薔薇の咲かない日


 その庭園には二つの季節に咲くバラがあった。
 二度目の薔薇の時期すらも大分前に終わってしまっていて、寒さがきしきしと身に沁みる。
 音も立てずにその店を訪ねた二人組は、重々しく重い木の扉の前へと立った。
「ここですー」
「なにこのボロっちい店」
「だから穴場なんですよー。どうぞー」
 フランは扉に付いている取っ手の棒を押しながらベルを振り返る。
 雨風に曝されている扉は死神すら通り過ぎてしまいそうな程に古惚けていた。
「オメーの店じゃねえし。つうか薔薇の花はどこに咲いてんだよ。キョーミねえけど、咲いてるっつうからわざわざ来てやったのに」
 店内に入る前に、扉を開くと鳴る仕組みの中に飾られていたチャイムが鳴った。
「いいから入りましょうよー。ショーライはミーのです。あ、これここだけの話なので」
「……乗っ取るつもりかよ?」
「ちがいます。お店の人と約束したので。ここに誰もお客さんが来なくなることがあったらミーがもらうって。ですよねー?」
 中へと入った途中から、話はベルへではなく、そこにいた老婆へと向かって進められた。
「そうだったかねえ? あらそれならお久しぶりだったね」
 恍けた老婆はカウンターで半分居眠りをしていて、寝言のようにフランに相槌を打つ。
「もうどのくらいぶりですかねー? ここに来なさ過ぎておばあさんの顔忘れちゃいましたよー」
「私も本当に久しぶりで、あんたがどなただったのか思い出せないんだよ」
 眼鏡の奥の瞳は開いていたが、本当に目覚めているかどうかは疑わしかった。
「そうですかー」
 取り立てて落ち込んだ風でもなくフランは目視で席を選ぶ。
「…………なあ、あのばーちゃんたぶんお前のこと知んねえだろ? お前も実は来たことねえだろ?」
 元から選ばれていた席に案内されながら、ベルは後ろからひっそりと耳打ちした。
「? そんなことないですよー。忘れただけです」
 そうして店の奥まった方へと移動しながら、そこにいた店員にも挨拶をする。
 置物のような店員は笑顔も見せずにいらっしゃいませと挨拶だけを返した。
「この席がラッキーな席なんです」
「うらない?」
「ここに座るとですねー、まあいいや」
「よくねえよ。なんだよ」
 座ったフランの目の前に陣取って正面から威嚇のようにベルは顔を見る。
「なんでもないですー。くだらない話でもしませんかー?」
「お前の存在自体がくだらねえし。なんの話?」
「今後ミーが六番目くらいになりたいものになれるかどうかとかです」
「マジで実りねえんだけど?」
「じゃセンパイのなれるなら六番目くらいになりたいものってなんなんですかー?」
「オレ? 決まってんじゃん? 王様」
「王様ですかー。まあ無理そうですねー。ヴァリアーにはボスがいるし、センパイの国にはアホ兄貴がいるしで、前途多難ですねー」
「カンタンだし」
「それに、今話してるのはそういう、本気でなりたいものじゃなくってー」
「あ?」
「だから、なれるならなりたいものなんですよー」
 顎を左右に振ってベルのしている勘違いを否定した。
「よくわかんねえんだけど?」
 だが肯定されなかった話は、どこがどう違うのかベルにとっては判らないものだった。
「普段はそんなになりたくもないけど、第一希望から第五希望まではなれなくて、次のは絶対ならせてくれると言われたらなりたいものです」
「オレ一番目から六番目までずっと王様。だいたい誰がならせてくれんだよ」
「魔法使いの人とかです。ないんですかー」
「いねえし、ねえし」
「センパイはー自分が無知であることを恥じることはないんですかー?」
「あ゛? 王子が無知なワケねえし」
「世の中には知っても知っても知りきれないことがたくさんあるんですよー」
「? 変なカエル」
「幻術ってわりと色んなこと覚えなきゃなんないんですが」
 フランは一端の幻術師のように溜息を吐いて、その大変さをアピールした。
「へー、そ」
「世の中の摂理なんて、知っても知っても知りきれません」
「まーな。いろんなことあるしな」
 不意に吐かれた弱音にベルは首を傾げている。
「だから魔法はあるんじゃないかと思うんですがー」
「ねえよ」
「あ、センパイ、さっきの続きなんですけど」
 溜息を吐いた時に窓の外へと移した瞳がきらきらと輝きを帯びていた。
「さっき?」
「ここの席に座るとの続きです」
「なに?」
「外見てください」
 一面に現れたのは、幻か真実か定かではない薔薇色をした薔薇の形の雲が輝く空だった。
「へえー、すっげえじゃん」
「ああいうの見えるんです」
 反射した光が二人の髪やティアラやカエルをも、薄い紅や橙や黄色の滲んだ色に染まらせた。
 眩しさに目を細めてフランはそれでも外の無限の空を見続けた。
「なああれってさ」
「ミーの幻術じゃありませんよー」
 ベルが思い当てようとしたことを遮り、フランはまた横に首を振って先に否定した。
「ふーん」
「どういうわけだか」
「?」
「一年に一度この日のこの時間にだけあんな風に見えるそうなんですよ」
「ふーん」
「ほんとはこのキチョーな日にセンパイなんか連れて来たくなかったんですが」
「オレだってべつにあんなん見たくねえけど」
「すっごい昔に今日の予約取っちゃったので、しかたなくついでに連れて来ただけなんで」
「あっそ」
「でも今日はミーの奢りです」
「お前に恩着せられっとか」
「いえーセンパイ誕生日じゃないですかー」
「…………あ?」
「思い出したわ、その髪の色、珍しいものね。あんた確か……」
 ベルが何かを言いかけた所で老婆は、二人が注文したはずの泡立てた温かい牛乳とパフェをカートに載せて運んで来た。
「なんですかー?」
「魔法使いになりたかったこどもだったね」
「そうですー。思い出してくれて嬉しいです」
「しばらくだったねえ。魔法使いにはなれたのかい」
「それが挫折しちゃって。今はヒーロー目指して頑張ってるんですけど」
「そうかいそうかい。それじゃあまた頑張るんだよ。夢があるってのはいいことだからね」
「ですねー、引き続きがんばろうと思います」
 だが会話が打ち切られた所で置かれたその牛乳を注文した覚えはなく、ベルは首を捻っている。
「あのさー」
「どうかしましたー?」
「オレの誕生日、先週に終わってんだけど? お前すっかり忘れてたろ?」
「まー、いいじゃないですかー。やがて来てしまうであろう喪われゆく時代に」
 運ばれて来たパフェの器を右手で掴んで目の辺りへと上げた。
「カンパイ♪」
 硝子の器に白いカップを重ね合わせるとカチャカチャと響いて白い湯気が立つ。
 飲もうとして口を付けたカップの熱さに、ベルは直ぐに唇を離した。
 その間にもフランは悠々と細長いスプーンで、チョコレートソースのかかった生クリームとアイスクリームの境目を掬い取って食べた。
「なあ、オレにもそれひとくち」
 口を開けてフランにパフェを強請った。
「ダメです」
「いーだろ、たんじょーびなんだから」
「先週終わったじゃないですかー?」
「あーん」
「もーしかたないなー。一口だけですよー?」
 端に添えられていたパイナップルを指で摘まんで、フランはベルの口へと挟んだ。口元へと運ばれた果物をベルは綺麗に並んだ歯で噛み砕いてゆく。
「もっと」
「えー、うーん。もうダメです」
 容器を両手で隠すように持ってベルから離す。
「つーかそっちよこせ」
「嫌です〜。センパイ牛乳好きじゃないですかー」
「どー見てもそっちのがたけーだろ。ちょっと、パフェもいっこ」
「頼むんですかー?」
「オメーの奢りな」
「まーいいですけどー」
 喧々と下らない騒音を発して静かな店内を喧しくさせている。
 二人の他にも客はいたようだが、話し声は全く聞こえて来ずに存在が定かではなかった。
 夕方から夜に変わっていつの間にか照明の灯されていた店内は、咲いていない薔薇の芳香に包まれている。
 迷惑な客の注文を聴いてベルの前にもパフェが運ばれて来た。
「これ返すわ。はいあーんして」
 パイナップルを一切れフランの方へと差し出して食べさせようとした。
「いえ、いいんで。どうぞセンパイが食べてくださいー」
「そか?」
 だが返品を断られた後は遠慮なしに自分で食べることにした。
「いいえー、どういたしましてー」
 どことなくフランはベルへと笑顔を向ける。
 いつしかすっかり日の暮れた窓の外にはもう薔薇色の世界は拡がってはおらず、深い暗い闇夜とだけ世界は繋がっている。
 

(おわる)



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