七日目の墓碑7 小夜嵐


 小高い丘を紫雲の翳りが過ぎってゆく。
 透明な赤い石の墓碑に記された自分の名前を指でなぞる。
 眺めていても誰かの悪質な悪戯に思え、落胆もなく涙も出ては来ない。
 墓碑の前には同じ色のやはり透明な細長い匣があり、人が一人寝転がっていっぱいになる程の大きさだった。
 雲間から差し込まない薄明かりにすら鈍く輝いている。
 フランのちょうど等身大に伸びた影は、その中へと収まっていた。
「フラン」
 碧の髪を揺らして耳の後ろを色のない風が通る。
 夢か現か判別できない季節は確かにそこにあった。
「もっかいだけチャンスやるよ」
「これ、なんですかー? タイムカプセルですか?」
 振り返ることはせずに唯じっと墓石に書かれた文字へと瞳を向けている。
「ベル殺して来いよ。したら、こっから出してやる」
「だからー、あんたは人の話聞けないんですかー?」
「それ、お前のカンオケ」
「マイカラオケですかー。いくら一人用でも狭いですよねー。これじゃ」
「か・ん・お・け。死体入れとくヤツな」
「へー」
「殺せねえんなら、お前を代わりに連れてくから」
「どこ行けるんですかね?」
「天国♪」
「…………将来的には行くつもりなんですけど、まだもっと先でいいです」
「なんでか知んねーけど、おまえもあいつが憎いんだろ?」
「はい。センパイなんか殺すつもりですよー。でもミーは」
「だったらオレがそれ書き換えてやっからベル殺せ」
「誰の力も借りるつもりないんでー。堕王子殺る時は自力でやります。あんたはミーのセンパイじゃないので、めーれいなんかされる筋合いありませんからー。これもう言い飽きたんですが、これ以上しつこくするなら、センパイより先にアホ兄貴のこと殺しますー」
「ほー、ズイブン大口叩くんじゃね?」
「その程度なら身分相応ですよー」
「できんなら」
「?」
 突然肩を掴まれてフランの体が後ろへと引き摺られた。
「やってみろ」
「えー……?」
 振り返ったフランの真後ろには何時の間にか椅子から立ち上がった王子が立っていた。
「死ねよ」
「っ………げほっ……セ…ンパ……イ…………」
 ジルはフランの喉を手の平で押さえ付けて、首をしめてゆく。
 息苦しさが蔓延して、体内に入る酸素が薄くなってゆくのがわかった。


「…………? フラン?」
 何時頃からか吹き荒れていた風はアジトの壁を酷く打ち付けている。
 隣り合った部屋の方に違和感を感じ、素早く体を跳ね起こして服を着替えるとベルは勢いよく自室を出た。
「カエル、いんのか? カエルっ、カエルっ? ………フランっ!」
 叩けども怒鳴れどもいつもの生意気な返事は戻って来ない。
 扉を開いた隙間から窓枠が叩きつけられる轟音とともに強い風が吹き付けた。水を吸って重くなったカーテンは、それでもはためいている。
 斜めに降りかかった猛雨は、緩んだ窓の鍵を開いて部屋のカーペットまでを水浸しにしている。
「フランっ、どこ行ってんだよ」
 昼間様子を見に来た時は穏やかに眠っていたはずの後輩の影は、すっかり見当たらなくなっていた。
「……………!」
 開いていた窓から見えたのは、向かいの円錐の塔がある建物の屋上へと続く階段を上ってゆくフランだった。
 足取りも覚束ずふらふらとどこをどう通ったのかも定かではない。
 一足を踏み出す毎に、空へと一歩ずつ近付いた。
『そういえば、たまに愚かな術士もいてね。自分の術に気付かない内に嵌まってしまうんだ』
 不意に闇にもう一度いつかの日の思い出が蘇る。
『自身の術に囚われた術士に自力で逃れる手立てはないよ。戻る体が死んでも、魂だけが未来永劫に無限の闇に閉じ込められるのさ』
 雷で出来た幻を見ながら、フランの部屋を飛び出して玄関へと向かう。
『術を解きたいのなら、外側から誰かが手助けするしかない。異物を破壊すれば魂が取り出せるんだ』
 幻覚は消えて辺りにはまた激しい嵐の音だけが反響していた。
「しししっ、マーモン。Sランク二倍の情報料払ってやるよ」
 暴風に横殴って来る雨の中を飛び跳ねて、ベルは向かいの建物の中へと入った。


「カエルっ………!!」
 全速力で息を切らしたベルが辿り着いた時には、寝ながら歩いていたフランは塔の天辺まで差し掛かっていた。
 夢現で竦みもしない、痛みも感じない足で一足一足石段を登り、とうとう物見台まで辿り着いてしまった。
「やめろ。んなの飲み込むな」
 おもむろにカエルの耳から取り出した赤色の石を唇に含む。
 喉を通らない大きさの赤い塊に喘いで、それでもフランは飲み込もうとしていた。
「フランっ」
 迫り出した塔の上で、被り物からはみ出た碧の髪がはためいている。
 雨水を含み、時偶ジグザグに空を縫う光に照らし出されたフランの表情は、薄蒼くいつもよりも死人のように見えた。
「ん〜が〜っ」
 咄嗟にナイフを投げてフランの体へとワイヤーを巻き付けた。
 動きを止めている間にベルは軽く石の階段を跳び越えて、フランの腕を掴む。
「は〜なせ〜え〜っ」
 ベルの手を振り解こうと体全体を揺すって必死で暴れている。
「あばれんな、バカガエル!」
「や〜め〜ろ〜お〜」
 痩身に似つかわしくない強い力を腕に籠めて、ワイヤーを千切ろうとした。
「バイバイ、ジル」
 だがベルはフランが手の平に握っていた石を寸での所で取り上げて、石の床へと打ち付けた。
 嵐の地響きの中へ石の砕け散る音は響き渡らない。
 しかし粉々に割れた石の欠片は二人の足元へと散らばって行った。
「…………? あれ? センパ…イ?」
「よう、おはよ」
「………まだ朝じゃないみたいですがー。こんなとこでなにやってんですか?」
 暗く淀んだ天候の厳しい空へと目をやり、フランは不思議な顔でベルを見詰めた。
「おめーがなっ!」
 あまりの脳天気さに腹を立ててカエルの帽子を殴り付けた。
「いてっ。なんでイキナリ殴んですか? あー、そういえばセンパイ、ヒーローショーにはいつ連れてってくれるんですかね?」
「てんめえ! この状況でもっと他に言うことあんだろっ!」
「なんかありましたっけ? あ、消しゴム返してください。こないだ持ってったやつ」
 一つ一つ丁寧に掠め取られた物を思い出した。
「………。お前なんか永眠させりゃよかった」
「? なんでドサクサに紛れて人を亡き者にしようとしてんすかー? 寝込み襲うのはヒキョーだと思いますー」
「るせっ! オレにカンシャしろ」
「理由がないのでできませんー」
「あるし。………ま、チャラだな? これで」
 自分が渡した石のことを思い出して独り言を呟いた。
「はあー?」
「なんでもねえよ」
 合点が行かない眼差しで自分を見たフランの肩へと回していた腕を、更に強く抱き寄せた。
「センパイ、あの〜」
「ん?」
「息苦しいんでそろそろ離してくださ〜い」
「ダメ」
「あっ。さっき夢で苦しかったのって、センパイのせいですか」
「バーカ、オレが助けてやったんだろ。戻っか。おぶってやるよ」
「? いえ〜けっこうです」
「いーから♪ いーから♪」
「どうしちゃったんですか〜。とてつもなく胡散臭いんですが〜」
 拒否する後輩を無理に背中へと背負って、ベルは元来た階段を下り始めた。
 草臥れ果てながら辿り着いたフランの部屋の寝台へと、一緒になってベルもずぶ濡れのまま潜り込んだ。
 勢いを増して止まない大雨の中で最後に一度落ちた大きな雷を境に、嵐は徐々に終息して行った。
『ただ、それでもね、ベル。一度巣食った術士の闇はそう簡単に消えはしないよ』
 明け方前に景色を霞ませていた霧は上昇した気温で蒸発し、次第に雲も吹き流されて形を変える。
 朝が来た頃には晴れ渡った大空が、キラキラと二人の頬を照らし出していた。


 いつものように昇った太陽は、土に黒い影を落とす。
 早い時間からの任務に着いて、二人は平常と変わらぬようにアジトを出て只管に走る。
 街へと出ると雑踏に紛れられるように、徐々に速度を緩めて歩き始めた。
 行く手の先では遮断機が降りたのを待って、前の方では信号待ちの人々が立ち止まっていた。
『お前もベルを殺してえんだろ?』
「…………そんなのあんたに関係ないじゃないですかー」
『今背中押したらカンタンだろ?』
 誘惑はいつも一時も離れずに嵐の前の静かに奇妙な赤い風に紛れ、フランの耳の奥へと残る。
 前を歩くベルの背を見てフランはふと後ろを振り返るのに立ち止まる。
 だがそこにはやはり色なき風が吹いているだけで、人の姿などありはしない。
「どした?」
「なんでも、ありませーん」
 振り返ったベルに一歩近付いてまた足を止めた。
 立ち止った後輩のいる後方へとベルが放った左手を、フランは右手で拾った。
 見上げた透き通る空の高く澄んだ端は、今日もどこにも見えてはいない。

(おわる)



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