キラキラシール
斜めから当たる夕陽の中で、ミンクを腹へと乗せたベルはひと眠りして庭で時間を潰していた。
夕暮れにはそろそろと暗い影も落ちていて、少しの寒気を感じて庭のベンチから身を起こす。
「…………カエル。なんだそのかっこ?」
そうしてとぼとぼと遠くから歩いて来た恰好の暇潰しが、背中に背負っていた大荷物へと見えない目を丸めた。
「夜になったら、あの山の向こうからヤツが来るんですよー」
後ろを振り返ったフランは聳えた大山を睨み付けて、いつになく真剣な眼差しをした。
「?」
「なんでー、ミーはここ出て行きます。そんじゃー」
そうして最後になるだろう別れの挨拶をして、そこを立ち去ろうと踵を門の方へと向ける。
「あ、おい。ちょっ、どこ行くんだっての」
話が全く見えてこなかったが簡単に出て行かせるわけもなく、飛び起きたベルはフランのリュックを掴む。背中を引っ掴まれてフランは一瞬だけ首を後ろに引き攣らせて動きを止めた。
「止めないでください〜。あいつにさらわれるの嫌なんでー」
「なに言ってんの? お前」
「…………センパイ知らないんですかー? ハロウィンにはカボチャのおばけが来て、いい子をさらっていくんですよー。そんでもってカボチャにされて、召し使いにされるんです。ミーはいい子なので、逃げないとダメじゃないですかー?」
「んだその適当なイベント。おめーなんかさらーヤツいねーし。ハロウィンはそんな日じゃねえし」
「ミー人攫いにあってここに来ましたよ?」
「そりゃ幻術がつかえっからだろ?」
「あ〜、センパイ、幻術だけが目当てだったんですかー?」
「たりめーだ、バカ」
「ふーん、そうですかぁ〜」
丸いような三角なように眇めた眼差しをベルへと向けて面白くなさそうにしている。
「なんだよ? 語尾の伸ばし方いつもとちがくね?」
「いえ〜べつにちがってませんがぁ〜」
そうして右足の爪先で庭に落ちていた小石を蹴った。
石ころは夕陽に光りながら転がって枯れていた草叢へと消えた。
「なんか怒ってんの?」
「怒ってません〜」
「怒ってんだろ? なんだよ」
「ミーが」
腕を掴まれて漸く面白くはなさそうにフランはベルの方を振り返った。
「ああ」
「幻術出来なかったら、センパイが人攫いしたのは違う人なんですねぇ〜」
「…………? どした? それが」
「いいえぇ〜、幻術なんて使えない方がよかったなぁ〜と思いましてぇ〜」
伏せた眼を地面へ向けてフランはベルを避けた。
無表情な顔の中にもどこかムッとした怒りが見てとれる。
「そのみょーな伸ばし方やめろっての」
「や〜め〜ま〜せ〜ん〜」
頬を膨らませてむくれたフランの腕を離して、ベルはポケットに突っ込んでからまた手の平を差し出した。
「うるせえし。ほら、これやっから」
取り出されたのは買い置きしてあった駄菓子のチョコスナックだった。
「そんなんじゃ、騙されませんよー。ミーは」
「あ、そ。んじゃオレ一人で食ーべよっと」
袋を引き破って中身の菓子を見せびらかした。
「あ、あ〜」
「欲しいの?」
「………ちょっとだけならもらってもいいかなーって」
「んじゃすねない?」
「すねてないので」
半分に割ったチョコが挟まれたスナック菓子をベルは手を出したフランに渡した。
「ありがとうございますー。…………うわーっ、そのシール! それもくださいー」
何かを見て取り、ベルが持て余していたスナック菓子に否応なしに付属してくるシールへと手を伸ばす。
「ほら」
シールを台紙から剥がすと、カエルの頭へと貼り付けた。
「あ〜っ、なんてことすんですか〜。これキラキラのレアシールなのに〜。使わないでとっとくつもりだったんですけど〜」
貼られたシールへと手を伸ばし、口惜しそうに迫力のない瞳でベルを睨む。
「んなの自分で買って集めろよ」
「………ミーもうこれ五十個入りを二箱も大人買いしてんですよー。今月のおこづかいはたいちゃいましたよ〜。それでも一枚も入ってなかったんですが〜」
「そんな買ってあたんねーとか。ししっ、運わりー」
「なんでセンパイのには入ってるんですか〜?」
「そりゃオレが王子だからに決まってんだろ?」
愉快そうに嘲笑ったベルを面白くなさそうにフランは見詰めた。
「ふー。それにしてもハロウィンってこわいイベントですよねー」
そうして不満な話題を変えて視点も明後日の方へと向ける。
「そんな行事じゃねえし」
「センパイ悪い子だからでっかいカボチャは来たことなかったんですかねー?」
「来ねえよ。どうやって歩くんだよカボチャが」
「ミーのとこには来たことあるのでー。あいつ転がってましたよ。ミーがよい子なのでって師匠は言ってました。幻術で危うく難を逃れましたが」
「お前はいい子じゃねえから、かつがれたんだろ。来んのはカボチャじゃねえっての」
「んじゃなにが来るんですかー?」
「来たぜ」
含み笑いをすると答えずに門の方を見た。
釣られてフランもそっちを見たが、門番が門を開いたのを機に一台のバスが入って来ただけだった。
「……………バスですねー」
「あれの中身」
「おばけー? ですかねー」
ベルの指が示した先へと目を向けると黒いマントを頭から被った小さなおばけや、小さな魔女や小さな小さな黒猫やらがいた。
バスから次々と降りて来たのは小さな異形の生き物達だった。
「お菓子くれないと、いたずらするよ!」
いきなり駆け寄って来て、口々に菓子を要求する仮装したこども達にフランは首を傾げている。
「ありませんのでー」
自分よりも小さなこどもの頭を指の先で小突いて近付けないようにした。
「叩くな。ほら、これ」
困惑している所へベルがいくつかの駄菓子をまたどこかから捜し出して、フランへと差し出した。
「? ミーにくれるんですか?」
「おめーのじゃねえよ。ガキどもにくばんだっての」
「なんだ。あげたくないですけどどうぞー」
「ありがとう!」
「ハロウィンおめでと」
「……………おめでとうございます〜」
何もめでたいことなど一つもなかったが、意味も理由も解らずにベルがこども達に菓子を配りながら挨拶をするのを真似る。
やがて小さな塊は彼らを通り過ぎ、次の標的を目指して走り始めた。
「なんでセンパイがこんなことしてんですかー?」
「ハロウィンだからだろ?」
「なんであんなにちびなこども達がいるんですか〜?」
「隊員のガキ呼んだんじゃね?」
「わかりました、わかりましたー。つまりハロウィンってのは、センパイがちょっとだけいい生き物になるそんな陽気な祭りなんですね?」
「生き物いうな」
「…………。センパーイ、お菓子くれないとイタズラします。ミンクに」
ベルの肩から嫌がるミンクを無理矢理に引き剥がし、両手で抱え持った。
「なに、それ。きょーはく?」
「まゆ毛かきますので〜、マジックの太い方で」
「さっきお前にはやったし。だいたいお前仮装とかしてねえじゃん」
「食べかけのでしたね〜。仮装はこれです、カエルです」
「それ日用品だから。食いかけじゃねえだろ。はんぶんこしただけで」
「シールも使われちゃったので〜」
カエルの額に貼られていたシールへと手を伸ばして擦った。
至極残念極まりないという顔を向けたその隙に、ミンクはフランの手をすり抜けてベルの肩へとよじ登った。
「………。ほら、もいっこ残ってたのやっから。こんだけな」
暫くは唖然とフランを眺めていたベルだったが、もう一度ポケットを探って出て来た菓子をフランへと放った。
「サンキューでーす」
「ん」
「はい、センパイもどうぞー」
袋を開いてまた歪に割ったさっきと同じスナックがベルへと差し出された。
「ん、ああ」
半分のスナックをベルは一口で食べ切った。
「おー。おおーっ。おおおー。あたっ………たー」
袋に残っていたシールをうっすらと目を開きながらそろそろと取り出していたフランは、途中で珍しく大きな声を上げた。
「なんだよ?」
大仰に目を見開いて息を飲んで驚いているフランへとベルは目を向けた。
差し出されたシールは、カエルに貼られたシールよりも一際虹色に煌めいている。
「とってもキチョーなヤツなんですよ、これ」
本当に微かにだけベルの方へ向けてから、大事にポケットへとシールをしまう。
「もちっとよく見せろ」
「ダメです。センパイはがすから」
「はがさねえし」
「見せびらかしタイムはもう終了しましたので〜」
フランが手にしていたスナックをパリパリかじると、食べ切れなかったカスがポロポロと地面へ落ちた。
「ぜんぜんうらやましくねえんだけど? あ、そいやさ」
「なんすかー?」
「死なねえコーハイみっけんのくろーしたぜ?」
「…………もしかして候補者みんな殺しちゃったんですかー?」
問い掛けにベルは答えずにただ笑っただけだった。
もう一度カエルの額に貼られていたシールを指の腹で撫で付けて、剥がれないようにした。
瞬く間に過ぎたハロウィンの一日に結局カボチャは訪れなかった。
無事に一日を暮らせたのに安堵したフランは、寝る前にまたシールを取り出して眺めると至福の深呼吸をした。
「なあ、カエル」
「なんですかー?」
数日の後の朝に痺れを切らしたベルがフランを呼び止めた。
「いいかげんそのシール剥がせよ」
「剥がしません。貴重なシールでもったいないのでー」
彼等は結局それから幾日も、カエルにキラキラしたシールが輝いたまま日々を過ごした。
透明な空気は殊更に透明になって、その内に頬に触れれば切れる程に鋭い冷たさになって行った。
(おわる)
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