双六遊び
12 dodici ◎水族館に行く
降りた列車は二人を残して終点まで走り去る。
改札を抜けると晴れ空からは止め処なく日差しが降り注いでいた。
寒いという程に寒さはなく、だが暖かいという程に暖かさもない日だった。
彼等だけではない道行く人々の影は皆一様に同じ場所へ向かうように、同じ方角へ進んでゆく。
港町には冬でもさほど冷たくはない風が吹いて、通年通りならば雪が降ることもなく過ごしやすい所だった。
逆に夏でも真水に爪先を浸したいほどの暑さにもならない。
湾岸に並ぶクルーザーやヨットの大きさも区々な船は、どこへゆく当てもなく並ばせられている。
「あれじゃね?」
「早く行きましょうよー」
晴れた空のように鮮やかなアクアリオの外装が見えていた。
購入した二人分の入場券を一枚ずつ手に係員に見せて入口を通る。
人で溢れ返ってもいない通路はそれでも人の話し声に満ちていた。
水も空気も透明なはずだったが、水の底は蒼く透き通っている。
底に敷かれた小石も、華やかな熱帯の生き物も、潜む深海の肺魚も、何もかもが蒼くあった。
銀の魚の背筋に当たった光が反射して水面にも光の筋が走る。
「まずはクラゲなクラゲ」
「あんな存在感の薄い生き物、見てもしかたないですよ〜。もっとすごいのから見ましょうよー」
「薄くねえし! オレが見てえの。お前は黙って付いてくりゃいいんだよ」
「ミーはクマドリカエルアンコウが見たいです」
「くま……なに?」
「クマドリカエルアンコウです」
「なにそのなげー名前。最終的にカエルか?」
「どっちかというとアンコウです」
「いねえだろ?」
「常設ではいないんですが、今ちょうどやってるんですよ」
「なんだよ」
「カエル展です」
「見たく、ねえんだけど。つーかさ水族館まで来てなんでカエル? やっぱカエルだろ?」
「いいえ、そっちのはアンコウですが特別に。見たいので。水辺の生き物じゃないですかー? カエルだって」
「水の塩分濃度とかだいぶちがうんじゃね?」
「いいんです、やってるので。見たくないですかー? なら我慢しますがクラゲも見ません」
「まあいいけど」
「じゃあクラゲも見ます」
「クラゲが先だかんな」
「まーいいですよー」
順路は無視して他の水槽には目もくれずにクラゲが飼育されているコーナーへと向かった。
さほど自意識もなく海中に浮遊するミズクラゲを、暫くは面白そうに、だが顰めた顔をして二人は眺め始めた。
「どう?」
「浮いてますねー」
「オレに似てんだろ?」
「ああ、似てます似てます。なんかこう頭の軽そうな感じが」
「軽くねえし」
フランの肩へと向かってナイフを刺した。
「人前で止めてくださ〜い」
刺されたナイフを肩から抜いて折り曲げて捨てたが、捨てられたナイフの音は人々の話し声の雑音に紛れた。
「お前も人前でナイフ捨てんな」
「でも、かと言って刺したまま歩っててもあれじゃないですかー?」
「まーな」
何がそんなに面白かったのか、ベルはそれから長いこと他の種類のクラゲにも目を向けていた。
「ベルセンパーイ、もうそろそろ次に行きましょうよー」
あまりに真剣にクラゲに惹かれていたベルに暫くは大人しく付き合っていた。
然し変化にも富まず、水の流れだけに依ってだけ動きの変化するクラゲに直に興味が薄れて一人水槽から離れ始める。
しかたなしにでもないが、クラゲとの対話を終えたらしいベルもその場を後にして、フランを追った。
「どうですかー?」
全世界から集められたカエルが、幾つかの水槽へと区分けされて放たれていた。
「カエルだな」
大きいのやら小さいのやら、仰々しい色合いのものから、地面に置いたら見分けが付かないものまで、多種のカエルがいた。
「なんですかー、その当たり前でなんの捻りもない感想」
「んじゃお前にそっくり」
「そうですかー」
「否定しねえの?」
「うーん、まあそういう見方もありますよー」
「カエルとかさ、まいにち見てんじゃん」
「はいー」
「それで充分なんだけど?」
フランは頭上のカエルへと目を上向けていたが、ベルはフランの顔を眺めていた。
「そうですかー。でもあっちにカエルアンコウもいるので」
「次のトコ行くぞ」
「まだ見てないじゃないですかー」
「カエル見たろ? あとアンコウ見りゃいんじゃね?」
「そんなわけないじゃないですかー。ここまで来てイジワルしないでくださいー」
ベルを無視して勝手にカエルアンコウの水槽を眺め始めた。
「カエルでもアンコウでもなくね? …………キンギョだろ、これ」
砂地を浮遊するような白い体の魚には鮮やかな朱色の模様があった。
「カエルアンコウです」
一頻りアンコウの泳ぎに感心し、満足したフランもベルに続いて水槽を離れた。
勇壮に泳ぐ鮫とは交わらずにエイは悠揚として翻る。
「エイとかサメとかもは普段からわりと見てますからねー」
「んじゃ次だな」
群れになって泳ぐイワシは水をキラキラと光らせて進む。
岩陰にへばり付いているタコも、海藻の翳に隠れたエビも周囲と同化して、よくよく瞳を凝らさないと姿を見付けるのが困難だった。
「なんていうかー魚介類が食べたくなりますねー」
「メシ食いに行くか」
「それがいいと思いますー」
手を上げて同意されたから、早々に見物は切り上げることにして蒼白い建物を出た。
「ピンクのとか青いキラキラのとかシマシマのとかキイロのとかな」
「…………最後のは多分魚介関係ないですねー。下のはミーは丸くて焼けてるやつとか線っぽくて茹であがってるのとかでもいいんですがー?」
「オレはちまっとしたいっぱいの細長い丸いのが、酢であえてあんのとかがいーんだけど?」
「酢のやつですかー。それは非常に難しいですねー」
ごそごそと観光のガイドマップを取り出した。
「捜せ」
「難しいですねー」
目を皿のようにして隈なく周辺の食事場所を眺めて行った。
「捜せよ」
「ね〜よ」
然しいくら目を凝らしてもない店は見つからず、フランは割と簡単に諦めた。
地図をがさがさと喧しい音を立てて折り畳みポケットへとしまう。
「ね〜よじゃなくて捜すの!」
「捜しましたー。でもないんですー」
「やくたたねーの」
「頑張りましたのでー」
「んじゃあそこでいっか」
本当にそこで目に留まっただけのトラットリアを顎で示して歩き出した。
「いいですよー」
穴の開いた丸くて端が尖がってるのと、四角くて薄っぺらいのに、緑色のソースがかかっているパスタをそれぞれ注文した。
いい加減に選んだ店でいい加減に選んだ料理は、そこそこの味だったからほどほどに満足した。
傾いて緩くなった陽の光を受ける街並みの様々に輝く淡さに、彼等は眩しそうに目を細めて帰路を辿る。
乗り継いだ列車の窓際では、寄り添って居眠りを始めた二人の頬が夕焼けた太陽に照らされていた。
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