それから市場で起こる些末な齟齬


 フランが出掛けに叩いてきた扉の内側の部屋には誰もおらず返事はなかった。
 だからしかたなしにではないが、一人で徒歩で市場へと赴いた。
 澱む曇り空から雨は何時まで経っても降りそうで降らない。

 昨夜の晩餐に手を付けながら、ベルがフランに翌日の休暇の予定を訊いた。
 だがどことなく有耶無耶に茶を濁され、誤魔化されたまま会話は打ち切られた。
 昼頃になって漸く起きると、食事も摂らずにベルは出張先のホテルを抜け出した。

 昼過ぎに市場の東口に着いた少女は、そこから西へ数えて二つ目の小径へと歩を進めた。
 半円形の噴水のある半円形の広場までは、寄り道をするからまだ少し遠い。
 小径の入口付近にある雑貨屋に惹かれて中へと立ち寄った。

 それよりも少し前の時刻に、反対側の西の入口に金の髪の青年が通りがかった。
 何の荷物も携えることなく人目を避けて、彼は裏通りの小さな鍛冶屋へと差し掛かる。
 数本の半分に折られたナイフを取り出すと、店主と事細かな会話を交わしてから預けた。

 赤いグラシン紙の封筒に入れられたポストカードを、雑貨屋から出た少女は鞄に入れた。
 がやがやした通りへは、服を売る店や靴を売る店や小物を売る店が立ち並ぶ。
 物珍しそうに一つ一つをじっくりと、或いは気軽に眺めてからその場を立ち去った。

 店を出て進んだ十字路を右手に折れると、そこから先はうらぶれた街がある。
 青年の目に映る街並みは、何時もどこかが少しずつ歪曲しているようだった。
 それと等しく彼等の進む十字路は少しずつ歪で斜めに曲がっている。

 目的の曲がり角に着いた所で今度は少女は左へと足を向けた。
 通りは旧くに発行された本から新しく刊行されたものまで、様々なインクの香りが充ちていた。
 異国で昔に売られていた雑誌を運よく手にして、彼女はいそいそとレジへと向かう。

 行く先々で屍と出くわすことの多い青年ではあるが、意図的にそうはしないこともあった。
 原色のカエルのぬいぐるみを目にした彼は、今日はまだ死体を見ていないのを思い出した。
 そこで迷いもせずに全く不必要な出費をしたのを、取り立てて後悔もせずに鼻歌を歌う。

 糸を通した麦藁で作った、幾何学模様の飾り気のないモビールが軒先に下がっている。
 当面の暇潰しにと幾つか飾られていた見本を熟考して、それの制作キットを一つ手にした。
 度を越した暇さで後輩を虐げるのだけが生き甲斐の先輩の為にも、彼女はもう一つ手に取った。

 赤いカシスとレモン色のシトラス、メロンはカエル色でソーダは青く桃は大体ピンクだった。
 きつい色合いの菓子を選んで、青年はプラスティックのケースへ入るだけ詰める。
 飴とチョコレートは端が欠けた。ぐにゃぐにゃ折れ曲がった碧のグミを一つ食べた。

 果実を売る店の前では、暗い空から降りた天使の梯子に紅玉が映えた。
 一時だけ射した陽光の眩しさに目を細めながら、新鮮そうな果物を択ぶ。
 店主に頼んでジューサーにかけて貰うと、休憩所の設けられた半円形の広場へと向かった。

 半円形の噴水の近くに季節の花を売るワゴンが出ている。
 噴水を囲んだ広場には食べ物の屋台も並び、人混みが活気付いていた。
 花などはよく知りもしない彼は、カエルというイメージだけを伝えて花束を作らせた。

 広場へと抜けた所で、雲はいつしか晴れて陽光が一際強くなっていた。
 目を留めた少女の碧の瞳に映ったのは、目映いばかりの輝きに満ちた閃光だった。
 それはどこかで見覚えのある形をしていた。いくつかのナイフが空を舞っていた。

 出来上がった花束を受け取ろうとした時に、足元で空気がぶれて青年へとぶつかった。
 気付くとカエルのぬいぐるみの入った袋を奪い、慌てて逃げようとした人影が見えた。
 流石にそこで八つ裂きには出来ず、ナイフを重しにワイヤーを巻き付けて行動を制止した。

「あれー、ベルセンパーイ?」
 不思議そうに眺めていたフランは、その中央にいた人影に目を留めた。
「…………フラン? なにやってんだ?」
 男を二、三度蹴り付けて荷物だけを取り戻すと辺りへ放り出した。
 元より引っ手繰りの雑魚に彼の興味は向いてはいなかった。
「それはこっちのセリフですよー」
「んあ、ちょっとな」
 説明を面倒がってベルは適当に返した。
 煉瓦の雑踏は動かない彼等の隙間を縫って通り過ぎてゆく。
「へー、ちょっとですかー。そんじゃ失礼します」
「なんだよ、まだなんか用でも残ってんのか?」
「もう買い物も終わったので一服ですが」
 買ってきたリンゴのジュースを見せびらかした。
「んじゃ」
「けどー」
「なんだよ」
「センパイ、なんか用事あるから一人で来たんじゃないんですかー? その人」
「も、大体終わったし」
「そーですか」
「んだよ、変なカオ」
「変顔してないですよー」
「…………なあ、もしかして来る前オレの部屋寄った?」
「いいえ、ぜんぜん。センパイなんて思い出さなかったですからー」
「ああっそ。なんだよ、お前も来んなら一緒に来りゃよかったな」
「なら出かける前に一声掛けてくれたらよかったじゃないですかー」
「きのーきいたろ? なんか用事あるっつってたんじゃね?」
「あ〜、そういえばそんなこと訊かれましたっけー? また部屋片付けろとか、洗濯しろとか命令されるのかなーと思ったんですよ」
「勝手に勘違いしてんだろ」
「センパイの日頃の行いがよくないので」
「ヒトのせーにすんな」
「でも一緒に来ても荷物持ちですよねー?」
「おめーなんかに持たせたらかっぱらわれそーだから持たせねーし」
「…………ああ、ひったくりですかー、さっきのヤツ。センパイマヌケですね」
「カエルに言われたかねーよ」
「ミーはひったくられてないので」
「帰るまできづかねえだけじゃね?」
「いーえー。ひったくられませんのでー」
「ししっ、言ってろ。やるよ」
 ベルは笑ってフランへと花束を渡した。
 奇妙な無表情でフランはベルを見たが、そのまま目をうっすらと喜ばせて礼を言った。
 そうして彼等はまた誰の目にも映らないよう気配を消して、街の喧騒へと紛れ込んでしまう。
 広場に設けられた木の椅子とテーブルを使って、彼等も少しの間休憩を取った。

 ホテルへと帰り付くとフランは借りた花瓶に花を活けてから、買い物した中身を丁寧に机の上へと置いていった。
 だが幾ら鞄の中を探っても、ヒーロー、魔女っ子変身ポーズ特集の載った雑誌が入っていないのに漸く気が付いた。
 しかたがないのでヒンメリキットの麦藁へと、糸を通して幾何学模様を作り始めた。
 そんなことをしていると急にドアノブが回って部屋の扉がガタガタと揺すられた。
「なんですかー? 喧しいんですが」
「この雑誌つまんねえんだけど」
 開口一番に出て来た苦情と共に差し出されたのは、フランが古本屋で見付けた旧い雑誌だ。
「つまんねえじゃないですよー。なんでセンパイが持ってんですか、それ」
「おめーのバッグからひったくったからに決まってんだろ?」
「う〜わ〜、ついにドロボーまで始めたんですかー」
「ぜってー盗られねっつってたのどこのどいつだよ」
「まさかこんなに身近に犯人いると思いませんでしたよ」
「なんだよ、この本」
「見ればわかるじゃないですか。開匣ポーズの研究ですよ。センパイも一緒にどうですかー?」
「ポーズとかいんねえし。無益なことすんな」
「あった方がかっこいいと思うんだけどなー。ま、どうぞー」
 呟きながらぱらぱらとページを捲って、歩いて移動しながら記事を読み込むのに没頭し始めた。
 ベルもフランの部屋へと入り、持って来たプラスチックの器から菓子を取り出して食べながら、やりかけの幾何学模様の続きを勝手に作り始める。


(おわる)



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