アジアンカンフージェネレーション
双方ともに鬱陶しそうに、少年と小さなこどもは手を繋いでいる。
暑くもない寒くもない電車の中で、青すぎる青空の風景はガタンゴトンと歪みながら変化してゆく。
こどもはこども扱いされるのを嫌がり、少年もこどもの面倒をみる煩わしさを感じてはいたが、それでも言い付けは守られ、手を離すことはなかった。
「どこ行くんですかねー?」
その路線だけがフリーになる切符を買って暫く前から電車に乗ってはいた。
だが降りては再び乗り、また降りては再び乗るのを繰り返していたのに、とうとうこどもは飽きてしまった。
「どこか行きたい所ある?」
「別にありませんー。というか行きたい所があるから電車って乗るんじゃないんですかー?」
「…………じゃあレンタルCDショップに行く」
「そうですかー」
こどもの減らず口をまた面倒に思いながら、少年は空いていた方の手で眼鏡の縁を少し上げた。
それきり会話もなく唐突に目的となった駅まで黙々と二人は電車に揺られた。
改札を抜けても日は暮れるでもなく、昇っていった様子もなく、大して進みはしなかった時間の中でそう位置が変わらずにあった。
冷たいと思えるほどの気温はない凛とした空気が、取り立てた話もない二人の間に張り詰めた。
「なに借りるんですかー?」
「………何も借りないよ。……試聴しに行くだけ」
「そうなんですかー。じゃあミーもカエル戦隊ケロケロンの曲聴きたいです」
「そう」
「そうです。千種ニーサンはなに聞くんですかー?」
「………まだ決まってない」
少しの努力でこどもが繋げようとした話は、直ぐに打ち切られてまた沈黙に戻ってゆく。
どちらかによって思い出したくもないのに、つい数時間ほど前に起きた出来事が思い返された。
『フランがいっとやかましいから、ダメガネが今日一日めんどうみるびょん!』
『…………めんどいから嫌だよ』
『……ミーはそんなやかましくないので、犬ニーサンが遊びに行ったらいいんですよ』
グダグダで稚拙な誤魔化しに誤魔化されることなく、二人は大事な提案を容易に立て板にかけられた水のように流した。
『ダメら! お前らが遊びに行くんら!』
『……なんなの』
『見たいテレビあるんですがー』
『うっさいびょん! さっさとでかけるびょん!』
半ば追い払われるように追い出された眼鏡とこどもは、揃って平常と変化のない詰まらなそうな顔をして外へと飛び出した。
青空から降り注ぐ太陽の眩しさが目に沁みて、こどもは自分の小ささに少し泣きそうになり、やがて辿り着いた店舗の広さには少し目眩がした。
眼鏡の少年も見上げた空の眩しさに瞳を細めて雲がゆくのを僅かな間眺めていた。
「そのバーコードっておいくらですかー?」
店内を巡回していた所で、気になっていた疑問を出すのに立ち止まって上を見ながら口を開いた。
「………二十二万とんで五百円」
「読み込んだらニーサンが買えるんですかー?」
「……買えないよ」
「買えないんですかー。まあべつに千種ニーサンは二人も要らないですけどねー。じゃあなにが買えるんですかー?」
「……メガネ」
「……そうですかー。ちょっとお高めですねー」
もう既に視線は自分の興味が向いた方向へと注ぎ直されていた。
「…………冗談だよ……ほんとは五円」
「なんとなくわかってましたー。あ、ミーこれ聴きたかったんです」
ちょうど視線が戻った先には、こども向け番組のコーナーが設けられていた。
そうして勘良く手に取った四角いプラスチックを少年へと差し出した。
「そう」
少年は面倒をみるようにみないように、こどもを試聴機の所まで連れて行ってCDを試聴機へとかけてやる。
ヘッドフォンを装着したこどもは、ほどよい楽しそうさで音楽に合わせて頭を振り出した。
それから暫くこどもが頭を揺らして歌に没頭し始めたから、少年も隣で自分が聴きたかった音楽を静かに試聴し始めた。
三曲ほどが終わった所で、隣でヘッドフォンが外されるのを見た。
「終わり?」
「終わりましたー。中々秀逸な出来の曲でしたよー」
こども向けのテレビ番組で使われていた、他愛のない音楽に感心して溜息を吐いた。
「そう」
「そうなんですよー。ミーもうちょっと違うの探してきていいですかー?」
「いいけど、迷わないでね」
「ハーイ」
こどもは一人でとぼとぼと広い店内を巡り始めた。
小さな後ろ姿が見えなくなったのを気に留めずに、眼鏡を掛けた少年はまた音楽を聴き入り始めた。
数分が経過した頃にまた戻って来たこどもがCDを差し出したから、自分が聴いていた曲は止めずに隣の試聴機へとCDを掛けてヘッドフォンを付けてやる。
またこどもがノリに乗った表情で頭を左右に調子に合わせて振り始めると、碧の髪と頭のリンゴも一緒に揺れた。
どの程度の時間が経過したかも判らずに、何も買わずに借りずに大して賑わってもいなかった店を出てこどもと眼鏡の少年はまた歩き始めた。
「……骸様の様子……どう?」
夕陽の傾いた帰り道で漸く聞きたかった一言を捻りだした。
「ん〜っと、師匠は寝てますね」
「そう」
「でも伝言があるんですよ」
「お誕生日おめでとうございますー、千種。……って今日になったら言っといてくださいって昨日言われたの忘れてました」
「……なんで知ってるの」
「だからー師匠からの伝言なのでー、ミーは知りませんでしたー」
「ふーん」
「あの様子だと帰ったらお誕生会ですかねー」
「いいよ。めんどい」
「ダメですけどー。ミーはごちそう食べたいので」
「そう」
「だからこんな面白くもないことに付き合ってるんです」
「……そう」
「あとこれー、どうぞー」
こどもの開かれた手の平の上にはぐしゃぐしゃになった一枚のメモがあった。
「なに?」
「ここに埋めておきましたー」
「なにを?」
かけていた黒い縁の眼鏡の位置を右手で直して、紙切れを指先で抓む。
「師匠からのプレゼントの新メガネです」
「ふーん。どうも」
汗と手垢で汚れた紙を開いて出て来た読み取るのが難しい線は、どこかの狭い路地裏を示しているようだった。
「師匠に言っておきますねー」
「いいよ」
「そうですかー?」
「骸様には、出てきた時に言うから」
「そうですねー」
足元を少しだけ気にして立ち止まると、こどもが連れていた影も止まる。
寒くもない暑くもない、単調な天気が隣にいる少年に似ている気がして、気が付くとまじまじと少年の顔を見つめていた。
眼鏡は太陽の光に当たって光って、彼の目元の表情を解らなくさせている。
同じように目が見えずに表情が解らなかった人がいたような気がして、こどもは一瞬首を傾げた。
然し思い出せるものは何もなく、もう一度水色の空を見つめて、それから自分の影を見た。
だが、それはいつもの影とは違っていて、頭から目玉が飛び出したカエルのように、ずんぐりとしたおかしな形に歪んでいた。
遥かな古か遥かな行く末かに見た気のする自らの影に怯えて、こどもは一瞬体を竦める。
「帰ろう」
ちょうど掛けられた声に救われて現実に戻り、また地面に映った影を確認した。
そこにはもうおかしな形はなく、リンゴのように丸いだけだった。見間違いに安堵して、掛けられた声に応じて来た道を歩き始めた。
(おわる)
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