ロボットの作った学校は一見、人間の学校と比べ、これといった違いはない。
授業内容の種類も質も退屈さも平均的な高校のそれであるし、高度に発達した技術によっ
て、手で振るう直接的な“筆記”がなくなる事もなかった。
サエコは机に立体ホログラムによって写し出されたノートに、ペン型インターフェイスで
文字をなぞって記入し、それを記録した小型記憶媒介を授業後に教師ロボットに提出
またはメリーから渡された携帯端末にコピーして、ノートとして持ち帰ればよかった。
サエコの居た時代でさえ、一部の学校では教材を一切廃止し、ノートパソコンで授業を受
ける例もあったので、別段カルチャーギャップを感じることもなかった。
また、サエコのクラスメートである生徒達の行動も、驚くほど人間の子供そのままだった。
熱心に授業を聴く者、サボって無駄話をする者、やたらといきがって教師ロボットに楯突
く不良までいる。
だがそれでも、サエコはこの空間に自分が存在する事に納得がいかなかった。
彼女は頬杖を付き心底詰まらなそうな表情で、あの病室でしていたように窓の外を無気力
に眺めた。
そんなサエコを見かねたか、彼女の隣の席の少女型ロボットが心配そうに覗き込んできた。
「…サエコ、どうしたの?」
このロボットは胸の辺りまで伸ばした綺麗な黒髪で、前髪を真ん中から別けて両耳の上辺
りでヘアピンで止め、少し大きめの気弱そうな目を覗かせていた。
「あぁぁ?」
サエコは例の如く無気力に応え、据わった三白眼で睨み返してくる。
少女型ロボットはビクリと驚いたような反応を示し、鼻と目の間辺りを薄っすら朱に染め
て、おどおどした口調で続けた。
「あの…サエコ、元気ないみたいだけど…その、何か私にできる事ある?」
「んじゃ、説明してくれる?なんでアタシに話しかけんの?」
少女型ロボットはトロそうに若干瞳を上に向け、しばらくの思考の後に返した。
「だって私、アナタの隣の席の女の子っていう“設定”だから」
ここでサエコは改めて、自分の感じていた不快感の正体を気付かされた。
「やっぱしアンタ始め全員さ、そうなんだよね…ちげえんだよ、空気が」
サエコは意地悪そうな顔つきで隣の少女型ロボットを睨み、その爪の先で鼻先を突いた。
「なんつーか?うちら一生懸命演じてますー的な空気っつうの?おめーら何テンパッてん
のよ」
サエコの意見は実際その通りだった。
彼らロボットは可能な限り人間の様に振る舞い、人間の教室を再現しようとしてはいたが、
結局のところそれはプログラム通り設定通り予定通りの行動である。
そこには何ら意味は存在しない。意味が存在しない事に気付こうとする概念すらない。人
間であればサエコのような子供でさえ、日常の中の社交儀礼や処世術を知っているし、そ
れ自体には何ら深い意味等無いという事も知っている。
だが彼らロボットは、そこに必死に意味を見出さんとするが如く、人間らしく行動“しよ
うとしている”のだ。これを茶番と呼ばずなんと呼ぶか。
「メリーが変な所探せとか言ってけどさ、自分でわかんないかねぇ…所詮人形だよなー」
サエコがそう一言放った瞬間、その少女型ロボットは両目から大粒の涙(無論、唯の生理
食塩水)を流し、不規則にひきつけの様な嗚咽を始めた。
「ひっぐ!えうぅぅ…ご、ごえんなさい…ひぐぅっ」
「あちゃー」
額に手をあて呆れるサエコは全く悪びれる様子は無い。これがプログラムに則ったリアク
ションである事を知っているからだ。

「ごえんなさい、あぅ…わたし、人形で…えんなさぃぃっ」
泣き声に気付いた大橋まこと似の教師ロボットは困った様な表情で講義を中断し、小刻み
にしゃくり上げる少女型ロボットの状態と性格設定を分析、瞬時にその場で最も“人間ら
しい”と思われる行動に移った。
「またかコハル、保健室に行って大人しくしていなさい」
「うえぇぇっ…えんえいごえんなさぁぁいっ(先生ごめんなさい)…」
泣き虫で弱気な性格設定のコハルと呼ばれるロボットは、一生懸命涙をぬぐう仕草を真似
ながら教室を出て行く。
すると、突然サエコは右手を上げて席を立ち、清ました表情で言った。
「はーいせんせー、私ついてっていいですかー」
「サエコ!?」
教師ロボットは、今度は完全に意表を突かれたような様だった。
サエコはロボットではなく、れっきとした人間である。彼女には性格設定等という、都合
の良い物も存在しない為、その行動をAIが予測する事は非常に困難なのだ。
「あ、そのな…サエコは体調でも悪いのかね?」
「はぁ?何言っちゃってんの?」
サエコはここぞとばかり意地悪く頬を吊り上げ、処理速度の追いつかない教師ロボットが
慌てる様をあざ笑う。
「アタシが泣かせちゃったからぁ〜、アタシがついて行くのが人間として常識っつぅかぁ?
その辺空気読んでほしいみたいな?」
『人間として常識』この言葉に対し、学校シミュレートを勤めるロボットには反論する術
を持たなかった。
何故なら人間であるサエコが『おかしい』と思えば、それは間違いなく100%、人間の一
般的な常識に反しているという事だからだ。
教師ロボットは少々の間、石の様に硬直し、処理速度が追従するのを待ってから(その時
間、実に15秒)答えた。
「そうか。ではサエコ、コハルの事を頼みます」
「はーい」
明るい声でそう言って教室を出るや、サエコは舌を出してケラケラと笑った。

えんえん泣きながら廊下を歩いていくコハルが、後方から感知した足音に振り向くと、そ
こには妙に明るい笑顔のサエコが立っていた。
「オスー」
「…サエコ?」
「あんなぁ、説明すんのも面倒だけど…」
保健室に向かう道中、サエコはキョトンとするコハルに対し、人間の女子があの場でどん
な行動を取るか、特に自分のような不真面目な小娘が“どの様な口実で退屈な授業を抜け
出すか”等を解説した。
コハルは未だ小刻みにしゃっくりを繰り返しながらサエコの言葉を“鵜呑み”にし、後の
様々なシチュエーションに備え、自分の行動パターンの参考にすべくメモリーに焼き付け
た。
「まぁあれだぁ…さっきはごめんねー」
そう言いながら保健室の扉を開くと、某有名ドラマに出演していた女優似の養護教諭ロボ
ットが、机の端末に向かっていた。
どうやら、世界政府機構から送られてきたサエコの生体情報に目を通している最中の様で、
サエコの顔を見て直ぐに本人と気付いた様だ。
「あら、アナタがサエコですね。何の御用かしら」
「…あ、あたしじゃなくてこの子…コハルがね(今度は女優の鈴木奈央かよ!!!)」
「あぁ、この子泣き虫でしょ?仲良くしてあげて頂戴ね」
厚めの唇を綺麗に伸ばして微笑み、白衣を着た有名女優似の養護教諭ロボットは、さも人
間であるかこの如くコハルの顔色を伺ったり体温を測ったりした。
当然だがこれはコハルのロボットとしての容態を確認しているのではなく、プログラムに
則って診察の真似事をしているだけに過ぎない。
一通り検査を終えると、養護教諭は端末に行動記録を入力しながら、後ろのベッドを指差
して言った。
「とりあえず落ち着くまで横になってなさい。サエコはもう良いわよ、フロイト先生にコ
ハルの事を伝えておいてもらえるかしら?」
「あー、それなんだけどー」
サエコは妙に余所余所しく反し、ベッドに腰掛けているコハルの肩を小突く。
だがコハルはキョトンとしてサエコの顔を見上げるばかりだ。

「コハルが一人じゃヤダってー、また泣き出すかもしれないんで、私付いてて良いですかー?」
「ええっ!?」
あからさまに「何の事か判らない!」と言った表情を浮かべるコハルに、じれったいとば
かりにサエコはギラついた視線を送った。
「そうなの?コハル」
「ええええと、私あの…」
「サエコ…コハルのAIの処理能力では、人間の複雑な行動原理を余り上手く読み取れない
の。アナタが何を考えているか知りませんけど、コハルはアナタに付き合って嘘を付ける
程、器用には出来てないのよ?」
どうやら養護教諭は、サエコが授業をサボタージュする腹積もりである事を見抜いている
ようだったが、当のサエコは口を尖らせ、惚けた口調で
「えー、何の事ですかねー」
等としらばっくれるばかりだった。
「ねー、そうだよねーコハル?」
「ええええ、あああの…その…」
目をぐるんぐるん回しながら顔を真っ赤に染めて慌てるコハルは、やはりそれ程優秀なAI
を搭載しているようには見えなかった。
恐らくサエコの時代のチューリングテストにかけたとしても、直ぐにボロを出す手合いだ
ろう。
養護教諭はこれ以上議論しても無駄であると判断し、一つ溜息を吐いてから呆れたような
声色で言った。
「わかりました、コハルをこれ以上虐めないと約束するなら一緒にいる事を許可します…
ただし、この事は将軍にしっかりとお伝えします」
「はぁ?ショーグンって誰よ、徳川家康?」
「アナタの身辺警護をしているメリー将軍です、我々の世界に軍人は彼女一体しかいませ
ん」
途端にサエコは顔をしかめて唸った。
「え゛え゛え゛ぇぇ!あのミリオタコスプレロボかよ!」
「その辺にしておきなさいサエコ。あまり駄々をこねると教室に追い返した上で、メリー
将軍に今の音声をそのまま再生しますよ?」
「ああったよ、うっせーなー!」
そう言うとサエコはさっさと上履きを脱ぎ捨て、コハルの横にゴロンと転がって布団を被
ってしまう。
コハルはぽかんと口をあけたまま、目を丸くしていた。
「…サエコ?」
「ねんぞー」
「ねんぞーって、サエコ?ここ私の…」
「あっ?文句あんの?」
鋭い目つきで睨まれたコハルは、それ以上反論の余地をなくしてしまい、しかたなくサエ
コの横に寝転がった。
別にコハルが本当に休む必要はなく、むしろ惰眠を貪りに来たのはサエコの方である。
コハルがサエコに背中合わせに横たわると、後ろのサエコは、突然静かな口調で問いかけ
た。
「…あんたさ、アタシの隣の席の子って“設定”だけどさ…あんた自身どうなのよ」
「どうって?」
またサエコが不可解な質問をしたため、コハルは困ったように眉間に皺を寄せて聞き返し
た。
サエコはまた疲れたような口調で続けた。
「アンタは、私の隣の席の子って設定が無かったとしても、私の隣ならどうなのかって事
…」
この質問は大分わかり易かったようで、コハルのAIでも案外簡単に適切な答えを導き出せ
た。
「別に、変わらないよ…」
「…」
本来全てのAIは人間に対し、好意的な反応を示すように傾向付けられている。
また彼らは人間を無視できず、常に意識するように作られているのだ。
それは早速、有機体で言う“本能”に近い。
例え人格設定が「仲の悪いクラスメート」だとしても、彼らロボットが本当に人間に対し
敵意を持つ事はない。

「サエコ?」
後頭部のセンサーが湿度の高い凡そ34℃の温風を感知したため、コハルはサエコの方に寝
返りを打った。
途端にコハルの視界一杯にサエコの顔が映し出された。しかもその表情は真剣そのものだ
った。
「さ、サエコ?」
「…できんじゃん」
「へ?」
「設定なんてしなくたって、アンタは私の友達になれんの!」
サエコはコハルの頬を両手の平でがっしりと挟み、顔をブニブニと潰したり戻したりしな
がら言った。
コハルはやはり合点のいかない様子だったが、それでも、少なくともサエコの方から自分
に歩み寄ってくれた事には気付いた様で、また例の如く“設定通り”に顔を赤くしていた。
その様子を机から見ていた養護教諭ロボットは、また小さく溜息を吐きながら端末にサエ
コの情報を打ち込んだ。
「保健室では静かになさい…(授業をサボタージュするも、クラスメートとの間には良好
な関係を構築)」

「…良好な関係…友人か」
ホバーカーの車内で学校からの連絡を受け取ったメリーは、養護教諭ロボットからのレポ
ートに目を通しながら、一人呟く。
「…(デックもさぞ喜ぶだろうな…)」
メリーは学校の上空を旋回しながら、遠くに見える世界政府機構の巨大な建造物を眺め、
自らの眠れるAIをレイプする。
「Deus ex machina.だと…我々は神に等なれんぞ、デック…」
メリーの瞳は、また小刻みに振動していた。

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