マリー・マドレーヌ


 ざさざさざさざさと煉瓦の道は波音を立てるようにサンダルで擦られていた。
 川に沿って続く所々が薄茶けた白煉瓦の壁の番地と手にした住所の地図を交互に見ながら進んでゆく。
 似たように繰り返している建物の中から、漸くのことで目当ての番号を見つけるとアパルトマンの階段を上った。
「私は今日誕生日で予定が押してるんだけど、何か用なの?」
 合図に寄って開かれた扉の内側で女は不機嫌そうににべもなく下を見下した。
「だからわざわざきてやったのになー。これあげに来たんですよ」
 持って来ていた生成りのキャンバスのトートバッグから、お菓子の絵が描かれている透明なビニール袋を取り出した。
 袋は水色の不織の布と二重になっていて中身は見えない。
「何よこれ」
 目前へと不躾に差し出された袋を奪い取ると、重さを確かめる素振りで右手を軽く振った。
「開けてみりゃわかりますよー。どうぞ」
「貧乏臭そうな袋ね。どうせ下らないものが入ってるんでしょ」
「まあそう言わずにー」
「…………悪趣味な冗談はやめてよ」
 フランの奨めで丁寧に包まれていた包みを開いたMMは、中に入っていた手作りの菓子に眉を顰める。
「そんなつもりはなかったですけどー、凪ネーサンがたくさん作ってくれたんで、持って来てあげましたよ」
「いらないわ、こんなまずっそうな食べ物」
 悪態は吐いたが袋を放ることはしなかった。
「あとこれー」
 ごそごそと再びフランは整頓されていないバッグの中を探り出している。
「あら、高級そうな包みの箱じゃない。最初っからこっちを出しなさいよ」
 二つ目の取り出された細長い包みを目にすると、先程までの比ではない程極端に上機嫌になる。
「こっちはみんなでお金だしあって買ったやつですー」
「さっすが骸ちゃんね」
 聴いていなかったのか聴こえていなかったのかは定かではないが、他の人物など関与していなかったかのように振る舞われた。
「ちえっ。ミーだって千円ぐらいこころよく出したのになー」
「…………で、あんたからのは? 先に言っとくけど、安物は要らないから」
「? さっきからあげてるじゃないですか」
 不思議そうに丸めた瞳になって、フランはMMへ手渡した袋と箱を見つめている。
「どれもこれもあんたからのじゃないでしょ?」
「欲張りだなー。まあそういうと思ってですね、これがミーからです」
「あるんなら早く出しなさいよ」
「とてもいいものですよ」
 フランが見せた胡散臭い目元の笑顔へと、MMは眉間に皺をわざわざ寄せて怪訝に顰める。
「なによ、これ」
 どこからか異様に大きな箱が出されて少しの困惑を見せ、箱を開いてからは更に困惑した。
「見てわかりませんかー? 高級毛皮です。エンリョせず使ってくださいねー」
「生きてるでしょ! 使えないじゃない、こんなの!」
 箱の底にいたまっ白なミンクは、首根っこを掴まれて引っ張り出された。
「ギィッ!」
「? ……堕王子はそのまま首に巻いてましたよー」
「しかも人の使い古しなんてふざけないで!」
 大人しく丸まって眠っていたミンクは、掴み出されたと同時に目を覚ましてフランの姿を見つけると飛びかかった。
「うわっ!」
「もう、あんたってホントにスマートじゃないわっ! 骸ちゃんに育てられたとはとても思えないわね」
「…………せっかく持って来てやったのになー。あんな人に育ててもらった恩義なんか感じてませんけどー」
「お茶淹れてあげるからさっさとあがりなさいよ」
「忙しいんじゃなかったんですかー?」
 しかたなしに肩へと体当たりしてきた白くて暑苦しい獣を胸元へと抱えて、不思議そうにMMを見た。
「少しぐらい待たせた方が、価値が高まるのよ」
「そうですかー。ミーはお茶なんかより冷たいジュースとかのがいいですねー。暑かったので」
 あまりよく理解できなかった顔をして、フランは通されるままに部屋へと入った。
 リビングの肘掛けが付いた白いプラスチックの椅子へと、無遠慮に体重をかけて座る。
 そうして黒い正方形のテーブルへと、勝手にミンクを置いてからまたぼんやりした。
 気が付くと何時の間にかMMの手に寄って、クロームが作ったマドレーヌが皿に載せられていた。
「こんなに一人で食べ切れるわけ、ないでしょ。何考えてるのかしらね、あのバカメス豚」
 同意は求めずにキッチンへと入って茶器の用意をしに行った。
「……ちょっとは食べるつもりなんですねー?」
 聴きとられない程の小さな声でフランは一人でぼっそりと呟き、貝殻の形を手で摘まんだ。
 耳に当てても音は聴こえず、一口で食べようとした時にミンクがじっと自分を見ているのに気が付いた。
 一瞬の逡巡の後に結局甘やかすことはせずに、手にした菓子は一人で食べ切った。
 ミンクがそれでも名残惜しそうに自分をじっと眺めていたのに気付くと、もう一つマドレーヌを手に取って本当に少しだけ分けてやった。
「ちょっっとフランっ! 人のマドレーヌ勝手に食べないで!」
「え〜? これ食べるのに出したんじゃないんですかー?」
「私がもらったものなんだから、私が先に食べてからよ!」
「ちえっ」
「……形はいびつだし、パサパサで味も悪くてぜんっぜん誉めるトコのないお菓子ね」
 然し食べ始めたら食べ始めたで、やはりいつものように誉め言葉などは出てこなかった。
「しっかり食ってんじゃねえかよ〜」
 もらった飲み物を啜ると夏のような味がしたから、もう既に夏が始まっていたことにフランは初めて気が付いた。
「そういえばこないだの雇い主ったら、酷いケチだったのよ。やんなっちゃうわ」
 他愛のない会話の口火は切られ、彼女は簡単に近況を報告し始めた。
 ただぼんやりと相槌を打ったり、やはりぼやけた自分の愚痴をこぼしたりしながら、フランは三つ目のマドレーヌを平らげていた。
「そっちの開けないんですかー?」
 下らない些末な日常の話をする間中にMMがずっと手にしていた長方形の箱へと目を向けた。
「これはせっかく骸ちゃんがくれたんだもの、後で大事に開けるのよ」
 一日の終末の幸福を思って立ち上がると、彼女は大事な箱を大事に引き出しにしまってしまう。
「……いつ開けたって中身が変わるわけじゃないのになー」
 目元だけを緩めた瞳で、頬杖を附いていたフランは眠そうに眩しそうに外の川を眺める。
 鉄の格子がはまった窓から見えた細切れの風景は輝いていたから、ミンクを連れて帰ったら散歩の謝礼にベルにラムネを奢って貰おうと固く決意していた。

(おわる)



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