真っ暗闇の中を、私と陽子の意識がゆっくりと降下していく。

「お母さん…どこまで落ちるの?」
「研司さんの深層意識までだからもう少しの我慢よ」

 やがて私のイメージ回路に研司の体内の深部感覚や、目的とは違う記憶が次々に飛び込み始める。それらが雑多に入り交じって虹色の
 歪んだ視覚が展開され始めたので、私はフィルターを構築して陽子へのイメージ送信をある程度カットした。

「…これ、何? ぼーっとした虹色の風景…」
「彼の記憶や感覚が視覚化されてるのよ。本当はもっと凄いイメージだけど、あなたにはきついだろうから少しカットしてるけど」
「ぐにょぐにょしてるのね。なんだか酔っちゃいそう」
 陽子がそう言った瞬間、不意にイメージが真っ暗になってしまった。陽子の意識を確認し、彼女の意識が迷わないように引き寄せる。
「あっ…」
「そろそろ来る頃ね…私から離れないで」

 真っ暗闇の向こうに、光の輪が見えた。最初は指先で摘めそうなぐらいの大きさだったが、近づけば近づくほどその輪は大きさを増していく。

「こ、これは…」
「…これは研司さんの記憶のループ。今、彼の意識はここの中で無限ループを繰り返しているの」
「無限ループ?」
「そう、無限ループ…本来なら、今の研司さんを支配している”ケンジ”がここに囚われている筈だった」
「一体何故…?」
「その答えは…そうね、実際に見てもらった方がいいわ。遅かれ早かれ、陽子ちゃんは知らなければいけないから」

「…あそこ、なんだか違和感が…”輪”がほころんでる?」
「あそこから突入しましょう。陽子ちゃん、私に捕まってて」

 私達は互いの意識をつかみ合ったまま、”ループのほころび”に突入した。

「ここは…学校の近所だわ」
「時間と時刻は…予想通り、”あの日のあの時刻”ね」
「あの日?あの時刻?」
「そう、研司さんの母親が交通事故にあった、あの日」
「!!」
 あの年のクリスマス…忌まわしい、悪魔のサンタクロースからのプレゼント、とでも言うべきか。雪がちらつく雑踏の中に私達は降りたっている。
 歩道を行き交う人々の半数が何らかの包みを手にし、向かう先は家路か、それとも想い人の元か? 自分はこの頃、今のような素体には入って
 いなかった。冷たい大型コンピュータの中で、ただひたすら与えられた業務をこなすAIが私だったのだ。
「きゃっ!!」
 陽子ちゃんが胸と股間を手で隠した。そう、私達は全裸で人が行き交う歩道の真ん中に立っていたのだ。
「…他の人からは見えてないから大丈夫よ。それに、ここに居る人間は全て研司さんの記憶の産物だし…」
 人間は私達の体に目もくれようとしない。
「そんなこといわれても…」
「ふふ…陽子ちゃん、本当に大切にされてたのね」
「え…?」
「仕草だけじゃない…あなたの反応パターン、人間と遜色ないもの。あなたが絶え間ない学習を繰り返して、すっかり成長した証拠。」
「お母さんは恥ずかしくないの?」
「ここは研司さんの記憶領域の中…という認識であり、私にとってはデーターと同一のものでしかないわ」
「それは判ってるの。でも、見られているような気がする」
「外界の認識をデータとしてではなく、イメージとあわせて認識するようになってるのね」
 ここまで人間と同じ挙動であれば、研司にさえアンドロイドであることを悟られなかったのも何ら不思議ではない。

「私もあなたも、元は同じプログラムだというのに…どうしてここまで差ができるのかしら」
 私と陽子は、元を辿れば同じAIプログラムである。私のコピーが竜一に手渡され、それはその後、竜一によって”陽子”という私とは別の
 人格として”育てられ”たのだ。

「お母さん…」
 私は自分の腕を見つめた。この素体は陽子のものと違い、量産を前提にした試作最終モデルを流用したものだ。身体の関節部分の皮膚は、
 メンテナンスを容易に行える継ぎ目を設けて分割可能なように製造されている。特に腰から股関節にかけては、複雑な動きと機構に対応する
 ため、下着の淵と陰部を縫うようにシームラインが走っていた。
「お母さん!あの子!」
 不意に陽子が叫ぶ。彼女が指さした先には、歩道を歩いている大人たちに時折ぶつかりながら走っている子供の姿があった。
「…研司さん?」
 私のメモリーに収められていた、幼い頃の研司の顔と一致…間違いない。
「あれ、研司さんよ」
「何をあんなに焦ってるんだろ…」
「陽子ちゃん、あれを見て」
 研司が走って行る歩道の反対側の車線にバスが停車した。しばらくしてバスは発車し、降車したのであろう乗客が残されている。その中に、
 陽子にそっくりの女性が立っていた。
「あれは…」
「竜一さんの奥さん…」
「お義母さん…!!」
 研司はそのまま横断歩道を渡ると、研司の母親…真知子の傍らに駆け寄った。
「母さん、お帰り!」

「あら、研司…迎えに来てくれたの?」
「うん、父さんが荷物持ちにいってやれって」
「やれやれ、私の行動はお見通しって訳か…仕方ないわね、じゃあこれを持って」
 真知子は片手にもっていた大きな紙袋を研司に手渡した。
「ねぇ、これって…」
「ふふ…帰ってからのお楽しみね」
 大きな紙袋は、おそらくクリスマスプレゼントなのだろう。真知子は研司の手を引いて歩道を歩き、横断歩道を渡り始める。

「そろそろ来るわ」
「な、何が?」
 陽子が不安げな声を上げる。
「…これから起きることは全て事実よ…でも、決して目をそらせては駄目」
「事実って一体…あ!?」
 雑踏に突然響き渡る、悲鳴。
「うわぁあ!!」
「誰か!あれを止めろ!!!」
「…研司っ!!」
 真知子が研司を突き飛ばした瞬間、青信号で守られている筈の歩行者の列に大型トラックが突っ込んできたのだ。ブレーキを掛けたような
 減速も見せず、大型トラックはタイヤから派手なスキール音を鳴らしながら二人の身体をはねとばした。
 トラックの直撃をくらった真知子の身体は数メートル以上吹っ飛び、研司は地面に叩きつけられて3メートル離れた場所まで転がって行く。
「嫌ぁぁぁああああ!!!!」
「…!!」
 真知子の体からちぎれとんだ左腕が、歩道の際に転がり落ちた。しかし、その断面から覗いていたのは、血肉ではない。
「人工筋肉チューブ…金属フレーム!?」
 顔を背けていた陽子が私の台詞を聞き、真知子の体を改めて直視した。
「そんな…どうして?」
「真知子さんは正真正銘の人間だった…そして、彼女は全身打撲のため、即死だったはず」
「そして研司は、脳幹に致命的な損傷を被って…お父さんの技術で延命した」
「これは…真実とは違う!」
 真知子の身体は、人間とは思えない機械部品をまき散らして道路に転がっていた。股間からは緑色の冷却水が噴き出し、顔面は地面に叩き
 つけられた時にパネルが外れたのだろうか、金属製の人工頭蓋が無残にも剥き出しになっている。
『おかあ…さ…ん?』
 真知子から少し離れた場所にうつ伏せで倒れていた研司が、顔をゆっくりあげた。その視線は、”かつて母親だったもの”に向けられていく。
『…お…かあ…さ…ロボ…ト…?』
 研司が手を伸ばそうとした瞬間、真知子がぴくりと身体を奮わせた。
『ッ…ピッ……ケ…ン…ジ…』
 原形が残されていない手足を無理矢理動かし、液体やパーツをぼろぼろと落としながら研司にむかって這っていく真知子。
『いや…だ…こないで…』
 研司の表情が痛みと恐怖で歪む。
『ワタシハ…ザッ…アナタ…ガピッ…ノ…ガガガガッ!!』
 真知子の頚椎付近から火花が飛び散り、小さな爆発が起きた。彼女の頭部は身体から脱落し、研司に向かって転がった。
『ケ…ン…ジ…ケ・ン・ジ……ケ…ン…』
『う…ぁああ…あああ…うわぁああああああああああああっ!!!!!』
 研司の悲鳴とともに、景色がぐにゃりと歪んだ。周囲の色が交じり合い、私達の意識に捻られるような感覚が集中する。
「ああっ!!」
「いけない!!」
 周囲が暗転し、身体のイメージが認識できなくなると同時に緊急処理を実行し、研司の"記憶ループ”から私達は強引に脱出した。

「う…」
「陽子ちゃん、大丈夫?」
「い、今のは一体…」
「あれは、記憶のループの継ぎ目…真実ではない、ねじ曲げられた記憶が強引に接続されている箇所に巻き込まれたみたい」
 霧のように霞んでいたイメージが人の形となり、やがて陽子の姿となった。研司の記憶イメージが彼女にかなりの負担をかけたため、私が
 ファイヤーウォールでイメージの伝達を強制切断したのだ。

「それにしても、研司の記憶が何故あんなことに…」
「私と竜一さんが施したのよ」
「!?」
「あの事故の後…竜一さんは研司さんの脳幹を、当時の研究で試作していたものに取り換えた」
「そうしなければ、研司は死んでしまうような致命傷を負ったから」
 研司と真知子が交通事故に巻き込まれたのは事実。そして真知子は即死し、研司が半死半生の怪我を負ったのも本当の話だ。

「その通り。だけど、それは研司の脳へ悪影響を及ぼした…あの事故が引金になった研司さんのトラウマが人工脳幹を経て、もう一人の
 研司さんとなったのよ」
「まさか、風呂場で私を強引にねじ伏せたのは…」
「そう…あれは研司さんであって、研司さんではない。でも、その「ケンジ」は…あの記憶のループに私が閉じこめた筈」
「記憶のループに?」
「ああ、その通りさ…あんたの事、今でもしっかり覚えているぜ」
 陽子の問いに答えたのは私ではなかった。陽子の後ろに、いつのまにか男性のイメージをもった別の”意識”が立ちはだかっていたのだ。

「あなたは!」
「おおっと、能書きはそこまでだ…何故俺があそこから出られたかって聞きたいんだろ?」
 ケンジは”記憶のループ”を指さして言った。
「それは俺にも判らない。ただ、目の前に開いた穴に飛び込んだだけだ」
「…研司は?」
 陽子がケンジの顔を睨みながら呟いた。
「あいつか…俺がループから抜け出たすぐ後で、呆けた顔して突っ立っていたあいつを見つけた」
「あぁ!」
 陽子の顔が青ざめた。おそらくは、陽子が入浴中に研司を誘惑していた時だろう。
「奴を代わりにあそこへ放り込んでおいたのさ…それでこの身体は俺のものになったって訳だ」

「お母さん…どうしよう」
 陽子が不安げな表情で私に寄り添ってくる。
「陽子ちゃん、二手に別れましょう。私はケンジをここで引き止めてる…貴女は、研司さんをあのループの中から救い出して」
「そんな!私だけじゃ…」
「ループに入る時の要領はさっきと同じ。それに、研司さんは陽子ちゃんの方が強い絆を持っている」
「絆…」
「そう、絆…残念だけど、研司さんと私は絆どころか、面識も殆どないから。それに」
 そう言ってから、私はケンジの方へ向き直った。彼は私の心を読んでいたかのように、にやついた顔で答える。
「俺との決着をつけなければ、だろ? 俺もその点については同意だ…姉ちゃん、あんたの相手は後でしてやる」
「お母さん…」
「早くいきなさい、陽子ちゃん…私は大丈夫だから」
「うん…ごめん、お母さん…私も絶対、研司を連れて戻ってくる」
 陽子は踵を返すと、そのまま光のループに向かって飛び去って行った。

(続く)

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