ある過去の水曜日にあった平和


 空がまぶしい。
 窓を開けた時に彼はぼんやりとそんな風に思い、今日は一日何をして暇を潰そうかと考えた。
 方法もなく手段もなく、唯一と言っていい程の友人は今日入るはずの大金を数えるのに忙しなくしていた。
 だから彼は暇を持て余してふらりと表へと出た。
 咎められもしたし詮索もされたが、意には介さずに外への道を通った。
 日々常に彼の通った跡には屍が増えてゆくばかりだった。


 それからの彼の動向は簡潔なもので、人が多く集まる場所で都合の良い獲物を狙うのに、待ち惚けていたに過ぎない。
 出来る限り跡に残さず、気配を消して、狩る甲斐のある獲物を品定めする。
 極力気配は失くしていたが、もしも誰かの記憶に残ったとしても、そんなものは消してしまえば良いだけだった。
 だが思うようには見つからずに、一休みするのに適当な場所を探した。
『なぁガキ。んなとこでなにしてんの?』
『?』
 座ろうとしたベンチに、年端もいかないこどもがいたのにふと気付いて声をかけた。
『ムシかよ』
 しかし返答はなく、こどもはただ黙って大きな空を眺め始めた。
 空は表面的には何の問題もないように青く澄み渡っている。
 気にせずそのベンチの反対の端へと座った少年は、家を出て来た遥かな昔をなんとなく思い出した。
『どっから来たの?』
『…………――――――――?」
 聴こえてはいるようだがこどもはやはり首を傾げて、何事かを述べた。
 少女から発せられた言語は、彼が話した言葉とは違っていて、彼は漸く自分の犯していた間違いに気付いた。
 彼女が話した言葉をなんとなく解して、少年は見当を付けた幾つかの言語で挨拶をする。
 何度目かの挨拶に漸く返った返事に、彼はしししっと口元だけで笑った。
「お前こんなとこで一人でなにやってんの?」
 同じ質問を違う言葉を使ってまた尋ね直した。
「えーと、こういうときはですねー…。知らない人に話しかけられても返事しちゃダメって言われてますのでー」
 彼の問いを理解した少女は、今度はすらすらと話し始めた。
「はあ゛?」
「あんたは知らない人なので、返事できませんのでー」
 しかし返った言葉はとてつもなく愛想もなく、面白くも可愛げもない答えだった。
「殺し甲斐なさそなパンピーのガキなんか相手にしねぇよ」
「ミーは殺されるんですかー?」
 しゅんと不安そうな顔をして少年の方を向いた。
「殺さねっつってんの。お前王子の話聴いてる?」
「おうじ?」
「そ、オレ王子」
「………う〜わ〜。この人自分で王子とか言っちゃってるよ〜。今時王子になんか憧れないんですがー。そんなこと言って連れ去ろうとしてもムダですのでー」
「憧れさせようとして言ってるワケじゃねーし! オレほんとに王子なんだからしょうがねえだろ! 誘拐なんてめんどくせぇのしねえし。なあ、お前名前は?」
「名前言って身代金とかを要求されると困るので言えませんー」
「………………。クソガキっ! あ、頭ミドリだしカエルでいっか」
「嫌ですー」
「なぁカエル、お前こんなとこでぼっちかよ。つか、こんな言葉もわかんねぇとこでなにやってんだ?」
「……何って観光ですよー」
「へー」
「ほっといてくださいー。ミー今は一人になりたいのでー」
「ナマイキに家出でもしてきたのかよ」
「そういうんじゃないんでー」
「………………。お前さ、もしかして迷子?」
「違いますー。ちょっと散歩に来たら帰り道わかんなくなっちゃっただけですー」
「そいうの迷子じゃね?」
「違いますー」
 一拍置いて少女の目元からは涙が溢れ出して来た。
「おい、泣くなよ」
 一応は焦って慰めるように声を掛けた。
「泣いてないですー」
「迷子だって認めんなら帰るトコいっしょに探してやってもいーぜ」
「迷ってないです」
「かわいくねーし。どっちから来たの?」
「それが判るんなら、あんたみたいな人に会う前にとっくに帰ってるんですがー」
「人がシンセツに帰り道探してやろーとしてんのに、んだそのカワイクねー態度は?」
 親切など名ばかりで、実の所彼は格好の暇潰しになる材料を見付けたに過ぎなかった。
「シンセツの押し売りとかありがた迷惑ですからー」
 幼いながらに少年の欺瞞を感じ取ったのか、胡散臭い物を眺める目付きに目を眇めて少女は迷惑がった。
「マジでなんなのこのガキ」
「ですからもうほっといてくださってけっこうですのでー」
「言葉判んねえクセにどすんだ?」
「なんとかなりますよー」
「へー。お前が話してる言葉、けっこう特殊なトコんだろ? この辺りに知ってるやついねぇとおもーけど?」
「………ぐず〜っ」
 鼻を啜って碧の髪の少女は下を向いた。
「迷子じゃねーなら一人で帰れんな? オレ行くわ。んじゃな」
 立ち上がって追い討ちを掛ける言葉だけを残して、その場を去ろうとした。
「あ〜待ってくださいよ〜。………迷子です〜。見ればわかるじゃないですか〜?」
「ひらきなおり? マジでムカつくんだけど」
「帰り道探してくれるんですよねー?」
「お前がガキじゃなかったら即殺してんのに」
「殺せるもんなら殺したらいいじゃないですかー。でもその前にミーもあんた殺しますからー」
「王子殺れんの? お前みてえなガキに? ムリムリ。ガキなんか殺ったらめんどくせぇことになんじゃん? 殺したってテゴタエなくてつまんねーし、引ん剥いたってたのしくもねーし」
 気概を見せた少女へとひらひらと手を振って軽くあしらった。
「…………あんたホントに王子なんですか〜? 王子ってもっとかっこいい生き物だと思うんですが〜?」
「かっけーのが王子なら、オレまぎれもなく王子じゃね」
「それ笑うとこですねー?」
「わらーな」
 無表情ではあったが少年と会ってから始めて幼い少女は目元を綻ばせた。
「ハラ減ってんのか?」
「朝ごはん食べる前に出て来たのでー」
 緊迫感もなくぎゅるぎゅると鳴った腹の音を止めるように、ぎゅうっと腹部を押さえている。
「来い」
「どこ行くんですかー?」
「いいトコ♪」
「ほんとですかー?」
 歩いて数分もすると、商店街にある黄色い看板のコンビニへと辿り着いた。
 店内には整然とたくさんの品物が並べられ、少女は目をぱちぱちと不思議そうにさせた。
「食いてえのえらべ」
「でもー。ここってお店ですよねー?」
「どした?」
「ミーはいいですー」
「なんで?」
「お金ありませんのでー」
「あ、そ」
 関心もないように彼はぞんざいにカゴへと、適当に食料と飲料を放り込んでゆく。
 レジを済ませていっぱいに食べ物が詰まった袋を抱えて、片手でまた少女の手を引くとコンビニを出た。
 正午の鐘が鳴って暫くが過ぎた元の公園に引き返すと、誰も人がいなくなっていた。
 先程まで離れて座っていたベンチに、今度は距離を詰めて二人は腰を下ろした。
「これお前のノルマね。食わなかったら八つ裂きだから」
 そうして大雑把に選んだ菓子パンと、ブリックパックの牛乳を少女へと渡した。
「…………じゃあしかたないから食べます。王子って一部だけ本物の王子っぽいですねー。全体的に見るとさっぱり違いますが。ありがとうございます」
「メシ食う時は、『いただきます』、な?」
『いただきますー』
 食べ始めようとはしたものの、袋の開け方も牛乳パックのストローの差し方も知らずに手を止めた。
 少年はその都度手を添えて食べ方を指示してやった。


「ミーの住んでるトコにもアレありますよー」
 二人が簡素な食事を終えたか終えなかったかぐらいの頃に、もじゃもじゃ頭と丸い頭にみつあみのこどもが二人でやって来て、園内の遊具で遊び始めた。
「ブランコ?」
 二つあったブランコのそれぞれに座って漕ぎ始めた。
 少女は彼等が遊ぶのをじっと眺めている。
「やりてーの?」
「あんなガキのお遊びなんてべつにキョウミないのでー」
 そう言いながらとてつもなく羨ましそうな眼差しでそっちの方を見続けた。
「おめぇもガキだし」
 嘲笑って少女を一人ベンチへ残して立ち上がった。
『なあな、ちょっとそれオレにも貸して』
 そうしてブランコを勢いよく漕いでいたもじゃもじゃ頭の子へと声を掛けた。
『えー。じゃランボさんにブドウのあめ玉ちょうだい!』
 ぴたっと上手く止まると、牛柄のツナギを着たこどもは打算的な取引を持ち掛けた。
『〜〜〜、〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!』
 みつあみのこどもはずけずけと菓子を要求したのを嗜めていたようだ。
『あめねーけど、これやるよ』
 どこからか駄菓子の袋を大雑把に取り出して渡した。
『あー、これ知ってる! くちん中でパチパチってなんのだ! 前にねぇツナがねぇ、おみやげってくれたんだー。うーん、これでもいーよ!』
『そか。これも付けてやる。………はいよ』
 もう一人のこどもへと向いて駄菓子をまた一つ差し出した。
『〜〜〜〜〜〜』
 だが首と手を振って遠慮を示し受け取ろうとはしない。
『毒とか入ってねーし』
『〜〜〜!』
『イーピンがいらないなら、ランボさんがもらうんだもんね!』
 横から出て来てひょいと金髪の少年の手から菓子を奪った。
『!! 〜〜〜〜〜〜っ!!!』
 咎めたようだが話は聞かれずに、牛の子はガサガサとお菓子の袋を開け始めた。
『ガハハ、お菓子もらっちった!』
『〜〜〜〜〜。謝々!』
 赤い服のこどもが代わりに頭を下げて礼を言った。
 後はこども達は少年を気に留めず一つのブランコへと二人で乗り、口の中へと綿のガムを入れてパチパチさせて遊び始めた。
「カエル、空いてんぞ」
 そうしてブランコの柵に腰を下ろすと、ベンチでぽつんと遣り取りを見ていた少女の方へと手招きをした。
「………ミーガキじゃありませんのでー」
「早く来いよ」
「ガキじゃないですがー、ちょっとならガキじゃないと思うんでー」
 一旦は断ったものの沸いた興味は抑えられずに、結局彼女はブランコの方へと駆け寄ってゆく。


 ブランコが止まった時に隣を見た少女と、みつあみのこどもの目があった。
『〜〜〜〜〜〜〜〜〜? 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜?』
「はいー、そうですねー?」
「言葉わかんの」
「ほら、なんとなくこども同士通じるものあると思うんですよー」
 解るように話していたが、解るつもりでいただけだった。
 みつあみのこどもが尋ねていたのは、お兄さんと一緒に遊びに来たのかと、この辺りに住んでいるのかという、彼女の状況からは概ね外れたものだった。
「なんて訊かれたのか言ってみ?」
「一人で遊びに来たのー? 遠くから来たのかな? って訊かれたんですよー、多分」
「へー」
 双方の言葉を解した少年はにやにやと少女の顔を見て笑う。
「なんですかー?」
 明らかに自分を馬鹿にしている眼差しに怪訝な顔を見せた。
『〜〜〜〜〜〜! 〜〜〜〜〜?』
「アレでですかー? いいですよー。王子も行きましょうよー」
『ランボさんもやる!』
 ジャングルジムを示すこどもに続き、少女もブランコを降りる。
「ガキのお守りなんか冗談じゃねえよ」
 追い立てるように手を振っただけだった。
 互いに言葉は理解していなかったが、なんとなくこども達はジャングルジムで遊び始め、落ち着きなくすべり台へと移動した。
 少年は元のベンチへと戻って暫くはその光景を眺めていた。しかしその内に伸びをして横になると、直に昼寝をし始めた。


 夢のようなものを見ていて、空が眩しいとまた思った所で彼は目が覚めた。
「……………。……あれ? ガキどもは?」
 少女は何をするでもなく、寝ていた少年の頭がある方の端へとちょこんと座っていた。
「こども達のママンが通りがかって一緒に帰りましたよ。アメもらいましたのでー、どうぞ」
 差し出された小さなてのひらにはいくつかの飴が乗っていた。
「オレこれもっらい。あ、そいえばさ」
 その内の一つを適当に取って袋を開くと飴を舐め始めた。
「どうしましたー?」
「さっきの牛柄チビ、どっかで見た気がすんだけどどこだっけ?」
「ミーが知るわけないじゃないですかー?」
「気のせーか。んじゃ、そろそろ行くか」
「行くってどこですかー?」
「コーバン」
「コーバン?」
「お前の来たトコ探してもらーのに」
「あ………、忘れてましたー」
「ノーテンキなもんだなー、おい」
「いいじゃないですかー……………あー」
 少女が声を上げた方向へと少年が目をやると、そこには人のような影があった。
 その人影はまるで霧のように顔も姿も周囲の風景から判別することができなかった。
 空からはうららかな日差しが降り注いで、雲の一片すらも出てはいない。
「知ってるヤツか?」
「ミーの保護者の人っぽいです」
「アレなんか影うすくね? よかったじゃん」
「はいー。あの〜、王子ーとってもサンキューでした」
「んあ。じゃな」
「さようなら〜」
 一度だけ振り返って手を振った少女は霧の翳へと入った。
 瞳を凝らしてみたがあるのは白い闇ばかりで、振り返した自分の手すらも彼には一瞬見えなくなった。
 だが、それはほんの一瞬の間のことで直ぐに霧は晴れて、元の青い光が反射しているだけの景色へと戻ってゆく。
 穏やかな風が吹いたが、それに吹かれて霧散したわけでもないようだ。
 髪を攫おうとする鬱陶しさを避けて、彼も昼前に辿って来た道へと引き返すことにした。


(おわる)



楽天モバイル[UNLIMITが今なら1円] ECナビでポインと Yahoo 楽天 LINEがデータ消費ゼロで月額500円〜!


無料ホームページ 無料のクレジットカード 海外格安航空券 解約手数料0円【あしたでんき】 海外旅行保険が無料! 海外ホテル