クランベリーノクターン
東垂に陶酔を重ねて彼は寝台へと横たわったまま蹲る。
夢の中で聴いていた酷く懐かしい声をうつらうつらと聞き流して、夢の中へと戻ってゆく。
然し完全な眠りに陥ることは出来ずに、体を起こして辺りを見回した。
眠ることが出来ないのを悟ってから凍える中に起き上って窓辺へ座る。
窓の外から差し込む常夜灯の灯りしかない暗い部屋で、彼は常夜灯の灯りを見ていたわけではない。
終日、後輩と顔を合わせていないのを思い出して、隣の部屋の窓を確認した。
「カエル」
思い浮かんだ名前ではない名前を呼びかけたが、灯りの灯っていない部屋から返事はなく、まだ戻っていない様子を理解する。
壁も窓も隔てた隣では聴こえるわけもなかったが、フランの部屋まで確認しに行こうとも行きたいとも思わずにいた。
鍵のかかった窓に寄り掛かり、下から照らす光が天井に大きく映した自分の影をじっと眺めている。
影に飲み込まれそうになり、はっとして顔を膝へと突っ伏した。
死体を眺めて気味の悪さを感じたことがあったのを不意に思い返した。
それは彼の死体ではなかったが、彼は自分が死んだように気分の悪さを感じ、死んだことをなかったことにしようとした。
「んじゃね、ジル」
だからざくざくと掘った土の中へと、兄を埋めて土をかけた。
苛まれるような罪の意識ではなく、そこにあったのは勝利の歓喜だけのように思えた。
「フラン」
今度はちゃんと名前として名前を呼ぶ。
無論のこと返る声はなく、静けさの中に風の吹く音ばかりが周囲に満ちる。
壁と窓の境に体をずらして頭を凭せ掛けてから、眠れない眠気と戦った。
足音は廊下に敷かれた絨毯に吸い込まれ、全く聴こえなかったようだ。
突然のノックの音に驚き、ベルは扉の方へと顔を上げる。
「…………ベルセンパーイ? 起きてますかー?」
続いて聴こえて来たのはフランの気合いの籠らない声だった。
「んっだよ。うっぜえの」
夜中の屋敷中に聴こえる程ではないが、普段よりも大きな声で返事をする。
「あ、寝てましたー? 入っていいですかー?」
そこにはベルの睡眠時間を削り取ったのに対する詫びや遠慮は微塵もなかった。
「べつにいーけど? なんだよこんな時間に」
本来は削られてなどいない睡眠時間を勿体ない素振りをしながら、ベルはフランを迎え入れる。
「しつれーしまーす」
開かれた扉の向こうから差した何のことのない光は、それまでに彼が見たどの光よりも美しいような気がした。
「遅かったんじゃね?」
「任務終了後にオカマの買い物に付き合わされたんですよー。うわっ、電気も点けないで何してんですか?」
真っ暗な部屋を不審に思い、戸口にあったスイッチを押そうとした。
「つけんな。べつに。電気のトコまで行くのめんどかっただけ」
だが声だけで制止されて指をそれ以上伸ばすのを止めた。
目の慣れない黒さの中へと足を踏み入れて、フランに依ってドアは閉じられる。
美しいような気がした光もまた消えてしまった。
「センパイどこまで怠惰なんです〜? あきれて物も言えませーん。堕の上をゆく堕王子ですねー」
「うっせ、んじゃしゃべんな。省エネだし」
「なら蝋燭でも使ったらいいじゃないですかー」
「めんどくせえだろ」
「やっぱタダのナマケモノですね」
「んなことねーよ」
「あると思いますけどー」
「んで、なに?」
「ついでにおみやげ買ってきたので、一緒に食べませんかー?」
右手に携えていた紙袋をベルへと見せるように顔の辺りまで掲げる。
「なんでおめーまで食うんだよ。オレのために買って来たんだろ?」
「いえー、ミーがミーのために買ったやつなんで。食べきれなそうだから、センパイにもちょっとだけあげようかと思っただけです」
「人に持ってきといて意地きたねー」
「………やっぱ一人で食べようと思います」
ベルを一瞥だけして踵で戸口の方へと返ってドアノブを回した。
フランが背を向けた瞬間に俊敏に窓から降りたベルは、数歩の距離を全力で跳ぶ。
「フラン」
細い肩と歪なカエルを力尽くで引き寄せると、胸元にフランを抱え込んだ。
「センパ……イ?」
不審な眼差しと擦れた声がベルの方へと振り返ろうとした。
首筋に当てられた冷たいナイフの切っ先に息を飲んで、止める必要のない動きを止める。
然し廊下の灯りが影の取り巻いた黒い部屋へと差して、また一瞬の眩しさに二人の目は眩む。
「どこにも行くなよ」
「はー? はー?」
考えても意味が理解できずに、不可解だという顔でベルを眺めようとしている。
「オレより先に死なないでね、フラン」
邪魔なカエルを避けて頬をそうしてフランの背筋へと当てた。
そのまま床に押し付けたくなった衝動も抑えて、押さえていた手の平や腕をフランの体から離した。
油断しているその隙にベルは窓を開いてそこから飛び降りた。
闇の中に地面に着地した音が響いてフランは少しだけ困惑した。
「…………? どうしたんですかー? こどもみたいですよー、センパイ。そしてセンパイはどこ行くんですかー?」
返事を待って少しの間、次の言葉を言わずに黙った。
「………おみやげ食べないんですかー?」
取り残された闇の中で、暫くはぽけっとして常夜灯の光を眺めていた。
言い付けを守ったフランは勝手にベルの部屋のソファに腰を降ろして、土産の包みと箱を開いた。
季節外れに買って来たわらび餅を冷たい思いをしながら食べて、付属していたきな粉をくしゃみをしてはそこら中へと撒き散らしてゆく。
(おわる)
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