空白より

 唯々黙して二人はノートの空白を眺めている。


 少女の目の前へととどこからかドングリが転がって来た。
 次いで浮かび上がって来たのは灰茶のネズミだったが、はっきりと種類までは断定出来ない生き物だった。
 しかしくるくるとした素早く落ち着きのない動作はネズミに他ならなかった。
 だが臆病さもなく自分をじっと見下ろしている少女を恐れて逃げることもせず、見付けたドングリを頬の袋へと貯めた。
 幼い少女が物音に驚いた時に、幻覚の影も一鳴きして消えた。
 ノートの隅に時折現れる幻には触れられたし、疑問に思わず一緒に遊んだりもしたのを思い出した。
 遠い昔はまだなにもかもが不明瞭で、くっきりとした境界もなく、フランとそれらを隔てる物がなかった。
 どうにか調節して自分の意志で出さなくなったのは、それから大分経ってからだ。
 苦もなく扱かうことが出来たのは、それよりももっと経ってからだった。

 始めて幻が出て来たのは一体いつのことだったろうかと、フランはぼんやりと考えた。
 だが物心が付いた時には既に、自分の周囲を様々な目視できる幻覚が取り囲んでいたのに気付き、考えるのを止めた。
 白いノートの上に、あの日のようにホログラムよりももっと鮮明な実像が浮かぶ。
 それは形も疎らな毛の色も単なるネズミではなく、はっきりとしたヒメネズミだった。
 小さなヒメネズミはきょろきょろと落ち着きなく、辺りに引き出された木の実をかじる。
 同じようにノートの白い部分を眺めていたベルが顔を上げた。
「なー、なんでこっちなんも出てこねーの? オレミンク出したいんだけど」
 彼の眺めていた空白には何も浮かんでは来なかった。
「センパイの集中力が足んないか、ソシツがゼロだからですねー。ミンクなら匣から出した方が早いと思うんですが」
「お前に出来て王子にできねとかなくね?」
「そうは言っても、出ないものは出ないんだからしかたないじゃないですかー」
 フランがベルと話をする間も、ヒメネズミは消えることなく小さな声で喚いている。
 ダイニングで飲み物を探していたフランを忽然と呼び止め、「お前に出来んならオレにも出来んじゃね?」とほざいた先輩を見て後輩は呆れていた。
「だからそんなカンタンなものじゃないんですって」
「なんかコツとかあんだろ? 教えろ」
 さほど幻術に興味があったわけでもないのに、彼は単に時間を過ごすだけのためにしつこく食い下がる。
「コツですかー? 特にないですねー。センパイ才能ないんですよ。諦めてください」
「カエルにあって王子に才能ナイとかねーから!」
「……………。なくたっていいじゃないですか」
 何を思ったのか不機嫌な目をして、フランはベルから目を逸らして床を見た。
「お前幻術使いたくねーの?」
「べつにそんなことはないですが、ただ」
「なんかした?」
「なんもしないですよ。ただもっと他に違う能力があって、そっちができたらどうなってたのかなと思ったり思わなかったり。そしたらーもっと…。いやなんでもないです」
「なー、カエル」
「はいー」
「ナイフ投げやりてーか?」
 椅子から立ち上がりながら、指の間に一本、二本と銀のナイフを挟めてゆく。
「べつにやりたくないですがー」
「教えてやるよ」
「特にやりたくね〜って言ってんだろ〜が〜、理解力ゼロのバカ王子〜」
「いいから、やれよ」
「でえっ!」
 ベルの投げたナイフは空中で派手なロケット花火のような軌道を描き、フランへと急所を外して背中からざっくりと的確に当たる。
「すげえだろ?」
「なんなんですか〜」
「いーから投げろ」
「…………。的とか狙うものが必要な気がするのでセンパイの心臓狙いますー」
 自分の背中のナイフを引っこ抜いて構えると、フランは少し距離を取ってベルへ向いた。
「てんめー!」
「それじゃ行きますんでー」
 投げたナイフはしかしフランの方へと逆に宙で回転して床に落ち、ベルの元へはさっぱり届かなかった。
「ノーコン」
「ミーにとってナイフは投げるモノじゃありませんのでー。でも思ってたより投げ辛いですねー、そのナイフ」
 思い切って振り被ったが、特殊な形状をしたナイフは見た目よりも遥かに扱いが難しかった。
 背中に刺さったナイフを次々に抜いては折り曲げて捨てる。
「曲げんな! そして捨てんな! これ王子が王子のために注文した特殊なナイフだから。………オレナイフ投げけっこーれんしゅーしたぜ?」
「はあ」
「お前は幻術練習しなくてもできたのかよ?」
「しましたが」
「じゃあ案外好きなんじゃね? それ」
「はあ」
「天才の王子が、なんでナイフ投げなんか練習してっかわかる?」
「殺戮が大好きだからじゃないですかー?」
「わかってんじゃん、カエル」
「いや、さっぱりですねー」
「オレは上手く人殺してーからナイフ投げれんしゅーしてんだよ。お前だってそうだろ?」
「センパイみたいな非常識な人ならともかく、そこまでたくさん殺したくもないんですがー」
「そういうコトじゃねっての。幻術上手くなりたかったんだろ? お前」
「センパイにとってはナイフ上手く投げんのと人殺すのはイコールですか? かもですねー、幻術使えるといいなと思ったので練習しましたよ。ミーは魔法は使えなかったので」
「なら、それいじょー向いてるものとかねえだろ?」
「そうなんですかねー」
「じゃね? 王子の言うことに間違いとかねーもん」
「………………ですねー。きっと。続きやりましょうよー」
「あーもーやめるわ。なんかこれつまんねーし」
「そうですかー? けっこう面白いんですよー」
 落ち着きなく首を回して毛繕いをしているヒメネズミを消した。
 フランはそうして幻術で創ったベルのナイフを空に浮かせ、そのまま一斉に攻撃を仕掛ける。
「バーカ、かえりうちしてやるよ」
 有幻覚で創られた幾本もの凶器を、彼は一本残らずに正確に撃ち落とした。
 部屋のあちこちへと飛び散った幻覚のナイフは、大理石の床へと当たって砕けて消えた。
 本物のナイフはワイヤーに寄って操作され、またカエルの頭を目がけて向きを変える。
 ベルの放ったナイフを、フランは素早いような緩いような動作でテーブルの下へと潜ってかわした。
「でっ!」
 変化した軌道で避けるのが間に合わなかったナイフはカエルの頭へと突き刺さって、さっくりと音がする。
 頭に直接当たったわけでもないのに、痛みを感じたフランは悲鳴を上げた。
 傷だらけのダイニングのテーブルにもナイフが刺さり、また更に傷が深くなってゆく。
 そんな遊びにも彼等は直に飽きてしまう。
 そうして冷蔵庫の中から取り出した牛乳の瓶とおやつを手にして、再びテーブルへと着いた。
 喉が渇いてたのを思い出し、フランは一息に牛乳を飲み干す。
 ベルはバームクーヘンを外側から剥がして遊び始めた。
 フランが何気なく置いてあったノートの空白を見ると、現れたヒメネズミが今度は甲高く鳴いて消えた。
 かじられて端の歪になったドングリだけがそこに残っている。


(おわる)



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