非忘却ボーダー

　彼等を待ち受けていた正常な未来によって、二人の元から二つだった帰路は完全に二つに分かたれた。
「無事終わってよかったですねー」
　同意を求めていた会話の最後に、フランは隣を見ようともせずにいた。
　斜め上に向いたカエルも惚けたままで、それすらもベルを気には留めていない。
「あー」
　彼もまた興味など持ってはいなかったようにただ相槌だけを打っている。
「おチビさん、行きますよ」
　平和があった頃のような世界が帰って来て、それでも困惑と安堵の入り乱れている漫ろな集団があった。
　十年前への見送りを済ませようと、彼らもまたそれへ続いて動き始める。
「はーい。……ミー行きますねー」
　細長い青年に呼ばれ、依然としてカエルの頭を被らされたこどもも、ひょいひょいとそこを去ろうとした。
「フランっ、待て」
　遠ざかろうとしたのを無言で見送れず、ベルは大きな声でフランを呼び止める。
「…………センパイ……どうかしましたかー？」
　まだ声が届く距離にいたフランが振り向くとベルと目があったような気がした。
　然しベルの視線は実際にはそれよりももっと後ろへと向けられていた。
「…………先に行っています」
　一瞬だけ骸は確実に前髪に隠れた瞳と視線が合ったのを認識した。
　然し王子を必要以上に警戒はせずに弟子だけを残し、彼は分身の役割を果たしていた少女を探すのにその場を去る。
「わかりましたー、師匠」
「…………オレさ、お前のこと」
「………なん、ですかー？」
「かわいげなくてバカでチビでカエルで、どーしょうもなくムカつくコーハイだと思ってた。ししっ」
「知ってましたけど〜？　というかカエルはセンパイのせいですよー？　…………なんで今そんなこと言うんだよ〜、クソ王子〜。ミーだってセンパイなんか、意地わるくて人でなしでハゲチャビンの、どうにも救いようのない堕王子だと思ってました〜」
「ハゲチャビンじゃねえし！　ふさふさしてんだけど？」
「ミーはそんなものに惑わされませんので〜」
　細めた瞳で疑惑を深めてベルの頭を不穏にまざまざと下から眺めている。
「クソガエル！　人にヅラ疑惑かけんじゃねえ！」
「ほんとにタダの疑惑ですか〜？　師匠のパイナッポー頭とおんなじくらい怪しいですよねー」
　微かな横目で後ろを気にしながら、フランはいなくなった師へも悪態を吐いた。
「………誰がヅラだと言うんですか！　失敬なおチビですね、お前ときたら」
　見えなくなっていた影は耳聡く聴き付けた暴言に素早く戻っていた。
「ゲロっ！　一々それ刺さないでくださいよー」
　出来の悪い弟子をを槍で突き刺してから、骸は待っていた犬と千種がいた方へと踵を返してゆく。
　その間に一度だけ後ろを振り返ったが、やはり何も言わずにカエルの頭を見ただけだった。
「今言わなかったら一生言えなくなんじゃん？　おめーがかわいくねえって」
「一生心にしまっておいてくださーい」
「いや言っとかねえと気がすまねえから。王子として」
「意味わかんないんでー」
「フラン」
「はーい？　なんでしょうー？」
「お前がすげえかわいくねえコーハイだったって、オレいっしょー忘れらんねえから」
「ミーだって、ミーだってですねー」
「なんだよ」
「センパイが堕王子で世界で一番嫌なセンパイで、カエルがボロボロになるまでナイフ刺されたの忘れないのでー」
　途端に被っていた帽子が可哀想になったフランは、幾度も幾度も別れを惜しんで頭のカエルを撫でてやる。
「ああ。忘れんな」
「忘れませんよー」
「んじゃーな」
　ベルは後輩へ軽く手を振ると易々と長いブーツを伸ばして歩き出す。
「さよなら、センパイ」
　その先輩の後を追い、短いブーツを伸ばしてフランも同じ方向へと歩き始める。
「……なんでついてくんの？」
「ミーは十年前の人達の見送りにいくとこですー。センパイこそなんでそっち行くんですかー？」
「……決まってんじゃん？　マーモンむかえ行くに」
「……ついてこないでくださーい。付きまとい行為が不快ですー」
「こっちのセリフだっての！」
　別れの挨拶を済ませたものの、結局は見送りと出迎えの場まで愚痴愚痴と言い合いをしながら行動を共にした。
　短い距離で僅かな間ばかり、ベルは宙へと彷徨わされていた覚束ない指先へ触れる。
　冷たい温度や、乾いた湿度や、ごつごつした感触すら忘れることが出来ないように、フランは触れて来た指をきつく強く握り返す。
　いつかどこかでやり直される歴史は、手に負えない程の深い溝で二人の未来と過去の行く手を阻む。
　そしてもう彼等がいたはずのその時のその場所には誰もおらず、静かな日差しが木々の影を作っているだけだった。
　昼間でも忙しなく草叢を啄ばむ鳥は鳴いて、微風が通りすがる度に地面から羽ばたいている。

（おわる）