都知事暗殺計画の黒幕を追い、伊豆の無人島にやってきた僕は、予想もしなかったピンチに陥っていた。
無敵のシズカがいれば怖れるものなど何もない。
そう考えていた僕だったが、まさか敵の中に生身の人間がいるとは思ってもいなかった。
殺し屋を生業とするのなら体をサイボーグ化した方が有利だし、そうするのが当たり前だと考えていたのだ。
正規の警察用バトルドロイドであるシズカは、ロボット三原則を遵守しなければならない。
というか、アシモフ回路を組み込まれている彼女には、人間を攻撃すること自体が不可能なのだ。
したがって、生身の敵はシズカではなく、この僕が相手しなくてはならない。
しかも元英国情報部の腕利きスパイという、よりによってタフな難敵をだ。
「否……必ずしも……クローが相手する必要は……ない……」
パニックになりかけた僕を余所に、シズカはあくまで冷静だった。
「クローがやらずとも……他の連中に手を下させれば……結果は同じ……」
シズカは現状を分析して、的確な判断を下した。
彼女が言うとおり、ダブルオーの敵は僕たちだけじゃない。
多人数が入り乱れる生き残り戦では、敵の敵は頼もしい味方なのだ。
共闘して強敵から葬っていくのは、バトルロイヤルの常套手段である。
その意味じゃ、いかにも弱そうに見える僕たちは、安全地帯にいると言ってもいい。
この自己嫌悪すら覚える女の子並みの体格が、まさか戦闘の役に立つ日が来るとは。
世の中、何が幸いするか分からないものだ。
さて、そうなると誰にどうやってダブルオーを始末させてやるか。
頭をフル回転させて熟考していると、当のスパイ崩れが近づいてきた。
一見青年紳士に見えるダブルオーは、爽やかな笑みを浮かべて話し掛けてくる。
「やぁ、君たちが噂の『マリオネット』だろ? で、どっちがロボ娘ちゃんなのかな」
人の気も知らないで、気楽に笑いやがって。
こっちが不利になるような情報など、誰が与えてやるものか。
幸いシズカは見た目には完全に生身の美少女だ。
黙ってさえいればマシンだと分かりっこない。
どちらがバトルドロイドかばれなければ、彼に2倍の警戒力を強いることができるのだ。
そんな深慮遠謀を、シズカが台無しにしてくれた。
「黙れナンパ男……クローディアに命令して……キンタマ……引っこ抜かせるぞ……」
シズカはシズカなりに思考して、相手を攪乱しようと企んだのだろう。
けど、そんなたどたどしい台詞回しじゃ、逆に的確な判断材料を与えてあげたも同じだ。
ダブルオーは怯えるどころか、してやったりとニコニコしている。
これでロボットはシズカの方だとばれてしまった。
こうなったからには、彼女にアシモフ回路が組み込まれてることだけは隠し通さねば。
あくまで、殺人も辞さない違法な暗殺用ロボットだと思わせておくのだ。
シズカが正規品ロボットだと知られたら、ダブルオーに対して打つ手がなくなる。
僕たちはダブルオーに手を出せない。
そして、他の連中はダブルオーに手を出さない。
生かしておいて、僕たちを倒させるために。
つか、誰がクローディアだ。
「クロー……こうなったら……一刻も早く……あいつを始末させないと……」
「だから、誰にやらせるんだよ」
シズカは自称超一流の殺し屋たちを見回していたが、やがてポツリと呟いた。
「アイツ……」
シズカが選んだのはメタルベレー出身のニコライ大尉だった。
確かにガチンコで戦うのなら、この中じゃ彼が一番強そうに見える。
戦闘力なら、間違いなくダブルオーより上だろう。
「で、どうして大尉なんだ?」
「ああいうマッチョは……気障な二枚目が大嫌い……それが相場だから……」
それは偏見というものじゃないのかな。
まあ、僕の代わりにダブルオーをやっつけてくれるのなら構わないが、どうやって交渉する気なのか。
ここは一つシズカのお手並み拝見と行こう。
シズカはつかつかとニコライ大尉に近づくと、やにわに背後から話し掛けた。
「ちょっと……アンタ……アイツを殺して……」
シズカはそう言うと、ダブルオーを指差した。
おわっと、まさかのノープランかよ。
僅かでも期待した僕がバカだった。
戦闘用アンドロイドに、高度な政治力を要する交渉などできるはずがないのだ。
いきなり訳の分からないお願いをされた大尉は、胡散臭そうにシズカの顔を見た。
なんだこの小娘は、という風に。
こう言う時に普通の人間が見せる、至極まっとうな反応だ。
そもそも、ひ弱そうな僕たちなど、大尉の眼中になかったのかも。
話し掛けられて、初めてシズカの存在に気付いたような様子にすら見える。
だが、次に大尉の表情に起こった変化は、見ているこっちが驚くほど劇的だった。
シズカの顔を見た途端、大尉の目は大きく見開かれ、口も顎が落ちそうになるほど大きく開かれた。
そしてシズカに向けられた人差し指は、痙攣するように小刻みに震えていた。
「あわわわわ……」
ニコライ大尉はヘナヘナとその場にへたり込んでしまった。
大尉は怯えているのだ。
恐れなど知らないようなマッチョマンが、小娘のシズカを見て怯えきっているのだ。
そんな大尉の姿は、嫌でもライバルたちの耳目を引いた。
みんなが僕たちの方を向き、何事が起きたのかと注目している。
「こ、こいつ……俺はこいつを覚えてるぞ……」
ニコライ大尉がしわがれた声で唸るように言った。
「俺が新兵だった頃、ドイツと戦争になって、故郷のプーチングラードが火の海にされたことがあった……」
大尉が言う戦争とは、何年か前に勃発した独露紛争のことだろう。
つまらぬ政治解釈の違いが切っ掛けで、当時のドイツとロシアは険悪な仲になった。
そして意地の張り合いは、ついにドンパチにまで発展することとなった。
幸い、全面戦争に突入する前に第三国の介入があり、どうにか停戦にこぎつけることができたと聞いている。
実際にはドイツの自動歩兵軍団がロシア自慢の機甲部隊を圧倒し、ロシアは僅か一週間で戦闘継続能力を喪失したという。
人型ロボット兵器が実戦投入された史上初めての戦争は、それくらい一方的な展開だったらしい。
そのため、この紛争はドイツが鉄人兵団の実戦データを採るために、無理に仕掛けたものだという陰謀説もあるくらいだ。
しかしそれがシズカと何の関係があるんだ。
「開戦初日のことだ。1機の輸送機が街の上空に飛んできたと思ったら、降下兵を次々に吐き出しやがった。
パラシュートで降りてきたのはメイド服を着たロボットどもで、連中は情け容赦なく殺戮と破壊活動を始めた……」
超兵器を内蔵したロボット兵の前では、主力戦車もひとたまりもなかったという。
ロシア軍の攻撃はことごとく弾き返され、お返しの砲火は簡単に戦車の装甲を貫いた。
たまに主砲の直撃を受けて、吹き飛ぶロボット兵もいた。
だが、何事もなかったように無表情で立ち上がってくるその姿は、大尉たちにとって悪夢の光景だったに違いない。
200体のロボットが街を破壊し尽くすのに、わずか2日しか掛からなかったらしい。
「人も建物もバラバラだった。俺たちは最後の決戦をと兵舎に立て籠もったが、そこにロボット兵団が押し寄せてきやがった」
天を焦がさんばかりに燃えさかる炎をバックに、200体のロボット兵たちは横隊を作って行進してきた。
正確な足運びが、規則正しい足音を響かせた。
逆光のためシルエットだったロボット兵が、接近するにつれて場違いなメイド姿を顕わにした。
いずれも絶世の美少女たちだが、その目には何の感情も帯びていなかった。
主の命令に従い、主の意思を具現化するためだけに、彼女たちは存在しているのだ。
大尉はこの時天使というものが、悪魔の同族であることを思い出していたという。
文字通り、血も涙もないロボット兵を前に、大尉たちは死を覚悟した。
そして、いよいよ攻撃開始という時、ロボットたちは一斉に戦闘態勢を解いたのだ。
ギリギリのタイミングで停戦命令が間にあったのだった。
「その時、先頭に立っていた指揮官がそいつだっ。そいつはマンイーターだぁっ」
ニコライ大尉は長い話を終えると、震える指先でシズカを指し示した。
僕は問い質すようにシズカの顔を見た。
「知らない……何を言ってるの……こいつ……」
シズカは無表情のまま、素っ気なく否定した。
そりゃそうだろう。
シズカは新古品のウーシュ0033で、僕と組むまでは埃を被っていた売れ残りなんだから。
本人は「売れ残り」などではなく、あくまで「展示品」だったと主張して譲らないのだが。
「それにシズカにはアシモフ回路が組み込まれているから、マンイーターだなんてことは……」
危うく秘密を吐きそうになって、僕は慌てて口を押さえた。
マンイーターとは人食い、すなわち人殺しができる違法ロボットの俗称である。
それだけでもニコライ大尉が勘違いしていると分かる。
僕にとっては、非常に都合がいいことなんだけど。
「いいやっ。俺の脳にはあの時の光景が焼き付いていて、今でも夢に見るんだっ」
ニコライ大尉は主張を曲げず、激しく首を振ってみせる。
「うるさい……お前……」
シズカは不機嫌そうに上目遣いで大尉を睨み付けている。
「その顔を見間違うわけがない。お前だっ、お前に間違いないっ」
ちなみにウーシュタイプのバトルドロイドは、一体一体が異なった外見を持っている。
基本機能は同一でも、体格、人種などの見た目は千差万別で多岐にわたっているのだ。
「お前があの時の……」
ニコライ大尉が再び吼えた次の瞬間、シズカの右手が動いていた。
「しつこい……黙れっ……」
警告が終わるより早く、速射破壊銃が唸りを上げた。
電磁カタパルトで加速された弾丸が、プラズマの尾を引いて大尉の土手っ腹へ吸い込まれていく。
体幹部分の重要器官を破壊され、さしもの強化人間も一瞬で機能を止められた。
「ぐわっ」
大尉がたまらず両膝を地面に付けた。
それでもシズカは容赦しない。
左手に組み込まれたプラズマキャノン砲を露出させると、フル充填を待たずにぶっ放した。
しかも情け容赦のない連続発射だ。
着弾するたび大尉の体は跳ね回り、残骸は細切れと化していく。
やがてシズカが砲身を収めた時、ニコライ大尉がこの世に存在した形跡は完全に消え失せていた。
「シズカ、どうしちゃったんだよ」
こんな後先考えない攻撃をするなんて、いつものシズカらしくない。
他の女に嫉妬心を剥き出しにする時だけは別だけど。
「うざかったから……ちょっとやりすぎた……」
ちょっとどころの話じゃないよ、これは。
速射破壊銃の一撃だけでニコライ大尉は終わってた。
これじゃ、まるで大尉の存在自体を消去しようとするような攻撃だ。
マンイーターと指摘されてからのシズカは確かにおかしかった。
僕の指示を待たずに攻撃するなんて異常だ。
まるで、大尉の口を封じようとするような──。
あれ以上大尉にしゃべらせたら、彼女にとってまずいことでもあったというのか。
それは僕の心の中に初めてシズカに対する疑念が生じた瞬間であった。
だが、状況はそんなことに構っていられるほど悠長ではなかった。
今の戦闘が、バトルロイヤルの開始を告げるゴングとなってしまったのだ。
いきなり手裏剣が飛んできた。
シズカが僕の胸ぐらを掴み、グイと手元に引きつける。
唸りを上げる八方手裏剣が、僕の耳元を掠って飛び去る。
高周波を伴った手裏剣は、大木の幹に深々とめり込んだ。
と思ったら、その大木がメキメキと音を立てて倒れる。
むぅ、科学忍法?
振り返ると、まがいもののクノイチが舌打ちしていた。
そして一瞬後にはフッと姿をくらませる。
「クロー……始まってしまった……」
こうなれば乱戦の中でダブルオーが死んでくれるのを祈るだけだ。
チラリと彼の方に目をやると、スパイ崩れはスタコラサッサと逃げていくところだった。
鍛えているとはいえ、所詮は生身の人間である。
化け物たちとまともに戦えないことをちゃんとわきまえているのだ。
「ダブルオーを追うんだ。幾ら全員を倒しても、アイツ一人に生き残られたらお終いだ」
それは僕たちにとって最悪のシナリオである。
戦いの渦中に巻き込んでさえいれば、流れ弾とか余波の効果が期待できる。
ところが僕の考え通りにことが進まない。
今の戦闘でシズカを一番の難敵と見た全員が、一斉にこちらに攻撃を仕掛けてきたのだ。
まずは化け物じみたシズカを皆で協力して潰そうというのだ。
戦場に残っているのはシュガー姉妹と毒々マッドサイエンティスト、それに殺人ピエロの4名だ。
いつの間にかヒゲネズミまでもが姿を消している。
あのネズミ男も生身だから、放っておいたら厄介なことになる。
だが、今は目の前の戦いに集中するべきだ。
シュガー姉妹は走りながら二手に分かれると、僕たちを左右から挟撃してきた。
これは速いっ。
彼女たちにはアクセラレーターが組み込まれているのだろうか。
常軌を逸した加速力である。
自然の法則を超越した動きのため、加速するたびに姉妹の姿が視界から消え去る。
視神経の働きが彼女たちの速さに追いつかないのだ。
足が地面に着き、速度が鈍った一瞬だけクノイチスタイルの姉妹が現れる。
そして蹴り足の加速により再び見えなくなる。
僕の網膜に姉妹の残像が点々と残り、あたかも分身の術を使っているように見える。
もっとも、それは副次的効果であり、姉妹が意図してやっている術ではない。
そもそも電子の目を持つロボットを相手に、残像を利用した分身の術が通用するとはあちらも期待していまい。
だが姉妹のアクセラレーターは僕の目だけではなく、シズカを混乱させるのにも成功していた。
あまりに速いため、火器管制システムが予測照準を付けきれないのだ。
人間なら山勘で適当に発砲できるが、シズカは管制システムが照準を終えない限りは火器への回路が開かない。
火器管制システムは正確な狙いをつける照準器であると同時に、誤射を防ぐための安全装置でもあるのだ。
つまり、バトルドロイドは機能上、盲目撃ちできない仕組みになっているのである。
混乱するシズカに向かって、四方八方から手裏剣の嵐が襲いかかった。
演算処理能力のほとんどを火器管制に回していたため、シズカの回避反応が遅れた。
鈍い音を立て、シズカの体に10枚以上の手裏剣が突き刺さった。
なんと、砲弾すら弾き返す特殊繊維のメイド服──シズカの補助装甲が役に立たない。
恐るべき高周波手裏剣の切れ味である。
「イケるでゴザル」
「ゴザル」
シュガー姉妹は、その愛くるしい顔に満面の笑みを浮かべた。
もっとも、彼女たちの考えは少々楽観的すぎる。
体幹部を守っている本装甲は厚く、この程度の攻撃ではシズカの機能に影響は出ない。
手裏剣は生体組織層に刺さっただけなのだ。
「気をつけろ。次は肩や肘のジョイントを狙ってくるぞ」
シズカはノースリーブの盛夏用メイド服を着ており、鎖骨部から上は全部剥き出しになっている。
それに四肢の装甲は体幹部ほどの厚みをもっていない。
肘のジョイントを破壊されたら、超兵器のほとんどが使用できなくなってしまうのだ。
「大丈夫……戦術を変える……」
接近戦での銃撃が有効でないと判断するや、シズカは素早く戦術を切り替えた。
交渉ごとはともかく、こと戦闘に関しては彼女はプロなのだ。
シュガー姉妹が手裏剣を振りかぶり、その姿が消え失せた次の瞬間だった。
シズカの姿もまた、僕の目の前から消失した。
続いてゴン、ガンという打撃音がしたと思ったら、突如として地面を転がるシュガー姉妹の姿が現れた。
少し遅れて、エアブレーキを掛けるため、両手を大きく開いたシズカが出現する。
「所詮はバージョン1.25……シズカのアクセラレーターは……バージョン1.5だから……」
おおっ、シズカの加速力はシュガー姉妹のそれを上回っていたのだ。
姉妹は地面に転がったまま、大きく見開いた目でシズカを見上げている。
まだ厳しい現実を受け入れられず、思考停止しているようだ。
お陰様で、ねじりフンドシが食い込んだ可愛らしいヒップを拝み放題にできる。
冷徹なシズカがこの絶好の機会を見逃すわけがない。
素早く照準を終えると、姉妹に速射破壊銃の銃身を向けた。
しかし現実は僕たちに対しても厳しかった。
この戦いはバトルロイヤルであり、シズカの敵はシュガー姉妹だけではなかったのだ。
ボンいう破裂音と共に、フィールドに霧が立ちこめた。
霧隠れの術かと思いきや、それはクノイチ姉妹の手によるものではなかった。
マッドサイエンティスト、ジークムント教授が放った猛毒のシアンガスだったのだ。
まずい、こんなもの吸い込んだら、僕は確実に即死する。
シズカもそれを理解し、シュガー姉妹への攻撃を止めて僕の方へ向き直った。
そして僕の後頭部に手を回すと、躊躇することなく手前に引き寄せた。
「な、何を…むぎゅう……」
盛夏用メイド服の胸元はV字型に深く切れ込み、メロンサイズのオッパイは上半分が露出している。
僕の鼻と口はその谷間に沈み込んだ。
完全に息が止められ、僕がガスを吸入する危険はなくなった。
代わりに窒息死する危険性が劇的に高まったことになるのだが。
シズカは右手を僕の腰に回して軽々と抱き上げる。
そして風上に向かって全力で走り始めた。
滞留している毒の効果範囲から僕を逃がそうとしているのだ。
なんてことだ。
僕さえいなけりゃ、シズカはシュガー姉妹にとどめを刺せたのに。
シズカは勝負より、僕の生命を第一に考えてくれたのだ。
ようやく安全圏に達したのだろう、僕はシズカのオッパイから解放された。
どうにか毒死も窒息死も免れたようだ。
「ありがとな、助けてくれて」
僕が礼を言い終わるのを待たず、シズカは再度戦闘に復帰しようと身を翻す。
「ここから動かないで……あのスカンクは……これより風上には……行かせない……」
シズカはそう断言すると、ジークムント教授に向かって突撃を開始した。
外見は初老の小男に過ぎない教授だが、猛然と突っ込んでくるシズカを前に怯みを見せない。
奴もシズカがニコライ大尉を破壊するところは見ているはずである。
なのにこの余裕ある物腰はなんなのだ。
全然強そうには見えないが、自分の戦闘力に余程自信があるのか。
呼吸をしないシズカには、毒ガス攻撃など効きはしないのに。
僕の不安を余所に、シズカは躊躇なく攻撃態勢に入った。
得物は問答無用の速射破壊銃だ。
細い右手首が素早く4分の1回転し、電磁カタパルトにブリットが装填される。
それが火を噴くより先に、ジークムント教授の持つ擲弾筒が乾いた音を発した。
圧搾空気で発射されたカプセルが、ヒュルヒュルと音を立てシズカに向かう。
そんなヒョロヒョロ弾が通用するはずもなく、シズカは水平チョップでカプセルを払い落とす。
しかし、それこそ教授の思う壺だったのだ。
衝撃を受けたカプセルが炸裂し、中に詰められていた微粒子が飛び散った。
シズカの姿が靄に遮られて見えなくなる。
何が起こったのかと考える暇も与えられず、シズカの体が眩い炎に包まれた。
「どうじゃ、儂の開発したナノテルミットガスの威力は?」
教授が気が触れたような高笑いを上げる。
あの靄の正体は焼夷弾や溶接に使われるナノテルミットだったのだ。
メイド服に付着した微粒子が、化学反応により発火しているのだ。
シズカはその場に突っ伏し、炎を消そうと地面を転がるが、化学の炎はその程度では消せない。
「シズカっ、早く消すんだっ」
だが、慌てることは何もなかった。
ハルトマン社が開発した特殊繊維は、防弾力だけではなく耐火性にも秀でている。
一見、業火のような強烈な炎も、メイド服の表面で化学反応を起こしているに過ぎない。
テルミットガスの焼夷効果も、世界に冠たるハルトマン社の科学力を打ち破ることはできなかったのだ。
それでも微粒子の化学反応が終わるまで、シズカは炎をまとったままだ。
「どうにかしろ。放置すればコンピュータがオーバーヒートしてしまうぞ」
このまま超高温に晒されていれば、熱暴走でOSがフリーズしてしまう。
それこそマッドサイエンティストが考案した、対バトルドロイド用の秘策だったのだ。
やむなくシズカが取った行動は、いとも単純であった。
燃えさかるエプロンとメイド服を「えいやっ」とばかり脱ぎ捨てたのだ。
哀しいかな、彼女には最初から羞恥心などプログラムされていない。
弾道が低かったのが幸いして、まともに微粒子を浴びたのは着衣に覆われた部分だけだった。
髪や肩口に付着したのはごく少量だったようで、既に火勢は衰えている。
生体組織に覆われた人工皮膚はあちこち焼けただれ、点々と痣ができていた。
これに対するシズカの報復措置は苛烈だった。
無言で教授に近づくと白衣を握り締め、日めくりカレンダーのように力任せに引きちぎった。
続いてネクタイをねじ切り、ヨレヨレのスーツをシャツごと引き裂く。
「や、やめろっ。やめてくれぇっ」
教授は情けない声を上げて逃げようとするが、シズカが聞き入れるわけがない。
ズボンのベルトに手を掛け、上手出し投げの要領で教授を地面に叩き付けた。
投げた後もベルトを放さなかったものだから、ズボンだけがシズカの手に残っている。
不本意なストリップを強いられたシズカは、取り敢えず教授を同じ目にあわせたのだ。
571 名前:雲流れる果てに…15 ◆lK4rtSVAfk [sage] 投稿日:2013/04/29(月) 23:52:34.98 ID:XcAS6B1G
「これで……おあいこ……」
シズカは不機嫌そうに呟くと、その場から高々と跳躍した。
空中で膝を折り畳むと、そのまま教授の背中に落下する。
「グェェェェェーッ」
必殺のニードロップに人工脊柱を折られ、教授は断末魔の声を上げて機能を停止させた。
同時にイタチの最期っ屁よろしく、教授の死体から毒ガスが噴射される。
自分を殺した相手を巻き添えにする仕掛けなんだろうけど、教授の性格が端的に現れている。
陰険さもここまでくると、むしろ清々しいくらいだ。
もちろんシズカにはまったく影響がなかった。
ニコライ大尉に続いてこれで2体目。
どうなることかと気を揉んだが、意外にあっさり片付いた。
後はシュガー姉妹と殺人ピエロだ。
しかし、どちらかを生かしておき、逃げたヒゲネズミとダブルオーを仕留めさせないと。
と思いながら周囲を見回すと──なんとクノイチ姉妹もピエロも消え失せていた。
まともにシズカと戦う愚を悟ったのだろうか。
「では……不戦勝ということで……いい……」
確かにシズカの言うとおりかもしれない。
他の連中は勝負を捨てて逃げ去ったのだから。
シュガー姉妹は身をもってシズカの恐ろしさを知ったろうし、他の連中も傍目にそれが分かっただろう。
敵わぬと知れば、恥を忍んで撤退するのも一流どころの証かも知れない。
ダブルオーにしたって、シズカが正規品だと気付かない限りは手を出してこないだろう。
それにヒゲネズミは最初からやる気がなさそうだったし。
しかし、あのネズミは何者なんだろう。
見たところ、殺し屋を生業としている風には思えなかった。
そもそも勤勉そうには見えなかったけど、本当に殺し屋として雇ってもらいに来たのだろうか。
それに覇気は全然ないくせに、あの圧倒的な存在感は何だろう。
現に今もこんなに気になって仕方がない。
「所詮はネズミ……沈没する船の運命を悟り……逃げ出した……だけ……」
シズカが興味なさそうに呟いた。
案外そうなのかもしれないな。
間もなく船──すなわち雇い主は僕たちに沈められるのだし。
そう考えるなら、ネズミが姿を消したのは僕たちにとっては吉兆だ。
では、堂々と勝ち名乗りを上げるとしよう。
「お疲れさん。これでようやく黒幕と会えるな」
雇い主と接触できるのは、バトルロイヤルを制した生き残りだけ。
僕たちは世界殺し屋チャンピオンとして、その権利を手にしたのだ。
「他を排除すれば……森の奥の教会に行けと……執事が言っていた……」
シズカはようやく炎が収まったメイド服を拾い上げ、埃を払ってから身に付ける。
「そこに都知事暗殺の雇い主が待っているんだな」
さっさと殺人教唆の罪で逮捕してやろう。
そして一刻も早く帝都に帰り、シズカの肌を治してあげなくては。
たとえ貯金を全部使い果たしてしまうとしてもだ。
顔や態度には出さないが、きっと彼女も気にしているのに違いないのだから。