レグルスと火の粉


 俄かに備え付けられた外灯の陰ではモーターの動作する音がしていた。
 白熱の光は草の一本一本すらをくっきりと描きだし、人々の明るい表情を暗く翳にする。
 屈強な数十人の男達は、昼から収穫の祝いのために円形のテーブルを幾つも並べ、アルコールとアンティパストを用意した。
 昼空の端っこで太陽の陰にはレグルスが輝いていたが、誰一人としてその光を見た者はいない。
 夕頃になって余興をするのに設けられた舞台では、音楽が奏でられ、下手な歌が歌われ、演芸の真似事が始まった。
 給仕もいたが大抵は自分で適宜に好みの飲み物を注ぎ、思い思いにバイキングの料理を手にしている。
「ベル様、お注ぎしましょうか?」
「いーっていーって」
 どこかへ消えて準備をサボっていたベルは、何時の間にかひょっこりとビールサーバやワインの入った樽が並んだコーナーへと姿を現していた。
「見ろよカエル。オレのジョッキカンペキじゃね?」
「あれー、センパイ。どこ行ってたんですかー?」
「お前にカンケーねえだろ」
「ありますー。センパイがいないせいで、ミーがセンパイの分までこき使われたんですよー」


『あら、手伝ってくれるのフランちゃん。感心だわ〜。ベルちゃんはお手伝いしないでどこか行っちゃったし、人手足りなくて困ってたのよ〜』
 出来上がってゆく料理の香りにつられて庭へ出て来たフランを、ルッスーリアが呼び止めた。
『はいー。ミーは毒味してあげますよー』
 珍しく素直に返答をしたかと思えば、出て来たのは相変わらずの憎まれ口だった。
『毒味ってなによ、失礼ねっ』
 一品ずつを整然と並べていた手を止めてフランの方を見る。
『怒りんぼのボスにも食べさせるなら、そういうのはやっとかないと。どこで毒とかしこまれるか判らないじゃないですかー?』
『それもそうよね、じゃお願いするわ。出来上がってるのからよろしくね』
『いただきまーす』
 置いてあった小皿とフォークでオードブルの一品を刺して取った。
『どう?』
『変に凝った味付けで、意味分かんない味です。まあスパイシーでそこそこ…』
 そう言いつつも、二つ三つと皿に取り分けてはぱくぱくと食べてゆく。
『…………そう。じゃこれは?』
『う〜ん。もっと食べてみないとわかんないですねー』
 もぐもぐと次に出された料理を遠慮せずに口へ運んで、複雑な無表情をする。
『もう少しいる? もっと味濃い方がよかったかしら』
『いえー、もう充分ですよ。いいんじゃないですかー。そんなよくもないですけど。次のどうぞ』
『可もなく不可もないだなんて、わたしの美学に反するわ〜。……はい、これね』
『あ〜ピーマンはちょっとよけといてください』
『好き嫌いしないのよ』
『母親ぶんないでくださーい。ハラ立つので』
『ちょっとフランっ! わたしはみんなのお母さんよ』
『クジャクでオカマの母親なんていりませんので〜。忙しい中わざわざ手伝ってるんですが〜。ってことで今度はそっちのドルチェ食べたいです』
 豪奢に生クリームと果物で飾り付けられたケーキに、涎を垂らしそうにしている。
『んもう、これはダメよ。切り分けないとならないんだから。夜のお楽しみにとっておきなさい♪ さっきから食べてばっかりじゃない。お料理運ぶ方も手伝ってちょうだい』
『ルッスセンパイもケチンボですねー。ミーの役目はこれなので』
『しかたないわねえ。それじゃこっちのも味見てもらおうかしら』
『あ〜でもいっぱい食べたら眠くなってきちゃったので、ちょっと休みます。おやすみなさいー』
『ちょっとあんた、ほんとに何しに来たのよ!』
 聴こえて来たルッスーリアの怒声も気にせずに、フランは近くに設えられていたベンチへと転がった。
 眩しい陽の光で消された小さな王の意味の名を捧げられた星の光を眺めるように空を見ては、やがてうとうととし始めた。
 結局その後は役に立たとうともせず今の今まで眠りこけ、喧しい音楽に惹かれて漸く起きた所だった。


「ってなカンジだったんですよー」
「…………。できてすぐのメシじゃ毒味してもイミなくね? 食べる直前にやってたぜ、毒味ってフツー」
「ねんのためですのでー。そういう本格的なのは雷オヤジがやればいいと思います」
「つうかお前メシ食ってただけじゃね?」
「大事な仕事なので」
「ふーん」
「それよりこれミーのが上手ですよー。センパイの泡ばっかりじゃないですかー」
 話を戻してフランは先程のベルの見真似をしながら、ジョッキを傾けてサーバーからビールを注ぐ。
「お前がこっち飲め」
「嫌です〜。それほとんどカンペキな泡じゃないですかー?」
「だいたい飲んでいい年かよ、カエル」
「それはナイショですが無礼講なんで大丈夫だと思いますよ」
 口元に指を当てて言えない素振りをする。
「いや、ナイショってだけじゃだめじゃね?」
「………なんでセンパイのクセにそんな当たり前なこというんですかー?」
「ダメだし」
 フランの持っていた黒い生ビールのジョッキを取り上げて飲み干してゆく。
「あ〜あっ」
「ちっと待ってろ」
 ビールサーバーから離れて、グラスに注がれて並べられていた濃い紫の飲み物を手にして来ると、フランの方へと差し出した。
「お前はこれね」
「せっかくキレーに泡注げたのに。こんなんじゃ飲んだ気しません」
 渡されたブドウのジュースに無表情で不満を見せる。
「飲ませたら王子の監督不行き届きとかになるし」 
「………実態はただのイジワルですね〜?」
「なんつったってダメだから」
 ベルは空にしたフランのジョッキをテーブルに置いて、泡が弾けて量の減った自分のジョッキにも口を付けた。
「ちえっ」
「んじゃ飲んでみ」
「え、いいんですか?」
 唯の興味本位で喜び勇んでフランはベルが手渡して来たジョッキを受け取る。
「まず〜っ。うわ、なんですかー、これ。ヒトを舐めた飲み物ですね〜。センパイなんか盛ったんじゃないですか〜? 主に毒とか」
 だが残っていた泡をちらりと舐めただけで疑いの眼差しをベルへと向けた。
「オレじゃねーし、そういう味なの。飲めねんだろ、お前はこっちな」
 フランがテーブルに置いたグラスを手渡す。
「このブドウのジュースのがおいしいから、こっちのがいいですね。でもなんかいつものと違うみたいですが」
 一息で半分ほど飲み干したフランの顔には仄かに赤味が差して見えた。
「あれ? ………ちょっと貸せ」
「んー? えーっ」
「やっべ」
 フランから取り上げたグラスの香りを嗅ぐと、葡萄の香りと混ざり合ったアルコールが鼻を突いた。
 ジュースかと手にして来たグラスに入っていたのは、紛れもなく唯のワインだった。
「どうかしましたかー?」
 ベルの手からまたグラスを奪い返そうして腕を伸ばす。
「ダメだっての」
 だがフランの手が届かない空まで手は掲げられ、上げられた手の方を見やると夜空には少しの星があった。幾らか自転した空の星の数は既に変わって、白昼にはそこにあった筈の小さな星はやはり見えない。
「そんなに飲みたいんですかー? まだあっちにいっぱいあるみたいなので、持って来てあげますよ」
 方向を変えてベルがグラスを取って来た方へと向かおうとしたが、服の裾を掴まれて引き戻された。
「ちげえし!」
「………あれ? センパーイ、ミーなんか気持ち悪いです」
 眩暈を感じて動きを止め、今度は蒼白な顔をしてそろそろとベルを振り返る。
「おい、だから言ったろ」
「うゲロッ」
「吐くならむこーな」
 賑わいから離れた庭の木の方へと裾を掴んだままフランを引っ張って誘導する。
「ゲロゲロ」
 吐き気を堪え切れずに、遠く離れた木の陰で嘔吐してから邸内へと入って行った。
 


 一気に気分を盛り下げたフランは、冴えない表情をしたまま水道で嗽をして戻って来た。
 そうして盛り下がったまま不貞腐れて、馬鹿騒ぎを詰まらなそうに見ている。
「なんか食う?」
「……………いりませんー」
 戻っていたのに気付いてベルが話しかけても首を振っただけだ。
「気分わりぃの?」
「そんなでもー」
「ほら、水」
「………サンキューです」
 手渡されたコップの中身を今度は確認してから飲み干した。
「あ、そだ。花火やんぞ、カエル」
「………! 花火! やる、やりますー!」
「んじゃ、ついてこい」
「暗いとこのがキレーに見えますもんねー」
 この時ばかりは疑いもせずにベルの後へと続いた。
 だが人のいない方へと誘導されればされる程、不安を増してゆく。
「どこまで行くんですかー? 花火どこにあるんですかー?」
「あっち。行けミンク」
 暫く何も答えずに歩き続けて、ベルはふと立ち止まる。
 口元に不敵な笑いを浮かべて歯を見せるとミンクを匣から出した。
「え、え〜? うっわっ」
 腰を屈めてしゃがんだフランの頭を踏み台にして、勢いを付けたミンクは何もなさそうに見えた原っぱへと飛び跳ねてゆく。
「しししっ」
「………なにすんですかー、急に」
「あ、行ったぜ」
 発火された炎が導火線に燃え移り、頼りない音と共に火球が次々に打ち上がる。
 一つ目の花火は大きく水色に丸く開いて柳のように枝垂れ、二つ目の花火は紅の花びらのように舞う。
 三つ目には夜空のあちらこちらへと黄色くひゅるひゅると光が弾かれた。
 立て続けに藍色の空には炎の花が咲いては散る。
「おーおおー、ブーラボーセンパーイ」
 ベルの声で後ろを振り返ったフランの碧の瞳に光が溜まっては消える。
 次から次へと尾を引いて降り注ぐ光にカエルの目玉も輝いた。
 バラバラパラパラと音までが反響して降り落ちてゆく。
「うーわーあー。キレーな空ですねー」
「さっさと次の花火セットして来い」
 どこかに隠してあった段ボールの箱を取り出して、フランへと押し付けた。
「どうすんですかー、これ」
「しんねえのかよ」
「やったことないので、しかたないですよ」
「この火薬その筒の底にひけ。んで、その上からこのヒモ付けたまるいの入れんの」
「へーそれだけですかー。ラクショウですね」
「ヒモは筒の外にだしとけな」
 打ち上げ用の筒に次から次へと発射薬を入れ、竜頭に紐を付けた花火玉を命令通りに投げ込んだ。
「できましたー」
 少し離れた所で見ていたベルへと向かって歩き始めた。
「よし。んじゃミンク、もっかい」
 仕事を終えて肩に登っていたミンクに指示し、再びフランに飛びかからせる。
「わ、わ、わ。一々けしかけんじゃね〜よ、堕王子〜。花火の火が付いてる方は他人に向けちゃダメって教わりませんでした〜?」
 今度はひょいと上半身だけを左にずらして避けると、ミンクの飛んで行った方向を振り向いた。
「ミンクだし、花火じゃねえし。おまえはかぎやな」
「?」
 導火線にジリジリと火が着いて行く間に、ベルは隣へと戻って来たフランへ意味の通じなかった一言を述べた。
 簡素な音をさせて立て続けにまた火の玉は筒から飛び出してゆく。
 花開いた真下から眺めた花火の大きさに圧倒され、腰を抜かしたようにフランは尻もちを付いた。
 余りに近過ぎた火花の美しさに眩んだ目の横に、五寸玉の芥も一緒に降り注いでいる。
「たーまやー」
「ええっと、あー、ここでですか。かーぎやー」
 フランが手にするとそのゴミはまだ熱を残していた。
 ずっと見当たっていないレグルスを花火の隙間に探したが、当然の如くそこにありはしなかった。
 しかたなしに隣の自称王子へと目を向けると、消える前の火の粉は笑ってフランを見た唇へと鮮やかに色を付けた。
 散った花火の後の爆音だけが山々に谺してまだ少し残っている。
 少しだけ吹いて来た夜風は疾うに冷たく、硝煙を吹き払ってゆく。

(おわる)



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