平和な雨




 雨を見ると、あの日の事を思い出す。


 その日、ケイスケは一人で買い物に出かけていた。本当はアキラも誘おうとしていたのだが、熟睡しているのを起こすのもどうかと考え、とりあえず買い物に出かけると書いたメモだけを残してきた。
 天気予報では晴れだと言っていたが、今日の空は意外と雲が多い。傘を持って来なかった事を少し気にかけながらも、買い物を済ませていく。
「えっと、卵も買ったし……、ケチャップも買ったし。うん、これでよしっと」
 袋を覗いて買うべき物がちゃんと入っている事を確認し、よし。と頷いて顔を上げた。
「アキラ、そろそろ起きた頃かな」
 通りかかってふと見上げた公園の時計は、二時ちょうどを指していた。
 この時間なら少し休んでから帰れば万が一アキラが寝ていた場合に起こさないですむし、夕飯を準備するのにもぴったりだと思い、ケイスケは公園の中へと足を踏み入れる。
 さすが休日と言うべきか、かなり大きなこの公園内はいつもより人が多い。賑やかなその場所の一角に空いているベンチを見つけ、そこに腰を降ろす。
 一息つこうと大きく息を吐き出して持っていたビニール袋の中から、ジュースの缶を取り出す。色々と買うものがあったため歩きっぱなしだったからか少し喉が渇いていた。
 工場でそれなりの稼ぎはあるというものの、できるだけ節約したいと思っているため新製品のセールで買ったものだ。タブに指を引っ掛けてそれを開け、喉を鳴らして一口飲む。大量に並べられていたためあまり冷たくはなかったが、今日はこの時期にしては涼しいせいか十分に喉が潤った。
 そして一息つくと特に何を考えるわけでもなく、ケイスケは公園の風景に目を向ける。
 楽しそうに駆けていく子供。それを見守るように見ている親。買い物帰りの女性。そして仕事中らしいスーツを着て足早に公園を抜けていく男性。
 Bl@sterが盛んに行われていた頃には決して見られなかった情景は、まだどこか実感がなくて不思議なもののようだと思っていた。しかし、現実に改めて見てみると、あの頃の方が別の世界に見えてしまう。ケイスケにとってBl@sterはたくさんあるアキラとの思い出の一つであるせいか、それは少しだけ淋しさを感じさせた。
 そんなことを考えながら、また空を見上げる。さっきまでは青空も見えていたのにいつの間にか雲がだいぶ厚くなってきていた。このままここにいれば、きっと雨に降られるだろう。少し予定よりも早かったがそれでアキラに心配をかけたくないと思い、ケイスケはベンチから立ち上がった。

「うわ……もう降ってきた」

 ケイスケが思っていたよりも雨は早く降り始め、あっという間に前が見えなくなるほどの大雨に変わる。さっきまで賑わっていたこの場所もその姿を一変し、人々の声は消え雨の音だけに包まれていく。あまりの雨の激しさに目を細めながら、とりあえず公園の片隅に雨宿りができそうな場所を見つけそこへと駆け込んだ。
「すぐに止むといいんだけど」
 呟いた声が雨音に消され、湿気交じりの風が少し濡れたケイスケの髪を撫でていく。
 ふっと鼻をついた雨のにおいはどこかトシマに似ている気がした。忘れないで生きていくと決めた心に、また釘を刺されるような痛みが走る。
 忘れてない。
 苦しさを感じているが、ケイスケは自分がちゃんとトシマの空気を覚えていると思うと安心する。これは自分の命が尽きるまで忘れてはいけない感覚。これからもずっとそれにとらわれすぎても、忘れてもいけないものだ。
 アキラとこれからも共に歩いていくためにも。彼の隣にいるためにも。
「この痛みは忘れない……、絶対に」
 膝が小さく震えているのに気がついて、ケイスケは何かにすがるように湿ったままのシャツを軽く掴んでそう呟いた。

「――ん?」

 そんな時、視界の隅、ちょうど足元の辺りで何かが動いたのが見えて、空中に向けられていた視線をその場所に向ける。そこにはいつの間に猫がいてケイスケを見上げていた。
「猫も雨宿りってするんだね」
 しばらくしても動く気配がないのを見てそう言うと、ゆっくりとしゃがんでそっと額を撫でてやる。すると猫は一瞬驚いたようにケイスケを見上げたが、すぐにゴロゴロとのどを鳴らし始めた。
「かわいいなぁ。あ、そういえば」
 そこで思い出したようにスーパーの袋をあさって、買ってきた鰹節パックを一袋取り出した。猫はそんなケイスケの動きを興味深そうに見ていたが、パックの封を切った途端にそれが自分の好物であることがわかったのか顔を上げてねだるように鳴き声をあげる。
「わ、やっぱり反応いいなぁ。ちょっと待って……はい」
 そんなしぐさがかわいいと思い表情を緩ませながら、パックを上手く広げて目の前に置いてやると一目散にそれを食べ始める。黙々とそれを食べている様子を見ると、なんとなくアキラに似ているかもしれない。と思えた。
「かわいいんだよね、食べてる時のアキラも」
 そっと背中を撫でると、ふかふかな猫の毛がとても暖かい。このどこか安心できる温もりもアキラに似ているなとそれを思い出すように考える。きっと猫っぽいなどと言ったらアキラは怒るだろう。しかし怒った顔が浮かんできたらきたで思いっきり顔がにやけてしまう。
「はぁ……何考えてるんだろ、俺は」
 そんなケイスケの葛藤も知らないまま猫はしっかりと鰹節パックをたいらげて、満足したように毛づくろいをはじめた。それでもまだ雨は止みそうになく、困ったなと言葉が出る。特にすることも思いつかないまま大きく息を吐き出して、丸くなるようにゆっくりと額を膝に押し付けた。
 猫を見てアキラの事を考えたせいか、今とてもアキラに会いたくてしかたがない。もちろん帰れば会えるのだからそんなに切羽詰った気持ちにはならないはずなのだが、やはりアキラの事になると一度わき出してしまった気持ちはどんどん大きくなってしまう。
「アキラァ……。うっ、ぶはっ!」
 なかばいじけるように伏せていた顔に突然猫の毛が当たり、反射的に変な声をあげる。顔を上げてみるとさっきまで毛づくろいをしていたはずの猫が、ちゃっかりケイスケの腹の上にいた。しかも通っていくだけだと思っていた予想をしっかり裏切って丸まり瞳を閉じてしまっている。
「ね、寝るの? ――まぁいいか、雨もまだ止まないし」
 そういえばいつの間にか震えていた体は落ち着いていて、一人じゃないなら雨宿りも悪くないかもしれないとケイスケは思ったのだった。


「……スケ、ケイスケ!」
「ん? あれ?」

 誰かに名前を呼ばれて顔を上げる。いつの間にか真っ暗になっていた視界に急に光が差し込んできた。
 確か買い物に行って、雨が降ってきて、猫がいて……。とまだぼんやりする頭で何が起きているのかを思い出そうとする。
「……猫がアキラで、かわいくて……」
「ケイスケ? なにぶつぶつ言ってるんだ?」
「わっ! アキラ? なんでこんなところに? あれ、猫は?」
「それはこっちの台詞だ。なんでケイスケがこんな所で寝てるんだ? それに猫が俺って……」
「わーっ! それはこっちの話で……。俺、傘を持ってなかったから雨宿りしてたんだ。アキラは?」
 それを聞いた瞬間、ケイスケを起こそうとしゃがんでいたアキラが突然すごい勢いで立ち上がった。そして何も言わないまま背中を向けてしまう。
「あ、アキラ?」
「俺は散歩に来ただけだ。もう帰るぞ」
 なぜいきなり不機嫌になってしまったのかもわからないままケイスケもその声につられて立ち上がる。背中を向けたままのアキラを見るとその手に傘が握られてるのが見えた。雨はいつの間にか霧雨になっているがまだ傘無しではいられない状態で、すでにアキラは自分の傘を差している。つまりアキラは傘を二本持っているのだ。
 どうして……、と、言おうとして、ようやくその意味がわかった。
「迎えに来てくれたんだ……」
 聞こえないくらい小さく確信を声にする。しかしケイスケが雨宿りをしていた場所は、いつも買い物の時に通っている道からかなり外れていた。アキラの足元に視線を落とすと、雨の中を歩き回っていたことを証明するようにズボンの裾がかなり濡れてしまっている。やはり探すのに時間がかかったのだろう。アキラが自分を探してくれていたという嬉しさが込み上げてきたが、心配をかけてしまったことに対する罪悪感がそれを上回り、ケイスケの口からごめんと言葉がこぼれた。
「別に、お前は悪くないだろ」
「でも、アキラに心配かけちゃったし」
「それは天気予報が外れたのが悪い」
「アキラ……」
「納得したなら帰るぞ」
「うんっ!」
 スーパーの袋を手に止まったままのアキラの元へと駆け寄る。するとどこか困った顔をしながら振り返りケイスケの方へ傘を差し出してきた。
「せっかくだし、俺が傘差すよ」
「は? っておい!」
 ひょいっと差し出された傘と開かれている傘の両方を奪い、袋を持った手に持ち替え空いたほうの手でアキラの腰を抱き寄せる。しかしこのまま上手く相々傘といくかと思っていたケイスケの野望は、顔を真っ赤にしたアキラの繰り出るひじ鉄によって儚くも砕け散った。
「い、痛いよ、アキラァ」
「何のために傘を持ってきたと思ってるんだ。ちゃんと使え」
「えー」
「えーじゃない」
「じゃあさ、せめてこの公園を抜けるまで! ね、アキラ」
「……」
 呆れるように吐き出されたため息にもめげることなく、しっかりとアキラの体を自分の方に寄せて二人は一緒に歩き出す。
 少し歩くとどこからか視線を感じその方向に目を向ける。するとさっきまで一緒に雨宿りをしていた猫の姿が見えた。
「あ……」
 思わず足を止めそうになるが、茂みの影からもう一匹猫が現れてその猫へと擦り寄っていったのを見て、そっとしておくことにした。一人じゃないなら、きっと淋しくないだろう。今のケイスケと同じように。
「ケイスケ? どうかしたのか?」
「ううん。アキラはやっぱり一番あったかいなって思っただけだよ」
「……っ! バカ!」
 額にキスを落として、怒ったアキラの顔を見る。それはさっきケイスケの脳裏に浮かんできたアキラと全く同じで、それだけの事なのにとても嬉しく感じたのだった。

終わり

*あとがき*

 ケイスケ視点の話を書こう!って思って、猫×2匹とケイアキの絵が浮かんで勢いで一気に書いてしまった話です。雨の話を書くならって事で途中少し悩んでますが、基本調子にのったケイスケになってた……と思います(笑)
 登場人物が一人の場面を書くと、自分の言葉の知らなさにがっかりする……。さすがにアキラが出てくるまで一人だと辛かったのでまた猫に頼ってみたりしました。ケイスケはなんか猫にひたすら話しかけそうな気がして、実際独り言多くても気にならなかった不思議。
 ここまで読んでくださってありがとうございました。
10/6

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