恋愛感情などというのは、脚色された本能に過ぎない。
所詮は経験・知識によって美化されているものの、
「一発ヤッて子孫を遺そう!」という原始的な、
極めて卑俗的な衝動を、あれこれと見目美しく飾り立てているだけだ。
そのような豚や猿はもちろん、
地球上のまさにド底辺で生息するダイオウグソクムシやら
ワケのワカランエビカニモドキどもですら持つ感情を脱却し、
一個体でもってその持て余しを処理することは、
生物の霊長たる人類であるからこそ到達できる新境地である。
畜生どもに程近い皆々様はどうぞやらしく、違った、
よろしくヤッててください。
僕は衆愚が到達し得ない極楽浄土への一段を上り、
蓮華の花の上で涅槃を見るので。
――というのが、僕の持論である。
色落ちしたパーカーにスーパー袋を右手に提げて、
途中で開けてしまったサラミを齧りながら説いたところで
有り難味も青畳もあったものではないのだが。
しかしまあ、なぜあのアベックという連中はああも睦まじさを見せ付けるのか。
大学構内はからスーパー経由下宿までの精々約2.4kmの区間で見たアベックの数は
両手に余るほどだ。
それも人数で、ではない。
組で、つまり計数した10(それ以上は鬱陶しくなってやめた)の倍の人数が、
お天道様が見晴らし、厳粛な法規によって統治されているはずの公道で、
あるいは手を繋ぎ、あるいは腕を絡ませ、
キャッキャアハハと仲睦まじさを押し売りしてくるのだ。
この不愉快さをどこに叩きつければいい!?
消費者相談センターか? 県警か? 教育委員会か?
それもこれもみんな政治が悪いんだ!
TPPだの普天間だの騒ぐ前にもっと身近なところの改善を図るべきなんだよ。
とりあえず、路上で仲睦まじさの押し売りは禁止にするべきだ。
うん。
なお、これは嫉妬心から申し上げている訳ではない。
あくまで、日本の公序良俗と風紀治安を案じているのであって、
偏狭な嫉妬心で主張しているのではないのだ。
それはさておき。
おつとめ品のサラミを齧りながら僕は下宿のアパートの鍵を開け、ドアを開けた。
中で人が寝ていた。
僕は、静かにドアを閉めた。
部屋番号を見直す。
ドアに取り付けられたナンバープレートは間違いなく僕の部屋であることを表している。
錆びたその数字に、一瞬だが確かに見えた室内の光景が重なる。
何かの間違いでなければ、
僕の眼鏡に衣類を透視するとか、そういうステキ機能が突如発動したのでなければ、
中の人物は裸だった。
それもスッパ。
しかも――一瞬で判断はつき難かったが――、かなり華奢な、
ヘタをすると中学生かそこらのような体格の女児であったような気がする。
股間の煩悩が首をもたげようとするのを、僕は頭を振って払い除けた。
炉、ロリとか、全然好きくねーし!
――ではない。
これは、もしかしたら何かヤバイ事件に巻き込まれようとしているのではないか。
婦女暴行殺人!
いや、まだ死んだとは確定していない。
とはいえ、見知らぬスッパの女の子が部屋に放置されていて、
知らぬ存ぜぬが通用するはずがない。
これは、正直に、何も知らぬ風を装って警察に通報すべきか。
だが、世間には状況証拠だけで有罪を言い渡された性犯罪事件が山ほどある。
こんな貧乏学生が無関係を主張したところで、
警察や検察、弁護士はちゃんと信じてくれるのか?
ベッドの下から見つかったエロ本をネタに、
「被告には異常性欲の気があります」なんて主張されたら一巻の終わりだ。
「しかも被告はこの女性の裸体の掲載された雑誌類を、
人目につきにくいベッドの下に置いていたことから、
自身の異常性は重々承知していたものと思われます」
違うんです、検事さん。
ベッドの下にエロ本を置くのはそこが一番使用に適した距離と位置であるからで、
決して隠匿しようという意図で置いたのではないんです!
いや、まあ、確かに人目を憚るという意味はありますけど、
一緒に墓場に持っていかねばならない秘密というほどでは――
「うるさい! エロガッパはお黙り!」
検事さんは鞭で僕を打ち据え、荒縄で縛り上げると――
いや、いや、いや。
違う。思考が混濁している。
兎にも角にもジャッカロープ、一瞬見たアレが現実であったとは限らない。
実に認めたくないことだが、童貞を22年こじらせ続けたことで見た
幻影であったのかもしれない。
あるいは、部屋を出がけに蹴散らした白タオルを誤認した可能性もある。
もう一度確認して、それで本当にそこにあったら、
その上でまた対処を考えよう。
通報するなり、どこかの山奥か海に棄ててくるなり、
解体して食べるなり――。
最後のは、ないな。
兎も角、僕は意を決して、再び自室のドアを徐ろに開いた。
そのドアの隙間に、無表情な少女の頭部が浮いて出た。
「シャーイニングッ!?」
仰け反り、跳び退さろうとした僕の顔面を、
少女は細い指で鷲掴みにし、怖ろしいほどの力で中に引き摺り込み、
「ふぃんがぁ」と、
無感動に呟き、僕を汚れ物のタオルのように室内に突き飛ばした。
「ぶにゃあ!」
無様に畳みに転がった僕の襟首を掴むと、少女は軽々と僕を持ち上げた。
「立って」
言われずとも、このままでは首が絞まるので立つ。
少女のほうが背が低いので、自然と猫背になる。
「座って」
言われるままに、大人しく正座をして身を縮める。
裸の少女の投げられるわ、吊られるわ、命令されるわ、
全くいいところがないのだが、それでも言うことをきく。
少なくとも命令に従っていれば、滅多な真似はされまい。
それでも「立って」「座って」の次が「死ね」だったら流石に対応を考えねばなるまい。
さて、どうしたものか。
だが、そんな考えは不要であったようだ。
第三の命令は、「話を聞いて」だった。
曰く、彼女は近未来から送り込まれてきた
性交用愛玩機械人形(セクサロイド)であるという。
近未来――詳細な年次等は時空間改変の危険性を伴うため
言うことが出来ないらしい――では、
アングラなヲタアイテムとしてセクサロイドは相当数が普及しており、
未来における非リア充の性欲を充足させるほか、
戦地においては兵士達の不満を解消することで、
結果として婦女暴行等の発生件数を著しく低下させたのだという。
つまり、女性の権利・尊厳を護ることになったわけなのだが、
それはあくまで戦地に限られることであった。
多くの先進諸国ではセクサロイドにより出生率が大幅に低下したとして
購入制限が掛けられ、日本ではフェミニズムを掲げる党が政権をとったことで、
セクサロイドは女性の権利・尊厳を破壊するものであるとして、
破棄の対象になったのだという。
「しかし、未来のあなたはそこにセクサロイドと人間の新たな共存の可能性を創出し、
人類の大きな一歩を促すのです」
眼前で仁王立ちしながら彼女はあらましを語ってくれたのだが、
正直彼女のアレやらコレやらが気になって話があまり頭に入らない。
だって、目の前にお股があるんだもん。
ホモじゃないなら異性のチョメチョメが見たい放題の位置にあったらそうなるって。
「で、僕はそれで偉人として記念館とか作られたりするわけ?」
「残念ながら」と、彼女は全く残念じゃなさそうに続けた。
「近未来日本の政権を担う《幸福女性民主社会実現党》はあなたを
女性の権利と尊厳を蹂躙する第一級犯罪者として《全人民の敵》の烙印を押しました」
「なんですと!?」
この水を飲むだけで噎せ、何も無いところで躓き、雨が降ったらお休みで、なこの僕が、
かつて全地上兵器の天敵とまで呼ばれたあの撃破王と同じ称号で呼ばれる日が来るとは。
感無量だなぁ。
――じゃなくて。
「え? え! え!? それじゃ僕、未来じゃ大犯罪者で捕まったら即処刑なの?」
「即処刑ではないです。
『捕縛に生死を問わず』の一文がついているので、
死刑にすらされずに死体を晒される可能性もあります」
「最悪だ――。
それじゃまるで一昔前の社会主義国家じゃないか」
「実際、近未来日本の政治体制は事実上の社会主義国家です。
恨むのならば腐敗したマスメディアと、
それに抗いきれなかった自民党の弱腰を恨んでください」
「自民党、あるんだ。未来に」
「幸福女性民主社会実現党が政権を獲った翌年には、
党員全員が逮捕されて解党になりましたが
逮捕者の多くは北朝鮮の労働刑務所に収容されています」
「いやな未来だ」
僕は暗澹とした気持ちに襲われ、頭を抱えた。
「それで僕は、僕は一体どうなるんだ」
「あなたは米国に亡命し、一時的な保護を享けますが、
第一級犯罪者指定がされたことで米国はあなたを表向きには追放します」
「表向きって――」
「実際には中東の紛争地帯にセクサロイド愛好家達がコミュニティを形成しており、
米国はそこにあなたを預ける一方、あなたと彼らの科学力を利用して、
極左政権に牛耳られた日本の奪回を試みます」
「――で」
「しかし、日本の極左政権は特殊組織
《女性の権利と尊厳を蹂躙する不快分子絶滅のための平和を愛するネットワーク》、
通称不快ネットを使い、コミュニティを襲撃しました」
「またエラく長ったらしい上に物騒で矛盾した組織名だな」
「不快ネットはコミュニティ構成員の多く――大半はセクサロイドでしたが――を
殺傷しましたが、外国人傭兵部隊の活躍もあり撤収しました。
しかし彼らは、コミュニティの研究所から時空間航行の研究資料を奪取していっており、
過去のあなたを殺害する可能性が増大しました。
私は未来のあなたから現在のあなたを護るべく命じられ、
戦闘用の改造を施された上で送り込まれたのです」
少女は「お分かりいただけましたか」と言うと、沈黙した。
ぴくりとも動かず、人形のようだ。
だが、白磁のような肌はその下に血が巡っているかのように瑞々しく、
僅かに膨らんだ胸の先の色づきは、ゴムやシリコンで作られているとは思えないような、
繊細な色合いと造形で、儚くに綻んでいた。
だが、彼女は人間ではないのだ。
言葉だけでは信じられなかったかも知れないが、
あの怪力で振り回されれば嫌でも人外であるを知る。
そのうえで、あえてこう、まじまじと裸体を眺め回すと、
確かに、なるほど、人間が身に帯びられる美しさではないと感じる。
自然的に発生し得ない美しさだ。
扇情的な優美さを備えた、機械仕掛けの青い果実だ。
「あ、あのさあ、その不快ネットの連中が襲ってくるのっていつ頃?」
「わかりません。
明日、明後日に襲撃があるかもしれませんし、
1年後、2年後にもまだ襲ってこないかもしれません」
「随分大雑把だな」
「他にご質問は?」
彼女と目が合った。
潤った灰色の瞳は、下手な人間よりよっぽど人間らしかった。
大学で見かける、ゲジゲジのような真っ黒な付け睫毛をつけた連中のそれとは違い、
もっと繊細で、僅かな風にも壊れてしまいそうなあやうさがあった。
僕は立ち上がる。
見下ろしていた彼女の目は、僕の頭を負って下から上へと移動した。
僕は彼女の肩と腰に腕を回した。
「君、戦闘用って言ってたけど、本来の機能って――」
「もちろん使用可能です」
その言葉と同時に、僕は彼女を畳に押し倒し、覆いかぶさった。
その体はぞっとするほどに細く、冷たかったが、
内奥から滲み出てくるような温かみがあった。
機械であるとは、作り物であるとは思えない。
体を抱いてみると、見た目相応の重さだった。
「――なさりたいのですか」
彼女は相変わらず無感情な声で訊ねる。
僕はそれに答えることなく、彼女の秘処に指を這わせた。
そこは柔らかかった。
切れ目に中指を潜らせると、本当にここでよいのかと思えるほどにきつく、熱い。
その柔肉の狭間で指を蠢かす。
「んっ」と彼女が呻いた。
僕はそこを解きほぐすように、ゆっくりと指を動かした。
頑なに外部からの侵入を拒むかのように堅く閉じていたそこは、
次第に柔らかくほぐれ、ねっとりとした潤みを湛えていった。
彼女の吐息が甘ったるく蕩けたように流れる。
二指で彼女の秘処を押し広げる。
鮮やかな、そして麗しい肉色のそこは、
夥しい蜜に塗れて妖しく艶めき、蠢いていた。
理性が火を噴き、焼け落ちる音がした。
その灯火に焼かれて死んだ蛾のような理性は、
ぬめ光る、紅い烈花に喰われていった。
「セクサロイドですが、本来の役目を務めるのはこれが初めてです。
どうか、お手柔らかに――」
僕はその言葉を聞き終える間もなく、
ズボンもろともトランクスを下ろした。
既に激しく血が巡るそれは、雄叫びを上げるように鎌首をもたげ、
威嚇するように大きく反り返っていた。
先端を彼女の綻びた柔肉に宛がう。
入れるべきはどちらの孔だったか。
確か、下側の方だったはずだ。
だが、見た限りそこは、僕のものを全部はおろか、
先端さえも呑みこめるとは思えない。
だが、それでも入るはずだ。
人間の体はそういうふうに出来ており、
その行為のために作られたという彼女に、それが不可能なはずがない。
脳内で今までに見てきたアダルト動画が高速で再生され、
いかにして行うべきかの教示をくれる。
予習は完璧、後は実地で己の真価を見極めるのみ!
ぐっと腰を押し込むと、先端は生固い肉の腔洞に半ばほど刺さり、埋まった。
彼女の顔が苦悶に歪む。
機械であることが疑わしくなるほどに愛おしく、可憐だ。
眉間に刻まれたその顰すら、舐め回したい衝動に駆られる。
肉茎が益々硬く猛る。
僕はそのまま力任せに彼女を貫き、犯し、貪りたい衝動に駆られた。
彼女の細い腰を掴み、己の腰を沿わせ、全てを捻じ込もうとした。
「待って!!」
待てるものか!
散々誘っておきながら――と、暴走状態の僕から、
彼女は跳ねるように飛び退くと、
「伏せて!」と、僕の髪を鷲掴みにし、畳に押し付けた。
瞬間、凄まじい音が聴覚を埋め尽くす。
破裂音、破砕音、エンジンの駆動音――。
拘束が解け、振り仰ぐと、部屋の上半分が喪失していた。
綺麗に切り取られたのではない。
もっと乱暴に、粗雑に、抉り、砕き、薙ぎ払った痕だった。
風通しが抜群に改良されてしまった部屋の裂け目から、
外にいる何かの姿が見えた。
一瞬、重機かとも思ったが、重機ではありえないカラーセンスだ。
毒々しい紫がかった鮮やかな赤いボディ。
その赤いマシンは、軋みを上げてアパートに迫ると、
裂け目から僕の部屋を覗き込んだ。
「見ツケタワヨー」
ヘルメットを被ったような不気味な頭部に貼り付いた顔面が歪み、
更に不気味な笑みを形作った。
不意に壁が砕け、木材やらモルタルやらの破片を撒き散らしつつ、
僕の部屋を粉砕する。
僕はといえば、その破壊力満点の一撃から振り回されるように逃れ、
部屋のより奥にへと投げ飛ばされていた。
動転しながらも体勢を立て直し、部屋の窓辺だったところを見た。
それは、禍々しい形体をしていた。
赤紫のマシンの下半身は、蜘蛛のような多脚を有し、
その一本一本の先端にジャックハンマーのような破砕杭がついている。
胴体は見るからに分厚い装甲板が複雑に組み合わされ、
ギアが噛み合うようにして蠢いている。
恐るべきはその両腕で、右腕は6本の巨大なチェーンソーが顎のように組み合わされ、
凶悪な拳を形作り、左腕はシールドマシンを凶器に転用したような、
棍棒のような円筒形のドリルになっている。
どちらを使ったのかは分からないが、あれで僕の部屋をゴミの山に変えたのだろう。
「YOKO-T殲型、不快ネットがあなたを抹殺するべく送り込んだ、殲滅兵器です」
僕に背を向け、彼女はそう説明した。
だが、すでにその姿は痛々しく変わり果てていた。
「腕が――」
彼女の左腕は失われていた。
左腕だけではない。
後ろから見た限り、左腕から肩、そして胸部左側4分の1は抉り取られている。
断面から飛び出したフレームや装置が火花を噴き、
幾本か垂れ下がったチューブからは薄緑色の液体が止め処もなく滴っている。
彼女が振り返る。
肩越しに覗いたその顔の左半面もまた無残に砕け引き裂かれ、
人間の頭蓋骨を模したフレームや、瞳のない鉛色に輝くカメラアイが露出していた。
「破損状況は甚大ですが、作戦続行に支障はありません。
戦闘行動に移ります。
私の戦闘行動中は、ご自身の安全は自力で確保し――」
彼女がそう言い終らないうちに、棍棒ハンマーが振り下ろされた。
畳がズタズタに引き裂かれ、床材が砕け撒き散らされる。
「淫乱ろぼっとハ破壊処分! 淫乱ろぼっとハ破壊処分!
ウォーホッホッホッホッホッホッホッホッホッホッホッホ!」
赤紫の破壊兵器は耳を劈くような哄笑を上げた。
感性が土足で踏みにじられ、品性がひしゃげていきそうな下品な哂いだった」
マシンの頭部がこちらを見た。
紅を塗ったかのように毒々しい赤い口元が、嗜虐的に吊りあがる。
逃げなきゃ。
そう思っているのに、体がすくんで動かない。
「みんちニシテ、捏ネテ潰シテ焦ガシテ、はーんばーぐニシチャウワネー」
邪悪なマシンは耳障りな哂い声を上げつつ、じりじりと僕に迫った。
獲物が逃げることができないことを認識しているらしく、
わきわきとチェーンソーを蠢かし、無意味にドリルを回転、逆回転させている。
最悪だ。
現状が最悪なのは言うまでもなく、
こんなキジルシマシンを作った連中の感性が最悪だ。
兵器にしたってもっとスタイリッシュに出来るだろうに。
プログラミングだってもっとシステマチックに、ドライに出来るだろうに。
なんでこうも下品と悪趣味の大盤振る舞いができるんだ。
そして何故、僕は身に覚えのないことでこんな悪趣味マシンに殺されねばならないんだ。
理不尽が絶望感になって、ずしんと肩に圧し掛かった。
「ウォーホッホッホッホッホ!!」
マシンがチェーンソーの拳を振り上げた。
僕は観念することも出来ず、ただ悔しさだけでその姿を見上げた。
「ギイッ!?」
マシンが急に呻いた。
身を捩り、何かを振り払うようにしてもがき、後ずさる。
その首下に、白い影が張り付いていた。
彼女だ。
右腕の肘から先を鉤爪のように変形させ、
マシンの首関節部に引っ掛け、ぶら下がっている。
マシンが大きく身を捩ると、細い体は抗う術もなく振り回されているようだったが、
体をひねり屈めて見事マシンの首筋に立つと、
そこから頭部と胴体の接続部を鉤爪で引き千切った。
火花が散り、赤茶けた液体が断面から噴き出す。
太い頚部は流石に一撃で断裂することはなかったものの、
体の動きに合わせられず、危うげにぐらぐらと揺れている。
彼女は汚らしい赤茶けた溶液に塗れながらも、マシンの頭部に貼り付き、
二撃目を狙っているようだった。
マシンがチェーンソーの拳を振り上げた。
無数の鋼鉄の刃が大気を掻き毟り、聴覚神経を削るような爆音で喚き散らす。
「あっ!」
僕が叫んだのは、それと同時のことだった。
彼女が右前腕を自切し、跳びずさる。
マシンは小煩い蝿でも打つかのように、
自身の頭部を巨大な複合チェーンソーで打ち砕いた。
チェーンソーの拳は勢い余って、己の胴体の半ばまでを粉砕し、停止した。
邪悪な赤紫色のマシンは、いたるところから火花や汚液を噴き出しながら、
バラバラに分解していった。
「お怪我はありませんでしたか」
そう言って歩み寄って来る彼女のほうが不安になるほど満身創痍だった。
「シミュレーションは既に幾度となく経験していましたが、
実戦は初めてです。
以後、ご期待に沿えればよろしいのですが――」
ようやく立ち上がった僕に近付き、彼女が僕を見上げる。
右半面は美しい少女のそれであり、左半面はずたずたに引き裂かれ、
ケーブルや骨格が剥き出しになっている。
灰色の瞳と鉛色の光学センサーに見つめられ、僕は何を言うべきかを見失った。
「――君、名前は?」
「名前――?
個体識別番号K0023-Aです。
愛称は持っていません」
「愛称――って、僕がつけてもいいの?」
「お願いします。そのように指示を受けております」
「じゃあ――K0023-Aだから、2と3でフミ、KとAでカ、
フミカでどうだろう」
「フミカ――認証登録。
私の名前はフミカ。
マスター、今後ともどうぞよろしくお願いします」
「ああ、よろしく」
そう答えた途端、フミカはガクンと膝を折り、倒れこんだ。
僕は思わず、その体を抱きかかえた。
「フミカ!」
「ダイジョウブ、です。
破損箇所再生修理にエネルギーを使うため、
スリープモードに入ル、ダケデ、ス。
ゴ安心――サ――イ――――」
そう言うと、フミカは全く動かなくなった。
僕はその細く軽い体を抱き上げると、部屋だった惨状を見渡した。
「やれやれ、これからどうしたものかな」
砲撃でも喰らったようなアパート、謎の鉄屑、
そして裸の少女を模したロボット。
サンデル教授でも解説するのが難しいであろうこの有様を、
僕は一体なんと説明すべきなのだろう。
ようやく、あちこちから野次馬の声が聞こえ始める。
パトカーのサイレンが近付いてくる。
困ったことが目白押しだが、
とりあえず今日の目標はどこか安宿でもとって、
フミカのもう一つの初実戦の相手をすることだ。
僕は、腕の中の儚げな、硬いとも柔いともつかぬ肢体を、
ぎゅっと抱きしめた。
(了)