どこにも届かない
数日間も降り続けた霖雨の後に訪れたのは、首筋に冷たく当たる空気が心地良い日だった。
隅々まで快晴の空の青よりも青い色からは日差しが矢のように照り付けている。
私用で独り街へと出たベルは、大概は不携帯している携帯電話がポケットに入っているのを不意に思い出した。
暫くの間迷って考えあぐねて、それでも住所録に登録された番号を呼び出した。
「ガチャッ」
「カエル?」
「ゲロゲロゲロゲロ、この電話はー、ただいま使われてませんー」
漸くのことで繋がった携帯の向こうからは、気概の感じられない間延びした声が聴こえていた。
無論それは録音の音声などではなく、一匹のカエルがどうしようもなく下らない悪ふざけをしていただけだ。
「おっせえんだけど。ワンコールで出ろっつってんだろ?」
のんびりと躱したフランの音声ガイダンスには耳を貸さずに、真っ先にベルは数コールを聴かされた怒りをぶつけた。
「使われてないので出れませんー」
「なに言ってんだお前?」
依然として使用不能のメッセージが繰り返されるのを疎ましく思い、電話口で更に声を荒げた。
「センパイがかけてる番号は今使われてないってことなんでー」
それでもフランはしつこく、どこまでもやる気を持たずガイダンスの真似事をする。
「なにふざけてんの? 刺すぜ、カエル」
「カエルじゃありません。電話の向こうじゃ刺せないですよね〜? だからーこの電話はー今現在使われてませんー」
「いい加減にしろっての、クソガエル」
「クソガエルじゃありません。使われてないんですー。じゃ」
「しゃべってんじゃね?」
「ミーは音声ガイダンスの人なので、あんたなんか知んないのでー」
「……………へー、なんだ使われてねぇんだ。遊びに連れてってやっかとお…」
「! すぐ行きますー。センパイ今どこにいるんですかー?」
「うっせっての。使われてねえならしょうがねーしぃ」
「いえこの電話まだ使えてますー。ちゃんと聴こえてますんで」
「わあったよ。ならさっさと出てこい。場所は……」
「わかりましたー」
目的地を告げ終えるとベルは乱暴に通話を切った。
雑音のクラクションが消えてからあれこれと外出用の服を見繕って、フランは結局は一番に気に入っている服へと着替えた。
濃過ぎる青空の陰に入った日差しでベルのティアラは鋭く痛む銀の光を放つ。
騒々しい街路の活気のある人の群れも、空が澄み過ぎているせいで影法師のようにくすんで行き交った。
「おっせえよ」
数十分の待ち惚けの後に漸く待ち合わせの広場へと到着したフランに立腹し、問答無用でベルはナイフを投げ付ける。
「いでっ。こんぐらい普通にかかりますよー」
刺されたナイフは惰性で引き抜かれて煉瓦へと放られた。
ちょうどその場面に出くわした偶然の目撃者は、刺さったナイフに目を丸めた。
だがフランが顔色を変えず血も流していないのを見てとると、珍しい余興を見た顔をして通り過ぎて行った。
「捨てんじゃねっ!」
「あ、間違えた。ゴミはゴミ箱に入れないとー」
ナイフを拾い直すと、広場の隅の燃えないゴミのゴミ箱が設置してある方へと走り出そうとした。
「てーねーに捨てんな! んあ゛っ? んだそのカッコ」
持っていたナイフがまたフランの背中を目がけて勢いよく投げ付けられた。
「ゲロッ! え? え? あ〜なんで同じ服なんですか〜? ありえませ〜ん」
痛みに反応して後方へと首だけを曲げた。
ちょうどフランの視線が移された先にいたベルは、色だけが違う同じ形のオーバーオールを着ている。
「おめーがマネしたんだろ」
「センパイの着てったものなんか知んないのでちがいますがー。心外だなー」
「ありえねえし」
「ナイですよね〜。センパイとイッショなんて嫌なので、脱いでください。ミーこれ気に入ってるんです〜」
詰め寄ったベルのしていた細いベルトにフランは指をかける。
「ひっぱんな、オレだってお気にだし! おめーが脱げよ!」
引き剥がそうとして頭のカエルを手の平で押してフランの動きを抑止する。
「いや、ここ街中だし、ちょっと無理です。そういうのやめてくださーい」
肩紐に手をかけようとしたベルを離れて避けると、両手を振って拒絶した。
「お前が先に脱がせようとしてんだろ!」
「あーあ、ほんとないんだけどなー」
「もういっての、行くぜ」
いつまでも気に入らなそうなフランを顎で呼び、ベルは先に一人で歩き始めた。
似通った服を着て並んで歩く彼等はとてもよくとは言えなかったが、それなりに仲睦まじそうに背景へと溶け込んだ。
頭にいるカエルへと奇異な眼差しを向けた者もあったが、既にフランはそれを疑問に思わずにいた。
どこにも届かなかった筈の電波で繋がった二人が向かったのは、取り立てて飾り気もない居心地だけのよい遊び場だった。
(おわる)
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