双六遊び

30 trenta B 持ってるモノの中で一番いいモノを王子に献上


 昨夜の任務を終えた頃に滔々と振りだした雪は、夜半にかけてアジトの周囲の土をうっすらと冷たく埋めて行った。
 降り積もった白い冷たさは、朝の太陽の光に凍える梢の先で揺らめいている。
 反射する鮮烈な光の眩しさは、いつまでも見る者の瞳を微動だにさせない。
 赤いマフラーをして早い内に散歩に出たフランはキラキラした枝を眺めて、碧の眼差しへと輝きを溜めた。
 その頃には未だベッドで蹲っていたベルは、枯れ枝の先々に雪の花が咲いていたのすら知らずに寝返りを打つ。
 午前中をやり過ごしても気温はいくらも上がらずに、タイマーを設置していた暖房が切れた時に、余りの寒さでくしゃみを一度したから目が覚めた。
「で、なにくれんの?」
 わざわざ訪れた後輩の部屋の扉は、幾度も叩けど開かれる気配もなく返事はない。だが確かに内部で蠢いている気配を察知し、鍍金の剥げかけたドアノブを回しながら声を掛けた。
「勝手に開けないでくださいよー」
 失敗に終わった居留守の試みに舌打ちをしてから、フランは丸まっていたコタツから背を起こした。
 開かれた扉とベルの王冠を、驚愕して間抜けて丸めた瞳で代わる代わるに眺めている。
「返事しねえから昼寝してんのかと思ったんだけど、なんで起きてんだよ」
「起きてちゃ悪いんですかー?」
「起きてんなら返事しろっての! で、なにくれんの?」
 聞き逃されかかった重要な質問へともう一度話を戻した。
 平常となんら変わらないボーダーのトップスは薄手で寒々しく見えた。
「あー、んー、これですね」
 起き上がってベルへと近付くと、被っていたカエルを脱ごうと手をかけた。
 新品同様の真新しさになって帰って来たカエルは、いっそう神々しさを増してフランの頭上で輝いて見えた。
 ベルと視線の合うことのない目玉は爛々と目を瞠っている。
「…………お前が持ってるモノの中でいっちゃんいいのっつってんだけど?」
「これいいじゃないですかー。クリーニング出したらナイフの傷まで消えて帰って来ましたよ。さすがヴァリアークオリティを謳ってるだけありますよ、あのクリーニング屋」
「どこが? ……落とせなかったから布貼り替えてんだろ」
「そうなんですかねー? まあいいや、きれいになったから。これもミーが正直者だからですよ。…………そんなもの人によこさないでください」
「それじゃねえのにしろ」
「まあこれはあげるつもりないので軽いジョーダンですよ。ん〜っと、んじゃこれで」
「なにそれ?」
「王冠です。センパイこういうの好きでしょー?」
 フランが誇らしげに何でも入るポケットから探って手にしたのは、金と銀の中間の色をした金属だった。
 瓶の蓋に付いている王冠は、部屋に差し込む僅かな光すらを集めて指先で煌めいている。
「…………ほんもんじゃなきゃいんね。ただのごみじゃん? んなの」
「ちぇっ、これ一番いいフタなのになー。あんまり曲がってなくて」
 栓抜きで曲がらないように注意して蓋を抜く労力をかけたのを思い出しながら、慎重に慎重に宝物のように大層に蓋を取り扱う。
「……しょうがねえからもらってやるよ!」
 ベルは一応ひったくった王冠を握り締める。
「いやしかたなしにとかじゃいいんで。大事なヤツなので返してください」
 一度だけ取り出して見せびらかしただけの王冠を、ベルの手から奪い返してまた大事そうにポケットへとしまう。
「んじゃなにくれんの?」
 下らない物しか寄こそうとしないフランへとベルは更に手の平を出した。
 冷たい空気にずっと曝されていた冷たい手の平は、血管の赤さが滲んでいる。
「ミーはあげるって言いましたが、センパイが拒否ったのであげないです」
 本当に心からその冷たい手になってしまったベルのことを考え、下らない贈り物を選んだような顔をした。どこもかしこも憂鬱な眼差しは、ベルの目すら見てはおらず、部屋の中の適当で薄暗い所へと向かっている。
「ずりーんだけど? つうか瓶のフタとか何の価値もねえし」
 だがフランの気遣いはベルには届かず、贈ろうとした青朽葉のような王冠はまた否定された。
「ミーにとってはすごいものです。栓抜き使ったけど上んとここんな平たく取れたんですよー? じゃあ何が欲しいんですかー?」
 度重なる批判を受けて面白くなさそうに口元を尖らせながら、もう一度だけ王冠を出して表面の凹凸のなさを主張する。
「おとといしてたあったかそーなマフラーあったろ? あかいの。あれでいーぜ」
 首を捻って考えた末に思い出したのは、フランが持っていた中では珍しく質が良く高価そうに見えたマフラーだった。
「う〜ん、あれMMネーサンに売り付けられたヤツなんで、割と高かったんですが〜。まあいいですけど、たまにミーに貸してください。今日みたいな寒い時なんかに。ってわけなんで今日はミーが借ります」
「寒い時はオレがやっから、お前は暑い日にやれ。なら貸してやる」
「嫌です〜。今貸してくださいよー」
 文句を言いながらもその辺に放られていたマフラーを引っ張り出して、ベルへと差し出した。
「ヤダし、オレがやんの今日は! さっそく出かけんぞ」
「え〜? 外は雪じゃないですかー?」
 朝は自ら散歩に出ていた癖に、寒さを面倒がって冬眠していたくなったカエルは外に出るのを嫌がった。
「いーから、いくんだっての!」
「どこ行くんですかー?」
「…………そのへん」
「この寒いのに目的もなく人を外に連れ出そうとしないでくださいー。あ〜それなら、行きたかった場所があるんです」
「どこ?」
「着くまで教えません。でもけっこういいとこだと思いますよー」
「おめーの言ういいトコって当てになんねえんだけど?」
「いいから、ちょっと支度するので外で待っててください」
「そのままでいいじゃん?」
「ダメなんですよねー」
「にじゅーびょーで来い」
「センパイが部屋から出てく間に終わっちゃいますよ。一分ください」
「さっさとしろ」
 何の支度なのかは皆目見当も付かなかったが、さして気にせずにベルはフランからくすねたマフラーを巻いて先に部屋を出た。


 少しの後に部屋から出て来たカエルは、当てがあるのかないのかはっきりさせずにアジトから出るように案内をする。廊下の赤い絨毯に蔓延する空気の寒さに、どちらからともなく一瞬だけ身を屈めた。
 変わった所もない道の端々に残った小さな水溜まりの表面の空すら澄んでいた。
 避けずにわざわざ水溜まりを跳び越えては野道を急ぐ。
 順調に回復した天候の下でも風は冷えたままで、彼等の鼻先や耳たぶを酷く赤く痛ませる。
 フランの冷えた頬に嫌がらせのためにベルは凍えた手の平を当てた。だからこの世のものとは思えない程の不愉快な眼差しをしながら、フランはベルの手の平に触れられないように避けて首を捻った。
 途端にカエルの重みでぐねりと首筋は余計に大袈裟に折れ曲がって、ゴキっと音をさせた。
 踏み出した一歩で気付かない振りをして、フランはベルのブーツの先を踏む。
「なにすんだよ! カエルの分際で」
「自分の胸に手を当ててきいてみてくださーい。因果応報ってヤツです」
 止めていた足をまた動かして、軽い足取りで泥濘の中を歩き始めたフランが先を急ぐ。
「コーハイのクセにセンパイにしかえししよーとすんな!」
 後を追うベルは早速ナイフを取り出して反撃の機会を窺った。
 察知した殺気を受け流すことなく、歩きながら踵でフランはくるりと体ごとベルの方へと振り返る。
「センパイならセンパイらしくコーハイに嫌がらせしないでくださいよー」
 そうして注意を払ってナイフは刺されないように、後ろ向きに道を進む。
「コーハイはいじめられるためにいんの!」
 至極まともな後輩の意見に耳を貸さずに先輩は横暴な理屈を返す。
「違いますー。ミーは仕事するのにヴァリアーにいるんで」
「ちがーから。センパイの憂さ晴らしの道具だから、お前なんか」
「あーあ。転職しようかな〜。優しいセンパイのいる居心地のいい仕事に」
「できるもんならやってみろ。お前の新しい職場、血の海にしてやっから。お前ごとな」
「あ〜あ、コーハイいじめしないえらくて優しくてかっこいいセンパイが欲しいなー」
 不可能な理想を思い起こしては、吐かれた溜息が白く濁ってゆく。
「総合的に見てそれってオレじゃね?」
「どこがです〜? 自分を買い被り過ぎですよ、ベルセンパイ」
「オレだし」
「ひとつも合ってないと思いますー。堕王子のいいとこなんて、時々本物の天才に見えるかも知んないってとこだけですからー」
「天才にみえんじゃなくて、天才なの! オレは」
「天才もどきです」
「ホンモノの天才だし!」
「はいはい」
 諦念で受け流してまた前へと向き直って、今度は前を見て行方を辿る。
 周囲の様子はそれ以上変わり映えもせずに、一向に面白い場所へなどは到達できない気がベルはし始めていた。
 投げ付けようと構えていたナイフをどこか適当な場所へとしまった。
 水分を失って茶けた草の間を気流が通り抜ける度に、カサカサと草叢は乾ききった音で鳴っている。


「着きましたよー」
 その予想通りにフランがベルへ着いたのを示した場所に目ぼしい建物は何もなく閑散としていた。
 一軒のあばら屋すらそこにはなく、一面を枯れ草で覆われた原っぱが拡がっているだけだ。
「ただのはらっぱじゃん?」
 煤けた景色の中に視界を遮るものもなく、面白い物を探そうとベルは周囲へと視線を回した。
 だが幾ら探せども彼の興味を惹くものなど、目の前にあった手頃なナイフの的しか見つけ出すことはできなかった。
 しかたなしにいつもの通りにフランの背中へと向かってナイフを軽く投げて刺した。
「いでっ! なんで刺したんですかー?」
「おもしれーのってこれかなって?」
「これじゃないです」
「んじゃどれだよ。なんもねえじゃん」
「このぐらい何もない方がちょうどいいと思います」
 フランは徐にポケットから何かを取り出した。
 取り出されたのはリングや匣ではなく、青く平べったい丸い形をしたプラスチックだった。
「なにそれ?」
「ちょっと見ててください」
 コンパクトのように青い塊を開くと、ガサガサと音をさせながら紙のような薄っぺらいものが広がってゆく。
「あ? タコか」
「凧です」
 右手で糸をぐるっと回しながら手繰り、自分もクルクルと体を捻りながら凧を空気に乗せる。徐々に空へと向かう凧は太陽の日差しを受けて、白さを反射させている。
「へー」
「で、センパイあれ読んでください」
 左手だけに糸巻きを持ち替えて凧を操作し、懸命に伸ばした右手で空の彼方を指差す。
「ん? あーがー」
 糸を引いて空高くへと上ってゆく水色の凧に、マジックで書かれていた文字を言われるままベルが口へ出してゆく。
「もうひと文字です」
「………り? うっわ、くだらね」
「ふー。センパイからの嫌がらせもこれでおしまいでーす」
「終わんねえし。明日からも鍛えてやっから。つうかさんじゅういちにちまではあがれねえし」
 早緑月の青空に上げられた黄色いカイトが風に吹かれて旋回する。
 鮮やかな蛍光の色は光が反射して何時の間にか見え辛くなっていた。
「へえっくしょん! は〜」
 くしゃみをして鼻をこすったフランの服の袖に鼻水が付いた。
 その内に袖は乾いてカピカピになって干乾びたようになってしまう。
「ん」
「…………? マフラーですがーどうしましたー?」
 ベルから差し出されたのは、先程巻き上げられたばかりのマフラーだった。
 赤い色は鮮やかさのない風景の中で一際に鮮明に彩られて見える。
 受け取るまでに暫しの間考え込んだフランは、漸く口を開く。
 突如として薄茶色と薄黄緑の野原の枯渇した草が揺れて、また強い上風が吹いたのが解った。
「返す。お前これで鼻とかふいてんだろ?」
「そんなことしてませんよー。今日は鼻紙忘れたのでたまたまです」
 フランがマフラーを受け取ってから、あいた手でベルは匣を取り出した。
「それに…ミンクのがあったけーし」
 灯された炎が動力になって開かれた匣から飛び出した小さな生き物が、ベルの肩へと纏わり付いて首筋を温める。
「キィっ」
「あ、じゃあそいつ貸してくださーい。鼻拭くんで」
「誰がそいつだよ! 貸さねえし!」
「ちえっ、センパイはやっぱり優しくない方のセンパイですねー」
 フランはまた出て来た鼻水をマフラーの裾で拭う。
「ぜってーしてんだろ。代わりにそのタコオレによこせ」
「してませんからー。嫌ですー」
 今度は凧糸を巻き上げようと伸ばされた腕を、鬱陶しがって体を捻る。
「今やったろーが。……よこせっての! ゼってえオレのが高くあげれっから」
 威嚇しようとベルの投じたナイフは、手繰っていた糸には届かずフランへと刺さりそうになった。
「うわっ」
 だがフランが避けたせいで結局ナイフの切っ先は糸を掠めて、縒り合わされていた太い糸が切れた。
「あっ! 飛んでっちまったじゃん。どーしてくれんだよ。拾ってこい」
「センパイが悪いんですー。大体アレはミーのです。落ちて来てもセンパイには貸しませんからー」
 引き寄せていた頼みを失くした凧は方向性を失い、天つ風に乗って彼等からどんどん離れてゆく。
 遠くへ飛ばされる凧へと目を合わせて、フランが眩しさに細めた瞳を痛がって流した涙が風に舞う。
 どこかしら機嫌の良くなって吹いたベルの口笛も一緒になって空へと攫われた。
 気流から逸れて下へと落ち始めた凧へ向かって、ベルの肩から降りたミンクも彼等と揃って走り出す。
 跳躍して殆ど同時に二人の指先は糸を掠めて、どちらも手放そうとはせずに掴んだ凧の糸を奪い合った。

(あがり)



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