カエル店


 青天の名残りばかりが雲の隙間から覗いていて、それでも傾く西日は差し込んでいた。
 枯れ山の木々の枝先に沁みた雪は積もらずに消えていたが、木の根元の日陰の方では根雪になっている所もあった。
 気分を入れ替えるのに、口やかましい執事の目を盗んで外へと出た。
 少年の真っ直ぐに伸びた金色の髪はか細く風の冷たさに揺らぐ。
「……………あ〜、いらっしゃいませ〜」
「…………カエルか? てめえっドコ行ってたんだよ?」
 素っ頓狂な声を上げたのは、数ヶ月前に姿を消したペットがいたからだ。
「カエルじゃないですって言ったはずですがー。ちょっと修行に」
 ペットの蛙ではないカエルは、人間の言葉を使って人間のように喋り始める。
「飼い主のオレに断りもなしに出て行くんじゃねえっ! アホガエルっ!」
 それでも彼は目の前のこどもがカエルだと思って何の疑問も抱かず、カエルだと認識し続けた。
 やつれるでも衰えるでもなく、不健康に彼の頬は凍える空気に馴染んでいる。
「? おきてがみしたじゃないですか? 師匠が迎えに来たので修行してきますと、書いたはずなので」
「あんなはっぱじゃよめねえってえの。だからって夜中にでてくなよ」
「明け方でしたよ」
「んなのどっちでもいーし。アイサツぐれーしてけ。オレ王子なんだからしつれーだろ? …………なあ、なにしにもどって来たの?」
「おみせやです」
 木の空き箱に腰を降ろしたこどもの前には、椅子にした箱と同じ大きさの箱がもう一つ置かれている。
 青いビニールシートが敷かれた台には、ごちゃごちゃとぼろいガラクタだけが並べられていた。
「みせやごっこか? 今度は」
「ごっこじゃなくておみせやなので。ひやかしならお断りですよ。ここならわりとお金持ちな人がいそうだとあたりを付けて来ました」
 どこまでも素っ惚けた顔と態度で、カエルはぽぽんっと台にした板を叩いて下らない品々を勧めた。
「なに売ってんのこれ。ただのボロい布じゃね?」
 汚いタオルのようなものを手にして、王子は首を傾げている。
「いいの仕入れて来ましたよ。え〜っと、それは拭くとわりと汚れの落ちる魔法の布です。さんぜんごひゃくまんです」
「なにそのぼった価格。ぞーきんか? こっちの瓶のなにこれ」
「う〜んと、それは〜飲むと目眩がする魔法の水です」
 説明をする前に瓶について少し考えこんだ。
 牛乳が入っていた瓶には今は濁った泥水が入っているだけだ。
「………………体悪くすんじゃね? この粉は?」
「あ〜、それはダメです売れません。本物の毒なので」
 こどもは片隅に置かれていた小さな紙の包みに触れようとした手を勢いよく掃う。
「偽物ばっか売りつけようとしてんじゃねえ! オレのこと暗殺しに来たんか? 本物ならこれ買ってやっからお前飲め!」
 適当過ぎる商いに呆れて、正統な方の王子は軽く怒りながらカエルを眺めた。
「んっとー、売っていいかどうかは師匠にきいてみないと判んないので」
「これもニセモンだろ、どうせ」
「…………試飲してもいいんですよ。どうぞー」
 愛想のいい店員のように丁寧な接客を心掛けた。然し作り笑いは上手くいかずに、中途半端な笑顔で商品をアピールする。
「お前が飲んでみろ」
「いんないです。あ、これこっちのおすすめです」
「なんだよこの缶?」
 一番手前に置いてあった銀色の缶には、彼にとっては異国の言葉で某かの文句が書かれていた。
「それーすごいいいやつなんですよー。お金入れるとよく貯まる缶なんです」
「……………ただの貯金箱じゃね?」
「は〜どっこらせ〜」
 カエルのこどもは王子のことなど気にせずに、一通り説明し終えた達成感で深く不快な溜息を吐くと、座った木箱の上で寛いだ。
「ヒマならちっと付き合えよ」
「ぜんぜんヒマじゃないですけど、まあいいですよー」
 カエルのこどもは王のこどもと連れだって重い腰を上げ、森の奥深くへと歩き始めた。
 葉が落ちていた木の一本ずつに、少しだけ春の息吹が芽吹いている。それは露ほども気に留めずに、只管に目的の場所まで歩き続けた。


 歩いて歩いて枯れた森を歩くのには暫く前に飽きていた。漸く見えて来たのは、膝の高さほどもない石の壁に囲まれた石碑だった。
 生した苔すらも真冬の寒さに彩度を失い、雨が降り風が吹く度に石は少しずつ汚れてしまっていた。
「ここなんですかー?」
「墓。見りゃわかんだろ?」
「え〜っと誰のですかー?」
 途端にカエルのこどもは恐ろしくなった。そうしてそろりと墓碑からは目を離し、じっと地面の何もない所を見つめた。
「オレの」
「なんだ」
「オレ、死んでんだぜ?」
「へー。すると今のあんたはゆうれいですか」
「………んなもんかもな」
「どおりでそんなアタマなわけですねー」
 妙に感心したような身振りで首を縦に振っている。
「髪型はかんけえねえだろ。ファッションだっての」
「でも生き返ったんだから生きてればいいじゃないですかー?」
「バカな弟のせえで葬り去られてんだよ、こっちゃあ」
「ふーん、複雑な事情なんですねー。興味ないです」
「ちったあ聞けよ」
「興味ないので」
 耳を塞いでじたばたと脚で地面を蹴り付けながら、今度は首を横に振り始めた。
「お前はいいな、自由で」
「? あんただって自由でしょう、ゆうれいなら」
「なわけねえじゃん? オレずっとここにいんぜ?」
「地縛霊なんですかー。でも食べるに困らないならいいじゃないですかー」
「んじゃお前もオレと一緒にここにいろ」
「それはムリですよー」
「なんで?」
「師匠に恩があるので、返さなきゃならないんでー。そのためにちょっとしなきゃならないことがあるんですよ」
「なあ。お前その師匠ってヤツが大事なの?」
「……あんな師匠べつに大事じゃないです。ただ偶々ミーが恩を返す方だったってだけです」
 嘘を吐いて拗ねているように、顔を王子から背けて閑散とした森へと向けた。
 どこまでも静かな闇の淵へと続いている森からは、野良犬の遠吠えが聴こえた。


 店のあった元の場所まで戻ると、荷物は出かけた時のまま乱雑に置かれていた。
「ミーちょっと本気でお金が必要なんですよ。なんかいりませんかー?」
「ふーん、んじゃこれ買ってやる」
 その中では一番まともだった銀色で出来ている貯金箱を手に持った。
「まいどでーす。こんだけください」
 指で算盤の珠をぱちらぱちらと弾くと金額を提示した。
「金なんかねえし。カードな」
「………なんですかーこれ」
 見たこともない薄っぺらい長方形を差し出され、カエルのこどもは信用ならない眼差しでその四方を眺める。
「カード」
「? …………お金か食べ物じゃないとちょっと」
 かじってみたりしながら首を捻り、食べられないのを悟ってがっかりと肩を落とした様子でカードを返した。
「ねえよ。城まで取りに来い。そしてちょっとマケロ。なんかたけえし」
「そうですかー。ダメです。いいモノですので、ぼったくりなさいって師匠が言ってましたので」
「…………なあ、お前もここからいなくなんの?」
「………?」
「アイツなにが気に入んなかったんだろーな」
「……………あんたの性格じゃないんですかー?」
 どの人間について語っているのか知らなかったが、一瞬だけ教えるのを躊躇った。だが遠慮による甘やかしは為にならないと思い、結局遠慮はしなかった。
「似たよーなもんだったぜ?」
「こんなのが二人もですかー? サイアクですねー」
「うっせえ! だから気に入んなかったのか? オレもあいつも。しっししっ」
「そんなの知……ふぁ……っくしゃん、へっくしゅん」
「どーした?」
「風邪らしいです。今日は早目に寝ようと思います。もう店じまいしますのでー、帰ってください」
「なあ、お前あの藁で寝んの?」
 こどもの後ろの方の藁の敷かれた巣穴を指で指し示した。
「はい。あそこが当面のミーの家なんで」
「風邪ひどくなんだろ? オレんちこい」
「いやー、どうも人んちって寝心地悪くていれないんですよー。ミーは枕が変わると眠れないタイプなので」
「枕とかかんけぇねえじゃん、あの家。いいから、こい。治るまで置いてやる」
 無理に取ったこどもの手は冷ややかで冷たいのに、手の平だけに熱があるように体温が高かった。
「余計なお世話というかなんというか」
「なんかすげえネツじゃね?」
「そうですねー。どことなくそんな感じはしてました」
 頬が赤く元気のない無表情をして一度だけまた深い呼吸をして、心の中を整える。


 夕暗がりの背景に浮かび上がった古城の、屋根では十字架の枷が光る。
 形だけの正門は開けずに、裏口から密かに城へと入ったが、台所で待ち受けていた執事にはすぐ見つかった。
「お帰りになりましたか、ジル様。お一人で外へ行かれては」
「あー」
「危のうございます」
「うぜえ。どこ行こーとオレの勝手だろ」
「………? そのこどもは」
「カエル帰って来た。今日からめんどーみろ」
 こどもの背中を片手で執事の方へと押し出した。
「またちょっとお世話になりますねー」
 一応の礼儀だと諦めて碧の髪のこどもは、目の前に聳えた山のような大きい執事に会釈をする。
「しかし」
「命令だから。あと医者呼べ」
「医師でございますか? どこかお加減でも」
「コイツ。風邪だって」
「お医者なんて下らないものは嫌です〜。ミーおいしいもの食べさせてもらったら治りますのでー」
 地団太を踏んでカエルのこどもはぶんぶんと首を振る。
 左右に振られて、首は前から後ろへと幾度も三百六十度近く回転する。あまりの力強さに首が外れそうだった。
 必死の形相に可哀想になった執事は、とりあえずこどもの熱を計った。
「なんだよ、お前注射こええんだろ?」
「ち〜が〜い〜ま〜す〜」
「解りました、直ぐに呼ばせましょう。このこども用に空いている部屋を用意させますので」
「オレの部屋でいーぜ」
「いけません、ジル様がお風邪を召されては困ります」
「オレ風邪なんかひかねーし」
「あ、それきっとアホだからですよ」
 こどもは熱で少し苦しそうではあったが、揚々と突っ込みを入れる。
「アホじゃねえっ!」
「これ口の利き方を慎め。お言葉ですが、やはりこのような無礼者の面倒をみる道理はないかと……」
「いいから、さっさと呼べ。これペットだし、死んだら遊び道具に困っから」
「ちがいますのでー」
「しかし」
「治せ。早く」
「解りました。ですが部屋は別に用意致します」
「まあ、そんでもいーけど」
 渋い顔で執事は碧の髪をしたカエルのようなこどもを抱え上げる。
「嫌〜。お医者は嫌です〜。そんなもの呼ぶならミーかえります〜」
「ったく、大人しくしろ。すぐいてえの持ってくっから。しっしっし」
「あ〜あ〜」
 涙目になった小汚く薄汚れていたこどもを、執事は他の使用人へと渡して風呂に入れさせた。
 カエルのこどもが暴れて嫌がって注射を拒んだので、呼んだ医者には結局飲み薬だけを出させた。
 寝台に寝かし付けられて、まずい薬を後悔に満ちた眼差しでカエルは飲み込んでゆく。
 出された美味いはずの食事もまずそうに全て平らげた。
 食べ終わってふかふかの布団の寝床に転がっていると、いつの間にか眠ってしまっていたようだった。
「も、下がっていーぜ」
「ジル様もそろそろ部屋にお戻りください」
「オレもちっとここいる」
「いけません」
「指図すんなっ!」
「では、何事かございましたら、直ぐにお呼びください」
「あー。なーオルゲルトー」
「どうかなさいましたか?」
「お前アイツ飼うのハンタイ?」
「は?」
「だから、アレ飼っちゃダメ?」
「………私めは反対だなどと申せる立場にはございません。ジル様のご意向に沿うまでです」
「ししっ、どーもな」
 機嫌良く笑って、部屋から出ようとした執事に手を軽く振る。
「ですが決して油断はなさらないでください」
「ああ」
「………申し上げ難いことですが、あの者が貴方様のお命を狙わないとは限りませんので」
「あんなボケっとしたガキにジル様がころせっとおもーのか? なめてんじゃねえよ」
「勿論そのようなことは不可能に等しいと思います。しかし万が一、ということもございますので」
「わあった」
「それでは私は失礼致します。お気が済みましたらお休みください」
「んああ」
 焦げた茶色い扉は閉じて、大きな執事は廊下へと姿を消した。
「…………カエル」
 また静かになった室内で、ぽつりとこどもを呼んでみた。
「カエルじゃないので」
 先程までの寝息はいつのまにか止んでいて、見開いた瞳でこどもは天井を眺めている。
「やっぱ起きてんじゃん」
「今の話し声がうるさくて起きちゃったんですよー」
「お前師匠いるっつったよな」
「いますー。髪型がとてもナウいんですよー」
「なんで迎えにこねえの?」
「今ちょっと自由に行動したりが不自由なんです。体力によるので」
「? んじゃそいつ来るまでここにいろ」
「んー、まあ用事もないからいいですよー」
「よし。んじゃこれ食わしてやるよ、うめえんだぜ」
「おいしいんですかー」
 傍らのサイドテーブルに置いてあった、果物のマチュドニアが入った器を王子が取った。
「ほら」
 フォークでザックリと刺したシロップ漬けのオレンジを、カエルのこどもの口元へと運んでやる。
 灯されたシャンデリアから弱い光が注いでいて、細胞質の一片一片が瑞々しく橙に輝いた。
「自分で食べれます。ガキじゃないのでー」
 顎を振って食べさせてもらうのを拒否をして、フォークを奪おうとした。
「いいから食え」
 だが王子はこどもの口へとフォークへ刺したオレンジを押し付ける。
「………んー、中々な乙な味ですねー。あんたもどうぞー」
 地味に美味そうな顔をして、残っていたメロンを鷲掴みにして差し出そうとする。
「厨房で用意さしたの、そのまましか食わねえし」
「神経質ですねー。ミーはこないだ、ちょっとしたカビ生えてたパン食べたけど、大丈夫でしたよー」
 遠慮されたから遠慮はせずに、手にした果物は自分で食べた。
「………すげえ不憫な食生活なんだけど?」
「あ、勿論カビのとこは取り除きましたよ?」
「もうそういう問題じゃなくね?」
「けっこう堅めなとこがよかったです」
 中々よかったパンの味を思い出して至福の表情をする。
「なー」
「なんですかー?」
 熱のある頭と髪を撫でられたので、嫌なわけでもなかったが微かに目を細めて王子のティアラを見た。
「今度どっか行く時は、ちゃんとオレにアイサツしてけ」
 小馬鹿にして今まで哂っていた口元が下向きに結ばれる。
「夜中に出かけるかも知んないので」
「いーから言ってけよ!」
 今度は拳骨でカエルの色をしたこどものこめかみ辺りを軽く殴り付けた。
「いてっ。わっかりましたー」
「おっし」
 それから数日の後に碧の髪のこどもは、やはりそこから出かけることになった。
 今度はきちんと別離の挨拶をし、次にいつ来るかも解らないのに再会の約束をして城を出てゆく。
 ポケットに収めた貯金箱の代金の小銭に手で触れて、ちゃりんちゃりんと音をさせてから歩き始めた。
 そこに来た時よりも木々の狭間を抜ける空気は少しだけ暖かくなっていた。こどもは日溜まりの前で時折止まっては、眩しそうな眼差しでゆく道の先を眺めている。

(おわる)



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