リアル風景写真
空の割れる轟音が響き続けている。
写真集の中の風景を参考に、一枚ページを捲る毎に窓の外へと写真と同じ風景を映した。
雑踏の横断歩道を踏む人々の話し声や、ビルの隙間の通りを擦り抜けて進む車のクラクションが通り過ぎる。
そうしてそれらを消すと今度は空が反射して光る高いビルを創り、流れてゆく季節のない河川を創る。
印画紙に撮られるより前には確かな気温も湿度もあったはずの景色に、フランは紛い物の気温と湿度を合わせた。
それが正しい気温や湿度だったかはもう誰にも判別はできなかった。
河川敷は光を浴び過ぎて緑よりも青く生育した草が伸びて荒れ、一面を覆い尽くしている。
不自然ではなく異常でもなく誰から見ても違和感はなかった。
だが不全に気付いた者が見たら、境目から崩壊してゆく酷く危うい脆弱な景色だ。
ビルの翳から飛び出した飛行機は、やがてやはり紛いの遠い彼方を空の端から端まで旅する。
「うっせっての! なにやってんだよ」
何時まで経っても静かにならない幻術の騒音公害に業を煮やして、ベルはフランの部屋へと怒鳴り込んだ。
「幻術の練習なんで、ジャマしないでくださいー」
「ジャマはこっちのセリフだっての。人の昼寝のジャマすんじゃねー」
「だって本格的にやりたいんですもん」
「だいたい外から見たら紛らわしーから、必要なの意外アジトで幻術すんなっつわれてんだろ?」
「あー、これは内側の人にしか見えないようにしてるんで」
「?」
「内側から見える術をかけて、その上に外側からは普通の風景が見える術をかけるんです。だから外にいれば普通の庭が見えてます。いわば幻術で幻術をコーティングしてるようなもんなんですよー」
「んなのどーでもいいし」
元より聞くつもりなどないフランの説明をベルは軽く薄く聞き流す。
「けっこう高度なやつなんですよー。いる場所によって違うように見える幻術創るのって」
「へー」
「ミーが立派に一人前の大人な術士だからできるワザなので」
「なにさり気に大人になろーとしてんだよ」
「がんばってるのに」
どこかしょぼくれ微かに機嫌を悪くした。
「んじゃさ、オレのいうモンつくれよ。いちにんまえならできんだろ」
「そうですねー。まあいいですよー。なんにしますー?」
出前を取るように簡単に一人前の言葉に機嫌を直して要望を尋ねた。
「んっと、手始めに惨殺死体の山」
「……………初っ端から血生臭いですねー。えーっと、こんなカンジですか〜?」
生温く不快に肌を舐める風に、血のこびり付いた匂いと腐敗が進む臭いが混じる。
顔の判別も付かない大人やこどもや、男や女の無数の屍だ。
裂けた皮膚の狭間からは鮮やかな瑞々しい生気を帯びた薄紅の断面ではなく、紫に変色した死肉が見えている。
地面の所々に飛び散った細胞だけになった塊は、踏みにじられたように泥に塗れていた。
「へー、まあまま本物っぽいんじゃね?」
言ったものを創られて上機嫌になったのか、ベルは珍しい程素直に幻術へと感心して見せる。
「そうでしょう、そうでしょう。ミーグロイのわりと得意なので」
工場の煙突から立ち込めた煙は、真昼の天高くまで澄んだ青空を黒く覆ってゆく。
「ケ、ド」
「なんですか?」
「なんでみんなカエル被ってんだよっ! おっかしいだろ」
「ゲロッ」
急に飛んで来たベルの蹴りを避けるのは叶わず、フランが倒れると幻はさらさらと消えた。
「あんまり血の色一色なのはどうかなーと思って。カラフルでキレーじゃないですかー?」
「どこがだよ」
死体が被っていたカエルは全て、フランの頭に乗ったカエルと同じ色をしていた。
血の海とカエルと死体と工場の黒い煙しか一瞬前の風景にはなく、どこから見ても美しい光景とは言い難かった。
「いいと思ったんだけどな〜」
幻は消えたが幻術は解けずに、今度はだだっ広くどこまでも白いだけの空間に二人は閉じ込められていた。
「マジメにやれっての。戦場でやったらお前まっさきにぶっ殺すかんな」
「………堕王子なセンパイに真面目とか言われたくないんですが〜。…………あ、じゃあ、こういうのだって作れちゃいます」
少し考えて何かを閃いた素振りを見せ指を鳴らす。
組み立てられる前の空気のぶれに、ベルは一瞬感じた違和感から目を逸らせずに凝らしている。
「てんめー」
そうして否応なしに見せられたのは、アジトの柵で串刺しになって動かない自分の屍だった。
心頭から怒りを発して、指に煌めいた炎をどこからか取り出した匣へと注ぐ。
「うわ〜っ!」
一瞬で主の意思を理解したミンクは、カエルを目がけて勢いを付けた。
「さっさと消せよ」
「センパイのこと将来的にはこんな風にやります。でも」
後ろに豪快に尻もちを付いてミンクを避けたフランは、泥でぬかるんだ地面に座ったまま腰の辺りを擦る。
「できねーし、カエルなんかに」
「それまで、ミーがこうするまでは、センパイが危なくなったりしたら、こんな風にやってセンパイ殺したフリしてあげますよ」
「おめーのセワになんかなんねえし!」
仄かで覚束ないが屈託もない笑顔で見上げられて一層面白くなくなり、カエルの頭を殴り付けた。
「いでっ。そーですかー?」
またがっかりしてフランが首を傾げると、一瞬で霧に覆われた景色はなかったことになった。
穏やかな本物の太陽は砂埃で汚れた窓硝子の光を射す。
差し込んでやっと日向になったが部屋にはもう少しの暖かさもなく、本物の冷たさがひやりと二人の首筋へ沁み込んで凍えさせた。
「たりめーだ。…………なにこれ、床あったけーじゃん」
そのまま座り込んでしまったフランの隣に腰を降ろすと、付いた手の平や伸ばした脚の裏に伝わってくる微かな熱に気が付いた。
そうしてようやく静かになった部屋で、ちゃっかりと床に敷かれてあったホットカーペットに横になる。
「あ〜、ちょっと〜。人の部屋で勝手に寝ないでください〜。もう用はすんだんだから帰ってくださいよ」
「オレここで昼寝すっからおめーがでてけ」
「ここミーの部屋なので、センパイが出てけばいいんじゃないですかー?」
「このカーペットオレの」
寝転がったベルの隣に白い毛玉も一緒に転がった。
「センパイのじゃありませんのでー。ミーだってほかほかして昼寝したいです」
「勝手にそこらに寝りゃいーだろ。ヌクヌク」
より体を温めるのにミンクに手を伸ばして胸元へと引き寄せた。
「ちえっ」
舌打ちしてフランはベッドの方から毛布を取り出して来ると、カーペットの隅へと転がった。
「あ、ずり」
「なんですか〜、ひっぱんないでください〜。センパイにはミンクがあるじゃないですか〜」
「これもオレの」
「違いますので〜」
後ろから引っ張られている毛布を盗まれないように、ごろごろと転がって毛布を体に巻き付けた。
「…………ならいーぜ。お前ごとアンカにすっから」
「え〜?」
だんごむしのように体を転がして逃れようとしたフランを、ベルは後ろから抱き竦めた。
不意の温もりに怯えて肩を僅かな間だけ震わせる。
「つかまえたっと」
だがそれ以上は避けられず、ベルに捕獲されたままフランは毛布を半分譲る破目に陥った。
「…………だったらミーもセンパイアンカ代わりにしますねー」
大人しく竦められたまま後ろにいたベルの方へと向きを変え、ミンクを押し潰すようにフランは体を寄せる。
「キィ」
二人の間で縮こめられ毛布に顔までを覆われたミンクは、不愉快そうに一声嘆くとベルに助けを求めて毛布から顔を出した。
毛布を分け合った二人と一匹は肌寒い部屋の安らげる場所で、うつらうつらと瞳を閉じたり開いたりした。
時折どちらかの話し声にどちらかが応じたが、夢と現の区別が付かずに問い掛けもそれに返る答もちぐはぐなものだった。
しばらく経って部屋を暖めていた陽の光は山の陰に消えて行った。
庭の落葉の木に数枚だけ残っていた紅葉も影へと入って行った。
暗闇が増した頃に、よく眠れていたわけでもない目をやっとどちらからともなく覚ました。
もう既に境界が薄紫色になった窓の外には一番星が煌めいている。
(おわる)
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