月心中 《ピスメ 土×斎 小説》







京の町。その一角には、派手な構えの門の奥に、夜でも華やぐ場所がある。


斉藤は喧騒に構わず、常時と変わりない静かな足取りで歩いていた。

周囲ではそれぞれ店の女が客を引き入れようと、猫撫で声で待ち構えている。

ところが、誰も斉藤にはカマをかけない。

人並みをすり抜けて進む男には誰一人頓着していないようだった。



***




「よう。相変わらず今日も無傷だな」

斉藤が女将に名を告げ、通された座敷には金屏風の前に座る土方の姿があった。両脇に派手な装いの美しい女を置いて。

にやりと顔を歪める土方。

「普通はここまで来る間に、どっかで引っ掛かって着物の一つも乱されるもんだ。手前はここ(吉原)に何しに来てんだか」

「分かり切った事。貴殿の御迎えだ」

斉藤は、落ち着き払って答える。

普段、土方は他の隊士に、自分は「女を買わなきゃならんほど落ちちゃねぇ……」と言っている。

ところが時折ふらっと姿をくらまし、このように遊郭で夜遊びをする。

しかし、やはり自他ともに認める色男だけあって、豪遊に出た翌日には頓所を訪ねてくる女まである始末。

無論、その女が土方に相手にされることは、その後一度もないのだが。



斉藤は土方にまだ戻る意思の無いことを見取り、提げていた刀を下ろして部屋の端に腰を下ろした。
それを目に捕え、土方はククッと喉で笑う。

酌をする女の袖口から覗く手首を掴んで引き寄せ、自分に寄りかからせるように抱き込んで、傍らの一人に耳打ちする。

斉藤には話の内容までは届かない。が、女の忍び笑や相槌が途切れ途切れに聞こえてくる。

耳打ちしつつ、土方が大きく開いた襟から手を忍ばせると、本気さを感じさせない艶声が制止を求める。

土方はそれでも、鮮やかな色の打掛けと、帯に巻かれた飾り紐を手早く抜き取ってしまう。

部下のいる前での突然の行動に、斉藤は驚きつつも、つい向けてしまった目の表情を変えることはしなかった。

そのまま平静を装って視線を戻し、静かに座敷から下がろうと思った矢先、自分など眼中になかろうと思っていた相手と、目が合った――。

土方は女達に下がれ、と目配せする。女は酔った客の気変わりと取ったのだろう。

新選組副長として名の通った土方が気を荒げないうちにと、女達は乱れた着物もそのままに室外へ転がり出ていく。



「……酔狂が過ぎる」

斉藤が呟いた。

土方は善の上の杯に残っていた酒を干して、部屋の外に声をかける。

「女将!こいつと内密な話がある。朝までこの離れには人を近づけるな」

「へ、へぇ…」

それに答えて、やや震えた返事が聞こえ、早足に渡り廊下を去っていく気配がする。

十分に辺りの静けさが固まってから、土方が斉藤を手招きした。

“内密な話”その言葉から斉藤は、鋭く研いだ眼光を持って土方に近付き耳を寄せた。

二人の距離を更に詰めて土方が言う。

「……自分から脱ぐか、脱がされるか?」

「何ゆえに?」

「つまらん奴め」

ふいを突いてやったつもりが、何事もないかのように相手にされず、土方は面白くなさそうに鼻を鳴らした。ついでに善を足で押し退ける。

斎藤の顔色がほんのわずか、穏やかになったような気がした。

前髪をくゃりと崩した土方はきっちり着込んだ襟元をいつものように弛め、気だるげに溜め息を吐く。 その姿は彼が持つ鬼という異名にはそぐわないもの。

根に毒を貯えた華の香り、その華に触れて訪れる痺れを予感させるかのような、雰囲気。



土方はふと笑いをにじませて、斉藤を畳に引き倒した。

瞬間斉藤の顔色にも翳りが見える。

「いいナリだな」

「先程、ご自分で女を下がらせたのではなかったか?」

「そうだが?……だとしたら」

土方の手が目的を見せず顔から首、肩へと滑らされる。

「いまさらお前がこんなことをさせるいわれはないと?」

あくまでも口調は穏やか。しかし斉藤を抑え込む力は変わらない。

「お前が自分の都合でしか俺を許さんからだろうが。挙句、目の前で見せつけようが、取り乱しもしないのか?」

食い入るように見つめる瞳が、ふざけではなく、本気なのだと語っている。

斉藤は怪訝そうに潜めていた眉根をほどいて、幾分柔らかな声で言う。

「かような場面でも、下の者にその様な顔を見せるのは誉められたことではないな……」

土方は座を崩して、斉藤の唇をかすめ取る。

数度、触れては離れ、徐々に触れる長さも行為そのものも、濃密さを増していく。

その傍らで紐の、たぐり寄せられて畳を擦る音がした。




「……っ、」

斉藤は後ろ手にきつく絞められて自由の効かなくなった体を持て余しつつ、上目に土方を窺った。

「暴れると、敷いてる打掛けが駄目になっちまうだろ。万雪太夫が大事にしてるやつだそ?」

土方は、斉藤の髪をいじりながら、キセルをふかしている。

不満そうな目をする斉藤に一別を向け、土方は懐から藍染めの手ぬぐいを出して、両目を塞ぐ。

完成とばかりに、土方が目を細める。

「……これでやっと従順そうに見えるぜ」

斉藤は、肩をはだけて裾を巻くし上げられた格好で跪かされていた。

「どうしたよ。いつもはこんな簡単に言うナリになったり、しねぇくせによ?」

土方はうつむき加減の顔を上げさせると、舌先で軽く斉藤の唇に触れる。

びくり、と体を震わせた斉藤に、喉の奥で笑って、今度は深く接吻を迫った。

「……っ、ふざけっ!!」

首を振って逃れようとした斉藤はあっけなく顎を掴まれてなす術をなくしてしまう。

更に土方は頬、首筋と唇で辿っていった。

こんな時、耳元で低く笑う彼の声は厄介だ。

腕の中に抱き込まれた者に、逃げることが許されない怖さと、彼の手管に堕ちる怖さを同時に味わわせるのだから。

その時、月明かりのもとに目から半分を覆われていても、斉藤が顔を歪ませているのが分かった。

土方は小さく舌打ちする。

突如、土方は斎藤の体を無理に引き立てた。

自分は、前に投げ出していた足をより曲げて膝を高くし、斉藤が跨ぐ形になるように、両脚の間に割って入る。

さらに縛った手を、背中にまわした手で下に引いて上半身を反り気味にさせた。 突き出された胸に舌を這わせると、心拍と呼吸のための振動が色濃く伝わるようだった。

着物の裾から腿を伝って、手を忍ばせていく。

それにより斉藤の上体が、がくんと折れ曲がり、土方の肩に倒れかかった。

土方は斎藤の体に回した紐の間から器用に帯を抜く。

肩に寄りかかった体が、大きく震えた。

斉藤は、閉ざされた視界にも、自分の心音しか捕えない耳にも苛立ちを抱えていた。

暗闇は本来彼にすれば、恐れる必要のない所だ。むしろ斉藤には、親しむべき環境でもある。

それなのに、今は。

すがるものは、頭を預けた土方の肩先と、勝手に這い回る少し冷たい手しかない。

もう十分前から斉藤には土方の、また新選組の終焉が朧く見え始めている。

そのことを考えると、今のこの冷えた手が、土方が事切れるまでの過程のように思え、叫びが喉を破って出そうになるのだ。

土方が斉藤の結わえている髪と肌の間に指をいれ、滑らせて髪を解いた。

乱すように、また梳くように髪をいじった指は、首筋にかかる髪を片側に流す。

露になった首筋を吐息が滑っていくのを感ると、斉藤は堪えきれずに縛られて感覚の薄らいだ手を解こうと、体を揺らした。

土方が小さく笑う。

「なんだよ、嫌だってか?」

「……今更、拒む理由は元より持たぬ」

そう言った斉藤の口調はどこか諦めめいているようだった。

しかし、その裏にあるものを土方は既に判っている。

手を戒めていた紐を解き、目を覆っていた布も取り去ってやる。

もう、斉藤は逃げはしない、土方には確信があった。

目元を隠す物がなくなり、すぐに斉藤はぱさりと頭を振って、乱した髪に顔を隠してしまった。

今の己の顔付きに、先刻心によぎったことが表れていたらと、不安になったのだ。

「おい、どうし……」

揶揄するように言い、髪を払おうとする土方の手を避けて、斉藤は土方に接吻けを迫る。

一瞬虚を突かれつつ、土方もそれに応えて、舌を潜り込ませ、斉藤の息を乱す。

二人の体の間で、土方の着物を解こうとする斉藤だが、力が入らないためか、結び目を解くに至らない。

代わって自らの着物を緩めた土方は、鋭い目線に狂暴な笑みを合わせて、斉藤を見る。

「好きにすりゃあ、いいさ」

その言葉通りに斉藤は、焦れるほど丁寧に、土方の胸の凹凸に指を這わせる。

着物の合わせを開いて、肩から落とし、夜目にも分かる均等のとれた体に、斉藤は魅いられたかのように唇を這わせていった。

「ふ……っ、う」

斉藤が噛み殺した吐息を吐く。

覆い被さる背中に、始めは所在なさげに置かれていた手には、いつの間にか爪の血色が変わるほど力が込められていた。

土方は斉藤の片足を腕に架けさせ、仰向けになった腹に付くほどまで折り曲げさせている。

「……やはり、良い躰だ」

土方は一層、低く言う。

結局、下に敷かれたままになった打ち掛は皺がよって見るも無惨なまでになってしまった。

その上で斉藤の体がのたうつ。

ぼんやりと闇に浮かぶ白いの布地の上で、痩せすぎな斉藤の肌は僅かに汗ばんで、艶めいて見える。

もっと暴いてやりたい、土方は痺れた頭で、ただそうとだけ考えていた。

繋いだ体を忙しなく、ゆする。

引き起こして、抱いた背骨が軋む程に力を込める。

土方の首に腕を回して、抱え上げられた斉藤も腰を回す。

土方は、斉藤のきつく噛み締められた唇に接吻けた。

それはあまりに優しい、過ぎるほどの仕草で。

それからどちらともなく、舌を絡め合っていく。

口内をくすぐる度に、斉藤の体が震える。

斉藤が息を詰め、その全身に緊張が走った。

ほどけた体が後ろに倒れかかるのを、腕を掴んで引き留めて、限界を訴えるのはまだ早いと土方は言った。

まるで月さえ、より白く透けていくようだ。

これ以上何もない、確かにそう感じていた。




***



冷たい空気に混じって、澄んだ、高い音がした。

離れた場所からの音でも斉藤の耳にそれははっきり聞こえた。

先刻までは、全てがぼやけて何も掴めなかったのに。

斉藤は、それまで眠りの底にあったとは思えない鋭さで目を開ける。

しかし、体を動かそうとはせずにその場で感覚を研ぎ澄ませて辺りを探る。

刃の合わさる音、人の悲鳴――

「通りを挟んで向かい、縞鼓屋だ。六番隊が来たらしいな」

真上から落ち着いた土方の声が聞こえ、斉藤は我知らす潜めていた息を吐いた。

ほんの僅か、視線を動かしていくと、色濃い影を纏った土方の横顔が見える。

斉藤は土方の脚を枕に寝かされていた。

土方の言った事をゆっくりと斉藤は理解していく。

そして思わず笑いたくなるのを抑え、斉藤は軽く目を閉じた。

土方は大きく開けた障子の桟に片肘を付き、こめかみで傾けた頭を支えていた。

その目は騒動の様子を眺めているようで、何も写さず、虚空を見ているようだ。

斉藤は土方の手の甲に、静かに触れる。

土方はゆっくり一つ瞬きし、あとは黙ってただ前を、惨景を見続けていた。



現実



月は、甘美な中での二人の最期を許すことはない。



月心中。



―終幕―

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