■prologue
 魔術師とは知識の探求者だ。飽くなき知識欲の権化。貪欲に、どこまでも貪欲に、ただ叡智のみを追い求める。
 かくいう私もその一人。幼い頃から、ただひたすらに己の知識欲に忠実に生きてきた。知りたいという、その感情のみが私を突き動かす。
 好奇心という愚かしい衝動に駆られた行動の結果、どんな事態に陥ろうがお構いなし──基本的にそういう生き物だ。魔術師というものは。

 けれど、あの日。
 あの日、多くの犠牲と共に私のこの情熱も消え果てたと──そう、思っていたのに。

 煩いくらいに心臓が激しく脈打っている。こんなにも緊張したのは何十年ぶりのことだろう。
 部屋中、床といわず壁といわず、びっしりと埋め尽くすように描かれた魔法陣。その中央に私は立った。
 書き間違いがないか、もうしつこいくらいに何度も確認した。たった一文字の間違いが命を左右する。
 間違いはない。後は、私の計算に誤りさえなければ、呪文の詠唱に失敗さえしなければ、私の魔力がこの魔術に耐えられさえすれば……上手く行く筈だ。

 ──まあ、”さえ”と言っても、これらが何より難しいのだけれど。

 この魔術が成功する可能性は限りなく低い。何百年も、何千年もの昔から多くの魔術師たちが挑戦しては命を落としてきた、そんな術なのだ。私が今から行おうとしているのは。
 十中八九、術は失敗する。そして私は命を落とすだろう。
 分かっている。分かっているのに。どうして私はやらずにはいられないのだろう。

「まったく、私という人間は骨の髄まで魔術師であったということだねぇ」

 私は苦笑混じりに呟いた。
 ここ数十年、田舎に引っ込み隠居暮らしを決め込んでいたけれど……人の性とはそうそう変わらないものだ。

 私は目を閉じ、精神を集中させた。とてつもなく繊細で複雑な魔術だ。無心になり術のことだけを考えなければ。ほんの少しでも気を抜けば、その瞬間術式は崩れるだろう。

 お遣いという名目で麓の町まで買い物に行かせた弟子のファビオの顔がほんの一瞬脳裏をよぎる。
 ──ファビオ。こんな私を師として慕ってくれていた、心優しい青年。君は私のこの愚行を嘆くだろうか。それとも怒るだろうか。

 わずか生まれたそんな最後の躊躇いも、一呼吸後には意識の彼方へと霧散する。
 目を開くと私は呪文の詠唱を始めた。眩い光が魔方陣から溢れ出し、やがて部屋中を、私の視界を埋め尽くす。


 そしてそれきり私という存在は世界から完全に消失した。
2007/03/19up
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