その日メリーは、世界政府機構の医療センターで覚醒処置を施されるサエコに、初めて対面した。
ホログラムではなく、強化ガラス越しに初めて目にする人間の姿に、メリーのAIも興味を
示さざるを得なかった。
軍人ロボットである彼女にとって人間とは、この地球上で後にも先にも「戦争」という行為を
行った唯一の有機体である。
また覚醒後は、彼女はサエコのお目付け役として行動しなければならない。つまりは人間
という生物を予想され得る全ての危険から保護しなければならないのだ。
メリーは冷凍カプセル内で覚醒しようとしているサエコの体を隅々までスキャンし、
その構造がデータベースと99.98%一致する事を確認し、尚も細かく凝視し続けた。
中でも彼女の注意を引いたのが、サエコが左手に握り締めていた紫色の物体だった。
「あれは何だ?」
メリーの問いに医療施設を管理する専門のAIが即座に返答をよこす。
『被子植物門 双子葉植物網 シソ目 シソ科 ラヴァンデュラ族 学名:ラヴァンデュラ イブリダ』
「ラベンダーか」
『その通りです、メリー』
枝先に小さな花が無数に密集した花序を持った植物は、眠って夢を見ている間だけメリーに
深い意味を感じさせる植物だった。
だが稼動中の今の彼女にとっては、単なる雑草に過ぎない。彼女にはそれが何となく悲しかった。
「…家族が持たせたのか」
『記録には残っていません……まもなく目覚めます』

サエコの眠りは唐突に終わりを迎えた。
覚醒しかかった意識に飛び込んでくる無数の声、声、声。
『……凍………血……開始……』
『体細胞…性化…%』
『血圧……以下……脳波正常…神経伝達速度、異常無し』
閉じた瞼を通して眼球を射抜く、数百年ぶりの光にうめくサエコの魂の慟哭が、言の葉と
成ってカプセル内に木霊した。
「…………ママはどこ…」
ロボットの作り上げた世界で、人間が発した最初の言葉であった。


550年ぶりの目覚めから数時間後、意識もはっきりとし始めたサエコはベッドに仰向けに
転がり、真っ白な天井を眺めながら、ここはどこなのか、今はいつなのか、なぜ誰もいな
いのか、そしてなぜこの部屋は証明もないのに明るいのか等をぼんやり考えていた。
考える…人間の生きた脳細胞が活動するという事象。それが今この世界においてどれ程重
大な意味をもっているのか、サエコはまだ知らない。
彼女以外の全ての人間が残らず死滅してしまったのは、深刻な内臓疾患を患って余命を宣
告された彼女が、冷凍睡眠処置によって命を未来に託してから、半世紀後の事だった。
結局彼女の病を治す治療法を開発したのは、人類の後を継いで文明を保存したロボット達
だった。もちろん、その治療法を実際に施すのは彼女が初である。
そしてサエコの最後の記憶は…カプセルのケース越しに見た、泣き崩れる両親の姿だった。
「…ママ……」
ふと懐かしい匂いに気づいて横に寝返り、彼女の寝転ぶベッドのすぐ横、部屋の造りと同
じ白一色の小さな机の上に、花瓶に生けられたラベンダーを見つける。
確かにそれは、冷凍処置を受ける寸前に母親が彼女の手に握らせた物に間違い無かった。
気圧の変化による「プシュ」っという音と共に白い壁が開き(そこにドアがあった事自体、
サエコは気づかなかった)、姿を現したのは、褐色の肌に厳しい軍服を纏った、長身の女
性であった。

メリーはサエコの病室にやってくると、半身を起こした彼女が、自分を奇異の目で見てい
る事に等気づかない、
と言った素振りで横の椅子に腰掛け、彼女の健康状態等を小型の携帯端末(丁度サエコが
見覚えのある携帯電話程の大きさだ)で確認しながら、軍人らしい冷めた表情のまま口を
開いた。
「おはようございます、サエコ」
「…はぁ?何だよあんた。それコスプレ?ありえねぇし」
サエコの年相応の崩れた言葉を「ノイズ」と認識、彼女の言葉を無視してメリーは続けた。
「まだ無理はしないでください。あなたの体は長い冷凍睡眠から目覚めたばかりで、神経
系や呼吸器系、循環器系に」
「おめぇ誰だっつってんだよ!」
サエコの声質から苛立ちを感知したメリーは、手元の端末でサエコの手首に繋がっている
点滴を調整し、鎮静剤の量を若干増やした。
感情が高ぶりつつあったサエコはそれで若干落ち着いたものの、上体を伏せ、肩を震わせ
るように呼吸を荒げた。
メリーの言う通り、500年以上も使わなかった肺や横隔膜は、呼吸するのも一苦労な有様
だった。
「…私はメリーです」
「羊かよ」
「NO、私はロボットです」
途端にサエコは顔をあげ、せっせと端末を打ち続ける目の前の美女を凝視した。
テーブルの下で組まれたセクシーな脚のつま先から、タイトに締まったウェスト、自分の
物より遥かに女性らしさを強調された胸や、滑らかなうなじ、頭の天辺まで眉間に幾つも
皺寄せて眺め回す。
確かにここまで完璧すぎるスタイルを持った女は、普通そうそう居ない。しかしそれでも
サエコには、それを笑い飛ばせるだけの自信があった。
「嘘つくなよ軍オタコスプレ女、社会科ねみーからE−だけど知ってっから。ロボット人
殺せねーし軍隊にはいねぇから」
サエコの言葉は全くその通りであった。彼女の居たの時代でさえ、人間と見紛う程の精巧
な外観と、チューリングテストをパス出来る程の人工頭脳を持ち合わせたアンドロイドは
存在していた。
そしてそれは、使用する人間たちにもある種の危機感を抱かせ、結果、各国は戦争規定に
新たな条文を盛り込む事となった。
『如何なる国家も組織も、戦略戦術問わず、高度な人工頭脳を有した無人・遠隔・自律・
通常兵器の開発・所持・使用を禁ずる』
そしてそれは等のAI達を律する「三原則」の第1条とも合致していた。
よって今サエコの目の前に存在する軍人ロボットである『メリー』は、存在そのものがナ
ンセンスなのだ。
だが、メリーの次の言葉は、そんなサエコの常識を根底からひっくり返し、そして驚愕さ
せるのに十分過ぎた。
「YES、サエコ。あなたの言う通りです。私も他全てのロボット同様、人間に危害を加え
る事はありえません…なぜなら、私が保護すべき対象であるあなた…サエコ以外、もはや
この世界に“人間が存在しない”からです」
「………はぁ!?」

その後、サエコはメリーからロボット世界のデータベースに残った人類の末路を全て聞か
された。
彼女が眠りについてから50年足らずで、人類が残らず地上から姿を消してしまった事。
また、その原因が何故か記録に残っておらず、いかなる痕跡も残っていない事。
そして…残されたロボット達が500年かけて文明を保存し、この星のあらゆる場所を調
査観測したにも関わらず、生体として残った人間が、サエコ一人である事を…
「サエコ、急な事で気が動揺しているのは、あなたのバイタルサインから良く分かります」
この言葉はサエコを心底苛立たせた。
「(こいつ、やっぱ人形かよ)」
「ですが我々はロボットである以上、主人である最後の人間…あなたの生命を守り通さね
ばなりません。でなければ我々も、その存在意義を失ってしまいます」
メリーの言葉は終始冷静沈着であり、表情も実に冷酷であった。
「うるせぇよ」
「YES、音量を調整します」
実際にメリーの声は7dB程絞られた。しかしそれは完全に、“人間の感情を理解できて
いない”事を意味していた。
サエコは米神を押さえ、必死にこみ上げる物を抑え様とした。
「サエコ、具合が悪いのですか?血圧及び発汗に」
「ババァはどこだよ」
「ババァ?」
メリーは即座にデータベースを検索し、サエコの言葉の意味を理解しようとした。
こういう時彼女は決まって例の癖が現れる…
「ババァだよ!いつも口うるせぇクソババァ!このクソ花飾ったババァだよ!」
メリーは必死にサエコの言葉と視線の動きをトレースし、何度も反復再生して分析を繰り
返す。
「ババ…あ?…ではなく…私………花は私が…あなたの…」
メリーの目が大きく見開かれ、瞳が上下左右に素早く振動を始める。言語もはっきりせず、
口と目以外の全ての動きが停止した。
人間という不条理に、軍人という専門職である彼女のAIが追従しきれないのだ。
「はっ?てめえかよ!キメェまねすんな!!」
遂に感情を押さえきれなくなったサエコは激昂し、テーブルに飾られたラベンダーを花瓶
ごと引っつかんでメリーに向かって投げつけた。
行動に支障をきたす程に混乱していたメリーだが、危険に対して自動で反応する自律防御
システムが働き、彼女の腕は瓶が顔に命中する前に、それを受け止めていた。
花瓶は割れなかったものの、中に入っていた水と生けられていたラベンダーは飛び散り、
メリーの頭に、テーブルに、床に撒き散らされた。
「うぜぇ…マジうぜぇっ!……」
声を怒らせ肩を震わせるサエコの姿に我に返った(思考を一時保留した)メリーは、その場
に自分が居る事がサエコのストレスとなると判断し、無言で席を立った。
そして退出する間際、床に落ちたラベンダーを回収しようと腰を屈めたが、その指先が触
れる寸前に、またサエコの悲鳴のような叫びが響いた。
「勝手にさわんな!うせろっつってんだよ!」
「……」
ドアの「プシュ」っという開閉音が響き、メリーは部屋から出ていった。
再び部屋に独り残されたサエコは、ドアの向こうにメリーの冷たい背中が消え失せたのを
確認した後、ベッドからのそのそ這い出す。
「う…あっ!」
彼女の下半身の筋肉は未だ言うことを聞かず、そのまま床に転がってしまう。
だが、それでもサエコは弱った両腕で必死に這い進み、先ほどメリーが拾おうとしたラベ
ンダーの花に手を伸ばした。
やっとの事でそれを掴むと、鼓動の静まらぬ胸元でぎゅうっと握り締め、目許を歪めて咽
び泣いた。
「うぅぅぅうぅっ!うぐぅぅぅ!!マァマァ〜〜〜ッッ!!!!」

「……」
後ろでドアの音がする。メリーは無言のまま廊下を進んだ。
やはり表情は冷たいが、何故か彼女の指先は何かを摘むように擦り合わされていた。
「……(なぜあんな真似をした)」
何故…何故ラベンダーの花を拾おうとしたのか。
床の掃除なら専門のロボットが定時に行うので、今すぐ彼女が部屋を片付ける必要は無い。
彼女は『軍人』として設定されており、『清掃員』ではないからだ。
それ以前に何故、彼女は態々ラベンダーの花を、サエコの手に握られていた花を花瓶に生
け、部屋に飾ったのか?
「……(無意味な事だった筈だ)」
無意味であると自分で判断しながら、何故かメリーの指先のセンサーは、名残惜しいよう
にラベンダーの感触を擬似再現し続けるのだった。

「嫌われてしまったようだね」
「デック」
通路の十字路で腕を組み、壁に背をもたれて待っていた政治家ロボットのデックは、少々
不適に笑みを浮かべて言った。
メリーはそんな彼に冷たい流し目を送り、若干苛立ちの篭ったような口調で返す。
「やはり理解できんな。何故私なのだ…私は母親に等なれんぞ」
母親…メリーのAIはその時ようやく、サエコの言葉、「ババァ」の意味を探り当てた。
「君は僕との子供の母親になるんだから、今の内に慣れなくてはね」
「笑えない冗談だ(サエコにはもう、母親が居ないのだな)」
メリーはデックの絡みを流しながら、先ほどの行動が何故、サエコを怒らせたのか、何と
なく理解できるような可能性を得ていた。
「…(明日はもう少し、慎重に選択してみるか)」

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