ブラインドの向こうの夏


 波すら立たない夏の陰影が深くなる穏やかな一日に、突如として現れた女は大時化のように荒くれる。
 爽快な快晴の空と室内の清涼な空気はまじり気もなく澄んでいた。
「ちょっと、なんなのこの紅茶! こんなの出して恥ずかしくないワケ?」
 その数分前の長閑さと打って変わった激しく響く罵声が、適度な湿度を内包した空気を振動させる。
「……ごめん」
「だいたいあんたきちんとティーポットお湯であっためたの? これじゃ温度が低くて紅茶の葉がよく開いてないのよ」
 含んだダージリンの味に不満を隠さず、応対するクロームへと批難を浴びせかける。
 彼女が会うつもりだった人物が不在だったのもまた、激昂に拍車を掛けていた。
「……そっか。淹れなおして来る」
 開かれた蓋の中を感心したように眺めて、クロームはいとも容易く単純にアドバイスを受け入れる。
「あ、ちょっと待ってください。ミーはちょっと温い方がいいんでこのままでいいです。猫舌なので」
 面倒さをどうにかやり過ごそうと、フランは存在していないように大人しくしていた。
 然し自分のために注がれていたカップまでキッチンへと持ち去されようとした所で漸く口を挿んだ。
「そう」
 二つのカップと一つのティーポットをトレイに載せて、クロームは部屋を出てゆく。
 彼女が出て行った所でクロームに謝らせてばかりいるMMを、斜めにした咎める眼差しでフランが眺めていた。
「文句でもあるの?」
 テーブルに頬杖を附いていた目線と合わせて、椅子に腰を降ろしたMMも一瞬だけ頬杖を附く。
 だが直ぐに背筋を反り返る程に張って姿勢を正し、胸元で腕を組んだ。
「……前々から思ってたんですけどー、あんまイジワルはダメだと思うんですよ〜」
 気分が優れないようにフランもまた背を起こして、少しだけ正しい態度になった。
「なによっ! 私に説教するつもり? あんたには私の気持ちなんかわかんないんだから黙っててよ」
「まーわかんないですけど」
 知ろうとする気概は全く見せずに簡単でおざなりな結論を出す。
「慰めるならちゃんと慰めなさいよっ! なんであんた達ばっかり」
「ミーはこのさい関係ないです」
「あるのっ!」
「ありませ〜ん。あと〜なんでミーはライバル視しないんですか〜? ミーだって師匠の弟子です」
「あんたみたいなお子ちゃま骸ちゃんが相手にするわけないじゃない!」
「ちえっ。完璧にやつあたりだし」
「どうしてフランやクロームばっかり、あの人に会えるのよ」
 怒っていた彼女の瞳から突如として透明な雫が零れ落ちる。
「ええと〜、ミーのは不可抗力で特に遭いたかったわけではないんですがー?」
「私なんか十年も待ったのに…………」
「そー、ですね〜」
「いなくなって初めて、とても大事な人だって解ったのに」
 泣いてなどいなかったように手の甲で彼女は閉じた目の縁から涙を掃う。
「……そうなんですかー? う〜ん、パイナッポーでも見てりゃいいんじゃないですかー? ちょうどいいナッポーの写真がありますよ」
 受け入れられるはずはないだろう意見を、フランはとりあえず出してはみた。
 そうして立ち上がると自分の宝物を入れている部屋の隅に置かれた箱から、絶妙なバランスで撮影されたパイナップルの写真を取り出した。
「ちゃかさないで! やっとやっと会えたのに、なのに骸ちゃんはクロームやあんたのことばっかり気にしてるんだもの。今日だってせっかく遠くから駆け付けたのに……」
 言われてから初めて、壁にかけられていたカレンダーの今日の日付をフランは微かに横目で確認した。
「よかったらあげますよこれ」
 だが気付かなかったふりをして目線をMMへと戻して写真を差し出す。
「要らないわよっ、そんなの」
「いい写真なんだけどなー。まーしかたないですよねー。いちおう師弟なのでー。受け入れ困難な現実ですがー」
 吐きたくもない溜息を吐いて、また目の前のMMの顔を少しだけぼんやりと見た。それからパイナップルの写真はまた箱へと大事にしまわれた。
「あんただってどれだけおこちゃまでも、解ってるでしょ?」
「…………ミーは堕王子なんかいなくなっても構ってないので、わかんないです」
 不意に話を意図していなかった方向へと内容を振られて、目元だけを不機嫌さを表した無表情にする。
「ウソばっかり」
 口元をわざわざへの字に作ってフランへと抗議した。
「わかんないのでー」
「わ・かっ・て・る・はずだわ」
 言葉を一つ区切る度に、フランの鼻先へと近付けた人差し指を振る。
「なら堕王子だって、ミーがいなくなっても心配なんてしてないですよー」
「…………わかんないでしょ、そんなの?」
「わかります〜。おんなじじゃないですかねー?」
 慰めようとしたわけでもなく、フランは目元だけでMMに笑いかけた。
 MMは何も乗ってはいないフランの碧の頭を、手の平で軽快な音が出るほどに強く三回叩く。
「あんたのくだらない慰めなんていらないわ」
「いだだだ。慰めなつもりもないんですが〜」
「そんなに痛いわけないじゃない」
 フランが痛がっているのを見ていつもの勝ち誇った顔で笑うと、座っていた椅子から立ち上がってブラインドの隙間から外側を覗く。
 彼女の美しい瞳に映る来たばかりの新しい夏は黄緑に目映く光ってはさざめいていた。
 ドアの開く音もさせずにクロームが静かに入って来た。
 トレイの上の熱湯で温められたポットでは紅茶の茶葉が蒸らされている。
 テーブルの上に置いた三つの器に少しずつ注いでゆくと、今度は丁度よく茶葉も開いていて、先程よりも増した香りが漂った。
「……どう、かな?」
 八分目まで注いだ紅茶のカップとソーサーを、音を立てず慎重にMMは元の位置へと戻す。
「今度のはまあまあね。飲み込みは早いんじゃない?」
 少しだけ機嫌を直して芳香へと鼻を近付けてから、猫の柄のカップを静かに啜る。
 フランは二人の遣り取りをまた気にせずに、丸い缶の箱に入っていたクッキーを一枚とって口にする。
「あち〜っ」
 それから喉を潤そうと知らない間に中身の足されていたカップを口にして、余りの熱さに舌を出した。
「ご、ごめん。ヤケドしてない?」
「ほんと気を付けてくださいよ〜、ミーがちょっと人より丈夫じゃなかったら大ヤケドです。まあこんなのナイフに比べたらどってことないんで」
「ざまあみなさい。人の不幸を笑うからよ」
 不幸にカラカラと笑う女を見たフランは気に入らないように口元を捻った。
「小ジワが増えますよー」
「そのひっくい鼻にマスタードつめるわよ?」
「ぜんぜん低くないじゃないですかー? あ、ちょっと鼻曲がるのでやめてくださーい。……ありがたい忠告してやってんのになー」
「一言多いの。きちんとケアしてるから余計なお世話よ!」
 引き攣った口元でMMは未だフランの鼻を摘まんでいる。
「ほあ、またシワがふえました〜」
「テンション低いくせにうるさいのよ、あんたは!」
 逃れようとフランは顔をひん曲げてから、もう一度だけMMの顔を見た。
 それから贈り物に添えられていた“Bon anniversaire”の文字へ目をやり、何の用意もしていなかったのを思い出し、外へ木の実でも摘みに行こうかと考え始めた。
「…………骸様の誕生日の飾り付けするの、手伝ってくれる?」
 揉めていた二人へと静かに歯切れのよい口調でクロームが声をかけた。
 両腕に抱えられていた段ボールには、殺風景な部屋を綺麗にするための装飾が押しこまれていた。
「なによ、こんな所で手作りパーティなんて貧乏くさい。」
「ごはん、食べてくでしょ?」
「あんたってほんとバカね! ……貸しなさいよ、それ」
 出て来た文句とは裏腹に彼女はクロームの置いた箱から、メタルカラーの星が付いた長いモールを取り出す。
 フランは銀色の光を眺めながら、やはり自分の宝物入れにあったパイナップルの写真の方にしようかと一思案していた。


(おわる) 



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