王子とカエルと遠出
空は青く青く真っ青に晴れ渡っている。
風の運んできた花の香も気付かずに、廊下に足音は吸い込まれてゆく
「ベルセンパーイ、いますかー? いたらどっか遊びに行きませんかー?」
「あー。どこ行くんだよ?」
ぼーっとソファに転がったベルが時々だけ流れる雲を眺めていた時に、新入りの後輩の声が聞こえて来た。
「ちょっと街の方までー」
「まぁ、いーぜ」
だらだらと退屈を凌ぐのに過ごしていたがやる気のない返事をして起き上がり、放っておいた丈の長い黒い上着を羽織るとドアを開けた。
森にカモフラージュされたアジトから公道への抜け道を抜けて、フランがベルを案内したのはバスの停留所だった。
「これ、失くさないでくださいねー」
バス停の脇にある売店に立ち寄ると、バスの切符を二枚買って一枚をベルに渡した。
「つか、バス移動なの?」
「べつに使わなくてもいいけど、たまにはそんなのもいいじゃないですかー? 気分ですよ、気分ー。それか街まで走りますー? まぁ走った方が早いと思いますがー」
「お前、オレが王子だってわかってんの? 任務以外で走るとかふざけんなっての」
「王子だろうとなんだろうと、二十歳すぎたらただのヒトですよー。センパイっていつもそんな甘えた考え方で生きてるんですかー?」
「……………」
「……行かないんですかー? ならミー一人で行くからいいです」
「べつに行ってやってもいーけど?」
「あんま気乗りしないんならいいですよー?」
「行ってやるって言ってんだろが」
無理強いされたわけではないのに、ベルはムキになって答えた。
どこか呆れた眼差しを向けながら、フランは時刻表に書かれた時刻を大幅に過ぎたバスが来たのを確認した。
バスは遠くの市街へと向かって走り続けている。
見え始めた煉瓦の町並みをフランは興味深そうに見続けている。
「あー、そろそろ降りるので、キップ出しといてくださいねー」
「んあー。………………?」
「どうしましたー?」
「キップねえんだけど?」
「ねえんだけどって、さっき渡したじゃないですかー…………ナイフとか無駄なものばっかり入れとくからですよ」
「うるせっ」
右手に隠し持ったナイフでフランの腕を刺した。
「いでっ! 逆ギレしないでくださーい」
刺されたナイフを抜いてベルの方へと手渡す。
「あ、あった」
「ひどいし、もー」
無事に見付かった切符を運転手に渡して煉瓦の道路へと降りると砂埃が立った。
「手、つなぎましょうよー」
「んあ? なんでだよ」
「だってセンパイ迷子になりそうですもん。堕ですけど一応王子ですしー」
「てめっ、自分を棚に上げてよくんなこと言えんな。王子に向かって」
「嫌ですかー?」
「おめーが迷子になりそうだからつないでやっけど!」
ベルは強引に左手でフランの右手を取った。
「なんかこうするとデートみたいですかねー?」
ぶんぶんと繋いだ手を前後に振る。
「カエルとデートとかねえから! どーみてもガキのお守りだろが!」
「ガキってセンパイのことですかー? 今カエル被ってないんで、フランて呼んでくださーい」
「お前だし! あり? ………そういやお前なんでカエル被ってねえの?」
「……街中あれでうろついたら変質者じゃないですかー? ほんと常識ないですねー」
「なんでオレに断りもナシにおいてくんだよ!」
「気付かなかったじゃないですかー?」
「だってお前帽子とか被ってて普段と大して変わんねえし、気付かねえだろ、そりゃ」
「しょせんはその程度のもんなんじゃないですかー?」
「その程度じゃねえよ、どこおいて来たんだよ! ケータイ貸せ電話すっから」
「自分の使ってくださいよ。ちゃんとスクアーロ隊長に金庫に保管してもらって来ましたよー」
「んなもん持ってきてねぇって。……ならまぁいいけど」
「どこにいても連絡取れるように、アジトから出る時はケイタイ常備って指導があったんですがー。なんで休日までアイツのことで気を揉まなくちゃなんないんですかー?」
「バッカお前、アレにはすっげえモンが詰まってんだぞ?」
「なんですかー?」
「…………王子の思い出とか夢とか希望とか? プライスレスな!」
「…………マジうぜえ〜。なんでミーが堕王子の思い出乗せて生活しなきゃならないんだ〜」
「なんか文句あっか?」
「そんなの人に被させないでくださーい。センパイに夢とか希望とか似合わないし。恐怖とか絶望などもっと薄暗いもの入れといてくれませんかー? そして若干の間と半疑問形はなんだったんですかー?」
「うっせ! 黙って預かっとけ。堕じゃねえし!」
「でも逆に考えると、センパイはミーに思い出預けてくれてるってことなんですかねー?」
「あー、そゆこったな?」
「帰ったら池に放り投げますねー、アイツ」
「なんでだよ!」
「なんか腹立たしかったんでー」
「バカガエル! 池に捨てたらお前燃やす」
「カエルじゃないですからー。返事しませんゲロ」
「……ちっと待ってろ」
「なんですかー?」
フランを置いてきぼりにして、ベルは目に留まったアクセサリーの露店へ向かった。
「これ付けとけ」
数分後に戻ったベルがフランへと差し出したのはカエルのブローチだった。
「………コーハイいじめ再開ですかー? 休日ぐらいカエル忘れて過ごしたいです」
「カエルって呼んでも返事しろよ」
「それだけのためにー? ………まーいいですけど」
「似合ってんぞ」
「まだ付けてないです。もうカエルはいいんで、そこら見ましょうよー」
帽子を取って縁にカエルのブローチを付けるとまた被り直した。
「ん。アレなに?」
「大道芸ですねー。見たことないんですかー?」
目を向けた先にいたのは派手な衣装を着て、カラフルなクラブを操る大道芸人だった。
「あんま街までこねーし」
「そーいえば大体ぼーっとして過ごしてますねー。生き方が弛んでますよね〜」
「ヒトの生活に口出すな。あんぐれー簡単じゃね? ちょっと見てろ」
「あ〜ダメですよー。本物でやるヒトはいないですよー。そんなの街中で出したら捕まっちゃいますって。捕まったらアホ隊長に怒られますよー」
取り出したナイフでジャグリングをしようとしたベルを制した。
「王子が捕まるわけないじゃん? ま、見てろって」
しかしベルはフランの助言になど耳を傾けずに数本のナイフを宙へと放った。
等しい感覚でナイフは放物の線に沿って、次々に右の手から左の手へと渡っては戻る。
「おおー」
さほど驚いてもいないような口調で感嘆の言葉を漏らして手を叩いた。
「どだ?」
手の動きは止めずにベルは、興味を持っているのかいないのか判らない後輩を窺った。
「すごいようなすごくないようなカンジですが、暗殺者としてどうかと思いますー」
「たまにはスナオに王子を褒め讃えろっての」
ナイフを何本かずつ両手の指の間で受け止めると、最後の一本だけをそのまま放った。
勢いを付けて飛んだナイフはフランの腕へとサクッと刺さる。
「あだっ! 街中でまで攻撃しないでくださーい。しまってくださいよー」
苦情を言いつつ刺さったナイフを引き抜くと、ベルの方へと投げ返した。
「センパイに向かってナイフ投げっとかいい度胸じゃん? オレがいいって言うまで抜くな!」
「ナイフ返そうとしただけですからー、決してシカエシしようとしたわけじゃないんでー」
「ウッソつけっ」
あたふたと手の平を向けて違うの動作をしたフランの頭を叩く。
「いてっ! イタリアの男性は女性に優しいって聞いたことあったんですがー」
「オレイタリア出身じゃねえし! お前はカエルであって女じゃねーし!」
「センパイはイタリア人じゃなくても、ミーは立派なレディなんで優しくしてくださーい」
「女とかウソつくなっての! …………。ウソだよな?」
「…………じゃあ証拠見せますかー?」
チュニック型のワンピースの裾に指を掛けて引き上げようとした。
「お、おいっ。バッ、んなとこで」
「じょーだんですがー」
「………にしちゃ、お前なんでそんな服着てんの?」
ワンピースに合わせた丈の長いペチコートパンツの裾には、フリルがひらひらとしている。
「そっちはほんとだからですー」
「んーあ゛?」
「乙女なのでー。ていうか今頃気付いたんですかー? 遅くないですかー?」
「アレか、オカマと一緒で心かなんかが?」
フランの頭から爪先までを見回したが、一向に信じる様子もなく無遠慮な疑問をぶつけた。
「染色体ごとです。主に胸の部分だけ見て判断してますかー? センパイ」
「それ以外じゃとりあえず判断できねーじゃん? だとしても、だ。ヴァリアー入っといて女扱いしろもねーだろ。ビシビシやっから」
「まー、そーなんですけど。こんなかわいいカオしてるじゃないですかー?」
両方の手の平で自分の頬をぴしぴしと軽く叩く。
「いやカエルだし……。なあ……マジで女なの? お前」
「普段は帽子部分しか見てないんですね? そうでもそうじゃなくても変わんないんですよねー? ならどっちでもいいですー」
「…………まーな。ムダなこと考えたら腹減ったな。バールでも行っか?」
「さんせーでーす。ミーも余計な話ししてノド渇きましたので」
その辺に点在している喫茶店を何件か眺めて、適当な店へと入った。
「なんにする、フラン」
「う〜ん、冷たい牛乳がいいです。センパイどうしますー?」
「あ、オレもそれ。あとチーズケーキ。なんか食えよ」
「え〜っと、じゃブドウのトルタで」
「カエルのクセにんなもん食うのかよ」
「ミーはヒト科ですがー。どうせなら飲み物の時点で突っ込んでくださいよー」
フランがごにょごにょ言っている間に、ベルは店員に手を振って合図した。
「これ2ことこれとこれね。支払いこれで」
オーダーを取りに来た店員へとキャッシュカードを差し出した。
「これミーの分です」
フランが取り出した適当な数のコインが手の中でちゃらちゃらと鳴る。
「王子に恥かかす気?」
それがテーブルに置かれる前にベルが制した。
「…………ごちそーさまでーす」
「よろし」
「センパイはミーのセンパイなんですねー」
少しの間、繁々とベルの見えない目元を眺めていた。
「……………どーいうイミだ?」
本気で意味が解らずに首を捻ってベルはフランを見返した。
「そんなにすごいイミはないですよ」
注文した飲み物とドルチェが運ばれて来た所で、一旦会話は止まる。
そうして牛乳をすすり、フォークで一口目を口に運んだ所でまたどちらからともなく会話を繋いだ。
その後は美術館や観光地や退屈な場所を行っては戻り、市街をうろうろとうろついた。
旧く煤けた赤茶の石畳に映った二つの影は笑う。
西の方の空からオレンジの光がきらきらと降り注いでいる。
陽光の断片を浴びて、金の髪も帽子からはみ出ていた碧の髪も橙の輝きを帯びた。
「晩メシ食ってかえんだろ? ならスシ食いに行くぞ! スシ!」
「スシってジャッポーネのですか? あのワサビとかいうの苦手ですー。入隊してから歓迎会だとかって食べさせられましたが、新人イビリかと思いましたよ」
「アレがツウの食い方なんだって、ガーキっ。せっかく王子が直々に歓迎の提案してやったってのに」
「…………発案者センパイですか? 自分が食べたかったからやってみただけですよねー? 存在自体が嫌がらせみたいなヒトですね。やっぱさっきの取り消しでお願いします。ツウってなんですかー?」
「ツウってーのはだな、ワビサビのわかる大人ってこった」
「なんかテキトウな説明ですねー。ワサビ知ってれば大人なんですかー? ならミーも今日から大人でーす」
「ワサビじゃなくて、ワビとサビだって。おめーは解ってねえからガキな。サビ抜きにしてやっから、探せ」
「やっぱりワサビなんじゃないですかー? あ、近くに一件ありましたー」
携帯電話のナビゲーション機能を使って、フランは該当の店舗を見付けた。
「殺し屋がやってっとこか?」
「? 経営者まではわかんないですが、殺し屋はやってないと思いますよー。やっぱもう帰りませんかー? 外での食事時まで血の海イヤですー」
「まあ今日はカンベンしといてやる」
「ちゃんとフツーに食べてくださいよー? あ、ルッス姐さんに食事いらないって電話しときますねー」
「ああ」
フランが取り出した携帯電話の短縮ボタンを押すのを、ベルはただ眺めていた。
「もしもーし、ミーです。……え? 詐欺じゃありませんよー、フランです。姐さんですかー? ……センパイと晩ご飯食べて帰りますー。……はい、そんなに遅くはならないですー。……はい……はい、判りましたー。それじゃー」
「………なんだって?」
「あんまり遅くなっちゃダメよ(ハート)だそうです。あとー」
「あと?」
「センパイに変なトコに連れてかれそうになったら大声で助け呼ぶのよーって言ってました。変なトコってどの辺ですかねー? 牧場とかですかー?」
「あんの、カマ! 帰ったらぶっ殺す。誰がこんなカエル連れてっかっての!」
「う〜ん、チーズ作れって言われても困っちゃいますが」
「いや、それ変なトコじゃねえし」
「それもそうですね? じゃ、どこなんですかー?」
「……………。いーから、メシ行くぞ、メシ! どっちだ?」
「えーっとですねー、こっちの方です」
地図を見ながら中りを付けた方角へと歩き始めた。
人混みや雑踏に紛れた背中は未だ淡いオレンジに輝き続けている。
胡散臭い界隈の一角には、鮨王子の店と看板の出た煉瓦造りの店舗があった。
「へい! らっしゃい!」
自動ドアが開くと威勢のいい掛け声が上がる。
盛況しているわけではなかったが、店内は程々に賑わいを見せていた。
「こんにちはー」
ベルの後ろに付いて入ったフランは、歓迎の挨拶に律儀に返事をする。
「適当に二人前握ってくんない。こいつサビ抜きね。エビとタマゴは入れてね」
カウンターに座りながら、ベルは迷うこともなく簡潔に注文を終えた。
「サビ抜きでお願いしますー」
「わかりやした!」
店員が刺身包丁で魚を切り取っていくのを、フランはぼんやりと真剣な眼差しで眺めている。
「なんでんな真剣に見てんの?」
頬杖を付いてフランの方を眺めた。
「幻術する時に参考になるんですよー」
トントンと軽い音を殆ど立てないように、簡素な説明だけを残してあがりとおしぼりが二人の前に置かれる。
「………? あんま寿司屋とか作んなくね? 戦場だし」
「あ〜、そういうのとはちょっと違うのに使うんでー」
「どういうの?」
「え、いやー、大したことじゃないんですがー」
「言えよ」
「なんでもないんでー」
「なんだよ?」
「あの〜ですね。偶に」
「たまに?」
「友達とお店屋さんごっこしたりするんですよー」
「ああ゛っ? だっせえ、何してんだよ」
「だから言いたくないんですよ〜」
「べつにいーけど。お前友達なんかいんだな」
「いますよ、そりゃ。センパイと違うんでー」
「オレだって友達くらいいるし」
「へー。誰ですかー?」
「お前の知んねーヤツ」
「ホントはいないですよね?」
「いるから」
「へー」
疑惑の眼差しを向けたがそれ以上深入りはせずに、フランはベルの方を見る。
熱い湯呑みを手にしてベルはあがりを啜った。
「ああっち〜」
真似してフランも湯呑みを手にしたが、予想外の熱さに器を乱暴に置いた。
「バカ! なにやってんだよ」
おしぼりを素早く取ると、フランの指先へと巻き付けた。
「まさかこんな熱いと思わなかったんで、ちょっとビビっただけです。ありがとうございますー」
「気ぃつけろよ」
「はいー」
笑うように目を少しだけ細めたが、口元はそのままでベルへと返事をした。
暫くすると下駄に乗せた色鮮やかな握りが目の前に運ばれて来た。
「うっし、食うか」
「いただきますー」
食べ方もままならないフランは、手で摘んで醤油を付けたベルをちらちらと横目で眺めながら、手を進めた。
「あ〜、しょっから〜。なんですか、これー」
「付け過ぎだろ。こんぐれーな」
ネタの全体を醤油をべたりと沈めて呻く後輩へ、お手本を示して見せた。
「おいしいですねー」
「サビ抜いてんのうめーとか、やっぱガキじゃね」
「いいじゃないですかー。この黄色いの甘くておいしいです。これなんですかねー?」
「タマゴ焼き。こっちも食う?」
「え? いいんですかー、サンキューセンパイ」
「代わりにこの赤と白のシマシマもーらいっ」
「あ〜それこないだの歓迎会でおいしかったから最後に食べようと思ってたんですよー?」
「ダメ、オレの」
「まーいいですけど。タマゴおいしいですからー」
「もいっこ頼んでやる」
「あ〜でも頼んでもらうならそっちのエビのがいいです〜」
「タマゴとサビヌキのエビもう一貫ずつね」
「? タマゴもですか? けっこうお腹いっぱいなんで、そんなに食べれません」
「オレが食うんだよ」
「なんだセンパイもガキじゃないですかー」
「んなの箸休めだし」
直ぐに出されたエビとタマゴをそれぞれ手にした。
「ん〜、やっぱおいしいです」
「タマゴのがうめーだろ?」
「ミーこっちのが好きです。それにセンパイ、タマゴは箸休めって言ったじゃないですかー?」
「るっせ、タマゴは最強なんだっての。黙ってうなづいてろよ」
「横暴だなー。ごちそうさまでしたー」
食べ終えてから独り言をぼそりと呟くとおしぼりで手を拭いて、日本の流儀の食べ終えた挨拶をして掌を合わせた。
食事が済んだにも関わらず、彼等はその後もパニーニや果物売りの屋台に立ち寄っては足を止めた。
一頻り見終えて飽きた頃に、時間通りに来るか来ないか判らない帰宅のバスを待つのにバスストップへと戻った。
そうして暫くベンチに離れて座って待って来たバスの行き先を確認し乗り込むと、振動に揺られて直ぐにフランは欠伸をした。
「おいカエル、次で降りんじゃねーのか?」
行きとは反対の道を順調にバスは辿ったが、外は既に暗がりになり、景色はもう見ることが出来なかった。
バスに乗り込んだバス停が近付いたのに気付いて、車内を見渡すと降車ボタンを押した。
フランはうにゃうにゃとベルの肩に乗せた頭を軽く振っている。
「おいてっちまーぞ。起きろっての」
幾度揺さぶろうと起きる気配も見せず、惰眠を貪り続ける。
「ったく、ああもう。しょーがねえな。マジでガキかよこいつ」
仕方なしにベルは心地よく寝ているフランを背負って、バス停へと降りた。
ふらふわと揺れる気分に酔って、道の途中で碧色の瞳が不意に開いた。
「………? なんでミーは」
「起きたんか? 起きたならあるけ」
「宙に浮いてんですかねー?」
「王子がしょってやってっからだろが! 感謝しろよカエル」
「センパイ? ああ、なんだー、夢ですねー」
「なんで夢断定だよ! しっかり起きろっての」
「センパイの背中、生温いですねー。血も涙もないと思ってましたが、センパイにもちゃんと血が流れてるんですねー」
「てめ…」
「………夢ならもうちょっとだけこうしてていいですかー?」
「………………ああ、でもコレ夢じゃねえから。王子への恩をいっしょー忘れんなよ。後でこの5000倍ぐれー恩返ししろよ!」
「嫌ですー…………」
そこから先の言葉は既に寝息になっていた。
「ちっ、今度からバスん中おいてくっかんな」
路上には澄んだ月でくっきりと、重い荷物を背負った影が浮き出ている。
「あ〜重っ」
後ろ手に抱えていたフランの脚を腕で持ち直した。
生温い風に混じった微かな火薬の香りを嗅ぎ取って、ベルが掌へと出したナイフは音も立てずに闇の中へと静かに走った。
「おいカエル………こっから自分であるいてけ」
「…………あ〜、はい。ふぁあ〜」
遠くから聞こえた鈍い叫びと、辺り一面に広がった血の匂いには触れずにベルはフランを降ろした。
そうしてナイフをワイヤーで手繰り寄せると、元通りに適当な場所へとしまった。
「お前に盾になってもらーほど、ヤワじゃねーし」
「盾? なんのことですかー? 寝心地良かっただけで」
「ま、いーや。おぶってやったからチャラな」
「なんでもいいですけど重いとかは失礼なんで、取り消してくださいー」
「じっさい重いし。なぁ」
「ちぇっ。なんですかー?」
「手つながねぇの?」
「センパイが道踏み外してドブに落ちそうになるかも知れないから、いいですよー」
「そんなマヌケなのおめーだろ、ドブに帰れよクソガエル」
隣にあった温かい掌を握りしめて歩き始めたベルの手が握り返された。
ゲロゲロとカエルは何度か鳴いて、二人の姿は月の光る道から森の中へと次第に消えた。
(おわる)
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