七日目の墓碑5 秋晴れ


 大きな大きな水溜まりだ。
 どこまでも先は見えずに水だけが溜まっている。
 日照雨は時折激しくもなったが、大体は小康状態を保ち、雲間からはしばしば和やかな陽が差した。
 だが水溜まりがいくらひなたで満たされようとも、一向に天候は回復しない。
 底の方までが透き通って、裸足の踝を浸させたまま水は引かずにいる。
 透明に地面を湾曲させた水溜りの中に、水滴はぽつぽつと波紋を作った。
 水色の青さで冷たくはないのに底を見透かせる水に、浅はかにも一匹の蛙が迷い込んだ。
 行き場のない後ろ足が翻ったが、水底の砂は濁水せずに清らかに停滞している。
「夢の中でまでカエルなんか見たくもないんですがー。ハデなカエルですねー」
 ほぼ同色の自分の髪は棚に上げ、鮮烈な蛙の後ろ姿を見送った。
「熱帯に棲んでるやつだろ」
「あれ食べられます?」
 どう見ても毒を持っている蛙へと日頃の意趣返しの意味を込めて呟く。
 蛙は気にも留めずに、次第に姿が見えなくなって行った。
「食えんじゃね? ハラ壊してもしんねえけど」
 海ではない普通の水溜まりには、死んだ海のように唯一本の海藻すら生えてはいない。
 雨はずっと光を伴って降り落ち、水の際を拡げてゆく。
「当てになんないですね。あっ! あのー今日はもう帰りたいんですけど」
 それ以上獲物を追うことはなく、直ぐにそんな蛙がいたのすら忘れてしまった。
 点在しては消えるいくつもの波紋を眺めていたら、フランはふと大事な用件を思い出して慌てて顔を上げた。
「ぜってえダーメ!」
「七時半から見なきゃなんない番組があるんですよー」
「………マジでいつ殺んの?」
「なにをですか?」
「決まってんだろ、ベルだベル」
「…………そんなの訊かれる間でもなくもう決めてますがー。でも終わったらまた相手してあげるんで、とりあえず起きます」
 どうでもよく一方的な指図だったから、約束とは言えなかった。
 一瞬本気で忘れていた顔してそれでも一応は取り繕う。
「せっかくヒトがシンセツにアイツの記憶消してやったってのに」
「あんたのせいですかー? なんか思い出せなかったんですよねー、センパイだけ。おかげで酷い目に遭いましたよ」
 ミンクに燃やされたのを思い出して、表情は変えないまま眉間に皺だけを寄せた。
「どすんだ? 殺せねーんだろ、どうせ」
「いいえー、ミーはいつか必ず絶対何がなんでもセンパイ殺りますよ。だけど今は、そんな茶番に付き合ってる場合じゃないんです。帰りますから」
「ダメっつってんじゃん?」
「いえー帰ります。そんじゃー」
「あっ、おい……っ」
 ジルが引き止めていたのも気に留めず無理矢理に目を覚まし、予定の番組が始まる前なのを確認して胸を撫で下ろした。
 せわせわとリモコンを手にして電源を入れると、録画の設定されていたテレビは自動でチャンネルが合った。
 オープニングの曲を機嫌よく歌い、変身シーンのかけ声に合わせてポーズを決める。
 だが四六時中被っていなければならないカエルがまたその邪魔をし、ポーズは上手く決まらなかった。
 決まらなかったのに焦れて思い切りカエルをひっぱたく。だがびくともせずに憎たらしい瞳でカエルは上の方を眺めている。
 フランは自分に返って来た痛みで涙を流し、続く二つの番組でも似たようにカエルに当たった。
 いつかカエルが脱げる日を夢見て、今週に限らず毎週毎週同じことを繰り返した。
 足りていたに関わらず、不足している気がして、番組が終わると再び寝台で心地よくまどろんだ。
 今度は悪夢は見ずに、カエルを脱いで上手にポーズを決めた、今日の外で晴れ渡る空と同じく幸先のよい夢を見ていた。
「う゛お゛お゛お゛い゛!!! 全員今すぐ緊急集合だああぁ! 十秒以内に来ねえヤツはたたっ斬るぜえぇー」
 しかし突如としてアジト全体に響き渡った、防音効果など物ともしないけたたましい招集の号令で二度目の最悪な目覚めが訪れた。
 瑞夢を邪魔されたのに腹を立て、フランは寝台の上で作戦隊長に対する陰口を叩き始めた。
 それから立て続けに上がった怒声が耳に入らないように手の平で耳たぶを塞ぐ。

(つづく)



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