日々是好日
うららかな日差しは午後になってから不意に翳りを見せた。
空は一面の未だ降り出してはいない不吉な雨雲に覆われている。
「センパ〜イ」
ベルの部屋のドアがノックもなしに普段より遠慮もなしに開かれた。
「なんだよ、オレ今いそがしーんだけど」
いつもならば怠惰にその辺に転がっているベルは、ゴミの山を漁りながら本当に忙しそうにフランに用件を尋ねる。
「ミーのカエルどこやったんですか〜?」
「あ゛っ? 知んねえし」
驚いて振り返ると、確かにいつも頭に乗っているカエルは見当たらなくなっていた。
「そんなわけないです。あんなの持っていくのセンパイくらいしかいないです」
「置き忘れじゃねえの? ちゃんと捜したのかよ」
「捜しましたー。物干しもお風呂もトイレもベッドの脇のテーブルも見たけどないんです。おかしいじゃないですかー?」
「だからってオレが知るワケねえだろ」
「ミーと離れ離れになって、さみしくて泣いてるかも知れないですあいつ」
「泣くわけねえし」
「じゃあ吐いてるかも知れないです」
「吐かねえし。ところでお前こそミンクどこやったんだよ」
「? ミンクなんか知りませんよ〜?」
「知ってるはずだろ。匣にいねえんだから」
空の匣をポケットから取り出して振って見せたが何も出ては来ない。
「匣にいなかったらミンクの居場所をミーが知ってるって、おかしな話だと思いませんか?」
「思わねえよ。お前がどっかに人質として隠したんだろ?」
「ミンクは人じゃないのでミンク質ですね」
「んなことどうだっていいんだよ。早く返せよ」
急に姿を見せなくなった匣兵器を四苦八苦して捜索していたベルは、これを幸いにフランへと責任を転嫁する。
「知りませんよー。だいたい匣兵器なんだから、炎が切れたら戻って来るじゃないですかー」
「三日間ぐれー外に出とけるぐれーチャージしてんの。きのー入れたばっかだから」
「ってことはあと二日くらいはミンク戻って来ないってことですねー」
「その前に捜し出せよ!」
心なしか嬉しそうな顔をしたフランをベルは殴り付けた。
「でっ! なんでミーが捜すんですかー?」
カエルがない頭に本当の痛みを感じて殴られた個所を擦る。
「ミンクがいなくなったのは絶対お前のせーだから」
「そんなわけないです。なんか手掛かりとかないんですかー? とりあえず部屋ん中見せてください」
探偵のような動作でフランはベルの散らかった部屋を見回した。
「あ〜!」
「ん?」
「これって〜…」
そうして手にしたのは、ゴミだか必要なものだか判断できない、投げ散らかされていたチラシだった。
「置き手紙ですよ。ミンクの」
広告のような紙の裏の白い足跡のような模様が残っている部分を広げて見せた。
「おきてがみ?」
「間違いないです。センパイにこき使われるのが嫌になって家出したんです」
酷く神妙な顔をして何かを納得するようにフランは頷いている。
「なわけねえだろ!」
「きっとそうですよー。ミーも同じ立場として気持ちわかりますもん。毎日毎日安月給でこき使われて嫌んなったんです」
「ミンクは月給制じゃねえし。カエルとなんか同じ立場じゃねえし、つうかお前より上の立場だから! ちゃんとミンクさんって言えよ」
「ミンクさんなんて名前すら付けてもらってないクセに〜。ミー今カエルないのでカエルって呼ばないでください〜。思い出したら悲しくなるじゃないですか〜。…………じゃあ安い炎でこき使われるのが嫌んなったんです」
「すっかりカエルと同化してんじゃね? 名前付けてねえんじゃねえし、王子が王子であるようにミンクはミンクそのものなんだっての。王子の炎がやっすいわけなくね? ならおめーのカエルだって、毎日毎日お前に文句垂れられんのがいやになって転がってったんだろ」
「なわけないじゃないですかー? アイツは無機物ですよ、感情なんかありませんのでー」
瞬きもしない喋りもしない可愛げのないカエルを思い起こし、カエルの理解者であるのを誇らしげに主張している。
「つかさあ、お前なんで勝手にカエル脱いでるわけ?」
「たまに虫干ししてやんないとダメじゃないですかー? 物干しに干しといたんですよー」
ベルの部屋からは見えない方角にある物干し場を指で差した。
「へえ」
「どうしてくれるんですか〜」
「どう考えてもオレのせーじゃねえし。んならもっかいオーダーしてやっから」
「………あいつに代わりなんかいません」
「………拒否っても新カエルかぶすし」
「そんな被せたいんなら、アイツ捜して来てくださいよー」
「なんでオレが捜すんだよ! おめーが失くしてんだろっ!」
調子に乗った後輩にいらついて取り出したナイフを力任せのように投げ付ける。
「あでっ!」
「カエルなんかどうでもいいから、ミンクのことマジメに考えろよ」
「どうでもよくはないですが。………う〜ん、そんじゃなきゃ故郷が恋しくなったんですねー、きっと」
「故郷?」
「そうです。ミンクはここでずっと働きづめでしたし、たまに故郷の森とかに帰って癒されたいんじゃないですか〜?」
「…………まーな、そういやミンク最近頑張ってたもんな。それもあ………あ?」
ベルが納得しかけた所で、半開きになっていた扉からどういうわけかカエルが入って来た。
「あ〜カエル! どこ行ってたんですか〜? お前歩けたんですねー?」
もぞもぞと不可解な動きを遂げていたカエルへとフランは駆け寄って抱き上げた。
その拍子にカエルの下へと何かが落ちて床へと転がった。
「キッ!」
落ちた拍子に驚いた白い物体は軽く威嚇の声を出した。
「ミンク! カエル、てっめミンクになんてことすんだ!」
「でっ! 勝手におっこちたんじゃないですかー。なんでミンクがカエルの中から落ち……あ〜、さてはお前がうちのカエルをたぶらかしたんですね〜」
迂闊にカエルの中へと潜り込んで出れなくなっていたミンクは、二階の窓へと跳び上がれずになんとかカエルを引き摺ってベルの部屋へと戻った。
「ミンクがんなことするわけねえだろ。そいつ無機物だし」
「あんま物みたいに言わないでください。コイツだって好きで無機物なわけじゃないんですから」
「好きだろうが好きじゃなかろうが無機物だし! さっき無機物だって言ったろてめー」
「…………ん〜、もしかしたらミー達があんまりケンカばっかりしてるから、ミンクはカエルと一緒にいたいって言えなかったんですかね〜? だからミーが干しといたカエルにちょっかいかけて引っかけちゃったんですよ、きっと」
「ミンクがカエルなんかといっしょにいたいだとかあるわけねえし」
「そういう理解のなさがミンクをこんな愚行に駆らせたんだと思いませんか〜? ミー達はこの悲劇が二度と繰り返されることのないように、二匹を生温く見守るしかないと思うんです」
「どうすんだよ」
グルグルと目を白黒させて考え込んだフランは、ベルからミンクを取ってカエルの上へと乗せた。
「こうすれば一緒にいれます」
「バランス悪くね? ミンク落っこちそうなんだけど」
「大丈夫です。これが二人にとってベストに幸せなはずなので」
「あ、そう」
戻ったカエルに満足気な表情をして頷いたフランを、それ以上ベルは止めなかった。
「センパ〜イ、よく考えてみたんですけど、どう考えてもこれおかしいです」
いつも以上に重い頭にバランスを取るのに苦労して、フランはよろよろと廊下を歩いている。
頭に乗ったカエルの更に上では既にすっかり慣れて寛いだミンクがいた。
「おめーが言いだしたんだからガマンしろ」
先を悠々と歩いていたベルが振り返る。
「いやだってよく考えたら、そんなわけないですよ。ミンク返します」
「寝てっから起こすな」
頭からミンクを引き摺り降ろそうとしたフランの手をベルが制止した。
天日に干された匂いのするカエルはふかふかといつもより柔らかく、いつのまにか寝心地の良い場所になっていた。
「え〜」
珍しく厳しさを持たずに頭に乗せられた手が、ミンクを撫で始める。
「どした」
あまりに凝視していたフランを覗き込んで、ベルは首を捻る。
「いえ〜」
「なにその不満そうな目」
「ミーがセンパイに撫でられてるみたいで気色わるいな〜と思ってるだけなので」
「バーカ、オレはミンクなでてんの!」
「んなの解ってますが〜、やっぱ気色悪いし知らない人が見たら誤解するんでやめてください」
ベルはフランの頭を叩くつもりで腕に勢いを付けたが、ミンクがいるためにカエルを叩くことはできない。
しかたなしにベルはもう一度フランの頭に乗せたカエルの、そのまた上に乗せたミンクへと触れる。
フランはまた撫でられているミンクへと、面白くなさそうに瞳を向けた。
だが突然、フランの目の前の上の端が遮られた。
ベルはカエルからはみ出していた前髪へと触れたかと思うと、そのまま指を撥ねてフランの額へと当てた。
当たった痛みに触れたフランはベルを睨み付けると、頭の上から引っ張ったミンクをベルへと投げ付けた。
それと引き換えに今度は遠慮なしに投げ付けられたナイフは、フランの背中とカエルに何本もグサグサと刺さる。
居心地のよい寝場所を奪われたミンクは、命令されるより先に自主的にフランへと跳びかかって行った。
だが燃やすことはなく、もう一度頭に飛び乗るとまたカエルに凭れて眠り始めた。
(おわる)
|