カエル森
日が沈んだのを見計らって、疾うに寒い外へと出た。
今日から太陽は少しずつ長く伸びて、彼が外へ出ていられる時間は少しずつ短くなってゆく。
木枯らしが吹き荒んで、かさかさと枯れた茶色の葉は水気もなく乾いている。
葉緑素の分解された葉は奥底の色が表出して黄葉し、紫外線を浴びて糖度の増した葉は紅に色付いていたが、それももう大分前のことだった。
「オルゲルトー」
踏み付けた枯れ草の陰に、何かが蠢いていたのを見て首を傾げていた。
「どうされました、ジル様」
「森んなかになんかいんぜ」
枯れ葉と土を執事が掘り起こすと、出て来たのは一人の小さなこどもだった。
薄い碧の髪のこどものぼんやりと見開いて空を眺めていた碧の瞳と、覗き込んだ王子の目が合った。
「なあ、お前なにやってんの?」
「ゲロッ?」
「カエルか? おもせえ」
「…………ちがいますねー。カエルのつもりはなかったです。あんたはモグラですかー?」
掘られた穴の中から起き上って、カエルのようなこどもは伸びをする。
「なんでだよ」
「土に潜ってるといちゃもん付けてくんですよね、あいつら。目もないみたいですし」
王子の顔は前髪で瞳が隠れていたために、視線が合っていたのを認識できずにいた。
「前髪で隠れてっだけだし。なあ、こんなとこでなにしてんの?」
「冬眠でしょうね。冬なのでー」
「冬になっと冬眠すんのか? やっぱカエルだろ。しっしっし」
「いいえ、違います。本当は冬眠ごっこなので」
心外さを籠めた表情で言い訳をし、自らがカエルであるのをまた否定した。
実際、言葉が話せるのでカエルでないことは明白だった。
「んで、それやってどーすんの?」
「どーもしないですが、人を待っててそれでヒマなので。あと寒くなって来たので」
「客?」
「今日あたり来るって言ってたんですよねー」
「ふーん」
「でも来ないですし。大体うそんこばっかり言うんですよ、あの人」
ちょっとした怒りを表すのに、目を尖らせて刺々しい言葉を吐く。
「だれだよ?」
「師匠ですよ。迎えに来ることになってたんです」
「ほー」
「やんなっちゃいますよねー。ところであんたは誰ですかー? 見ないカオですねー」
「オレ王子だし、つうかここオレんちの領土なんだけど?」
「そうですかー。じゃあおじゃましてます」
「お前家とかねえの?」
「? あっちの方にいっぱいありましたよ」
「人んちじゃねくて、お前の家な?」
「…………? これです。あ、勧誘はお断りなのでー」
自分の寝ていた穴を指差して少年へと不審な眼差しを向けた。
「………ぜーきんとか払ってる? ふーん、家なき子かよ。オレコイツ飼う」
「ぜーきん? そんなの知らないけど、だから家はこれです」
こどもはもう一度枯れ葉に埋もれた穴を指差した。
「ジル様、お止めください。このようなどこの輩かもわからぬような者など、あなた様のような方が相手にしてはいけません」
「オレに指図すんな。こいカエル」
ジルはカエルのようなこどもが着ていた服の袖を引いて歩き出そうとした。
「カエルじゃないです。どこ行くんですかー?」
引かれた腕に力を籠めて、連れ去られないように足を踏ん張っている。
「オレの城」
「おいしいものとかものめずらしいものとかありますかー?」
「いっぺえあんぞ」
「ヒマだしおなか減ってんですよね。そうですかー。じゃあちょっと行こうかな。ちょっとメモ置いときます」
然し誘惑にはいとも容易く負け、城へ遊びにいくことを決意した。
そうして万が一にも師匠が来た場合に備えて、怒られないように置き手紙を書くのを思い付いた。
「んああ」
「お城どこですか?」
「あっち」
北の方へ聳えて見えていた城を簡潔に教える。
「ええっと、師匠へ。あっちにいます、ミーより……と。これでいいですかねー」
カエルのようなこどもはその辺にあった枯れかけの割れない葉を一枚とると、ポケットから取り出した油性のペンで『あっちにいます』と書いて、眠っていた穴の中へと置いた。
「いんじゃね? んじゃ行っか」
碌に見もせずに相槌を打って、カエルの子へと声をかける。
「得体の知れぬ下賤の者など相手にされては示しがつきません」
傍に控えていた執事は小さな碧のこどもを睨み付ける。
「うるせーよ」
「ゲロッゲロッ」
威嚇するようにカエルの子は吠えて、王子の後へと続く。
カエルのこどもが来たので、城の中は途端に賑やかな有様になった。
昨日まで綺麗に並べられていた椅子は二人の鬼ごっこのために引っ繰り返され、飾られていたシャンデリアは端から撃ち落とされてゆく。
そんな楽しい日をそれなりに楽しく、それなりに楽しくなく過ごし、王子の誕生日の一日が無事に過ぎた。
美味しいものでお腹を満たしてから、カエルのこどもは王子の部屋に寝場所を与えられた。
二つ置いてあった寝台の内の一つはずっと空いたままだった。
羽根でふかふかした布団へと包まると、疲れていたのかその日はすぐに眠ってしまったようだった。
翌日になっても二人のこどもはかくれんぼやらなにやらとやり過ごしていた。
午後もしばらく過ぎた頃にカエルのこどもはお腹がすいたので、キッチンの食器棚から勝手に皿とスプーンを取り出した。
「ミーにもください」
そうして食堂で遅い昼食を摂っていた使用人へと皿を差し出した。
「お腹がすいてんのかい、なんか作ってあげようかね」
わけのわからないこどもだったが、王子が連れて来たので使用人達は無碍には扱えなかった。
森の中でかわいそうに一人きりで過ごしていたと聞いて同情してもいた。
「ミーこれがいいので」
スプーンで傍にあったシリアルの箱を差して、こどもはシリアルを要求する。
城の食事は豪華で美味なものであったが、そのこどもの貧しい味覚には合わなかった。
皿にざらざらと開けられたシリアルに牛乳を注いでから、スプーンで馴染ませる。
シャリシャリと音をさせながら、ひもじそうにまずそうにカエルのこどもは食事を摂った。
「おいカエル、どこいったー?」
食べ終えたか終えなかったかの頃にカエルを捜す声が聴こえた。
「なんかしましたー?」
「いいからこい」
「ちょっと待っててください」
悠々と食堂で王子を待たせて食事を心行くまで摂った。
カエルのこどもがあまりにもまずそうな表情で食べているのを見て、一緒に王子もシリアルを食べ始めた。
広間の大きな大きなツリーは、綺麗な色の電飾やら金と銀と赤の丸いのやら、綿の雪やらで彩られている。
「ほら、お前の」
「履かないのでいいです」
差し出された靴下を履くのを拒否して両手を振って受け取るのを拒む。
「かざれよ」
王子は早速適当な所を選んで、赤い靴下を吊るした。
「これにサンタがプレゼント入れてくんだぜ」
「へー、サンキューです」
こどもも渡された緑の靴下のかたっぽを木の下の方へとぶら下げた。
次の日の夜にはまた楽しくて愉快なパーティーが始まる。
カエルには美味しい食事が合わないのがわかったので、王子はカエルのこどものためにまずい食事を作らせた。
「中々冒険心に溢れた味でしたー」
まずい食事をまずそうに平らげたこどもは、とても満足そうな無表情で礼を言う。
お笑い芸人の漫才や愉快な踊りを見て、二人は笑い転げた。
カエルのこどもは音程の全く取れていない、下手くそな歌を歌って王子の心を打った。
そうしてご褒美に貰ったケーキを二つ、よい顔をして平らげた。
全ての幸福な行事が済んでまた眠たい夜中は来た。
夜半になって目覚めたカエルのようなこどもは、急にシクシクと嘆き始めた。
「なに泣いてんだ?」
「ちょっとナイフ刺されるような嫌な思いした夢を見ただけなので、あんたには関係ないので」
「おもせえ話してやる」
勝手に隣のベッドへと歩み寄って布団へ入ってこどもの隣に横になる。
泣いていたこどもの頭を撫でてやった。
「どんな話ですかー?」
「んっとな」
王子の話し始めた大して面白くもない話を、カエルの子は暫くは真面目な顔をして聞いていた。
然しあまりに面白くなさ過ぎてその内に眠ってしまったようだった。
「おい、ねちまったのかよ? ジル様の話の途中で寝るなんざ……」
文句を言ってカエルのようなこどもを揺すり起こそうとした。
だがすやすやと気持ちよさそうに寝入っている顔を見て起こせずに、しかたなしに話を止める。
カエルのこどもが眠ってしまって暇になったジルは、広間に行って緑の靴下の中にゴム製のヘビのオモチャとあめ玉を入れた。
自分の靴下も確認したが、その時にはまだ中には何も入っていなかった。
そうしてカエルのこどもが寝ていた寝台に潜り込むと、何時の間にか彼も眠りに落ちてしまった。
後は夜の闇の中には微かな寝息しかなくなっていた。
翌朝になって目が覚めると、隣にカエルのこどもはもういなかった。
ベッドの下に転げてないかと捜したが、すっかりどこからも姿を消してしまっていた。
しかたなしに広間へ行って一人で靴下の中身を確認すると、綺麗に包装されたプレゼントが入っていた。
その他にドングリで作った首飾りのようなものと枯れ葉も一枚入っている。
カエルのようだったこどもが吊るした緑の靴下も捜したが、見当たらなかった。
中に入っていたヘビのオモチャも、あめ玉も一緒になくなっていた。
枯れ葉にはなにか文字のようなものが書かれていた。
だがミミズののたくったようなその文字を解読することは不可能に近い。
ものすごく時間をかければ読めないこともないが、労力に対して見合う成果は窺えはしなかった。
何より枯れていた葉は力の加減が出来ずに、握り締めた手の平の中で直ぐに砕けて、はらはらと指の隙間から落ちて行った。
(おわる)
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