ラジエルの書、あるいはベルフェゴールの探求(仮)


 あ゛ー? なんでジル殺したのかって?
 んなの決まってんじゃん。アイツ殺したら、オレが王様になんだろ?
 オレはなんもそんしねーんだから、そりゃ殺すだろ。
 楽しかったこと? まあまったくなくもねーけど………。


 暖房が入っていたはずの室内の空気が寒くて、鼻先へと痛みを感じたベルは無理矢理に眠りから目覚めさせられた。
 靄がかかったように覚めない頭で何かを考えようとした時に、べちべちと小さな手で頭がひっぱたかれる。
「ベルっベルっ、さっさと起きろ」
 開かれた窓からはその間にも凍て付いた風が吹き込んで来た。
 首筋にも冷たさがまとわり付くと、一瞬で覚めなかった頭が状況を理解した。
 鼻に触れていたのはジルが外から持ち込んだまっ白な冷たい雪玉だった。
「んあ? んっだよ、こんな朝っぱらから」
 だがベルはふかふかしたベッドで上半身を起こしてからも往生際悪く毛布を引き寄せ、目に被った前髪をかきむしる。
「ソリやっぞ、ソリ」
「ソリ?」
 驚いてカーテンの開かれた窓の方へと目を向けると、一面に拡がる銀世界が瞳に映った。
「やる! 王子赤い方」
 雪の地面が目に入った途端、急激に視界も脳も冴えて大きな声を出した。
「王子はオレだから! おめーは王子じゃねえし」
「ジルよりオレのが王子だもん!」
「正統王子はオレだし! さっさと着替えろよ。ほんとどんくせえ」
「王子だからよゆーなだけだし。……その前にっと」
 ベルは傍らにあった正規の用途としては使い道のない目覚まし時計を手にすると、背中よりも後ろへと回した腕に勢いを付けてジルへと投げ付けた。
「いっでえっ!」
「めいちゅー♪」
「てめー、なにすんだっ!」
「ししっ、さっきひっぱたかれたぶん♪」
 時計の部品は当たった瞬間に幾つか取れて床へと散らばった。
「るせっ」
 今度は小さな手の平の中で握り締められて硬く小さくなった雪玉を、ジルがベルの額を目がけて振り被る。
「あだっ! こんの」
 両手で白い羽根枕を掴み取ると、ジルへと狙いを定めて適当に投げた。
 羽根枕は的確にジルの後頭部へとぶつかって床へ落ちた。
「てんめええっ、死ねよっ!」
 今度はジルからベルへと飛んで、暫くそんな風に枕が空を切って二人の間を移動した。
 ひとしきり続けて飽きが来た後にようやくベルは朝の支度を終えた。
 赤いソリは一つしかなかったから、どちらが持つのかでやはり揉めに揉めた。
 門から続く除雪された道には行かず、城の裏口から人目を盗んで出ると山へ続く抜け道に向かった。
 誰にも見つからないように、まっ白い雪にまっ白く靴の跡と引き摺ったソリの線を残す。
 ちらちらと降る雪から音はなく、鳴く鳥の声すらも聴こえては来ずに森は寂静としていた。
 雪に覆われて普段なら踏み分けられている道すら見分けが付かない。
 揃って入り口で森に入るのを尻込みして立ち止まる。
 だがどちらからもためらう言葉を吐けず、道なき中を突き進むことになった。


 様々な種の木々が混じり合っている中で、広葉樹は既に葉を落としていて、樅の木だけが生気のない葉を未だに落とさずにいた。
 雪雲が覆う天から陽は射していないから、昼のように明るくもなかった。だがそうかといって夜のように暗かったわけでもない。
 どこまでも半端な灰色の森をソリで滑れる場所を探して、双子の王子は彷徨っていた。
「あ、ウサギ!」
 無彩色の風景の中に、突然雪と同じ色のウサギが現れたのを見付けて、ジルは大声を上げた。
「ウサギなんかめずらしくねえもん」
 白い耳と赤い目が大きな声に驚いて震えるのが見えた。
「あれ狩った方が先にすべれっから!」
 取り出したナイフをウサギへと向けていきなり投げ付けようと構えた。
「めんどくせえ。お前一人で狩れよ」
 ベルはそっぽを向いて置かれたソリを取った。
「じゃーオレが先にすべっし」
「オレもうすべるし」
 庇う気持ちがあったわけではなく、彼はウサギに興味が湧かずにいただけだ。
「正統王子のオレが先に決まってんだろ!」
 ベルの持っていたソリのもう片方の端を掴んで滑ろうとするのを引き止めた。
「この辺からすーべろっと」
「おにーさまがさきだっつってんだろ! ヴァカ!」
「るっせえし、アーホ」
「んっだやんのか?」
「決まってんじゃん」
 持っていたソリを辺りへと放り投げてナイフを次から次へと取り出した。
 雪の中へ銀色の冷たい光が舞っては消える。
 二人が喧々諤々と言い争いを続けている中、粗末に放られていたソリは坂の端から滑り出した。
「あっ」
「あっ」
 赤いソリの紐を掴もうとしたが、二人の手から紐は擦り抜ける。
「見ろよ! ベルのせーで」
「ジルがわりぃんだろ!」
 争う口は止めずに二人はソリを目がけて走り出す。
 ソリの二本の筋と小さな足跡がまた点々と白い雪の上にあった。
 二人はほぼ同じぐらいに飛び乗って、そのままソリは道のない山の表面を木々の狭間を擦り抜け疾走してゆく。
「れ? どこだ、ここ」
 勝手に滑走して行ったソリの行き先は、二人が目にした憶えのない森の奥深くだった。
 雪へと手を付いて立ちあがった。
「知んねーよ。あっだあ。お前のせーだかんな! いっつもいっつも人の足ひっぱんな、クソ弟っ!」
 周囲へと目を向けたが目印などありはせず、木の枝の梢の葉は枯れていたがいっそう薄暗くなった。
「ジルなんか兄貴だと思ったことねえから! だいったいてめーがわりぃんだろ!」
「んだと! どー見ても出来そこないのベルのが弟だっての! 人のせいにすんじゃね! 死ねっ」
 引き摺っていたソリを両手で持つと、ジルはいきなりベルの頭を目がけて振り降ろした。
「あだっ! お前なんかいっつもずるばっかだし! ……お前が死ねっ」
 ベルも負けじとソリを奪い返して、ジルの体へと叩き付ける。
「いだっ! ずるしてねえし! もっかい死ねっ!」
「こないだあのでっかいやつがずるしてんの見たもん! 死ねっ! 死ねっ!」
「オルゲルトはんなことしねえから! 死ねっ! 死ねっ!死ねっ!」
「してたし! 死ねっ! 死ねっ! 死ねっ! 死ねっ!」
「しねえし! 死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねっ!」
「したってえの! 死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねっ! 死ねっ!」
 交互に死ねの大合唱をして、どちらが多く言えたか競い合っている。
 一頻り言い続けて言い飽きて疲れて息を切らした頃に、漸く喧しい声は止んだ。
「もーこっからオレ一人で行くから、ついてくんなよベル」
「ジルなんかどーでもいーし! オレこっち行くし」
 ソリはほったらかしにしたまま二人は背を向け合って反対の方向へと歩き出した。
「いだだっ」
「あいだっ」
 だが然し数歩進んだ所で襲った、何かがぶつかったような激しい痛みに頭を押さえて互いを振り返る。
「なにすんだてめー!」
「こっちのセリフだっての」
 触れた後頭部からは同じように流れ出た血が一瞬だけ彼等の手の平を温めた。
 それに驚いている間もなく、二人の間へと雪が煙になって舞った。
「うっわっ」
「んっげっ」
 静寂の中へと途端に響いて来たのは、何かの塊が雪の上へと次から次へ落ちて来た音だった。
 不意の出来事に驚いて彼等は口を開けて尻餅を付きながら、呆然と落ちて来る物を眺めていた。
「んだ? これ」
「……………つららじゃね?」
 少しの距離を空けていたジルとベルの間に、雪の中に透明な氷が落ちているのが見える。
 上を眺めると冷たい風を浴びる木の枝の先には、徐々に溜まった水滴が固まっていて、何本も何本も氷柱が出来ていた。
 氷柱を一本雪の上から取るとジルはベルへとまた投げ付けた。
 ベルも一本を手にしてジルの目玉へと突き刺そうと向けた。
 ぶつかり合う氷の高い音と、折れる弱い音が森林のあちこちへと反響する。
 しばらく氷を投げ合い、ぶつけ合い、二人はまた気付けばそこから動いていた。
「どーしてくれんだよっ、たく」
「知んねえし、自分のせいじゃね」
 道のない雪を掻き分けて歩き続けて疲労が溜まって来た頃に、煉瓦で出来た一件の家が見えて来た。


 渡りに船とばかりに二人は木の扉をどかどかと遠慮もなく叩く。
「どちら様ですかー?」
 眠そうに瞳を擦りながら扉を開いたのは、彼等と同じ年頃の小さな碧の髪のこどもだった。
「お前だれ?」
「ミーは魔法使いですよー。人んちいきなり訪ねて来て、初対面の人間に向かってお前とか口の利き方知んないガキどもですねー」
「オレ王子だもん。さみーから入れろ」
「はー? 王子だから許されるとでも思うんですかー?」
「ぶえっくし」
「オレらがカゼひーたらお前打ち首ね」
「…………もーしかたないですねー」
 ヒーターの入れられた室内は温かくて二人は数時間ぶりに胸を撫で下ろした。
「なんかさあ、森ん中にある魔法使いの家って、もっとこーさ」
「ふるいっぽいんじゃねえの? なんでヒーターなんだよ」
「これ魔法なんでー」
 していた手袋やマフラーや耳当てももう既に濡れていた。
「これ乾かしとけ」
 濡れた服を全て脱いで、魔法使いのこどもへと差し出した。
「あとタオルよこせ」
「なんでミーがやるんですか〜」
「やんねえと」
「ナイフでハリツケな」
 二人は同時に右手の指と左手の指へとナイフを握っていた。
 温かい室内で口々に要求を通そうとする名前も知らないこどもに戸惑って、それでも碧のこどもはタオルを貸してやった。
 何も考えずに散らかされた衣類は乾燥機にかけた。
「これ乾いたら帰ってくださいねー?」
「なんかあったかいの出せ」
「面倒なんで熱湯でいいですかー?」
「オレホットココア」
「オレホットミルク」
「わかりましたー」
 解ったと答えたはずのこどもが用意して来たカップにヤカンから注いだのは、何の変哲もないお湯だった。
「ココアじゃねえだろ! てめえなめてんのか!?」
「牛乳じゃねえし、ざっけんなクソガエル!」
「………? カエルーは違いますね。こうすればできます」
 くるくるぐるぐると碧の髪のこどもは呪文を唱えながらマドラーでお湯を掻き回す。
「んあ」
「うわ」
「できましたのでー、どうぞ」
 まるで魔法のように目の前で色の変わった飲み物へとジルは首を傾げて啜った。
 ベルは一方でカップに入った液体へと鼻を近づけて嗅いで、香りを確かめている。
 談笑でもなかったが、出された菓子に手を付け、ゲラゲラと笑ってテレビを見ていると乾燥機のブザーが鳴った。
「乾いたみたいですねー」
 こどもは乾燥機から取り出した服をその辺の床へと放って捨てた。
「放んな!」
「捨てんな!」
 投げられた衣類は殆ど同じ服ばかりだったが、彼等は的確に自分の方を選び取って着てゆく。
「んじゃ」
「オレらかえっから」
「ここまでしてやったのになんかお礼とかないんですかー?」
「礼? なんだそれ」
「んあ。んじゃこれやるよ」
「……おー」
 外に置かれたまま邪魔になっていたソリを差し出されて、碧の髪のこどもは興味深げに両手で受け取った。
「いいですねー、これ。野菜とか運ぶのに。サンキューガキども。あ、お城はあっちですよー」
 表から裏からを見回し、野菜を収穫した時に運ぶのにちょうどいいななどと思って礼を言った。


 おかしなこどもと別れて、元通りになった服とあったまった体で二人はまた雪の中を歩き始めた。
 人の通らなかった山奥の真新しい雪の結晶は踏み心地も良くサクサクと軽い音をさせて壊れてゆく。
「おい、見ろよアレ。すっげー」
「あ? うっわ」
 ジルが手を向けた方向にあったのは、華やかに飾られた大きなツリーだった。
 ぐるぐると何時間も山の中を彷徨い歩っていて二人の王子が辿り着いたのは、自分達の城の正門だった。
 遠くから彼等を見付けた大きな執事が向かって来るのが見えた。
「ジル様、どちらへ行かれてたのですか? お捜しておりました」
 髪型も顔も一緒の二人がいつも着ている服を取り換えても、彼は一目でどちらが兄かを見抜く。
「山でソリやってた。ウサギいたんだぜ。あと魔法使うへんなやつ」
 屈託も蟠りも何の疑いもなく執事へとジルは駆け寄った。
「そうでしたか、王様もお妃様も心配なさっていました。ベル様もご一緒でしたか。さあ、お二人とも中へ入りましょう」
「あー」
 気乗りのしない生返事をしたが、ベルはスタスタと先に進んでゆく。
 両親や使用人達が奇異で不快な平等さの中に時折見せる些末な差別は、次第に弟の心の内部を蝕んでゆく。
「んで、ベル、ウサギ殺すのびびってんだぜ」
「きょーみなかっただけだし」
 振り返ったベルはジルへとナイフを投げ付けた。
 避けられたナイフは当たらずに、雪の中へと埋もれて行った。
 ジルから投げ返されたナイフも、ベルが避けて飾り付けられた木に当たった。
「びびりー」
「うっせ、ずるっこ」
「ずるしてねえし! 死ねよバカ!」
「お前が先に死ね! アホっ」
「お二人ともお止めください。今日はおめでたい日なのですから」
 恰幅の良い執事は二人の王子の服の首根っこを掴んで、いっぺんに持ち上げる。
 連れて行かれた暖かい室内で白い筈の雪で汚れた衣服を脱がされ、パーティのために汚れていない服へと着せ替えられた。
 それからそのまま誕生会の飾り付けがされた広場へと運ばれた。
 設けられた席から見えたのは“Buon compleannno! Rasiel&Belphegor”という二人の誕生を祝う幕だった。
 どこまで行っても後から自分の名前が冠せられるのに、ベルがうんざりして嫌気も差すのはそれから少し先の話だった。
 与えられたその名は、元々は遠い異国で信仰されていた神の名だったと父は言った。 公平を期すために兄には神より劣る天使の名が付けられたのだとも、言い訳のように語っていた。
 意味などはどうでもよいことは解っていた。
 父は単にそれらの名前の語感が気に入っていただけだ。
 だから極力どうでもよかった弟の方へ悪魔になった神の名を付けた。
 産まれる前から産まれた後も、彼は誰にも期待を持たれてはいなかった。
 かと言って目に見えて腫れ物として扱われていたわけでもない。
 機会があれば彼でも良かった。だが彼はその好機すら味方にはできなかった。
 本当にただそれだけのことだった。
 その名の通りに面倒くさがる癖もあったから、どこかに面倒事から逃れようという甘えはあった。
 然しそれらとこれらは別の問題でもあった。
 彼自身のスタンスがどうであろうと、周囲の些末だが歪な扱いの差は、王子である彼にとって到底許せるようなものではない。
 漸く戻った王子達のグラスに、美味しい葡萄のジュースが注がれてゆく。
「しししっ」
「カンパーイ♪」
 合わせたグラスはカチンと響いたが、楽隊の演奏が始まったから音は直ぐに消えてしまった。
 だが今はまだ即位とか戴冠とかそこまで難しいことも考えず、楽しい日々もあったから笑えてもいた。
 朝、散らしたまま出かけて来たこども部屋は、戻った時には既に整然と片付けられていた。
 二日後に迫ったクリスマスも楽しみにして、二人の王子は夜半には同じ部屋の各々の寝台で眠りに就いた。
 明け方までも二人は何の夢も見ずに、幸福な眠りの中の眠りだけを繰り返す。


 なんでとか知んねーけど、目障りじゃん?
 おんなじ顔でおんなじような性格のやつがいるって。
 王子はオレ一人で充分なんだから。堕じゃねえし!


(おわる)



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