もう二度と辿りつけない場所 1
昼前の空に出た太陽は気温の冷たさに凍って白く輝いている。
気温の低い朝から一向に温度が上がる気配もなく、アジトの中の暖房を付けていないフランの部屋は冷たいままだった。
先日の打ち合わせを思い起こしながら、フランはベルの部屋へと向かう。
案の定まだ眠っていたらしいベルは呼びかけにも応じはしない。
仕方なしに部屋へ侵入して暖かい部屋の暖房を切ると、ベルが被っていた布団を引き剥がした。
「………カエル、お前なにやってんの? 人の部屋で」
「センパイがどうせ寝てるだろーと思って起こしに来てあげたんですよー」
「よけーな世話だし。さみーからオレもうちっと寝るわ。後二時間したら来い」
フランが持っていた布団を取り返して、また頭から被り直した。
「向こうに二時頃には着かなきゃならない予定なんですがー。ここから現地まで三時間くらいかかるって話ですよ」
その布団はフランの手によってまた剥がされた。
「ったく、めんどくせ。引き受けんのは午後からの任務だけにしろっての」
「最終的にやるって言ったのはセンパイじゃないですか〜。なら断ればよかったと思いますー。そしたらミーもセンパイの面倒なんかみなくても良かったですしー」
「あーあ、お前とイッショじゃなきゃなー」
「それはミーが言いたいことです〜」
「ああもー、しゃあねえな。ならそっから服とれ」
開けっ放しのクローゼットを顎でフランへと示して、自分はまた布団へと横になる。
「嫌です〜。ミーは小間使いじゃないんで自分でやってくださいー」
「取ってこねーとオレ動かねえから」
「もー、なに逆ギレてんですかー。寒くて眠いのはミーも同じなのにー」
テコでも動こうとしないベルに呆れて、クローゼットに渋い顔で近付いた。
服を漁ったフランはとりあえず着られそうな物を寝台へと放り投げる。
数日前の夕食が済んで部屋へ戻ろうとした時に、ルッスーリアから突然呼び止められたフランは、足を止めずにそのままリビングを出ようとした。
だが、ソファーにいたベルが足を引っ掛けてそのまま足を縺れさせた。
『いった〜。なにすんですか〜?』
『仕事の話なんだけど、今度ベルちゃんと廃墟の解体に行って欲しいのよ』
『廃墟の解体作業ー?』
言い渡された任務と足を引っかけたベルへと、フランは不平のある眼差しを向けた。
『そ。オレとお前でだって』
先に聞いていたベルがソファーの上に寝転がり直してから口をはさむ。
『センパイはともかく、なんでミーまでイッショに行くんですかー?』
『幻術で解体作業の目眩ましして欲しいんですって』
『へー。急になくなったら近隣の人に怪しまれません?』
『持ち主が内々に処理したいらしいのよ。なにかいわくつきなのかしらね。問題あるかしら?』
『そうなんですかー。センパイとイッショってのが気に入んないですけどー、それ以外は問題ないです』
『オレだっておめーとなんか組みたくねえし!』
『んもう、二人ともそんなこと言わないで、いつもの調子で頑張ってらっしゃい』
『たいしておもしれーシゴトじゃねえし、つか建物の解体とか暗殺部隊の仕事じゃねってえの』
『まあいいじゃないの。どうしてもって話なのよ。報酬は現地での現金払いなのよ〜』
『ゲンキン払いだろーとツマンねー仕事なんかしたくねえし』
『そういう選り好みがダメなんだと思います。嫌ならセンパイは来なくていいんじゃないですか〜?』
『行ってもらわないと困るのよ。じゃ月曜の十時、玄関に集合よろしくねん♪ 車の手配はしておくわ』
『なんだよ〜。ミー一人で大丈夫なのに』
『こっちこそ一人でいーし! なんでオレがいつもいつも、このカワイクねーカエルの面倒見なきゃなんねえんだよ』
ぼやくベルはフランを連れ立ってその場を後にし、文句を言い合いながら各々の部屋へと戻った。
双方が不満を見せても、結局は与えられた任務を二人でこなさせられるのに変わりはなく、当日の朝は来てしまった。
予定されていた時刻よりは大分遅れていたが、漸く二人は仕事先まで運ぶ手筈となっている黒く塗り込められた車に乗り込んだ。
車は走り始めたが、ベルはまだ眠たそうにフランに寄りかかってうとうととし始めた。
市街地のクリスマスの飾り付けがされた店を、フランは車の中から楽しくなさそうに眺めていた。
枝の先の葉を枯らした街路樹は華やかな電飾で彩られて、陽気に浮かれる人々が広い通りの両側を行き交っている。
車の中から見えた景色は、規則性を持たずに変化を続けた。
そうしていつからか真冬にも枯れない鬱蒼とした蒼い森が拡がり始めた。
看板を頼りに門から中へと入った車は、入口まで付けて二人を降ろしてから、そのまま走り去った。
「えー? ここですかー?」
「とりあえずカギ開いてっから中入れっつってたけど」
「…………? こんな観光地でもないとこに美術館なんて、たんなる道楽ですね。というかホントにココ廃墟なんですかー?」
「まちがってねえし。オレ王子だから」
「今それ関係ないです。んー。まあ。地図だとだいたいここら辺ですけどー」
「王子にまちがいとかあるワケねえし」
「センパイ寝てたじゃないですかー? 運転したのセンパイじゃないじゃないですから、そこら辺は安心な気もしますが」
「どーいう意味?」
ベルはナイフを取り出して、フランの方へと向けて手繰ろうとしている。
「でも廃墟にしちゃやたらキレーじゃないっすかー? 間違ってたら大変な損害ですよ」
二人が目にしていたのは、新しいという程ではないが、解体しなければならないほどの旧い建物でもなかった。
「ベンショーなんか上がやんだろ。とりあえず中入っぞ」
「わかりましたー」
「術しとけ」
「もうやってますよー」
無表情な中に心外な顔をしてフランもベルの後に続く。
外観がどうなってもいつものように見える術を容易くかけた。
ベルが指示されていた正面玄関の扉を開くと、中には一人の老年に差し掛かった男性が待っていた。
死人が蘇ったような痩せこけた顔は、電気の付いていない暗い建物の中で気味が悪い程に青白く見えた。
磨かれた木の床には三人分の影がうっすらと逆さまに映る。
「? 誰?」
「この建物の所有者です」
「あー、わざわざ挨拶にきてくれたんですかー? 勝手にやって勝手に帰りますんで、お気遣いなくー」
「いえ、私はあなた方にお願いがあってお待ちしていたんです」
「なに?」
「なんですかー?」
依頼以外の依頼に二人は同じ方向へ首を傾げた。
「今日でこの建物も最後になります」
「そうですねー。あんたが壊してくれって頼んだので」
「そこで、ここを最後に誰かに見て欲しいと思ったのですよ」
「へー。誰か招いてんの? あ、もしかしてそいつらオレが殺すの?」
「いえ、今日はあなた方しか招いておりません。それでお二人を案内させて頂きたいのです」
「ふーん」
「どうしますー? ベルセンパイ」
「案内されてやってもいーぜ?」
「そんな感じですー」
「それではどうぞこちらへ」
「オレ王子だから美術品とかにはうるせーから」
「センパイそんなのにキョーミありましたっけー?」
「あるある」
「……………」
何か言いたそうな目でベルを見たが、結局は言わずにフランはそのまま黙った。
玄関を入って向かって左手にある、二階へと続く階段へと腕が向けられて二人が進む方角が示される。
男が手にしていた懐中電灯の微かで僅かな灯りが足元を照らしたが、それでも室内に明るさが足りないことに変わりはなかった。
(つづく)
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