厳然たる事実。
メイドロボとして、試作品としての役割があるという悲しい現実。
いずれ、この娘のモニタリング情報をもとに、市販品が作られるのだろう。
アキ君自身も販売されてしまうのかもしれない。
だから、アキ君はどんなユーザーと暮らしても大丈夫なように、
もっと優秀なロボットにならなければいけない。
残念だが、僕としても一生アキ君と一緒に暮らすわけには
いかないだろう。
実は僕はそのとき、とある合コンで知り合った女の子ーアキ君と初めて
出会った日にデートしようとアポをとっていた娘とは別ーと急速に親しく
なりつつあった。
その女の子というのは、僕より二つ下の短大生で、いくぶん
派手好き、遊び好きのところもあるが、それでいていい家庭の
育ちらしく、僕にお弁当を作ってきてくれたり、マフラーを
編んでくれるような面もある。
なるほど、勉強はできないほうだろう。アキ君が数学や物理のことを
僕にしつこいほど質問するのとは対照的に、話といえば、他愛のない
ファッションやスイーツのことばかりだった。
しかし、それでいいのかもしれない。
妻として添い遂げるには、こういう娘のほうがいいのかもしれない。
僕はそんなことを思い始めていた。
そうなると、今のようにアキ君と同棲のごとき生活をしているのは、
いかにもまずい。
いつかアキ君との離れなければいけない。
アキ君も僕から離れなければいけない。
アキ君にとっても、僕が志織(彼女の名)と暮らすようになったら、
いたたまれなくなるだろうし、志織にもかわいそうじゃないか。
・・・などと思い悩みつつ日々を過ごした。
汽車を待つ君の横で僕はー 時計をー気にしてるー
季節外れのー 雪がー降ってるー
おかしなことに、アキ君が口ずさむと、「僕は」の「は」と「雪が」の
「が」が妙に調子っ外れの、1オクターブも高いような声になった。
この娘の人工声帯の性能によるのか、僕が最初に歌ったときにそう
歌っていたのかはわからない。
『大学への数学』を読みながら鼻歌を口ずさむアキ君に、僕は別れを
言い出せないでいた。
「ね、弘樹さん。あのー・・・この問題なんですけどぉ・・・」
高難易度のベクトルの問題について質問してきたアキ君に解法を教え
ながら、僕は僕たちの暮らしのベクトルの行方を考えていた。
8
アキ君と暮らすようになって、一年半が過ぎた。
就職が決まり、卒業も決まった僕は、例の倉田教授の研究室へと、意を決して
足を向けた。
「先生、ごぶさたです」
と、儀礼的なことを述べながら、顔を引きつらせている僕に、何かを察したのか、
倉田さんは、
「アキがどうかしたのかい?」
と、眉根を寄せて問うた。
「はい・・・」
アキ君のことは大すきだ。幸せになってほしい。だが、それには僕ではダメだ。
僕は就職したらどこに勤務になるかわからないし、たぶん志織と結婚するだろう。
僕の新家庭でアキ君の出番はあるまい。アキ君に居心地悪い思いをさせたくないし、
志織のためにも「誠実」でありたい。
となれば。
断腸の思いでアキ君を返すしかない。
返したくはない。
でも、そう決めた。そのほうがアキ君のためにいいんだ。・・・
汗をふき出させながら、やっとの思いで倉田さんにそう告げた。
倉田さんは一言、
「そうか。ありがとうね。今までいろいろと」
と、抑揚のない調子で言うと、別室に下がって行ってしまった。
「あの娘、ちゃんとメイドロボとして商品化するつもりなら、もっともっと家事も
器用にできて、頭の回転も速いロボットに改造したほうがいいですよ」
とは言いそびれた。
アキ君を返却しても、倉田さんのほうでは全くかまわないらしい。
では、あとはアキ君自身をどうするか。どう説得するか。
そのセリフを考えれば考えるほど、欺瞞くささが充満し、僕は息苦しくなった。
では、ここはストレートにいくか。
「ごめんな、アキ君。僕は就職して結婚するから、君とはもう暮らせないんだ。
悪いな。元気でな」
・・・アキ君のメガネの奥の澄んだ瞳が涙でいっぱいになる様子を想像して、
僕は耐えられなくなった。
やはり無理だ。
僕には言えない。
なごりー雪もー 降るー時ーを知ーりー
ふざーけーすぎーたー 季節のー後でー
いつものように音程の外れた歌を歌いながら、幸せそうにZ会の数学問題集を
解いているアキ君の後ろで、僕はリモコンを握り、目をつぶってアキ君のスイッチを
切った。
ガタン。
全ての力を失って、アパートの畳の上に倒れたアキ君の姿は、全くあの日の朝の
まんまだった。梅田駅で充電切れして、僕に倒れかかってきたあの日の朝のまんま
だった。
機能停止したアキ君の、あどけない、しかしどこかさびしげな顔を見ていると、棟胸の
奥が苦しくなってくるので、僕はなるべくアキ君の顔は見ずに、背にその体型のわりには
重すぎるボディーをおぶって、大学へと向かった。
卒業式の終わった春休みのキャンパスには、ほとんど人の気配がなかった。
僕が倉田さんの研究室を訪ねると、研究室のドアは施錠されておらず、容易に開いたが、
倉田さんも丹羽さんもミサさんもいなかった。
僕は、いつかアキ君の内部機械を観察したテーブルの上に、アキ君のボディーをあおむけに
置いて、倉田さんあてに手紙を書いた。
「先日お話しした通り、この娘はお返しします。
今までありがとうございました。
この娘は本当にやさしい、いい娘です。
どうか、この娘が幸せになれるように、いいマスターを見つけてあげてください」
窓の外では季節外れの雪が降っていた
9
五年の時が経った。
僕は大手ゼネコンに就職し、東京に勤務になった。
就職して二年目に結婚した志織との間に子どもも生まれた。最愛の妻と息子と、
そして日々忙しさと責任を増す仕事のため、僕はアキ君を思い出すことも少なく
なってきた。
しかし、それでも、ときに思い出す。仕事に疲れたとき。妻との些細なケンカに
疲れたとき。
あの娘のたどたどしい口調とおっとりしたペースを。
さびしそうな瞳を。
胸を開けられたときの恥ずかしそうな吐息を。
僕の腕の中で、僕に頼りきって僕に甘えるしぐさを。
僕がなでてやったときにいつも見せる、うっとりしたような嬉しそうな笑顔を。
晴れた日曜日には、僕はよく子どもと二人で出かける。
平日、いつも一人で子どもの面倒を見ている志織を、土日ぐらいはのんびり
休ませるため、できるだけ僕が子どもを外に遊びに連れて行ってやることに
している。
東京郊外の新興住宅地の昼下がりはのどかで、子づれのファミリーがあちこちで
幸せそうに歩いていた。
僕ら親子の横を犬を連れた少女が追い抜いていこうとした。
そのとき、僕の耳に、どこかで聞いたメロディーが入ってきた。
汽車を待つ君の横で僕はー 時計をー気にしてるー
季節外れのー 雪がー降ってるー・・・
その少女の歌は、「僕は」の「は」と、「雪が」の「が」が1オクターブほど
調子っ外れだった。
「お・・・お嬢ちゃん!」
僕が裏返った声で呼び止めると、テリヤに引っ張られていた少女が足を止めて、
振り返った。
アキ君には似て、いない。
小学校三年生ぐらいだろうか。不審そうな目で、僕を警戒している様子だ。
「そ・・・その歌・・・」
「え?」
「その歌・・・どこで覚えたんだい?」
僕が問うと、
「え・・・ああ、この歌」
と、少女は少し警戒を解いたのか、微笑んで見せた。
汽車を待つ君の横で僕はー 時計をー気にしてるー
季節外れのー 雪がー降ってるー
「そう、そう。その歌だよ。誰に教わったんだい」
あの調子外れの歌い方を教えたのは、もしや・・・
僕の胸が高鳴った。
「前にね、うちにいたお手伝いさんがたまに歌ってたんだよ」
お手伝いさん・・・メイド・・・メイド、ロボ!?
「そのお手伝いさんって、もしや・・・いや、こんなこと聞いて、変だと
思うかもしれないけど・・・ロボットじゃんかったかい?」
僕がおそるおそる言うと、その少女は驚いたように目を見開いて、
「わぁー。よく知ってるねー」
と、無邪気な声を出した。
「お嬢ちゃんのおうち、いたのかい。前に」
僕の言葉に少女がうなずく。
「うん・・・アキちゃんはね、パパが知り合いのね、大阪の大学の先生
から借りてきたの」
間違いない。
やはりアキ君だ。
「でもね・・・」
と、少女は顔をくもらせた。
「連れて来てみたら、アキちゃんは、料理もお掃除も全然下手だっていうんで、
パパもママも怒っちゃってね、アキちゃんは、いつもいつも怒られてばっかりで、
とってもかわいそうだったの」
少女が悲しそうに言った。
「何とかしてあげたかったんだけど・・・、私、何にもできなくって、いつも
アキちゃんがパパに怒鳴られたり、ママにぶたれたりしていても、何にも
してあげられなかった」
アキ君・・・ちゃんと家事をできるように改良プログラムしてもらっていれば、
そんなことには・・・
「それで・・・アキちゃんは、いつも西の空を見ては、泣いていたの」
西の空・・・大阪の空・・・僕らが暮らした町を。・・・僕の視界がぼやけてきた。
「そんなとき、私がなぐさめてあげたら、よくこの歌を歌って聞かせてくれた
んだ」
と言って、もう一度、少女は歌った。
時がーゆけーば 幼いー君ーも
大人ーになるーと 気づーかなーいまーま
僕は頭の中が真っ白になって、倒れそうになった。
「で・・・どうしたんだい。今はどこにいるんだい」
僕が必死で体を支えながら、身を乗り出してきくと、少女は
「いないの・・・壊れちゃったの」
と答えた。
僕は瞬間、目がくらんだ。
「ど・・・どうして・・・」
目の前が何だかチカチカしてきた。
「アキちゃんが、間違ってお鍋をひっくり返しちゃったとき、パパが怒って、
アキちゃんを強く殴ったらね、おかしくなっちゃって、そのまま停まっちゃっ
たの」
少女が舌足らずな声で言う。
「そ・・・と・・・ま・・・」
僕の言葉は、もはや言葉になっていなかった。
「アキちゃんは・・・そう、忘れないよ。アキちゃんは、ガーガーピーピー
言って、そいで・・・何だっけかなあ。たしか、ヒロキサン、ヒロキサン
とかって言って・・・」
「・・・」
「それっきり停まっちゃったんだ」
少女がせつなそうに言った。
「パパもママも、びっくりして、叩いたり、名前を呼んだりしてたけど、
これはまずいぞって言って、大阪の大学の先生に連絡して・・・そしたら、
次の日かなあ、大学の先生が来て、ああ、これはもう直らないですねって・・・」
「な・・・な・・・な・・・」
「で、何か弁償させられたとかって言ってたかなあ」
「そ・・・そう・・・」
僕の目の前の視界がグルグルとまわっているようで、僕は自分で何をしゃべって
いるのか、ほとんどわからなくなった。
ただ覚えているのは、むやみに喉がカラカラになって・・それで、胸がしぼられる
ように、えぐられるように痛くって。・・・
「そ・・そうか・・・うん・・・」
とか何とか言って、その少女と別れたんだと思う。
それから僕は、その日、どう過ごしたんだかわからない。
気がつくと、夜のベランダに一人で立っていた。
僕の気持ちと関係なく、月ばかりが上機嫌に明るく照っていた。
僕は中秋の満月を仰ぎながら、はにかみ屋で内気で、ちょっとボーッと
してて、そして人一倍甘えっ子だったアキ君のことを思って泣いた。
Fine