今日の空、あの日の空 後編




「立ったまままじゃ疲れるし、座ろっか」
「……あぁ」
 そう言ってケイスケがその場に腰を降ろすと、アキラも頷いてその隣に座り込んだ。
 いつの間にか半分近く水平線へと沈んでいた夕日に視線を向けて、頭の中に浮かんだことを整理していく。
 ようやく思い出すことができた。そして、一番に聞いてほしいと望んでいたアキラに話すことができる。そのことが何よりも嬉しいと感じた。そんな高揚感に思わず緩んでしまいそうになる表情を引き締めながら、深呼吸をしてケイスケは話し始める。

「孤児院の頃の俺がどんなだったか。それは……多分アキラも覚えてると思うんだ」

 少し自嘲するように笑って、ケイスケは真っ直ぐに返ってくるアキラの視線を受け止めた。
 孤児院の頃の自分。
 要領が悪くて、鈍くさい。簡単な言葉で言ってしまえばそうだろう。
 なにをやっても上手くいかず、そのせいで周りからもよくからかわれていた。
 曖昧に散らばっている記憶の中にも、自分が昔からそうだったことは色濃く残っている。それはきっと、歳を重ねていっても根本的なところではずっと変わらなかったからだろう。……トシマに行くまでは。
 ケイスケの言葉にアキラはなにも言わなかったが、わからないとも言わなかったため、そのまま話を続ける。

「あの日もそうだったんだと思う」
「思い出した日のことか?」
「うん。あれはまだ俺がアキラにくっついて歩くようになる前のことで、あの日も、俺はやっぱりからかわれてた。いつもと同じように」

 思い出した日の記憶も、やはり始まりはそこからだ。
 その時になぜからかわれていたのか。それが誰だったかは全く浮かんでこない。ただ浮かんでこないだけなのか、それともあまりにもたくさんありすぎて特定できないのかはもうわからなかった。ただ、当たり前のように誰かが自分をからかって、それを見た誰かが笑う。幼い頃の自分はそれに言い返すこともできず、ただオロオロする。そんな状況はこれでもかというほど簡単に思い浮かぶ。
「はっきりと思い出せたのは、アキラが俺に手を差し出してくれたところかな」
「俺がお前に?」
 首を傾げるアキラに頷いて返して、その情景を瞼の裏に映し出すようにおもむろに瞳を閉じる。
 言葉にしてから考えてみると、それまでアキラには何度も助けてもらっていたが、ああやって手を差し出されたのはあの日がはじめてだったようにも思える。まだどこか記憶があやふやなため、本当にそうだったのかはわからないため口にはしなかったが、そうだったらいいのに。とケイスケは思った。
「俺、あの頃アキラには何回も助けられてただろ?」
「……それは」
「気に入らなかっただけ。だよね」
 先回りした答えに目を開くと、アキラは少し驚いた様子のまま頷く。
「それでもさ、あの頃の俺はアキラのそんな行動に助けられてたんだよ。……本当に」
 思わず言葉に力が入る。それと同時に、組むようにして併せていた両手にもぐっと力を込めた。

 あの日もそう。見上げた視線の先に、アキラがいた。
 そう考えて、自分が転んだか倒れたかで地面に這いつくばっていたことを思い出す。そして、それに引っ張られるように、アキラの後ろには青空が広がっていたことも浮かんできた。
 もう何度そうやって助けられたのだろう。そもそもどうしてアキラは、自分を助けてくれるのだろう。
 幼いながらにも持った疑問はいつの間にかアキラへの興味に変わって、そして自分とも、周りとも違い大人びていて、周りをはねのけることのできる強さには憧れを持った。
「これは前にも言った気がするけどさ、かっこ良かった。すごく」
 ケイスケの言葉に、アキラは少し困ったような表情を見せた。アキラがあまり持ち上げられることが好きではないとわかっている。それでもやはりケイスケにとって一番最初のアキラとはそういう存在だ。
「でも、俺はそんなアキラにありがとうすら言えなくてさ」
 何度も助けられて、その度にチャンスがあったはずなのに、結局その時も伝えられなかった。
 いつもそうだ。
 同じ孤児院にいるのだから、ずっと会えないわけじゃない。夜になれば戻ってくるのだから、その時に言えばいい。それにもし今日言えなかったとしても、また今度があるかもしれない。
 毎回こういう状況になる度、それから逃げるようにそう思っていた。
「自分のことだけど、やっぱり情けないな……本当に」
 思わずため息混じりに言葉を吐き出していた。しかし、過去の自分を否定することはしたくない。そうやってずっと逃げてきて後悔していたからこそ、生きなくてはいけない理由ができた今向き合うことができる。
 黙って聞いてくれているアキラに視線を向けて、改めてその存在の大きさを感じながら、再び話を戻した。

「その日の午後の自由時間……だったかな。アキラを見かけたんだ」

 そう言いながら、思い出した状況に思わず笑いがこぼれた。
「なんだよ……いきなり笑い出して」
「ごめんごめん。アキラがいた場所、孤児院の外だったんだ」
「……外?」
「そう。外には絶対行くなって言われてた。でも、今思うとそういう場所に行っちゃうところがアキラらしいなって思って」
 しかし、あの時にその姿を見つけたケイスケは、追いかけようとフェンスに駆け寄ったものの、それをくぐり抜けることを少し躊躇っていた。
 追いかけて、もしもアキラに追いついて、それで自分はどうするのだろう。
 助けてくれてありがとうと言う?
 なにをしているのかを問いかける?
 そのどっちだったとしても、今のケイスケにはあまりにも高いハードルに感じられた。しかしこうして考えている間にも、どんどんアキラは先に進んでいってしまう。見失ってしまったら、選ぶ機会さえも失ってしまう。それが過ぎった瞬間、考えるよりも先に体が動いていた。
 急いでフェンスをくぐって、視界の中にいるアキラを必死になって追いかける。途中で躓きそうになっても、その姿が見えなくなるのが嫌で、追うことを諦めようとは思わなかった。
「それでね、アキラがいたのは、ちょうどこんな風に開けた場所だったんだ。あ、でもこことはちょっと違ってて――」
「……地平線」
「えっ?」
 呟かれた言葉に思わずアキラの方へと身を乗り出して声をあげる。
「もしかしてアキラ、覚えてる……とか?」
「いや、そうじゃない……」
 本人も言葉が出るままに呟いたらしく、困惑した表情のまま小さく首を振ったアキラは、ただなんとなく浮かんだだけだと言って俯いた。
「そっか……、でもちょっと驚いたな。アキラが言った通りだったから」
 その通りその場所はこことは違って視界の先に広がっていたのは水平線ではなく、地平線だった。


「……」
「……あ、の」
 高台の端にケイスケがいる方に背を向けて座っていたアキラが、その声に少し顔を動かして視線だけを向ける。
 どうしてここにいるんだ。と、向けられた視線が言っている気がして、思わず喉がなって緊張に鼓動が早まった。
「あ、のね。……さ、さっきの……お礼が、言いたくて」
「別に……言われたくてやったんじゃない」
「そ、そっか。あの、じゃあどうして……ここにいるの?」
「ここが嫌いじゃないから」
「……う」
 高いと思ったハードルを一気に飛び越えたまではよかったが、そのまま会話が続かずに途切れてしまう。
 どうしよう……。
 向けられた背中を見ながら、微かに感じる居心地の悪さに、ケイスケはやはり来るべきじゃなかった。と後悔した。だからといって、必死にアキラを追いかけたせいで戻ることもできない。ただ立ち尽くすことしかできず、どうすればいいのかわからなくなってシャツの裾をギュッと握りしめる。
 それからどれくらいの時間がたったのだろう。
 空を黙ったまま見ているアキラと、そんなアキラを見ている自分。
 真っ青だった空はいつの間にか赤みを帯びはじめていて、日暮れが近いのがわかる。

「――」
「えっ?」

 それまでずっと黙っていたアキラが、突然なにかを呟いたようだった。しかしあまりにもいきなりのことだったため反射的に声が出る。すると、再び少しだけケイスケの方へと目線を向けて、小さく息を吐いたのが見えた。
「そこだと夕日が沈むのが見えないって言った」
「夕日……いいの? 一緒に見ても……」
「見たくないなら別にいい」
「み、見る。見たい!」
 ずっと俯いていた顔を思いっきり上げて声を張り上げる。こんなに大声をあげていたことに驚いたが、今はそんなことはどうでもよくてアキラの方へと駆け出した。アキラはそれっきり黙ったままだったが、あれだけ感じていた居心地の悪さも、後悔も、それだけの言葉でいつの間にか消えてしまっていた。


「それから……、今日と同じくらい綺麗な夕日を見て、孤児院に戻ってきたんだけどさ、俺、はじめてだったんだ、そういうの。だからすごく……嬉しくて」
 からかわれたわけでもなく、邪険にされたわけでもない。見たいなら見ればいいと言ってくれたアキラの言葉は、本当に大きなものだったんだと思う。
 そんな嬉しさが話しているうちにどんどん蘇ってきて、思わずそれが表情にも出てきてしまった。すると視線の先のアキラも、興奮気味に話すケイスケを穏やかに見ていてくれて、さらに嬉しさが込み上がってくる。
「俺さ、これは話してるうちに気がついたんだけど、思い出したことは嬉しかった日のことだったけど、きっかけになった日でもあるって思うんだ」
「きっかけ?」
「アキラと一緒にいたいって思ったきっかけ」
 一度は躊躇したフェンスを乗り越えたのも、話がしたいと思ったのも、そして声をかけてもらえて嬉しいと思ったことも、全てが今の自分に繋がっている。
 あの日から他のことは自分が不器用だから仕方ないと諦められても、アキラと一緒にいたいという気持ちだけは譲れなくなった。
 もしあのまま踏みとどまっていたら、アキラとは話せないままだったかもしれない。自分に譲れないものができるなんてことも、なかったかもしれない。
 思い出した記憶は、ケイスケにとって今に繋がるきっかけの日だった。

 話をしているうちに、夕日はすっかりその姿を水平線へと消し、今は薄明の光がかろうじて水平線に見えるだけになっていた。やはり話は長くなってしまい買い物に行くことができなくなってしまったため、ケイスケはごめんとアキラに告げる。
「俺も聞きたいと思ったから、別にいい」
「アキラ。ありがとう」
「よかったな。嬉しかったお前の記憶がちゃんと思い出せて」
 その言葉に大きく頷いて返した。
「俺さ、これはアキラの思い出にもなるんじゃないかって思うんだ」
「……俺の思い出? 思い出せないのにか?」
「うん。だって思い出の中にはちゃんとアキラがいて、今、その話を最後まで聞いてくれただろ?」
 例えなにがあったかを覚えていなくても、その出来事があったのは真実だ。そして自分が思い出して話をしたことによって、アキラもそんなことがあったと知ることができた。どちらかが覚えていれば、共有することができるかもしれないとケイスケは話しながらずっと考えていた。
 こんな風に考えるのは、自分達の記憶がきっと普通に薄れただけじゃないことも関係しているだろう。消されてしまったものはもう一生思い出せないかもしれない。だから思い出せた時に話したい。嬉しかったことを伝えたい。そんな風に思う。
「やっぱり駄目かな……こういう考え方は」
 驚いた表情のままアキラに黙って見つめられ、少し自信がなくなり声が小さくなる。すると、目の前の表情がまた緩まり首を振った。
「ケイスケらしいな。でも、そういう考え方は……嫌じゃない」
「よかった」
 受け入れてもらえたことにホッと息を吐く。そして勢いをつけて立ち上がると、帰ろうか。と言いながらアキラへと手を差し出した。
 あの時は夕日が落ちたらすぐに戻らなければならなかった。けれど、今はこうして夕日が沈んで夜が来ても一緒にいることができる。それに自分からアキラに向かって手を差し出すこともできる。
 あの日からずっと憧れて、愛しくて、言葉にできないくらい大切な存在。
 そんなことを考え気持ちが一気に振り切れてしまいそうになったため、手をとったアキラが立ち上がった瞬間、その体をそっと抱き寄せた。
「お……いっ」
「大丈夫だって。誰もいないのは確認済み」
「……」
「あれ?」
 いつもならアキラに調子に乗るなとでも言われてもよさそうなところなのに、そのまま黙って額が肩口に寄せられたため、思わず拍子抜けした声が出る。
「変な声を出すな」
「いいの?」
「……嫌なら帰る」
「え、そんなことない! 絶対ない!」
 首を振りながら腰に手を回して、微かに残る薄明の光が完全に消えてしまうまで二人はそうして互いの温もりと存在を感じていたのだった。

 終わり

*あとがき*
 回想は難しすぎでしたがなんとか形になってたらいいなー(笑)
 グデグデになるし、つぎはぎになるし。いまだかつてないくらい書き直しました。
 あっさり風味なのは、まだ一ヶ月って設定だったからです。いちゃつかせたかったけど必死に我慢しました(笑)
 せっかく作ったのに一部分しか使わなかった孤児院での話を番外編としてまとめられたらなーって思います。
 ここまで読んでくださってありがとうございました。
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