『マエストロ』が胴体の切断面をクリーニングしているのを、首だけの姿のキティが解析装置に繋がれたまま見遣っていた。 ふむふむと満足げに『マエストロ』の手元を見ているのは、手際の良さに安心しているらしい。その間に事件の情報収集は エイミーと『イェーガー』が担当していた。 「事後処理、だと…? 」 『そうだ。国家機密にかかわる物資の適切な事後処理としか聞いていない。 末端の私のレベルでは物資に関わる情報には触れられ無かったんだ』 『え〜!? わたし、少なくとも6ヶ月はあそこにいましたよぉ〜? その間ずっとお外に放置でしたけど…』 「エイミー、喋り方が何かおかしくないか? 俺と始めて喋った時はもっと理知的な感じだったような気がするんだが…」 『マスター、そういうのを「江戸の仇を長崎でとる」って言うんですっ! それにわたし、もともとこんな話し方ですよ〜だっ! 』 「やれやれ…。手掛かり無し、か。八方塞がりだ。DEAD ENDも近いね、こりゃあ…調子はどうだい『マエストロ』? 」 『こら、見るな、見るんじゃない! やめろ、やめろったらぁ! 』 『イェーガー』が『マエストロ』に近寄り手元を覗き込む。作業は繊維状に凝固した組織液を取り除き終わり、キティの胴体から装備一式と ボディスーツを剥いている所だった。『マエストロ』よりも二廻りほど小振りな半椀形の双乳の頂に、濃い目のピンク色の小さめな突起が付いていた。 あまり胸のサイズが大きいと戦闘行動には邪魔なのだ。腹筋のモールドは無いが、引き締まった下腹に臍(へそ)が穿ってある。 さらに右に『イェーガー』が目をやると… 「痛てててててて! エイミー、俺のケツを抓(つね)るな! 何しやがる! 」 『許可も得てないのに女の子のカラダをジロジロ見ると、本当にスケベなオジサン扱いされますよぉ? そうですよねっ、『マエストロ』』 「悪いけれど『イェーガー』、そう言う事。しばらく殿方は処置室から出ていて下さるかしら? 」 『イェーガー』は反論しようとして、『マエストロ』のふとした目配せに気付く。まだエイミーの持っていた画像情報の詳細についてまだ 聞いていなかった事に『イェーガー』は思い至る。2人の前では話し難い事なのだろうと『イェーガー』は想像し、2人に気付かれないように 『マエストロ』に小さく頷いて見せる。エイミーとキティにこれ見よがしに勢い良く背を向け、がっくりと両肩を落として猫背を演じ、残念そうに トボトボと『イェーガー』はドアへと向かってみせる。 「ハイハイ、女の子によってたかって虐(いじ)められた可哀相なオジサンは、廊下で一人でさみし〜く拗ねてますよぉ〜だっ」 『マ・ス・タァ? わたしの話し方でふざけないで下さい! 』 「おお怖。じゃあなエイミー、お友達と喧嘩するんじゃないぞ? 」 エイミーは上半身を起こし、右目の下に右手の人指し指を当て、下顎を下ろす。皮膚や舌があれば子供っぽい『あっかんべーだ! 』を やっている動作だ。解析装置に繋がれたキティはその様子を見てプッ、と遠慮無く噴き出してしまっていた。少なくとも、マスターと呼ぶ者に ドロイドがやっていい行為では無い。自分だったら、そんな行為が許可されていれば中指を立てているところだろうな、とキティはしみじみと思う。 そしてボディスーツを剥く手を止めていた『マエストロ』に声を掛ける。 『もう大丈夫だ。…スーツのジッパーを降ろしてくれて構わない』 「やっぱり、見る相手がそこがどうなっているかって知り尽くしているのを承知の上でも、見られたくない? 」 『奴曰く、哀しいが私も『女の子』だからな…。一思いに、やってくれ』 ジィッ、と堅い音を立ててジッパーが開かれると…陰毛はあるが、それが保護すべきである『女性器』が無かった。 …戦闘用ドロイドには全く不要なものだ。『マエストロ』は溜息を吐く。自分が設計した時には、きちんと外装モールドや 造型用スペースまで入れたはずだったのだ。考えられることは…コストダウンのためだ。二足歩行用オートバランサーの 価格を下げれば下げる程、そのサイズは大きくなる。…この分では頭脳の集積回路の方も当初に予定した高性能な物から かなりスペックダウンしているに違いない。これは単純な改悪どころの騒ぎでは無い。設計者たる自分に対する生産者側の 冒涜であり挑戦だ。…と『マエストロ』の脳内は3秒で怒りに沸騰した。『マエストロ』は設計段階でのパーツの選択、選定に 調達コストを考慮に入れ、充分歩溜まりや量産効果で採算が取れるように悩みに悩み抜き、もう二度と還る事の無い 花の乙女の20代最後の期間を『4日間も』犠牲にして費やしたのだ。こんな粗雑な事をしくさるなら私の黄金よりも貴重な 4日間を返せぇっ! 戻せぇっ! …と思った所で『マエストロ』は自分がじっと見られている事に気付く。 『いろいろ…あったんですねぇ…』 『…花の刹那の美しさは永遠に留めてはおけんからなぁ…ウムウム』 「少し頭を冷やしてくるわ…。貴女達はそのまま10分くらい、待っててね」 感情が最高に昂ぶると、思ったことをつい口に出してしまう癖がまた、出てしまったらしい。『マエストロ』は先程出て行った 『イェーガー』の後を追い。同じ様に肩を落として猫背気味の姿勢で処置室を出る。エイミーの映像記録の事もあるが、 『イェーガー』自身に起こった事についても話がしたかった。 「あれ…? 『イェーガー』…? 」 先に廊下に出て待っている筈の『イェーガー』の姿が消えていた。そこそこ頑丈な長椅子にでも寝そべっているかと思い、 『マエストロ』は首を伸ばして見るが、やはり居ない。キョロキョロと見渡していると突然、首筋にピトッと濡れた冷たいものが 当てられた。だが、人間の気配だけが奇麗に無い。飛び切りの笑顔を作り、懐に手を入れ、白衣の下のツールベストに 差し込んだ鋭利なピックを握る。途端に背後に人間の呼吸音がわざとらしく生まれた。鼻息が敏感な耳を刺激する。 「…今度やったら問答無用で刺すわね、『イェーガー』。で、何を持ってきたの? 」 「100%濃縮還元バレンシアオレンジジュース。3年前に君が護衛の俺に買いに行かせたものと同じものだよ」 「どうして貴方だけが軍を『抜けられた』の? 『人間』の突撃猟兵はもう…」 「ああ、全滅したよ。俺一人を除いて、な。…流石裏社会の住人、地獄耳だな。部下達の御蔭さ。たった一人で今、 こうして生き恥を晒している」 「…あの中に貴方も居たのね…『イェーガー』…」 「部隊の検閲演習だ。…現場に居なきゃ話にならんさ」 『マエストロ』は笑顔で向き直ると『イェーガー』の差し出すソフトドリンクの缶を受け取り、長椅子へ向かう。 『イェーガー』はその後を足音も立てずに附いて行く。『マエストロ』は缶のタブを開け、両手で開いた穴を覗き込む。 『イェーガー』はその向かい側に立ったまま、『マエストロ』を見下ろす格好で壁に凭(もた)れていた。目を開けてはいるが、 その眼は『マエストロ』を見てはいない。その思いは遙か遠い『演習場』に有るのだろうと『マエストロ』は思った。 突然、連絡を受けたのは5日前。『除隊した』と一言告げただけの通信に始まり、偽名の名義アドレスに身元引受人の書式が届いた。 記入して軍に送信するも音信不通で、送信2日後にやっと姿を見せたと思えば腐りかけの有機ドロイドを抱いて『直してくれ』と来た。 「…だから、俺はこうして…この街に来た」 3年前は『軍務と部隊と己』に誇りを持ち、胸を張っていたこの男に何があったのか? ふと気になって知り合いの情報屋に アクセスすると馬鹿高いYENをふんだくられて、やっと得たデータがJSDFの『突撃猟兵の極秘演習の映像とその結果』だった。 その情報屋は約一時間後、関係当局に『始末』されて変死体としてニュースのトップを飾った。データはストレージから抹消され、 彼女の個人端末にのみ保存されている。当然、足が附くようなアクセスの仕方はしていない。自分の存在は秘匿されている。 現在も自分がこうして生きているのがその証拠だ。 「戦闘用ドロイドと人間、維持費に予算を喰わないのはドロイド。ただの演習の筈なのに実弾使用。 その結果は不幸な事故。でも『国民の』兵士の死者は0…」 「『国民』の兵士には名前がある。…俺達には名前が無い。元々国の「消耗品」扱いだったからな…。 だがな、名前の無い俺達にはそれが唯一の誇りだったんだよ」 軍事費削減のために兵科を存続したまま中身のみ入れ替える。それを政府は計画し実行に移したのだ。 涙を流しながらかつての上官・仲間を薙ぎ払う『戦闘用ドロイド』。突然敵と為った部下や同僚を、無表情に その手に掛けて行く『人間』の突撃猟兵…。当事者たるドロイドから回収したと言う映像情報を見た『マエストロ』は、 その残酷さに声も上げられなかった。『嫌、こんな事なんて嫌です! 』と喚きながら非武装の『人間』の突撃猟兵に 機銃掃射をする『女性型戦闘用ドロイド』に、素手で止めを刺して火器を奪い、かつての同僚、『戦闘用ドロイド』達に 躊躇する事無く射撃する『人間男性』の突撃猟兵。映像では感情を声高に叫ぶ『戦闘用ドロイド』達の方が、 余程『人間らしい』と思えた。だが、『戦闘用ドロイド』は虐殺行為を『自分から止める』事は出来ない。 …その与えられた『殲滅命令』ゆえに。 現在、突撃猟兵には認識番号の末尾にドロイドの『D』が付かない兵士は居ない。…生き延びて退役を果たせた 『たった一人の例外』を除いて。それが『マエストロ』の知っている『真実』だ。 「キティの言ってた物資って…もしかして…貴方の事? 」 「いいや違う。俺の件は解決した。退職金と言う復讐阻止権口止め料がたっぷり口座に振り込まれてな」 「復讐、しないの? 」 「2日前に部下がしてくれたよ。ついこの間、首相専用機が日本海に事故で堕ちたろ? あれさ。 そんな事をしても何も変わらんし無駄だから止めろと言ったのにな…」 「…貴方の部下はもうドロイドしか居ないって話を聞いたわ。当然、生きてるんでしょう? その人」 「ピンピンしてた。俺が駐屯地を出る時に涙を流してしっかりと敬礼してその後ぶんぶん握手してくれたよ。 教官だけでも生き延びてくれて有り難うございます、後はお任せ下さい、絶対に政府に手出しさせません、だとさ」 『マエストロ』には、だからもう俺は要らないと捨てられたゴミなのさ、と言う『イェーガー』の心の声が聴こえた気がした。 だが、彼の心は全く歪んではいない。むしろ自分が機能不全にしてしまった部下の『戦闘用ドロイド』達を悼んでいる。 誇りとともに死ぬまで戦い抜いた『人間の部下』達も同じ様に悼んでいる。エイミーをジャンクヤードで拾って来たのも、 とても他人事とは思えなかったのだろう。…深く傷付いたこの男の、生きる目的に私がなれないものなのか? 『マエストロ』は唐突に浮かんだ考えを慌てて強く笑い飛ばした。私は『イェーガー』にとって過去だ。私を守り通した事は、 栄光に満ちた過去なのだ。そんな事を言い出して拒絶されるよりは…こうして近くに居られる方を私は敢えて選ぼう。 それが一番賢い、自立した女の戦術なのだ。『マエストロ』は両手で缶を握り締め、『イェーガー』の胸に飛び込んで 小娘のように泣き叫びたい衝動を必死に殺していた。