Moonlit wonderment
白い障子に影絵で出来たミンクが喋る。
「あれはぜってえおめーのせいな!」
煌々と澄んだ十五夜は空を一際に冷たく射る光を放つ。
「ちがいますー。センパイが悪いんですよー」
廊下に紛れ込んで来た小さな蛙の影がぴょこんと飛び跳ねて反論した。
離れに設けられた茶室の縁側は、ほの白く青く奇異な明るさで満ちていた。
ベルは右側の柱に凭れて顔を背けて胡坐をかき、フランは両膝を抱えたまま左の柱に背を預けて明後日の方向を向いていた。
「お前が打ち合わせどーりやんなかったから、時間かかったんだっての。あんなザコ共にニ時間だぜ? 信じらんね」
二本の指を立てて吐き捨てると漸くフランの方へと向く。それでもフランはベルを見ずに、遠くの酷く際の曖昧な月影を眺めていた。
「センパイの指示の出し方が悪かったからですー。ミーが自分で判断してればあんなに時間かかんなかったんですよ。いくら特殊任務って言ったって、センパイより幻術の勘はいいと思うのでー」
そこで始まったのは反省会というよりも罪の擦り合いの会だった。
「だいたいいっつも気付くのが数秒おせえんだよ、おめーは。オレはそーとー前に出しといたし。カエルがよそ見してっからだ」
二人の間には長方形の小さな机が置かれていて、机には月見用に拵えられた団子と、その辺に咲いていた日本のよりも大きなススキの穂が花瓶に飾られていた。
「センパイのことずーっとなんて見てられませーん」
「見てろっつったの! なんでオレがお前のミスの罰則で月見ドロボーのみはりなんかしなきゃなんねんだよ」
「ミーのせいじゃないので〜。センパイが悪いので〜、やるのは当然じゃないですか〜? ミーの貴重な時間を返して欲しいです〜」
「チッ。ものわかりのわりーコーハイ」
「センパイならもうちょっとコーハイを温かく見守ってくれてもいいと思うんですがー。ったく……よく判んない風習を取り入れすぎなんですよ、あのオカマ。独立暗殺部隊名乗ってるクセに、ジャッポーネにこびんのもいい加減にして欲しいですねー。晴れの守護者から教えてもらったからってなんでもかんでも。大体コレって盗んでっていいもんじゃないんですかー? ジャッポーネの行事じゃそもそもだーれも来ないと思うし。なんで見張り必要なんですー?」
「盗まれたら暗殺部隊のコケンにかかわんだろ? ………つってたぜ?」
「じゃあ飾らなきゃいいのにー」
「そこだけ同感」
閉じられた障子の外側の右の柱と左の柱にそれぞれに凭れている二人は視線を交えることなく、庭に零れて秋の夜を照らす光を見ていた。
「ゲロッ」
何事かを威嚇したフランはいつもの抑揚の少なさで鳴いた。
「んなもん食ったらハラこわすぞ」
迷い込んでいた一匹の蛙に興味を持って鼻先を近づけたミンクを、ベルの影が動いて首を捕えて嗜めた。
飼い主の言うことを聞いて蛙から離れると、今度は机の上にピラミッド型に飾られた月見団子に顔を向ける。
「こわさないですよ〜。でも食べたらお前のそのダサい前髪刈り取ります〜」
ミンクは冷や汗を流して、白い前髪に覆われた目でベルとフランの二人の顔を交互に眺めている。
「ダサくねえし。カエルのクセに勝手なこと言ってんな。次はオレとおソロしような♪」
「食べたらそうなるので〜」
言い聞かせるように右手の人差し指を立てたフランはミンクの顔を覗き込む。
「んっでだよ! 食べなくてもするし」
ミンクはベルを見てから助けを求めるようにフランの方をちらっと伺った。
「………それはやめた方がいいんじゃないんですかね〜? 動物虐待とかになりますので〜」
「なんねえよ。おソロだったらヨケーにかわいいだろミンク」
「髪型でセンパイと間違われてミーに攻撃されるかも知んないから、やめといた方がいいです」
「てんめー」
「ほんとのことですんで」
白い塊は我慢しきれずに二人が下らない言い争いをしている目を盗み、下の方から白い団子を一つこっそりと外した。
途端に山は崩落し団子はべちゃっと皿の上で崩れた。
「あ」
「あ〜あ。いくら賢いあつかいしてもしょせんはケモノですね〜」
「わるくち言うな。こんなもん飾ってありゃいんだろ? さっさと元のとーり並べろよ」
「ちえっ、かばってやったのにな〜。センパイが戻してくださいよー。ペットの不始末は飼い主のセキニンです」
「センパイの雑用すんのがコーハイのシゴトだっつの」
二人の諍いも気にせずに、ミンクは掠めた団子と縁側の床でにらめっこをして遊び始める。
「ミーは雑用するためにヴァリアー入ったわけじゃないのでー」
「いいからやれ」
フランは渋々と形の崩れた団子の山を整然と並べにかかった。
パズルのように並べている途中で、途端に気になって人差し指と親指でまん丸くて黄色の団子を摘まんだままじっと眺めた。
「どうかし……」
動きを止めたフランを不審に思ってベルがそっちを眺めた瞬間、フランは手にしていた団子を口へと入れた。
「あ」
「…………………。なんの変哲もない味ですねー。面白味にかけるというかー」
ゆっくりと噛んで飲み込み終えてからフランは感想を述べた。
「おもしれえ味してたら食えねんじゃね?つーか食っていいとか言ってねえから」
「面白い味って言ってもみたらしとかアンコとかごまのとかですよ。でももったいないですよ。どうせ捨てられるんだろうし。センパイもよかったらどうぞー」
「おめーのじゃねえよ」
皿から団子を一つ手にして口へと運ぶ。
「うまいって感じじゃねーけどな」
「まあまずくもないと思いますけどね。甘いだけでパンチのない味ですよねー」
言いながらもう一つフランは団子を食べた。
「まあな。ホントつまんねー味だな」
文句を言いつつベルもまた拾って口にした。
「じゃ、ミーが今度センパイのためにワサビの作ってあげますよー。あ、タバスコとマスタードも付けて、三色団子にしてあげますねー」
「ちゃんとてめーが味見してからだせよ、カエル」
また一個手にした団子を空中へと放り投げた。
ベルの投げた団子をフランはうまく口でキャッチし、もごもごと咀嚼して飲み込む。
「ふ〜……嫌です〜」
泥棒の見張り番をしながら、それからは無言で二人は次々に団子を平らげた。
冷え冷えと冴えた月は先程よりも少し空の高い所にあって、二人の座った縁側を冷たく照らし出している。
「王子あっついお茶飲みたくなったから、いれてこいカエル」
「そこらの雨水でもミンクで沸かして飲んだらいいんじゃないですか〜? それよりダンゴなくなっちゃったじゃないですか〜。どうすんですか〜?」
「おめーのせいじゃね? 元はといえば。ドロボーに盗まれたことにすりゃいいだろが」
「あ、それもそうですねー」
「んじゃドロボーも来たしもどっか」
「そうですねー」
二人が立ち上がると障子にできていた影も人型に大きく伸びる。
縁側から降りて白光に照らし出されたベルのティアラと、フランのカエルの目玉が皓々と輝いた。
突然立ち止ったフランは右手の親指と人差し指でわっかを作り、人差し指の第二関節の上に丸めた中指の爪先を当てた。
そうして黒い地面へと余計に黒く濃い影で蛙の模様を描いている。
口の形に合わせてゲロゲロと憎たらしく鳴くと、立ち止まったベルが振り返った。
「なにしてんだよ?」
「ほら見てください、カエルです」
「知ってっし、んなの」
「ミーの頭じゃなくて、地面の方です」
指し示されない地面へとベルが向くと、そこには不確かに可愛げもない蛙の目と口とがあった。
「へえー」
夜光が映し出した影は線も不明瞭で、蛙と言われなければ判別出来ないほどの曖昧な境界しか持ってはいない。
「カニ」
他愛もないフランに続いてベルも両手の平の指を蟹に似せた。
負けじと今度はフランも持っていた皿を置いて、両手の形を鳩にした。
歪で不吉な影の生まれる庭はお伽の国のように不可解にも風で揺らぐ。
一頻り遊んでからフランは再び指先で蛙を作った。
「?」
握り拳の親指の先で模ったミンクの鼻をベルは、フランの親指と人差し指で出来た蛙の口元へと当てた。
「ちゅー、とかな?」
「……………? 初めてのちゅーがセンパイなんて嫌なのでー」
「バーカ、じょーだんだろ」
「でもー」
「なに?」
「あんまよく見えなかったんでもっかいやってください」
もう一度左手のカエルを地面でゲロゲロと鳴かせた。
ベルが右手で握ったミンクの鼻先が触れた途端にフランは輪を解いて、ミンクはカエルだった指に飲み込まれて消えた。
「どした?」
何の光に彩られたのか、奇妙に輝く碧の瞳で自分を見ていたフランへとベルは首を傾げた。
「冷たい手ですねー。手が冷たい人は云々言いますが、」
「心あったけーとか? 王子だから庶民にも優しくてとーぜんだし」
離れようとしたフランの指へ冷たさを擦り付けるようにベルは強く握る。
「センパイは手の通りだなーと思いまして」
「……………んっだよ? あったけーだろ?」
「そう思ってるのは自分だけですよねー」
「つないでやってんじゃん?」
もう一度フランが離そうとした手を逃さずに、掴んで引いた手を強く強く引いた。
「これはとくに優しさ関係ないんだと思いますー」
地面に映した影絵の遊びにも飽きたでっかちな頭の歪な物体と、闇の端に紛れて見えないティアラを頭に載せた王子の影が歩き始める。
涼しい時期は通り越して薄らとした寒さが身に沁みる闇だったが、一筋の風すらなく安穏とした夜でもあった。
やがて二人は戻った邸内のリビングで温かく迎えられた。
「お疲れさま〜。月がきれいだったでしょ?」
ベルとフランがリビングの扉を開けた時、ソファへ腰を降ろしていたルッスーリアがちょうど急須で二人分の茶を注ぎ終えた所だった。
「いつもと大して変わりなかったです。でも面白いものも見れましたかねー。それからお団子は盗まれちゃいましたので〜」
フランは持って来ていた皿をルッスーリアへと差し出して嘘を吐く。
「あら、ま。キレーに食べたわねえ」
「いや、ミーが食べたんじゃないです。センパ………」
「カ・エ・ル!」
「あ〜。知りませんよ〜ミー達なにも」
誤魔化しきることのできない挙動で、わざとらしくフランは天井の方へと目を逸らした。
「そう? お茶どうぞ」
「サンキューオカマ」
「それで、どんな泥棒さんが来たのかしら?」
「え〜っと〜ミンクみたいな前髪のとても憎たらしいヤツです」
ベルの方をちらちらと見ながら、フランはルッスーリアと目を合わせないようにしている。
「ちげーし、カエルみたいなものすっげかわいげねーのだし」
ベルもベルで顔は動かさないように目だけをフランの方へと微かに向けた。
「ミーはカエルじゃないので〜」
「うふふ」
「なに笑ってんですかー? きもいんですけどー」
「泥棒さん達はお腹いっぱいになったのかしらと思って」
「ミーまだペコペコですー。なにも食べてないのでー」
「あんだけ食ってんのに?」
結局二人は約束もままならず喧しい言い争いを繰り広げ始めた。
「あれべつばらなんでー」
「べつばらって食った後のだし」
咎めるでもなくキッチンへと入って行ったルッスーリアは、二人の分の夕食を温め直し始めた。
リビングのソファに腰を下ろしたベルは淹れてあった緑茶をすすり、フランはテレビの電源を入れる。
窓の外で白月は氷のように光っていたが、その後は誰もそれを気に留めることはなかった。
(おわる)
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